満月の舞踏会 ~Chorea arcana sub lumine plenilunii~

古森日生

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満月の舞踏会

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ざわ…

静かなダンスホールにざわめきが広がる。

ルナスト王国王太子エルトリス・エルダー・アルヴァリーク・ルナストの入場は歓声ではなく困惑を持って迎えられた。

――どういうことだ…? なぜ王太子様はフォレント令嬢などを連れて…?

――あれではレミリティス様の立場がない。

徐々にざわめきが広がる中、ダンスホールに詰めかけた貴族諸氏の視線は一人の女性に集まっていく。


ルナスト王国は神話の時代、湖に降りた月の女神が一人の青年と恋をして生まれた国だとされる。
月の女神の愛を得た青年は王となり国を興し、王国は女神の加護を得て発展を続けてきたという。
そんな王国では女神の象徴である月に感謝し、欠けることのない満月の夜女神を寿ことほぐ祝祭が開催される。
建国以来続けられてきた祝祭は、王国の繁栄の象徴であり円満たる女神の愛の象徴ともいえる。

――ここ、ルナスト王国王立魔法学園でもその夜祝祭が行われていた。

魔法学園は国内の魔力所持者が例外なく通うことを義務付けられており、魔力持ちはその血筋から貴族が多い。
そのため学園内は王宮の縮図ともいえ、次代を担うルナストの若き貴公子、淑女たちが日々勉学とともに社交や派閥の形成に努めている。
そして、王太子エルトリスを支持する最大派閥こそ建国以来の名門アンヴァーラ侯爵家であり、アンヴァーラ家の後ろ盾なしにエルトリスが立太子することは叶わなかった。
そしてエルトリスの婚約者こそ「完璧令嬢」の誉れも高いレミリティス・クラン・アンヴァーラ侯爵令嬢である。

しかし今、エルトリスが手を引き入場してきた淑女はレミリティスではなく、リーディア・ヘイル・フォレント子爵令嬢であった。


「どういうことですの?」
ざわめきの中、エスコートもなくただ一人で立ち尽くすレミリティスは、無表情で婚約者エルトリスに静かに問いかけた。

今夜は、レミリティスはダンスホールの上階の控えに待ち、エルトリスに手を引かれ中央の階段からダンスホールに降りてくる手筈であった。
しかしいつまで待ってもエルトリスは訪れず、控えで王太子の入場の声を聴いたレミリティスは急ぎ会場へ降りてきた。

――そこで、彼女は婚約者が別の女性をエスコートしているのを見たのだ。

「どうした? わが愛しの婚約者殿レミィ?」
王太子エルトリスはレミリティスの姿を見るとにこやかに声をかけた。
「そのように慌てて、あなたらしくもない」
言いながらエルトリスはエスコートしているリーディアの腰を抱き寄せた。
リーディアはエルトリスとレミリティスを交互に見ながら青い顔をしている。
「レ、レミリティス様… わたし…」
何かを言いかけたリーディアにエルトリスは視線で微笑むとリーディアを守るように一歩前へ出た。

「レミィ、彼女リーディアを怒らないでやってくれ。今宵は『満月の舞踏会コレア・アルカーナ・スブ・ルミネー・プレニルニーイ』。女神の愛に感謝する大切な祝祭だ。やがて国母にもなろうというあなたが、まさか学友のささやかな望みを無下にしたりはすまいな?」
エルトリスの言葉にリーディアの顔が真っ青になった。
「そんな!わたしはこんな…」
言いかけたリーディアにレミリティスは小さく手を挙げた。
ビクリとして身を縮めるリーディアにレミリティスは微笑みかけた。

「殿下のおっしゃる通り今夜は『満月の舞踏会』です。わたくしがリーディア様を非難することはございませんわ」
そういうとレミリティスは優雅に一礼する。
「どうぞお楽しみを。殿下、リーディア様」

レミリティスの言葉にまた周りがざわめく。

――殿下は何をお考えなのだ?

――お辛いはずですのに、レミリティス様のあの佇まい…。

「レミィ…、お前はまたそんな…っ」
怒りを孕んだ声でレミリティスを睨みつけるエルトリスに抱きしめられたままリーディアは可哀そうにがたがたと震え始めていた。

「行こう!リーディア」
エルトリスが手を引くと、リーディアの体はそのままエルトリスの胸に引き寄せられる。
そのままリーディアは手を引かれ何度もレミリティスを振り返りながらエルトリスと歩いて行った。
ぽつんとひとり取り残されたレミリティスに会場の視線が集まる。
レミリティスが誰にもわからないように小さく唇を噛みしめた時――

ひとりの貴公子がふわりと片膝をついてレミリティスに手を差し出した。


**
「アンヴァーラ侯爵令嬢。今宵、貴女の手を取る栄誉を私に」

レミリティスの前で跪くのは銀の髪、アメシストの瞳の貴公子。
怜悧な美貌と天性の気品を併せ持つその人は――

「お兄様…」

――おい、『月のローガス』が淑女に跪く姿なんて初めて見たぞ!?

――ローガス様…なんて美しいの…。

ローガス・クザ・バルディオン公爵。
バルディオン公爵家はアンヴァーラ侯爵家と同じくルナスト王国建国以来の血筋で、
ローガスの母が降嫁した王妹ということもありルナスト王国の筆頭公爵家である。
そのためローガス自身も王位継承権を持つ。
ローガスとエルトリスは乳兄弟でもあり、レミリティスとローガスもお互いに幼少時からよく知っている。
完璧令嬢と呼ばれるレミリティスも、王国の紋章である『月』の異名を授かるローガスの公明正大な人柄と能力に、幼少時から彼をお兄様と慕っている。

本来なら婚約者はおろか既に婚姻を結んでいてもおかしくない貴公子だが
王太子エルトリスに王位を譲りたい国王は『王太子に跡取りが誕生するまで』という制限付きでローガスの婚姻を禁じていた。
常に公正で人望も厚いローガスがエルトリスの敵対派閥と結びつくのを避けたいのだ。
エルトリスの派閥でローガスに見合う令嬢はレミリティスのみ。
だが、レミリティスなしでエルトリスが王位を継承するのは困難であり、何よりバルディオン公爵家とアンヴァーラ侯爵家が結び付けばその権勢はルナスト王家を凌ぐ。
そんな政治的な判断もありローガスとレミリティスが結ばれることはあり得ない。

だが――

「この手を取れ。…レミィ」
ローガスはレミリティスに手を差し出したまま囁く。

「今、この瞬間ときだけだ」

――見たことがない、熱を孕んだアメシストの瞳。
気が付けばレミリティスはローガスの手を取っていた。

ローガスのステップに合わせてレミリティスのドレスが翻る。

彼らはダンスホールの中央で踊る。
他の誰にも真似の出来ない、美しくも切ない求愛のダンス。

――おお、なんと見事な…!

――なんてお美しいおふたりなのかしら…!

ダンスホールすべての人々がふたりを見ている。

だが――


「くっ…なんでローガスがレミィと…」
本日の主役であったはずのエルトリスはリーディアとのダンスを止めて、レミリティスとローガスのダンスを見つめている。
「エルト様…?」
顔をゆがめるエルトリスをリーディアは気づかわしげに見つめる。
リーディアの視線に気づいたエルトリスは笑顔を形作り、ダンスを再開する。
「いや、何でもない。今日は一段と可愛いよ、リーディア」

誰にも目を留められぬまま、王太子のダンスは続いた。


やがて、二人がダンスを終えるとダンスホールは万雷の拍手に包まれた。
「ありがとうございました、お兄様」
最高難度のダンスを終えたレミリティスはわずかに息を切らせて紅潮した頬でローガスに微笑みかけた。
「ローガスだ」
「えっ…」
「今宵、時計はりが天辺を差すまでは…ローガスと」
ローガスの言葉にレミリティスは小さく目を見開いたがやがて、花のように微笑んだ。

「…はい。ローガス様」


――やがて時計は天辺を差し、舞踏会は終わりを迎える。

レミリティスはそっと、ローガスの指先から絡まった指をほどいた。

「ありがとうございました。 …お兄様」
「…ああ」

もう、レミリティスがローガスを名で呼ぶことは無い。
彼女はやがてエルトリスと結ばれ国母となる女性だ。

ローガスは再度レミリティスの手を取り、アンヴァーラ家の馬車へとエスコートする。

触れ合うのは、指先だけ。

レミリティスが馬車に乗り込むとき、ローガスはレミリティスの手の甲に口づける。

――それは、淑女を守る騎士の誓い。

作法通りに返礼したレミリティスは馬車に乗り込む。
完璧令嬢レミリティスの瞳が、かすかに涙で潤んでいたことを知る者はない。
[了]




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