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中編
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変わらぬ日々が続く。エルは今日もいつものように朝食を食べ終え、支度を始める。アーノルドはエルの髪を結いながら鏡越しにエルの様子を伺っていた。
「……ねぇ、アーノルド」
アーノルドはエルの髪を結び終わると、今度は服を選んでいく。
「初めての学校が不安なのですか?大丈夫ですよ」
アーノルドはエルの着るドレスを手に取る。
「いえ、そういうわけではないのだけど……。その……アーノルドは一緒に来てくれるのよね?」
エルは俯きがちに尋ねる。
「ええ。お嬢様の送り迎えをするように旦那様から言われていますので」
「そう……」
(やっぱり、ただの使用人には関係ないことだものね)
「お待たせしました」
エルはアーノルドの前に立つと、その場で一回転してみせた。
「どうかされましたか?」
「ううん、なんでもないわ」
アーノルドは不思議そうにしていたが、すぐにいつもの無表情に戻った。
「では行きましょう」
「はい」
二人は馬車に乗り込むと、屋敷を後にする。
「……」
「……」
エルはチラリとアーノルドを見るが、アーノルドは窓の外を眺めているだけだった。
綺麗な横顔だと思った。初めて会った時も思ったけれど、こうして近くで見ると改めて実感する。アーノルドはとても整った顔をしている。
「お嬢様、着きましたよ」
馬車から降りると、そこには大きな校舎があった。
「ここが……」
「はい。この学園は貴族の子息令嬢が通っている学校でございます。王立の学校ですので、優秀な人材が多く集まっています」
「へぇ」
エルは初めて見る景色に興味津々だった。周りにいる生徒達も皆どこか品があるように見える。
「お嬢様は学問の面では問題ないと思いますが、それ以外の点が少々心配です。おてんば娘は封印してくださいね」
「わかっているわ」
エルはコホンと咳払いをして、背筋を伸ばす。
「では、行って参ります」
「はい、いってらっしゃいませ。夕方にまた迎えに来ます」
アーノルドは恭しく礼をした。
「……はい」
エルは少し寂しそうな表情をしたが、すぐに笑顔を浮かべると歩き出した。
「……」
アーノルドはその背中を見えなくなるまで見送った。
エルが学校に入ったのを確認すると、馬車に乗り込み屋敷に戻る。
アーノルドはいつも通りに掃除や洗濯をこなす。だが、時折窓から外を見てはため息をつく。
アーノルドは仕事の休憩時間に自室に戻り、机の上に置いてあった箱を開ける。中にはそこには幼いエルとアーノルドの写真が入っていた。アーノルドがエルの屋敷で働くようになったばかりの頃の写真だ。
「懐かしいなぁ」
アーノルドは目を細めて写真を見つめた。そこに写るエルはまだ幼く、とても可愛らしい女の子だった。そして隣に立つ自分は……どこから見ても少年にしか見えないだろう。
『大きくなったらアーノルドと結婚する!』
そう言ってくれたあの子は学校で良い男を見つけ、使用人であるアーノルドのことなど見てもくれなくなるだろう。いつか自分ではない誰かの手を取り、幸せになるであろうエルの姿を想像すると胸が苦しくなる。
しかし、それが正しい姿なのだ。平民の自分など、本来は貴族に見向きもされない存在なのだから。身分が違う。住む世界が違う。だから、これでいいのだ。そう言い聞かせても、やはり辛いものは辛かった。
「はあ……」
アーノルドは深い溜息をついた。
エルが学校に通い始めて数ヶ月経ったある日のこと。
アーノルドはいつも通り学校の前でエルを待っていた。そろそろ授業が終わる時間だというのに、エルの姿が見えなかった。
「お嬢様……?」
(珍しいこともあるものだ)
アーノルドは辺りを見渡す。
と、校舎の陰で数人の男子生徒がエルを囲むようにして立っているのが見えた。
「!」
アーノルドは慌てて走り出すと、その輪の中に入って行く。
「何をしている!!」
「ああ?なんだお前」
「使用人の分際でよく出てこれたな」
「ここは貴族の集まる場所だぞ」
「どうせ金でも握らせたんだろうが」
アーノルドは臆することなく男たちを睨みつける。
「お嬢様に何か用ですか?」
「こいつ、俺たちが誰なのか知らないのか?」
「おい、こいつは俺がもらうぜ」
「まあいいか。なら、先に手を出した方が勝ちだ」
一人の男が拳を振り上げる。
「っ」
殴られる!そう思ってアーノルドはエルを庇うようにし、固く目を閉じる。だが、その衝撃はいつまでも襲ってくることはなかった。
「ちっ、つまんねぇの」
「子爵令嬢相手に馬鹿馬鹿し!」
男たちは去って行った。
アーノルドはゆっくりと目を開けた。
そこには地面に座り込むエルがいた。
「お嬢様!?」
アーノルドは急いで駆け寄ると、エルを抱き起こす。
「大丈夫でございますか?」
「え、えぇ……。ありがとう」
エルは立ち上がりスカートを払う。
「申し訳ございません。気づくのが遅くなりました……」
「いえ、私の不注意ですわ。まさか、こんなことになるなんて思わなかったもの……」
「お怪我はありませんか?」
アーノルドの言葉にエルは首を横に振る。
「良かった……」
アーノルドは心底安堵した様子で息を吐いた。そして、エルに手を差しだす。
「帰りましょう。お嬢様」
「……はい」
エルはアーノルドの手を取った。
二人は手を繋いだまま馬車に乗る。エルが黙っている間、アーノルドは一言も喋らなかった。
「……」
「……」
エルは窓の外を見る。
「今日ね、学校で告白されたの」
アーノルドは何も言わずに聞いていた。
「もちろん断ったわ。断ったら、あんなことになって」
エルはギュッと自分の身体を抱くように腕を回した。
「貴族にとって、婚前のお付き合いは遊びで、恋愛ごっこなのに、子爵令嬢の分際で断るなんてって」
アーノルドは俯く。
「私は……ただ、好きな人がいるからと伝えただけなのに……」
エルは唇を噛む。
「貴族に生まれたかったわけじゃないのに……」
アーノルドはエルの顔を見た。
「アーノルド、貴方が平民でなければよかったのに」
エルは顔を歪める。
「……アーノルド、好きよ。学園に通い始めて、いろんな人をみたけど、やっぱりアーノルドが好き」
エルはアーノルドの胸に顔を埋める。
「アーノルド、付き合って欲しいの」
「……それは、できかねます」
アーノルドはきっぱりと言った。
「どうして?」
エルは顔を上げる。
「私が使用人である以上、お嬢様とは釣り合いが取れません」
アーノルドは目を伏せる。
「....貴族の婚前のお付き合いは恋愛ごっこなのよ。....相手が平民のこともあるんだって....だから....」
エルはアーノルドの服を掴む。
「お願いよ、アーノルド....」
「……」
エルの目には涙が浮かぶ。
「私じゃ駄目?」
「……駄目ではありません」
アーノルドはエルの肩を掴み、悲し気に笑って自分から離す。
「でも、だからこそ、駄目なのでございます」
アーノルドはエルを見つめた。
「……そんなの嫌……」
エルは首を振る。
「さあ、着きました」
エルが降りると同時に扉が閉まった。
アーノルドが屋敷に戻ると、いつも通り仕事を始めた。しかし、アーノルドの心の中は荒れていた。
「お嬢様が好きだ」
アーノルドは自分の気持ちを自覚していた。だから、エルの言葉に嬉しく思った。だが、同時に苦しくなった。
(俺はお仕えする身だ。それに……)
アーノルドは自嘲気味に笑う。
「身分違いだ」
アーノルドはそっとため息をつき、窓の外を見た。
日は傾き、空はオレンジ色に染まっていた。
エルは部屋に戻ってベッドに飛び込んだ。そして、枕を抱きしめる。
「なんで、アーノルドは私のことを好きにならないの?」
エルは呟く。
「どうして?」
エルは目を閉じた。
「私はこんなにも好きなのに」
エルは枕に顔を埋めた。
決して報わない恋はただ苦しいだけのものだった。
学園に行って帰ってくるという日々を繰り返す。
「どうぞ」
アーノルドはエルの前に紅茶を置く。
「ありがとう」
エルはカップを手に取り、一口飲む。
「おいしい」
「恐れ入ります」
アーノルドは頭を下げて下がる。
「アーノルド」
「はい」
「これから街に行きたいのだけれど、一緒に来てくださらないかしら?」
「かしこまりました」
アーノルドは頭を垂れると、「すぐに準備をして参ります」と言い残して、エルの部屋を出た。
それから十分ほどで支度を整えてきたアーノルドと共に馬車に乗り込む。
街の中に入ると、エルはキョロキョロと辺りを見回す。
「何か気になるものでもございますか?」
「いえ、その……ちょっとだけ寄り道してもいい?」
エルはアーノルドの手を引いて走り出す。
向かった先はお菓子だった。
「ここのお菓子が美味しいんだって」
エルはそう言うと店内に入って行った。
アーノルドも後に続く。
店の中には甘い匂いが漂っている。ショーケースの中に色とりどりのケーキやタルトが並んでいる。
「どれにする?」
エルは楽しそうな表情を浮かべている。
「では、こちらを一つください」
アーノルドは指をさす。
「私も同じものでいいわ」
エルは店員に声をかける。すると、箱に入った商品が渡された。
「はい、これ」
エルは箱を差しだす。
「お嬢様のお金です」
「これは私が買うのよ」
エルは頬を膨らませた。
「今日は私の買い物に付き合ってもらったんだから、今度は私が払う番」
「……わかりました」
アーノルドは素直に受け取ることにした。
公園のベンチに座り、二人は早速、先程受け取ったばかりの箱を開ける。
中には小さな丸い形のクッキーが入っていた。
「いただきまーす」
エルは一枚手に取る。
「はい、アーノルドも」
エルは一枚差し出した。
「それでは、失礼いたします」
アーノルドは手を伸ばし、エルから受け取ろうとしたがエルはクッキーから手を離さない。
「....お嬢様?」
「あーんしてあげるってことよ。察しなさいよ!」
エルは少し顔を赤くしながら言った。
「……はぁ」
アーノルドは観念したように口を開けた。
エルがアーノルドの口にクッキーを入れる。
「どう?」
「……とても、美味しゅうございます」
アーノルドは微笑んだ。
「……っ!もう……」
エルは恥ずかしさを誤魔化すために二枚まとめて口に入れた。
「お嬢様、そんなに一気に食べたら太りますよ」
「うるひゃいわね!」
エルはモグモグさせながら喋った。
しばらく経って、ようやく飲み込んだ。
「ねぇ、アーノルド。端から見たら私たち、恋人同士に見えているかしら?」
「さあ、どうでしょうか」
「……つれない返事」
エルは不満げに唇を尖らせる。
「お嬢様、そろそろ戻りましょう」
アーノルドは立ち上がる。
「もう少しここにいて」
エルはアーノルドの腕を引っ張って座らせた。
「……お嬢様」
「もう少しだけ」
エルはアーノルドに体を預けた。そして、そのまま目を閉じる。
アーノルドは何も言わずに空を眺めていた。
(このまま時が止まればいい)
寄り添うエルの体温を感じながらアーノルドは心の中で願った。しかし、時間は止まることなく流れていく。
「ねぇ、アーノルド」
「なんでしょうか?」
「........なんでもない」
エルは俯く。そして、立ち上がった。
「帰りましょうか」
アーノルドも立ち上がり、「はい」と短く答えた。
「……ねぇ、アーノルド」
アーノルドはエルの髪を結び終わると、今度は服を選んでいく。
「初めての学校が不安なのですか?大丈夫ですよ」
アーノルドはエルの着るドレスを手に取る。
「いえ、そういうわけではないのだけど……。その……アーノルドは一緒に来てくれるのよね?」
エルは俯きがちに尋ねる。
「ええ。お嬢様の送り迎えをするように旦那様から言われていますので」
「そう……」
(やっぱり、ただの使用人には関係ないことだものね)
「お待たせしました」
エルはアーノルドの前に立つと、その場で一回転してみせた。
「どうかされましたか?」
「ううん、なんでもないわ」
アーノルドは不思議そうにしていたが、すぐにいつもの無表情に戻った。
「では行きましょう」
「はい」
二人は馬車に乗り込むと、屋敷を後にする。
「……」
「……」
エルはチラリとアーノルドを見るが、アーノルドは窓の外を眺めているだけだった。
綺麗な横顔だと思った。初めて会った時も思ったけれど、こうして近くで見ると改めて実感する。アーノルドはとても整った顔をしている。
「お嬢様、着きましたよ」
馬車から降りると、そこには大きな校舎があった。
「ここが……」
「はい。この学園は貴族の子息令嬢が通っている学校でございます。王立の学校ですので、優秀な人材が多く集まっています」
「へぇ」
エルは初めて見る景色に興味津々だった。周りにいる生徒達も皆どこか品があるように見える。
「お嬢様は学問の面では問題ないと思いますが、それ以外の点が少々心配です。おてんば娘は封印してくださいね」
「わかっているわ」
エルはコホンと咳払いをして、背筋を伸ばす。
「では、行って参ります」
「はい、いってらっしゃいませ。夕方にまた迎えに来ます」
アーノルドは恭しく礼をした。
「……はい」
エルは少し寂しそうな表情をしたが、すぐに笑顔を浮かべると歩き出した。
「……」
アーノルドはその背中を見えなくなるまで見送った。
エルが学校に入ったのを確認すると、馬車に乗り込み屋敷に戻る。
アーノルドはいつも通りに掃除や洗濯をこなす。だが、時折窓から外を見てはため息をつく。
アーノルドは仕事の休憩時間に自室に戻り、机の上に置いてあった箱を開ける。中にはそこには幼いエルとアーノルドの写真が入っていた。アーノルドがエルの屋敷で働くようになったばかりの頃の写真だ。
「懐かしいなぁ」
アーノルドは目を細めて写真を見つめた。そこに写るエルはまだ幼く、とても可愛らしい女の子だった。そして隣に立つ自分は……どこから見ても少年にしか見えないだろう。
『大きくなったらアーノルドと結婚する!』
そう言ってくれたあの子は学校で良い男を見つけ、使用人であるアーノルドのことなど見てもくれなくなるだろう。いつか自分ではない誰かの手を取り、幸せになるであろうエルの姿を想像すると胸が苦しくなる。
しかし、それが正しい姿なのだ。平民の自分など、本来は貴族に見向きもされない存在なのだから。身分が違う。住む世界が違う。だから、これでいいのだ。そう言い聞かせても、やはり辛いものは辛かった。
「はあ……」
アーノルドは深い溜息をついた。
エルが学校に通い始めて数ヶ月経ったある日のこと。
アーノルドはいつも通り学校の前でエルを待っていた。そろそろ授業が終わる時間だというのに、エルの姿が見えなかった。
「お嬢様……?」
(珍しいこともあるものだ)
アーノルドは辺りを見渡す。
と、校舎の陰で数人の男子生徒がエルを囲むようにして立っているのが見えた。
「!」
アーノルドは慌てて走り出すと、その輪の中に入って行く。
「何をしている!!」
「ああ?なんだお前」
「使用人の分際でよく出てこれたな」
「ここは貴族の集まる場所だぞ」
「どうせ金でも握らせたんだろうが」
アーノルドは臆することなく男たちを睨みつける。
「お嬢様に何か用ですか?」
「こいつ、俺たちが誰なのか知らないのか?」
「おい、こいつは俺がもらうぜ」
「まあいいか。なら、先に手を出した方が勝ちだ」
一人の男が拳を振り上げる。
「っ」
殴られる!そう思ってアーノルドはエルを庇うようにし、固く目を閉じる。だが、その衝撃はいつまでも襲ってくることはなかった。
「ちっ、つまんねぇの」
「子爵令嬢相手に馬鹿馬鹿し!」
男たちは去って行った。
アーノルドはゆっくりと目を開けた。
そこには地面に座り込むエルがいた。
「お嬢様!?」
アーノルドは急いで駆け寄ると、エルを抱き起こす。
「大丈夫でございますか?」
「え、えぇ……。ありがとう」
エルは立ち上がりスカートを払う。
「申し訳ございません。気づくのが遅くなりました……」
「いえ、私の不注意ですわ。まさか、こんなことになるなんて思わなかったもの……」
「お怪我はありませんか?」
アーノルドの言葉にエルは首を横に振る。
「良かった……」
アーノルドは心底安堵した様子で息を吐いた。そして、エルに手を差しだす。
「帰りましょう。お嬢様」
「……はい」
エルはアーノルドの手を取った。
二人は手を繋いだまま馬車に乗る。エルが黙っている間、アーノルドは一言も喋らなかった。
「……」
「……」
エルは窓の外を見る。
「今日ね、学校で告白されたの」
アーノルドは何も言わずに聞いていた。
「もちろん断ったわ。断ったら、あんなことになって」
エルはギュッと自分の身体を抱くように腕を回した。
「貴族にとって、婚前のお付き合いは遊びで、恋愛ごっこなのに、子爵令嬢の分際で断るなんてって」
アーノルドは俯く。
「私は……ただ、好きな人がいるからと伝えただけなのに……」
エルは唇を噛む。
「貴族に生まれたかったわけじゃないのに……」
アーノルドはエルの顔を見た。
「アーノルド、貴方が平民でなければよかったのに」
エルは顔を歪める。
「……アーノルド、好きよ。学園に通い始めて、いろんな人をみたけど、やっぱりアーノルドが好き」
エルはアーノルドの胸に顔を埋める。
「アーノルド、付き合って欲しいの」
「……それは、できかねます」
アーノルドはきっぱりと言った。
「どうして?」
エルは顔を上げる。
「私が使用人である以上、お嬢様とは釣り合いが取れません」
アーノルドは目を伏せる。
「....貴族の婚前のお付き合いは恋愛ごっこなのよ。....相手が平民のこともあるんだって....だから....」
エルはアーノルドの服を掴む。
「お願いよ、アーノルド....」
「……」
エルの目には涙が浮かぶ。
「私じゃ駄目?」
「……駄目ではありません」
アーノルドはエルの肩を掴み、悲し気に笑って自分から離す。
「でも、だからこそ、駄目なのでございます」
アーノルドはエルを見つめた。
「……そんなの嫌……」
エルは首を振る。
「さあ、着きました」
エルが降りると同時に扉が閉まった。
アーノルドが屋敷に戻ると、いつも通り仕事を始めた。しかし、アーノルドの心の中は荒れていた。
「お嬢様が好きだ」
アーノルドは自分の気持ちを自覚していた。だから、エルの言葉に嬉しく思った。だが、同時に苦しくなった。
(俺はお仕えする身だ。それに……)
アーノルドは自嘲気味に笑う。
「身分違いだ」
アーノルドはそっとため息をつき、窓の外を見た。
日は傾き、空はオレンジ色に染まっていた。
エルは部屋に戻ってベッドに飛び込んだ。そして、枕を抱きしめる。
「なんで、アーノルドは私のことを好きにならないの?」
エルは呟く。
「どうして?」
エルは目を閉じた。
「私はこんなにも好きなのに」
エルは枕に顔を埋めた。
決して報わない恋はただ苦しいだけのものだった。
学園に行って帰ってくるという日々を繰り返す。
「どうぞ」
アーノルドはエルの前に紅茶を置く。
「ありがとう」
エルはカップを手に取り、一口飲む。
「おいしい」
「恐れ入ります」
アーノルドは頭を下げて下がる。
「アーノルド」
「はい」
「これから街に行きたいのだけれど、一緒に来てくださらないかしら?」
「かしこまりました」
アーノルドは頭を垂れると、「すぐに準備をして参ります」と言い残して、エルの部屋を出た。
それから十分ほどで支度を整えてきたアーノルドと共に馬車に乗り込む。
街の中に入ると、エルはキョロキョロと辺りを見回す。
「何か気になるものでもございますか?」
「いえ、その……ちょっとだけ寄り道してもいい?」
エルはアーノルドの手を引いて走り出す。
向かった先はお菓子だった。
「ここのお菓子が美味しいんだって」
エルはそう言うと店内に入って行った。
アーノルドも後に続く。
店の中には甘い匂いが漂っている。ショーケースの中に色とりどりのケーキやタルトが並んでいる。
「どれにする?」
エルは楽しそうな表情を浮かべている。
「では、こちらを一つください」
アーノルドは指をさす。
「私も同じものでいいわ」
エルは店員に声をかける。すると、箱に入った商品が渡された。
「はい、これ」
エルは箱を差しだす。
「お嬢様のお金です」
「これは私が買うのよ」
エルは頬を膨らませた。
「今日は私の買い物に付き合ってもらったんだから、今度は私が払う番」
「……わかりました」
アーノルドは素直に受け取ることにした。
公園のベンチに座り、二人は早速、先程受け取ったばかりの箱を開ける。
中には小さな丸い形のクッキーが入っていた。
「いただきまーす」
エルは一枚手に取る。
「はい、アーノルドも」
エルは一枚差し出した。
「それでは、失礼いたします」
アーノルドは手を伸ばし、エルから受け取ろうとしたがエルはクッキーから手を離さない。
「....お嬢様?」
「あーんしてあげるってことよ。察しなさいよ!」
エルは少し顔を赤くしながら言った。
「……はぁ」
アーノルドは観念したように口を開けた。
エルがアーノルドの口にクッキーを入れる。
「どう?」
「……とても、美味しゅうございます」
アーノルドは微笑んだ。
「……っ!もう……」
エルは恥ずかしさを誤魔化すために二枚まとめて口に入れた。
「お嬢様、そんなに一気に食べたら太りますよ」
「うるひゃいわね!」
エルはモグモグさせながら喋った。
しばらく経って、ようやく飲み込んだ。
「ねぇ、アーノルド。端から見たら私たち、恋人同士に見えているかしら?」
「さあ、どうでしょうか」
「……つれない返事」
エルは不満げに唇を尖らせる。
「お嬢様、そろそろ戻りましょう」
アーノルドは立ち上がる。
「もう少しここにいて」
エルはアーノルドの腕を引っ張って座らせた。
「……お嬢様」
「もう少しだけ」
エルはアーノルドに体を預けた。そして、そのまま目を閉じる。
アーノルドは何も言わずに空を眺めていた。
(このまま時が止まればいい)
寄り添うエルの体温を感じながらアーノルドは心の中で願った。しかし、時間は止まることなく流れていく。
「ねぇ、アーノルド」
「なんでしょうか?」
「........なんでもない」
エルは俯く。そして、立ち上がった。
「帰りましょうか」
アーノルドも立ち上がり、「はい」と短く答えた。
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