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1.思い出した記憶の欠片

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 その囚人服姿の少女は、断崖絶壁に立っていた。
 崖の下には海が広がっていて、波が幾度も激しく岩を打ちつけている。
 腰まで伸びる銀色の髪が、うねる風に踊るように靡き、陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
 風に身を任せ俯く少女の目の前には、十数人もの憲兵や衛兵が、うつぶせであちこちに倒れている。
 それは、異様な光景だった。

 その中に一人だけ地面に足を付けて歩き、険しい顔付きで少女に近付いてくる青年がいた。
 アクア色の艷やかな髪を一纏めにして後ろで縛り、切れ長の神秘的なパープルの瞳を持つ、美麗の男だ。魔道士の格好をしている。


「……やっぱり、来ると思った」


 顔を上げ青年を見返すと、少女はポツリと呟いた。
 ピンクとエメラルドグリーンのグラデーションを持つ珍しい瞳が、一瞬大きく揺らぐ。

「……大丈夫。この人達は眠らせてるだけ。誰も怪我はしてないよ」
「そんな事は聞いてねぇ」

 ぶっきらぼうに、青年が低い声で吐き捨てる。

「そう……。じゃあ聞かないの? どうして監獄から逃げたんだって」
「…………」
「そうだね……。あなたは分かってるものね。あそこにいても、“勇者”を殺した極悪非道魔女は、極刑として耐え難い様々な拷問の後、斬首されるって」
「……スティーナ」
「それなら私は、自ら命を絶つか、――あなたに殺されたい」

「…………っ!」

 青年の両目が、大きく見開く。
 少女は彼の表情に小さく微笑んだ。
 酷く悲しそうに、眉根を下げて。

 瞳に、大粒の涙を滲ませて。

「ごめんね。本当にごめんなさい。あなたの大切な人を――。……私を恨むよね、憎むよね……?」
「スティーナ……ッ」
「あぁ、もう時間がないわ。脱獄に魔力を相当使ってしまったから、催眠魔法の効力が薄かったみたい。彼らがもうすぐ起きてしまう」

 青年の言葉を遮ると、少女はポロポロと泣きながら両腕を彼に差し出した。

「お詫び……なんて言ったらおこがましいのだけど、あなたに高い地位をあげる。神殿か帝国か、どちらかの地位を貰えるはず。イグナート、いつも言っていたものね? 『お金が欲しい』って。大丈夫、きっと沢山貰えると思う。だってあなたはこれから“英雄”になるんだもの」
「……? それはどういう――」

 そこで少女は、零れる涙はそのままに天を仰いだ。
 高い高い、どこまでも蒼い空だ。見てると吸い込まれそうなくらいに。

 “あの人”の瞳のように――


(私には、そこには行けないな……。だって眩し過ぎるもの。私が行く場所は、その反対)


「――あぁ、そうだ。“あの人”の約束、守れなかった……。“あの子”との約束も……。でも、私はもう生きていたくない……。私の家族も、皆……。――ね、もし“あの人”に会えたら伝えて。『約束を守れなくてごめんなさい』って」
「……スティーナ、まさか――!」


「『風よ、刃となりて彼の者を切り裂け』」


 青年が少女の元へ駆け出す前に、彼女は涙を指で拭い、術を唱え発動させた。
 翠玉色の風が少女の身体を包み込み、そして激しい音と共に彼女の皮膚をあちこち深く斬り裂いてく。

「くぅ……っ」

 血飛沫が舞い上がり、青年の頬にピシャリと掛かった。

「スティーナッ!!」

 その時、地面に横たわっていた憲兵達が目を覚まし、次々と身体を起こした。

「……ん? あ、あれ……?」
「俺達は……一体どうしたんだっけ……?」
「確か、極悪人の魔女に眠らされて……」
「……あっ!?」
「おい、見ろよあそこ!」

 一人が指差した先に全員が目を向けると、勇者の仲間であった魔道士と、その向かいに全身血だらけになり辛うじて立っている極悪人の姿があった。

「やはり魔力が足りなかったわ……。致命傷までは至らなかった……」

 少女は誰にも聞こえない声音で独白する。
 青年の怒声を浴びながら。

「……お前……ッ!! 何……何フザけた事してるんだッ!!」

 少女は、憲兵達がざわめきながらこちらを見ているのを確認する。
 ふらつく身体と激痛を何とか堪え、鈴の振るような声を精一杯張り上げた。

「さすがね、魔道士イグナート。私がここまでやられるなんて、あなたにしか出来ない事だわ。……大罪を犯した死刑囚が脱獄した場合、捕縛又は殺害した者には、褒美として高位の地位を与えるって法がここにはあるみたいね。ふん、勝手に貰うといいわ。何せ私に勝ったんだもの。……そうね、あいつら全員が証人になってくれるわ。嘘つきは末代まで呪うから覚悟して頂戴ね?」

 顔も髪も身体も血みどろの魔女が、こちらを見てニタリと不気味に笑う姿は、憲兵達には効果があり過ぎたようだ。


「…………ッッ!!」


 皆涙目で、震えながらコクコクと何度も頷いている。
 少女はそれを眺め、ふっと目を細めた。

(少し説明臭かったかな……。でも分かってくれたみたいだし、これでいいか……。――あぁ、目が霞んできた。痛みで手足の感覚も無くなってきた……。私も、これで……)

「………っ」

 いつもはボソボソと呟くようにしか喋らない少女が、突然大きな声で話し始めたものだから驚いているのだろう。
 青年は目を見開いたまま固まってしまっていた。

(――イグナート、今までありがとう)

「……でも、あなた達の前で生首を晒すなんてまっぴらゴメンだわ。――だからここでサヨナラ」
「――ッ!! スティ――」

 青年がハッと気付いた時には遅かった。
 少女はふわりと笑うと目を瞑り、ゆっくりと後ろに倒れ――


 断崖の下へと落ちていった。


(お父さん、お母さん、アグネ……。私も皆と同じ場所へ行けるかな……。会いたいな……。でもきっと、お父さん達はお空の上にいるよね。私は駄目、だよね……。あぁ、もしも生まれ変われたなら、今度は皆で幸せに――)

 少女は、手の中にあるものをギュッと握り締める。
 その時、何かが聞こえた気がして瞼を開け見上げると、青年が崖の上から頭を乗り出し、必死の形相で叫んでいた。


「許さねぇッ!! 俺は……許さねぇからなッッ!!」


(……死んでも許さない、か。そうだよね、私はあなたのとても大切な人を……。でも大丈夫だから。その人とはきっとまた会えるから。例え私が生まれ変わったとしても、絶対にあなたの前には姿を現さない。だからあなたは私の事を忘れて、どうか幸せに生きて――)


 そして、少女は荒れ狂う海に激突し――


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