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16.伯爵、ドン底に沈み込む
しおりを挟む「魔導士団の『特別顧問』である、オリービアさんだ。皆、失礼の無いようにね」
「オリービアと呼んで下さいな。よろしくお願い致しますね、皆様」
「…………ッッ!!」
にこやかに微笑み、優美にお辞儀をする自分の妻を、ハイドは離れた場所で目と口をあんぐりと真ん丸くさせ、美形台無しのとんでもない顔で凝視していた。
「……おやおや、すっごく驚いた顔をしているね、ふふっ。にらめっこで即優勝しそうな顔だ。その様子じゃ、オリービアさんから何も聞いてなかったようだね。私も彼女が君の奥さんになったって聞いた時は、心底ビックリしたよ」
あまりの衝撃に身体全体がビシリと固まっているハイドに、エルムが笑いを堪えながら話し掛けてきた。
「……ほ、本当に……? 本当にオリービアが――お、俺の妻が『特別顧問』……?」
「そうだよ。毎夜、自分の家から少し離れた魔法研究所に籠もり、魔法を使った器具や新しい魔法の研究に努力を注いできたんだ。まだ若いし女性なのに大したもんだよ、彼女は」
「……ま……毎、夜……」
ハイドは、今度はカタカタ震え出した身体を止められないまま、団員に囲まれ彼らの質問に穏やかな微笑みで返答しているオリービアを食い入るように眺める。
「……だ……団長……」
「ん? どうしたんだい、そんなにブルブルと震えて? 風邪でもひいたのかい?」
「……そ、その……。か、彼女には、毎夜……町に出て男を漁り、朝まで男遊びをし……散財して多大な借金を背負っているという……“噂”が――」
ハイドの発言に、エルムのこめかみがピクリと動いた。
「……はい?? 何その有り得ない程フザけた妄言の“噂”は? 彼女は毎夜外には出ていたが、研究所に行く為だ。朝まで研究に没頭している日もある。今は君と結婚して、その研究は一時中止しているけどね。それに、彼女の実家は辺地にある小さな子爵領だけど、領民と子爵家の関係がとても良好で、不便もあるが皆で仲良く助け合って生活している。だからお金の大切さをちゃんと分かっているし、散財なんて以ての外だ。……その“噂”を流した輩を、業火の炎で包んで長時間苦しませてから死なせたいねぇ」
「……っ」
エルムの銀色の瞳が憤怒の光を放ち、身体に冷気が纏う。その圧倒的な冷たさに、ハイドの身体がブルリと大きく震えた。
オリービアを侮辱され、エルムは本気で怒っているのだ。
彼もまた、彼女を尊敬する一人だった。
(……あ……あぁ……)
封じ込めていた、心の奥底で這い上がろうと藻掻いていた“想い”が、認めたくなかった『真実』を痛感し、堰を切って飛び出してくる。
ユーカリが自分を騙す筈が無い、自分は彼女を信じたいという“表”の思いが、必死に留めていた『真』の思いによって、全て覆い流されていく。
“オリービアは、自分の『目』と『心』で見た通り、誠実で真面目な、人を思いやれる素晴らしい女性だった――”
ハイドの中に常にあった、暗闇から自分を救い出してくれたユーカリの慈愛に満ちた笑顔がボロボロと崩れ落ち、代わりに“本性”を表した、醜く下卑た嗤い顔へと変貌していく。
(――う……うわああぁ……っっ!!)
ハイドは信じていた彼女の恐ろしい変化に耐え切れず、心の中で絶叫した。
必死になってその残像を脳裏から追い出す。
全て脳から追い払った時、ハイドはゼェゼェと息切れしており、その全身は脂汗でビッショリ濡れていた。
しかし、気付いた時から脳の全体に掛かっていた、靄みたいなモヤモヤしたものも一緒に無くなっており、何だか頭の中がスッキリした気分だった。
しかし、それと引き換えのように莫大な後悔と自責の念が、ハイドに一気に押し寄せてきた。
彼がオリービアに言い放った、数々の暴言が次々と思い出される。
ユーカリの言葉を確かめもせず鵜呑みにして、馬鹿の一つ覚えのようにオリービアを責めたあの時の自分を、ズタズタに切り裂いて細切りにして殺してやりたかった。
「……お、俺……今すぐに死にたい……。団長……俺に業火の炎を浴びせて極限まで苦しめてから殺して下さい……」
「はい? もしかして君がそんなくだらない“噂”を流したの? だったら本当に限界まで苦しめて殺すけど?」
「……いえ、従姉が……。俺はそれを信じてしまって、彼女に数々の暴言を――」
蹲り、自己嫌悪に苛まれながら頭を抱えたハイドに、エルムは息をつき、言い聞かせるように言葉を出した。
「いくら君が従姉を盲目的に傾倒していたからって、自分が結婚する相手の事をちゃんと調べなくてどうするの。一度口から出してしまった言葉は無かった事には決して出来ない。相手が傷付く言葉を放ったなら、それは相手の心に棘となって突き刺さり、いつまでも残り続けるんだ」
「……う……」
「――ねぇ、ハイド。何故今まで“噂”の真相を確認しなかったんだい? 君達が結婚してもう一年も経つんだよ? そんな“噂”の真相なんて、少し調べればすぐに分かった筈だ。どうしてすぐに確認しなかったんだい?」
「……そ、それ……は……」
エルムの言葉は、ハイドの心をグチャグチャに掻き乱し抉り抜く。
頭を深く抱え、更に蹲り、このまま床にズブズブと沈んでしまいそうな勢いだった。
エルムはそんな彼に、盛大な溜め息をついてみせた。
「……はぁ。君はそれをどう挽回していくつもりだい? 君がこの一年間に彼女にしてきた態度と言動は、そう簡単に払拭出来るものじゃないよ?」
「……はい、分かっています……。――まずは、心の底から謝ります。許してくれなくても、責められても、俺が彼女に対し出来る事を何でもします」
「君の屋敷をのさばっている従姉や取巻きの使用人はどうするんだい? そもそもの元凶はソイツらだろう?」
ハイドはグッと奥歯を噛み締め、やがて絞り出すような声を出す。
「……俺を立ち直らせてくれた従姉には感謝をしていますが、嘘を……嘘を何度もつかれ……、もう……信用出来ません……。それに、従姉が俺に黙ってしている事も許せない……。早い内に屋敷から出て行かせようと思います……」
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「本当に取り返しのつかなくなる前に目が覚めて良かったじゃないか。君と君の領地を救ってくれたオリービアさんに感謝するんだね」
「……はい……」
ハイドはヨロヨロと立ち上がると、団員達と和やかに談笑しているオリービアを見つめた。
(……オリービア……)
彼の心の奥に留めていた“もう一つの想い”が、こちらも蓋をこじ開け胸一杯に溢れてくる。
(……あぁ……もう誤魔化せない。この……“想い”を……。――俺は……俺はオリービアが好きなんだ……。異性として、俺は彼女を愛しているんだ――)
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