剣舞踊子伝

のす

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第一章

1話

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ーーー今から遥か昔、一国を滅ぼすほどにそれはそれは美しい男がいた。





まだ枝の蕾が固く閉じた春の夜のこと。

男は中庭の真ん中に立ち、月を見上げた後、ゆっくりと目を閉じて、はぁと息を吐いた。

白い煙が暗闇に消えていく。
春とはいえ夜はまだ寒く、頬を撫でる風は肌を刺すように冷たい。




「いよいよ明日か……」




ポツリと呟いた声は、誰の耳に届くこともなく闇夜に溶けていった。

この人の名を司春蕾(スー シュンレイ) という。腰まで伸びた黒く艶やかな髪に肌は雪のように白い。まだ16とは思えない程、まさに女人と見間違うような儚く美しい男であった。

司家は上級武官として長きに渡りこの崔国の王に仕え、数々の戦場で勝利の旗を掲げてきた名家であり、父も兄も武官として、今まさにこの瞬間も戦場を駆け回っている。

そんな中、唯一この春蕾だけが戦に出ず、文官という役職に就こうとしていた。











“ーーー以上、8名。本日より新たに王の家臣として自身の責を全うすように”

“ハッ!!!!!”


王の御前で拱手した若者たちは、着任式の終了と同時に次々と王宮に与えられた自室へと戻っていく。

春蕾も今朝初めて入ったばかりの自室を目指して廊下を歩いていた。
煌びやかに着飾った今日の装束はいつもよりやけに重く、とても窮屈で動きにくい。おまけに王やら上級やら下級やらと堅苦しい王宮の儀式ときた。
式を終えた頃には、すっかり疲れきっていた。

広い王宮の中、ずっと先まで長く伸びた廊下がやけに辛い。
早く部屋に戻ってこの服を脱ぎ捨てよう。そんなことを考えながら出来る限り早歩きで歩いていると、突然目の前に壁が現れた。



ドンっ


「ぅあっ!す、すみません!考え事をしていたもので…」



ふとその人を見ると、艶やかに手入れされた髪を一纏めにし、そこに端正な顔立ち、そして見上げるほど高い背に甲冑を身を纏い、腰には帯剣。まさに武臣そのものだった。



「女?!なぜここに女がいる」

「私は男です!司家の次男で」

「司家?お前が司春蕾か」

「え?ぁ…はい…え、と…」

「私を知らないのか…随分と世間知らずな文官だな」


フッとバカにしたように笑う男は、とても性格がいいとは思えなかったが、そこから放たれている圧倒的なオーラに春蕾は後ずさった。


「私は雷飛龍(レイ フェイロン)だ。お前と同じ武官の一族、雷家のな。」


雷家とは、司家と同じ上級武官の一族であり、いつもその勢力を争う武家の一つである。
春蕾にこうして突っかかって来るのはそうした背景からだろう。それなら同じ武官の兄や父に喧嘩を売れば良いのに。


「今回、司家から下級文官が出ると噂には聞いていたが、本当だったとはな。実に残念だ。」

「…貴方には関係のない事です」

「女のように貧弱なその見た目では戦に出られぬのも無理はない」

「っ…初対面の貴方に侮辱される筋合いはありません」

「気の強さはだけは武官の父親譲りか?」



王宮に来て初日で揉め事を起こす訳にはいかない。春蕾は拳を握ってグッと耐えた。
そんな姿を見て、飛龍はまたフッと嫌な笑みを浮かべてその場から去って行った。








「信じられない!私をあんな風に侮辱にするなんて!」

「まぁまぁ落ち着いてくださいませ」


幼い頃から司家に仕える侍女の夜鈴(イーリン)が、茶を淹れながら困ったように言う。
年下の少女に慰められるなんて自分が少し情けないが、そう言われてもあの言い方、態度、明らかに馬鹿にした表情を思い出しただけでもまた腹が立ってきてしまう。

そもそも春蕾とて武官として王宮に入っていれば上級の地位につける家柄なのだ。ただ司家で初めての文官だから、今は下級なだけで。


「雷飛龍様といえば、崔国の優秀な将軍様ではありませんか?国中の女が憧れを抱くお方ですよ?」


夜鈴は思い出したようにあの男の話をすると、少し興奮気味に春蕾は幸運だと言った。
何が幸運なものか。春蕾はあの男に侮辱されたのだから、たまったものではない。もし国中の女があのような無礼な男が好きだとすれば、余程見る目がないのだろう。


「そもそもあの男は本当に武官として優秀なのか?父上や兄上の方が」

「飛龍様は何度もこの国を救った英雄だとか。しかし、裏の顔はたいそうな色好きだと聞きます…」


やはり裏の顔があったか。
思い出してみても、確かにあの端正な顔立ちなら女と遊び放題だろうが、あの男から溢れ出る威圧感ときたら…誰もが怖くて逃げ出してしまうだろう。

春蕾は心の中で馬鹿にしてやると、皿に残っていた茶菓子を口に放り込み、茶を飲み干した。





この崔国は中華の中でもまだ小国で、数十年もの間、敵国との戦が各地で起きており、武官たちは一年の半分以上は戦場に赴いている。

それに対して文官は王宮を出ることはほとんどない。
日々、王や他の文官たちと対話し、政を進めていく。しかし、こちらとて決して楽なわけではない。政を誤れば国家存続の危機に陥るわけだ。


春蕾は毎日誰よりも朝早くから深夜遅くまで書簡を読み漁り、ひたすらに政を学んだ。
それが司家唯一の下級文官という汚名を晴らすための手段であったし、春蕾を馬鹿にした雷飛龍に追いつく、いや、追い越す方法であった。
1日でも早く沢山の知識を身につけ、政に参加しなければ。王に認められなければ。その一心で毎日を過ごしていた。

そして、そんな努力が報われ、春蕾はすぐにその才能を開花させ、下級文官の中でも徐々に頭角を表し始めた。
しかし、そんな血の滲むような努力とは裏腹に、春蕾の実力はなかなか認められずにいた。

上級武官という家柄が仇となったのだ。
春蕾が結果を残しているのは、実力ではなく、家柄のお陰だと噂され始めたからだ。
直接誰かが何かをしてくるわけではないが、明らかに他の文官たちは春蕾を嫌って避けていた。




そんな中、1人の男が春蕾に声をかけた。








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