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第二章
16話
しおりを挟む「ん…」
「春蕾。起きたか」
「殿…下…」
「麗孝だ。2人の時はそのように呼んでくれ」
「麗孝、様…」
「もうすぐ夜が明ける」
春蕾はいつも夜明け前にこの部屋を出る。
後宮に住む普通の妃なら朝まで共に過ごすのだろうが、文官である春蕾が戻るのは王宮。
他の官僚たちに踊り子であることや妃として太子の元へ通っていることなど、決して知られてはならない。
まだ眠い目をこすりながら起き上がり、やっとの思いで温かい毛布から足を投げ出して立ち上がる。
そして、少し寝乱れた衣服の裾や合わせを整えてから、太子に向き直って深く頭を下げた。
「麗孝様、私はこれで失礼致します」
まるで本物の夜伽の様な所作に太子は苦笑いを浮かべている。
当然、ナニかあったわけではないのだが。
顔を上げてすぐに太子に背を向けけ、扉を開けようとした時、ふわりと背中から伸びてきた手に抱きしめられる。
少し冷え始めていた体がまたじんわりと温かくなり、触れている部分が心地良いと思ってしまう。
「春蕾…」
「…」
「愛している…」
顎に添えられた手に頭だけ後ろを向かされ、温かい唇が触れ合う。
ドキドキと大きな心臓の音が身体中を駆け巡り、寝起きのまだはっきりしない頭では、自分の気持ちすらも分からない。
チュッと小さな音を立てて離れた後、春蕾はその腕から逃げるように寝殿から逃げ帰った。
湯浴みを終えて部屋に戻る頃、ちょうど朝焼けが王宮を照らし始めていたが、春蕾はもう一度寝床に入り、横になる。
しかし、それは束の間の休息に過ぎず、突然耳元で聞こえた慌てた声に飛び起きる。
「春蕾様!!起きてください!」
「れ、い…?そんなに慌ててどうかしたのか…」
「大変です!緊急招集が!」
2人で部屋を出ると、渡り廊下を忙しなく駆けていく文官たちが見えた。
これはただ事ではない。
この1年、王が直々に緊急の招集をかけることなどなかった。
だとすれば、恐らくこれは…
国家の危機。
「隣国である縁国と長年の敵である相国が同盟を結び、我が国に対して侵攻を開始したという報告が入った。」
縁国と相国が…同盟…?
縁国はかつて我が崔国と不可侵同盟も結んでいた。小さい国ながら、知略に長けた軍師がおり、崔国が何度攻めても落とせなかった。
そして相国。傍若無人な王と苛烈な戦をする将軍がいる、強大な武力を持つ国。
この二つが手を組んだとなれば、相当敵は手強い。
この戦に負ければ、男たちは無惨に殺され、女、子供も無事では済まされないだろう。
「司颯懍将軍、雷飛龍将軍、兪劉帆将軍が最前線で制圧に当たる。これから、それぞれの将軍が軍の戦略を立てるために共に行動する者たちを選ぶ」
ここに文官が呼ばれた理由は1つ。
多くの血を流さず、犠牲を最小限に抑える為の最前線ーーーーーー
ーーーーー交渉役。
つまり、まずは敵地に自ら赴き交渉し、侵攻を止めろと言うわけだ。
軍はあくまでも交渉が決裂した際の予防線。そうでなければ、文官が戦に呼ばれることなどないのだから。
ちらと周りを見渡せば、反応は様々だった。
名を呼ぶなと祈り続ける者もいれば、自分を選んでくれと祈る者もいる。
最も命を落とす可能性の高い戦場での交渉は、成功すればその武功は誰よりも何よりも大きいものとなるだろう。
春蕾も小さく手を組み祈っていた。
自分を呼んでくれるなと。
「司颯懍将軍、人選を」
「龙仔空(ロン シア)」
兄が選んだのは、上級文官の若き天才。
古くから文官の一族として王に支えてきた、由緒ある家の者だ。
この人選には皆納得しており、春蕾も予想はしていた。
しかし、どこか淡い期待があったのかもしれない。兄が自分の名を呼んでくれるのではないかと。
春蕾は、はぁと小さく息を吐いた。
「雷飛龍将軍、必要な人選を」
「では、
司春蕾を」
「ぇ」
不意に呼ばれた名に反射的に顔を上げるが、何が起こったのか頭で理解が追いつかない。
ザワザワザワザワ
「下級文官だぞ」
「使い物にならぬだろう」
「なぜ私たちではなく司春蕾なのだ」
「司家の者だからだろう。家柄で選んだに違いない」
ざわつく文官たちの視線は冷たく春蕾に向けられ、春蕾自身もなぜ自分が選ばれるのか理解できずにいた。
そんな中、遮るように太子が声を上げた。
「なぜわざわざ下級文官を選んだのだ。各国とも交流の経験が豊富な上級文官を選ぶべきではないか」
太子の意見はもっともである。
縁国や相国とこれまで外交をしてきた経験のある上級文官は多くいる。
その者たちが交渉にあたれば、うまく話がまとまりやすいし、互いに無駄な血を流す必要もない。
そんな太子の言葉を聞いても余裕そうに鼻で笑って切り返す飛龍。
「私はこの者の能力を見込んでおります。下級文官とは言え、武の名家“司”の家の者です。もはや今の縁や相の王は簡単に説き伏せられぬでしょう。ならば、自分で身を守る術が必要だ。戦とは無縁の上級文官よりよほど役に立つでしょう。それとも…殿下はこの男では信じられませぬか?」
「っ」
2人は目だけで睨み合い、この王宮の水面下で火花を散らしていた。
そんな中、今度は劉帆が呑気に言う。
「ならば私も符磊を」
「えっ?!」
まさか自分が呼ばれるとは夢にも思っていなかった磊も、春蕾同様に目をパチパチとさせ、動けずにいた。
そんな彼に、またもや周りの文官たちの冷たい視線が向けられる。
そんな文官たちの様子を見かねた1人の中年の文官が不満を訴え始めた。
「その者は武家の出身でもないのだぞ!将軍らは見る目がないのではないか?!」
棘の含んだ言い方に、磊も気まずそうに地面を見ている。
名家の生まれでも武家の生まれでもない、何の後ろ盾もない磊にとってこの場所は、きっと居心地が悪いに違いない。
春蕾も言い返したかったが、下級文官の自分が何かを言える立場ではないことは重々理解している。今は、ただこの時間が終わるのをグッと堪えるしかなかった。
「貴方は、」
そんな時、劉帆が声を上げた。
ざわざわと騒がしかったこの場所が、一瞬にして静かになった。
劉帆がゆっくりと人の輪の中で縮こまっている磊に視線を向けた後、周りにいる文官たちを殺気の籠った鋭い目つきで見下ろし、地を這うような低い声で問うた。
「友の為に自らの命を投げ出す覚悟ができるのですか」
「なにっ」
「この者にはその覚悟があると言うだけの話です」
「…っ」
劉帆の後ろにいる飛龍も腕を組んで納得したような顔をしている。
この人たちはいったい何を考えているのか。春蕾は未だ理解ができなかった。
その日の夜、将軍たちと選ばれた文官とで宴が催された。
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