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二
峡谷世界 魔力と寿命(3)
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エルストは不安げな面持ちでダイニングテーブルに着席している。使い古されているらしいチェアの板がささくれ、ズボンの縫い目からちくちくと肌を刺してきており、エルストは非常に不快な気持ちを抱きながらキッチンに立つベルとその頭上にいるアギの後ろ姿を見つめていた。ベルは魔法によって火を起こし、かまどの天板でスモークチキンを焼いている最中だ。油の弾ける音が部屋に響いている。かまどの上に開けられた窓から煙を逃しているため、煙たくはない。
エルストから向けられる視線になど感づいてはいないらしく、ベルとアギは鼻歌のハーモニーを奏でているが、エルストにとって煩わしいことこの上ない。エルストの片足は無意識のうちに揺れている。
「醤油と~、砂糖と~、お・酒~」
ベルが歌いながら何やら瓶入りの調味料をボウルに投入し、トングでかき混ぜ始めた。そして何度かトングとボウルのふちを打ち鳴らすと、アギが声をあげる。
「いっくぞー、ベル!」
「了解、アギ! 秘技!」
「〝鉄板にソース直かけ〟じゃあ~ッ!」
アギが大きく叫ぶと、エルストはすぐさま片頬を痙攣させた。
「あのさあ……それ、ソース、部屋じゅうにすっごく飛び散ってるんだけど」
「あーッ、雰囲気ぶち壊しやな~、王子。レディにモテへんで」
「ねえ、お皿はどこの棚? カトラリーは? この戸棚だね? 引き出しもあるね」
「無視すんのかーい! 王子っ! ワシ次のルクステラ見たら世界中のレディが王子の敵に回りますよーに願ったるわ。一緒にお願いしよな、ベル」
エルストはかまどのそばに立つ戸棚を無言で物色している。
「でもアギ、私はエルスト様の宮廷魔法使いだからそれは無理だな~」
「心配には及ばへんで、ベル。ベルはレディちゃう……あ、すんません、願いませんから、床に投げつけようとせんでください」
「ルクステラって滅多に見れない、一斉に流れる幾つもの流れ星のことでしょ。ここからだと見えるの?」
エルストがアギの言葉の一部を拾った。ベルが答える。
「んー、たまーに、ですね。ほら、ここの山の周囲にもたくさんありますから、山。空が広~く、ぜーんぶ見渡せるわけじゃないですし」
ベルの言う山とはドラゴンの活動が停止した肉体のことである。
「ルクステラにお願いごとすれば叶うの、なんでも?」
エルストはテーブルに食器を並べながら言った。
「あれ、聞いたことありません? ルクステラってじつはドラゴンの肉体のかけらで、ひとつひとつに魔力が込められてるって話」
ベルは口を動かしながらかまどの上でチキンを切り分けている。
「さあ」
エルストは首を横に振った。
「ま、迷信のひとつですね。そのルクステラの魔力でも、もらえればいいんですけどね」
ベルがそう言い終えたとき、チキンはすべて切り終えられた。四脚あるダイニングチェアの、エルストとベルは向かい合わせに置かれた二脚にそれぞれ座った。テーブルの上には湯気を立てるチキンステーキが美味しげに並べられている。いい匂いだ。野菜も焼いたらしい。つややかな色を見せている。
エルストは両手を合わせようとした。サムと山小屋に住んでいたときのように、合掌をしようとしたのだった。そのとき、ベルは何も言わず、フォークの先をチキンに突き刺した。エルストは呆気にとられた。ベルは合掌をしなかったのだ。エルストの脳裏には「クソくらえです」と言ったベルの声が響いた。
「食べないんですか?」
目の前でチキンをかじるベルに、エルストは我にかえる。チキンステーキとベルとを交互に見比べたエルストは、食べるよ、と小さく答えた。その後エルストは一度フォークを手に取ったが、やはり心残りがあるようで、フォークをすぐに手離した。乾いた音がテーブル上で鳴る。
「……神エオニオとドラゴンの恵み……命の恵みに感謝し。いただきます」
エルストは合掌した。
しばらく食器同士がぶつかる音ばかり不規則に続いた。食事をとっているのはエルストとベルだけである。アギはベルの頭の上で、うつらうつらと船を漕いでいる。エルストは、あらためて、ベルが宮廷魔法使いになったことや、サルバひいてはサード・エンダーズへの復讐の意志を固めたことを、チキンを切り裂きながら考えていた。
「アギは加工済みドラゴンなんだよね」
エルストが尋ねる。
「じゃあベルはアギと契約してるの?」
「そうですよ。加工済みドラゴンの魔力を使わせてもらうには、魔力を用いた契約が必要不可欠ですから」
ベルが答える。
「王立魔法学園に入学したときに、王様からもらいました。あ、預かったって言ったほうが正しいかな。王立魔法学園で加工済みドラゴンを与えられた魔法使いは、死んだら、与えられた加工済みドラゴンは回収されますから」
「父上は死んだよ。回収する人はいなくなったんじゃないの」
「ええまあ、そうなんですけど」
会話はそこでしばしのあいだ途切れた。
「王都はさ、今……」
エルストが煮え切らない口調で言い始める。ベルは食事をする手を休め、じっとエルストの顔を見た。
「王都って、今、どうなってる?」
するとベルは、エルストからの問いかけに少し思案した。ベルは口の中で、奥歯に詰まったチキンの切れ端を舐め、どうにか取ろうと思ったが、ベルがエルストへの返答を決めるほうがいくらか先に決した。
「私とアギ、たまに食糧の買い出しで王都に行くことがあるんですけど……聞きたいです?」
返答というよりは、意志確認のようだった。エルストは頷いた。ベルは顔色を暗くさせ、こう続ける。
「王都は……っていうか、王国は今、もう国家としての体裁を保ってはいなくて……二年前からイスヒス帝国に支配されています」
聞いたことのない言葉に、エルストは目を細めた。
エルストから向けられる視線になど感づいてはいないらしく、ベルとアギは鼻歌のハーモニーを奏でているが、エルストにとって煩わしいことこの上ない。エルストの片足は無意識のうちに揺れている。
「醤油と~、砂糖と~、お・酒~」
ベルが歌いながら何やら瓶入りの調味料をボウルに投入し、トングでかき混ぜ始めた。そして何度かトングとボウルのふちを打ち鳴らすと、アギが声をあげる。
「いっくぞー、ベル!」
「了解、アギ! 秘技!」
「〝鉄板にソース直かけ〟じゃあ~ッ!」
アギが大きく叫ぶと、エルストはすぐさま片頬を痙攣させた。
「あのさあ……それ、ソース、部屋じゅうにすっごく飛び散ってるんだけど」
「あーッ、雰囲気ぶち壊しやな~、王子。レディにモテへんで」
「ねえ、お皿はどこの棚? カトラリーは? この戸棚だね? 引き出しもあるね」
「無視すんのかーい! 王子っ! ワシ次のルクステラ見たら世界中のレディが王子の敵に回りますよーに願ったるわ。一緒にお願いしよな、ベル」
エルストはかまどのそばに立つ戸棚を無言で物色している。
「でもアギ、私はエルスト様の宮廷魔法使いだからそれは無理だな~」
「心配には及ばへんで、ベル。ベルはレディちゃう……あ、すんません、願いませんから、床に投げつけようとせんでください」
「ルクステラって滅多に見れない、一斉に流れる幾つもの流れ星のことでしょ。ここからだと見えるの?」
エルストがアギの言葉の一部を拾った。ベルが答える。
「んー、たまーに、ですね。ほら、ここの山の周囲にもたくさんありますから、山。空が広~く、ぜーんぶ見渡せるわけじゃないですし」
ベルの言う山とはドラゴンの活動が停止した肉体のことである。
「ルクステラにお願いごとすれば叶うの、なんでも?」
エルストはテーブルに食器を並べながら言った。
「あれ、聞いたことありません? ルクステラってじつはドラゴンの肉体のかけらで、ひとつひとつに魔力が込められてるって話」
ベルは口を動かしながらかまどの上でチキンを切り分けている。
「さあ」
エルストは首を横に振った。
「ま、迷信のひとつですね。そのルクステラの魔力でも、もらえればいいんですけどね」
ベルがそう言い終えたとき、チキンはすべて切り終えられた。四脚あるダイニングチェアの、エルストとベルは向かい合わせに置かれた二脚にそれぞれ座った。テーブルの上には湯気を立てるチキンステーキが美味しげに並べられている。いい匂いだ。野菜も焼いたらしい。つややかな色を見せている。
エルストは両手を合わせようとした。サムと山小屋に住んでいたときのように、合掌をしようとしたのだった。そのとき、ベルは何も言わず、フォークの先をチキンに突き刺した。エルストは呆気にとられた。ベルは合掌をしなかったのだ。エルストの脳裏には「クソくらえです」と言ったベルの声が響いた。
「食べないんですか?」
目の前でチキンをかじるベルに、エルストは我にかえる。チキンステーキとベルとを交互に見比べたエルストは、食べるよ、と小さく答えた。その後エルストは一度フォークを手に取ったが、やはり心残りがあるようで、フォークをすぐに手離した。乾いた音がテーブル上で鳴る。
「……神エオニオとドラゴンの恵み……命の恵みに感謝し。いただきます」
エルストは合掌した。
しばらく食器同士がぶつかる音ばかり不規則に続いた。食事をとっているのはエルストとベルだけである。アギはベルの頭の上で、うつらうつらと船を漕いでいる。エルストは、あらためて、ベルが宮廷魔法使いになったことや、サルバひいてはサード・エンダーズへの復讐の意志を固めたことを、チキンを切り裂きながら考えていた。
「アギは加工済みドラゴンなんだよね」
エルストが尋ねる。
「じゃあベルはアギと契約してるの?」
「そうですよ。加工済みドラゴンの魔力を使わせてもらうには、魔力を用いた契約が必要不可欠ですから」
ベルが答える。
「王立魔法学園に入学したときに、王様からもらいました。あ、預かったって言ったほうが正しいかな。王立魔法学園で加工済みドラゴンを与えられた魔法使いは、死んだら、与えられた加工済みドラゴンは回収されますから」
「父上は死んだよ。回収する人はいなくなったんじゃないの」
「ええまあ、そうなんですけど」
会話はそこでしばしのあいだ途切れた。
「王都はさ、今……」
エルストが煮え切らない口調で言い始める。ベルは食事をする手を休め、じっとエルストの顔を見た。
「王都って、今、どうなってる?」
するとベルは、エルストからの問いかけに少し思案した。ベルは口の中で、奥歯に詰まったチキンの切れ端を舐め、どうにか取ろうと思ったが、ベルがエルストへの返答を決めるほうがいくらか先に決した。
「私とアギ、たまに食糧の買い出しで王都に行くことがあるんですけど……聞きたいです?」
返答というよりは、意志確認のようだった。エルストは頷いた。ベルは顔色を暗くさせ、こう続ける。
「王都は……っていうか、王国は今、もう国家としての体裁を保ってはいなくて……二年前からイスヒス帝国に支配されています」
聞いたことのない言葉に、エルストは目を細めた。
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