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01 エミリーの誕生日
大広間の天井は、初夏の光を受けて金箔の葡萄蔓がほんのりと輝き、燭台の炎は昼でも消さずに揺らめいていた。八歳の誕生日を迎えた令嬢のために、侯爵家の料理人は今朝から休みなく働き続け、白磁の皿には鹿のパテや川魚のテリーヌ、蜂蜜と香草の香る焼き菓子が並ぶ。親戚と、領内の旗のもとに集う傘下の貴族たちは、紋章のついた肩掛けをひるがえし、互いの家の近況を囁き合っていた。話題の多くは、今日、侯爵家の次女エミリーがどの精霊と契約するかだ。
「長女のシャーロット様は火炎オオカミ。長男のヘンリー様は溶岩大蛇。三女のエミリー様も・・・期待できますなぁ」
「火の精霊王の眷属は間違いないでしょうなぁ」
笑いまじりでうなずきあう。侯爵は紅の礼服に身を包み、胸には燃えさかる不死鳥の紋章。夫人は真珠を編みこんだ髪を結い上げて美しかった。火の精霊こそ、この家の象徴だと誰もが信じて疑わなかった。
やがて合図の鐘が鳴る。楽師が弦を止め、会話が波のようにしずまる。淡い水色のドレスに身を包んだエミリーは、両手を腹の前で重ね、練習通りの礼として腰を折った。彼女の頬は緊張で赤い。けれど、その目は勇気を張り付けたようにまっすぐだった。
エミリーは優秀だ。家庭教師はみな、太鼓判を押した。マナーも非の打ちどころがない。
神官が清めの香を焚き、契約の文言を唱える。古き言葉が落ちてゆく。祈りのさなか、戸外から風が吹きこみ、燭台の炎がそろって細くなった。ざわ、と客の背筋に小波が立つ——そのとき。
小さな光がエミリーの前に現れた。光はすぐに消えエミリーの肩に奇妙なものが乗っていた。それは銀色のエナメル?のようだった。緑に金屑を散らしたような目が二つ、客たちを眺めていた。形は普通にトカゲだった。生きているのか?動いていた。精霊なのか?こんな精霊いるのか?
ざわめきが広がった。
「根・・・・・・・者を・・・・・」トカゲが重々しく言ったが、聞き取れたものはいなかった。
「・・・トカゲ?」誰かの囁き。笑いをこらえる喉の震え。
「トカゲに見えますなぁ」
「色は銀、目は緑・・・精霊でしょうか」別の誰かが、学識を誇るように判定する。
侯爵は杯を握る指をわずかに震わせ、一瞬だけ笑みの筋を引きつらせた。夫人は口元の扇を硬く閉じ、扇面の内側に浮いた血の気を押し隠す。
「あら、エミリー気分が悪いのね。緊張しすぎたのね」と夫人の声がすると、侍女がすっとエミリーに近寄った。二人は部屋を出て行った。
楽師が合図を受けて音を戻す。給仕たちは機敏に料理の皿を運ぶ。客たちは息を合わせて、侯爵家の精霊を話題にした。
「ここにお邪魔するとき、屋敷の上で舞う不死鳥は毎度の楽しみです」
「ご令嬢のオオカミは輝きが増しましたか?」
「ご令息の大蛇は他を寄せ付けませんね」
口々に侯爵家の精霊を褒める客たち。
その輪の外側に、もう一つの視線の輪があった。侯爵の弟、ブリーズ子爵である。彼は長身で、隙のない衣装をさりげなく着崩すのが巧い。笑みはいつも半歩引き、誰の肩にも軽すぎず重すぎず手を置く。彼は杯を傾けながら、眼差しだけは忙しく動かす。誰が眉をひそめ、誰が目を伏せ、誰が賛辞の言葉に息を合わせつつ舌の奥に苦みを残しているか。
ブリーズ子爵の精霊は赤炎のキツネ。最近、尾の数が増えて五本になった。子爵夫人の精霊は焔キノコ。エミリーより三か月年上の娘ルーシーの精霊は青炎のフクロウ。
子爵は表向きは兄の侯爵を立てているが、兄の失墜を狙っている。
「子爵閣下」彼に近づいたのは、小領主二家の当主だ。
野心を持った小心者だ。
「あの青炎のフクロウ」
「娘のフクロウのこと?」子爵は気取らぬ調子で受ける。
「ええ、青炎のフクロウは、見事でした。ご本家ですのであれ以上のものを期待してましたが、がっかりですな」
「侯爵閣下はあの方をこれからどう扱うのでしょうかね」
軽口が笑いを誘い、笑いが距離を詰める。子爵はそこで、思い出したように首を傾げる。
「ところで諸君。国の南部の火事は耳にはいっているであろう?」
「えぇ、火の精霊があばれたとか・・・」
「呆れますなぁ、自分の精霊を支配できないなど」
そういいながら、二人は大げさに首を振って嘆いてみせる。
一方、奥の回廊は薄暗く、客間から廊下に洩れる音が遠雷のように震える。エミリーは侍女に伴われ自室に戻った。
「お嬢さま、お着替えを」侍女は手際よくドレスを脱がせると普段着を着せると部屋を出て行った。
トカゲはテーブルの上で静かにしている。
「あなた、精霊なの?ここが家だと思ってくれる?」
トカゲは尻尾をわずかに揺らし、首をかしげた。
正直、このトカゲが現れた時、エミリーはがっかりした。こんな精霊を呼んだ自分が情けなく涙が出そうになった。今もこんなはずじゃないと思う。今頃は誕生日を祝われて精霊を褒められて笑っているはずだったのに・・・
トカゲはテーブルの上でじっとして、エミリーを見つめていた。
その緑の目を見ると、緑の中に金色の粒が混じって輝いていた。
じっと見ていると、悲しい気持ちが消えていった。
エミリーを指先でトカゲにさわった。すべすべで温かい。
「あなたは精霊さんでいいのよね。名前を誰も知らない。精霊さん。だけどわたしの精霊さん。仲良くしましょう」
緑の目が一度だけきらりと光り、トカゲは彼女の指にそっと額を押しあてた。
「ありがとう。精霊さん」
エミリーは絶対に泣かないと決心した。
「長女のシャーロット様は火炎オオカミ。長男のヘンリー様は溶岩大蛇。三女のエミリー様も・・・期待できますなぁ」
「火の精霊王の眷属は間違いないでしょうなぁ」
笑いまじりでうなずきあう。侯爵は紅の礼服に身を包み、胸には燃えさかる不死鳥の紋章。夫人は真珠を編みこんだ髪を結い上げて美しかった。火の精霊こそ、この家の象徴だと誰もが信じて疑わなかった。
やがて合図の鐘が鳴る。楽師が弦を止め、会話が波のようにしずまる。淡い水色のドレスに身を包んだエミリーは、両手を腹の前で重ね、練習通りの礼として腰を折った。彼女の頬は緊張で赤い。けれど、その目は勇気を張り付けたようにまっすぐだった。
エミリーは優秀だ。家庭教師はみな、太鼓判を押した。マナーも非の打ちどころがない。
神官が清めの香を焚き、契約の文言を唱える。古き言葉が落ちてゆく。祈りのさなか、戸外から風が吹きこみ、燭台の炎がそろって細くなった。ざわ、と客の背筋に小波が立つ——そのとき。
小さな光がエミリーの前に現れた。光はすぐに消えエミリーの肩に奇妙なものが乗っていた。それは銀色のエナメル?のようだった。緑に金屑を散らしたような目が二つ、客たちを眺めていた。形は普通にトカゲだった。生きているのか?動いていた。精霊なのか?こんな精霊いるのか?
ざわめきが広がった。
「根・・・・・・・者を・・・・・」トカゲが重々しく言ったが、聞き取れたものはいなかった。
「・・・トカゲ?」誰かの囁き。笑いをこらえる喉の震え。
「トカゲに見えますなぁ」
「色は銀、目は緑・・・精霊でしょうか」別の誰かが、学識を誇るように判定する。
侯爵は杯を握る指をわずかに震わせ、一瞬だけ笑みの筋を引きつらせた。夫人は口元の扇を硬く閉じ、扇面の内側に浮いた血の気を押し隠す。
「あら、エミリー気分が悪いのね。緊張しすぎたのね」と夫人の声がすると、侍女がすっとエミリーに近寄った。二人は部屋を出て行った。
楽師が合図を受けて音を戻す。給仕たちは機敏に料理の皿を運ぶ。客たちは息を合わせて、侯爵家の精霊を話題にした。
「ここにお邪魔するとき、屋敷の上で舞う不死鳥は毎度の楽しみです」
「ご令嬢のオオカミは輝きが増しましたか?」
「ご令息の大蛇は他を寄せ付けませんね」
口々に侯爵家の精霊を褒める客たち。
その輪の外側に、もう一つの視線の輪があった。侯爵の弟、ブリーズ子爵である。彼は長身で、隙のない衣装をさりげなく着崩すのが巧い。笑みはいつも半歩引き、誰の肩にも軽すぎず重すぎず手を置く。彼は杯を傾けながら、眼差しだけは忙しく動かす。誰が眉をひそめ、誰が目を伏せ、誰が賛辞の言葉に息を合わせつつ舌の奥に苦みを残しているか。
ブリーズ子爵の精霊は赤炎のキツネ。最近、尾の数が増えて五本になった。子爵夫人の精霊は焔キノコ。エミリーより三か月年上の娘ルーシーの精霊は青炎のフクロウ。
子爵は表向きは兄の侯爵を立てているが、兄の失墜を狙っている。
「子爵閣下」彼に近づいたのは、小領主二家の当主だ。
野心を持った小心者だ。
「あの青炎のフクロウ」
「娘のフクロウのこと?」子爵は気取らぬ調子で受ける。
「ええ、青炎のフクロウは、見事でした。ご本家ですのであれ以上のものを期待してましたが、がっかりですな」
「侯爵閣下はあの方をこれからどう扱うのでしょうかね」
軽口が笑いを誘い、笑いが距離を詰める。子爵はそこで、思い出したように首を傾げる。
「ところで諸君。国の南部の火事は耳にはいっているであろう?」
「えぇ、火の精霊があばれたとか・・・」
「呆れますなぁ、自分の精霊を支配できないなど」
そういいながら、二人は大げさに首を振って嘆いてみせる。
一方、奥の回廊は薄暗く、客間から廊下に洩れる音が遠雷のように震える。エミリーは侍女に伴われ自室に戻った。
「お嬢さま、お着替えを」侍女は手際よくドレスを脱がせると普段着を着せると部屋を出て行った。
トカゲはテーブルの上で静かにしている。
「あなた、精霊なの?ここが家だと思ってくれる?」
トカゲは尻尾をわずかに揺らし、首をかしげた。
正直、このトカゲが現れた時、エミリーはがっかりした。こんな精霊を呼んだ自分が情けなく涙が出そうになった。今もこんなはずじゃないと思う。今頃は誕生日を祝われて精霊を褒められて笑っているはずだったのに・・・
トカゲはテーブルの上でじっとして、エミリーを見つめていた。
その緑の目を見ると、緑の中に金色の粒が混じって輝いていた。
じっと見ていると、悲しい気持ちが消えていった。
エミリーを指先でトカゲにさわった。すべすべで温かい。
「あなたは精霊さんでいいのよね。名前を誰も知らない。精霊さん。だけどわたしの精霊さん。仲良くしましょう」
緑の目が一度だけきらりと光り、トカゲは彼女の指にそっと額を押しあてた。
「ありがとう。精霊さん」
エミリーは絶対に泣かないと決心した。
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