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04 エミリーの入学
わたしは、勉強だけは裏切らないと信じている。
家のなかで居場所を失ったときも、姉や兄、妹に比べて惨めだと笑われたときも、本を開いている間だけは心が落ち着いた。紙の匂い、インクの跡、数字や文字の整然とした並びは、いつだってわたしの味方をしてくれた。
最初は姉の課題を仕上げるために机に向かっていた。姉は家庭教師から与えられる課題を面倒くさがり、代わりにわたしへ押しつけるのが常だった。最初はいやいやだったけれど、やがて「これはわたし自身の学びだ」と思えるようになった。
夜遅くまでランプを灯して文字を追っていると、やがて家庭教師が気づいたらしく、ある日の授業の後、彼はこっそりとわたしに声をかけてきた。
「君は、よくがんばっているね。こんな細かい解法、君が姉君のために考えたんだろう?」
胸が熱くなった。大人からそう言ってもらえることなど、滅多にない。わたしの家族はわたしを恥としか見ていないから。わたしは小さくうなずき、それ以上は何も言えなかったけれど、その一言が心に深く残った。
それから家庭教師は、姉に教える合間にわたしにも目を向けてくれるようになった。表立ってではなく、ほんのささやかな助言や追加の問題をわたしの前に置いていく。姉は気づいていなかったけれど、わたしにとっては大切な贈り物だった。
努力の甲斐あって、学院の入学試験では上位の成績を取ることができた。発表の日、名簿の上の方に自分の名前を見つけたとき、胸が震えた。
でも、家族の反応は冷たかった。
「へえ、上位合格ね」
母はそれだけ言って、すぐに視線を逸らした。
「学園を卒業したら籍を抜かせる。余計な期待を持たせてはならん」
父は淡々と告げた。
その言葉に胸が痛んだが、涙は出なかった。むしろ、心のどこかで安堵していた。――やっと、この家から離れられる。
荷物をまとめさせられ、学院の寮へ送られる日。姉や妹は見送りにも来なかった。両親も形式的に言葉をかけただけだ。わたしは馬車の揺れに身をまかせながら、窓の外の景色が遠ざかっていくのを眺めた。
寮に着くと、案内されたのは粗末な一室だった。石造りの壁、薄い寝台、机は古びて脚が少し傾いている。上級生の部屋とは比べ物にならない狭さで、ここにいるのは裕福でない平民か、家から見放された者ばかりだと説明された。
けれど、わたしは思わず息をついていた。心からの安堵の吐息だった。
これでいい。わたしはようやく、家の目から離れられたのだから。
荷を解くと、机の上に小さな影がぴょんと飛び乗った。わたしの精霊。ちっぽけなトカゲ。
つややかな白い鱗がランプに反射し、緑に金の粒が散った瞳がこちらを覗き込む。
「ここが新しい部屋よ。狭いけれど、わたしたちだけの居場所」
精霊は何も答えない。ただ尾を揺らし、机の上をゆっくり歩いていく。その姿を見ていると、不思議と胸が温かくなった。ちっぽけなトカゲだけどわたしの支えだ。
翌日から学院生活が始まった。授業は難しく、課題も山のように出たけれど、わたしは勉強すること自体が苦ではなかった。むしろ没頭できることに救われた。
ただ、避けて通れない瞬間があった。
入学式のあと、自己紹介を兼ねて精霊を見せる場が設けられたのだ。生徒たちは次々に、誇らしげに自分の守護精霊を呼び出す。葉っぱを震わせる花。愛らしい目をした犬。いたずら好きそうな火の玉。水色のドラゴンは水を噴き上げた。ひときわの歓声はルーシーに送られた。拍手と歓声が湧くたびに、胸の奥が冷たくなっていった。
やがて、わたしの番が来た。
深呼吸をして、そっと呼びかける。机の上に現れたのは、例の小さなトカゲ。
一瞬、会場はしんと静まり返った。
そして驚きの声が上がった。
「えっ、トカゲ?」
「侯爵家の娘じゃなかったのか?」
「まさか、そんな……」
笑いをこらえきれずに噴き出す者もいた。わたしは目を伏せ、ただやり過ごすしかなかった。予想していたことだった。家で散々浴びせられてきた言葉と同じだから。
その日の夜、寮に戻ったとき、わたしは心底ほっとしていた。粗末な部屋の扉を閉めると、外のざわめきも視線も消えていく。
小さな寝台に腰を下ろし、机の上で丸まる精霊を見つめる。
「笑われても、もういいわ。ここには誰も干渉しない。わたしたちだけでやっていける」
精霊はこてんと首をかしげた。その瞳は、まるで「そうだ」と言っているようにきらめいていた。
ランプの明かりが小さな部屋を照らす。壁は粗末で、窓から入る風は冷たい。でも、それすら心地よく思えた。
家を出られてよかった。
わたしは布団に身を横たえ、深く息をついた。涙は出なかった。ただ胸の奥に、小さな火種のような決意が灯っていた。
ここでもっと学ぼう。ここでなら、わたしはわたしとして生きられる。
たとえ周囲に笑われても、精霊を蔑まれても、勉強だけは誰にも奪えない。
静かな夜の中で、わたしはそう心に刻んだ。
家のなかで居場所を失ったときも、姉や兄、妹に比べて惨めだと笑われたときも、本を開いている間だけは心が落ち着いた。紙の匂い、インクの跡、数字や文字の整然とした並びは、いつだってわたしの味方をしてくれた。
最初は姉の課題を仕上げるために机に向かっていた。姉は家庭教師から与えられる課題を面倒くさがり、代わりにわたしへ押しつけるのが常だった。最初はいやいやだったけれど、やがて「これはわたし自身の学びだ」と思えるようになった。
夜遅くまでランプを灯して文字を追っていると、やがて家庭教師が気づいたらしく、ある日の授業の後、彼はこっそりとわたしに声をかけてきた。
「君は、よくがんばっているね。こんな細かい解法、君が姉君のために考えたんだろう?」
胸が熱くなった。大人からそう言ってもらえることなど、滅多にない。わたしの家族はわたしを恥としか見ていないから。わたしは小さくうなずき、それ以上は何も言えなかったけれど、その一言が心に深く残った。
それから家庭教師は、姉に教える合間にわたしにも目を向けてくれるようになった。表立ってではなく、ほんのささやかな助言や追加の問題をわたしの前に置いていく。姉は気づいていなかったけれど、わたしにとっては大切な贈り物だった。
努力の甲斐あって、学院の入学試験では上位の成績を取ることができた。発表の日、名簿の上の方に自分の名前を見つけたとき、胸が震えた。
でも、家族の反応は冷たかった。
「へえ、上位合格ね」
母はそれだけ言って、すぐに視線を逸らした。
「学園を卒業したら籍を抜かせる。余計な期待を持たせてはならん」
父は淡々と告げた。
その言葉に胸が痛んだが、涙は出なかった。むしろ、心のどこかで安堵していた。――やっと、この家から離れられる。
荷物をまとめさせられ、学院の寮へ送られる日。姉や妹は見送りにも来なかった。両親も形式的に言葉をかけただけだ。わたしは馬車の揺れに身をまかせながら、窓の外の景色が遠ざかっていくのを眺めた。
寮に着くと、案内されたのは粗末な一室だった。石造りの壁、薄い寝台、机は古びて脚が少し傾いている。上級生の部屋とは比べ物にならない狭さで、ここにいるのは裕福でない平民か、家から見放された者ばかりだと説明された。
けれど、わたしは思わず息をついていた。心からの安堵の吐息だった。
これでいい。わたしはようやく、家の目から離れられたのだから。
荷を解くと、机の上に小さな影がぴょんと飛び乗った。わたしの精霊。ちっぽけなトカゲ。
つややかな白い鱗がランプに反射し、緑に金の粒が散った瞳がこちらを覗き込む。
「ここが新しい部屋よ。狭いけれど、わたしたちだけの居場所」
精霊は何も答えない。ただ尾を揺らし、机の上をゆっくり歩いていく。その姿を見ていると、不思議と胸が温かくなった。ちっぽけなトカゲだけどわたしの支えだ。
翌日から学院生活が始まった。授業は難しく、課題も山のように出たけれど、わたしは勉強すること自体が苦ではなかった。むしろ没頭できることに救われた。
ただ、避けて通れない瞬間があった。
入学式のあと、自己紹介を兼ねて精霊を見せる場が設けられたのだ。生徒たちは次々に、誇らしげに自分の守護精霊を呼び出す。葉っぱを震わせる花。愛らしい目をした犬。いたずら好きそうな火の玉。水色のドラゴンは水を噴き上げた。ひときわの歓声はルーシーに送られた。拍手と歓声が湧くたびに、胸の奥が冷たくなっていった。
やがて、わたしの番が来た。
深呼吸をして、そっと呼びかける。机の上に現れたのは、例の小さなトカゲ。
一瞬、会場はしんと静まり返った。
そして驚きの声が上がった。
「えっ、トカゲ?」
「侯爵家の娘じゃなかったのか?」
「まさか、そんな……」
笑いをこらえきれずに噴き出す者もいた。わたしは目を伏せ、ただやり過ごすしかなかった。予想していたことだった。家で散々浴びせられてきた言葉と同じだから。
その日の夜、寮に戻ったとき、わたしは心底ほっとしていた。粗末な部屋の扉を閉めると、外のざわめきも視線も消えていく。
小さな寝台に腰を下ろし、机の上で丸まる精霊を見つめる。
「笑われても、もういいわ。ここには誰も干渉しない。わたしたちだけでやっていける」
精霊はこてんと首をかしげた。その瞳は、まるで「そうだ」と言っているようにきらめいていた。
ランプの明かりが小さな部屋を照らす。壁は粗末で、窓から入る風は冷たい。でも、それすら心地よく思えた。
家を出られてよかった。
わたしは布団に身を横たえ、深く息をついた。涙は出なかった。ただ胸の奥に、小さな火種のような決意が灯っていた。
ここでもっと学ぼう。ここでなら、わたしはわたしとして生きられる。
たとえ周囲に笑われても、精霊を蔑まれても、勉強だけは誰にも奪えない。
静かな夜の中で、わたしはそう心に刻んだ。
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