エミリーと精霊

朝山みどり

文字の大きさ
4 / 18

04 エミリーの入学

 わたしは、勉強だけは裏切らないと信じている。
 家のなかで居場所を失ったときも、姉や兄、妹に比べて惨めだと笑われたときも、本を開いている間だけは心が落ち着いた。紙の匂い、インクの跡、数字や文字の整然とした並びは、いつだってわたしの味方をしてくれた。

 最初は姉の課題を仕上げるために机に向かっていた。姉は家庭教師から与えられる課題を面倒くさがり、代わりにわたしへ押しつけるのが常だった。最初はいやいやだったけれど、やがて「これはわたし自身の学びだ」と思えるようになった。
 夜遅くまでランプを灯して文字を追っていると、やがて家庭教師が気づいたらしく、ある日の授業の後、彼はこっそりとわたしに声をかけてきた。

「君は、よくがんばっているね。こんな細かい解法、君が姉君のために考えたんだろう?」

 胸が熱くなった。大人からそう言ってもらえることなど、滅多にない。わたしの家族はわたしを恥としか見ていないから。わたしは小さくうなずき、それ以上は何も言えなかったけれど、その一言が心に深く残った。

 それから家庭教師は、姉に教える合間にわたしにも目を向けてくれるようになった。表立ってではなく、ほんのささやかな助言や追加の問題をわたしの前に置いていく。姉は気づいていなかったけれど、わたしにとっては大切な贈り物だった。

 努力の甲斐あって、学院の入学試験では上位の成績を取ることができた。発表の日、名簿の上の方に自分の名前を見つけたとき、胸が震えた。
 でも、家族の反応は冷たかった。

「へえ、上位合格ね」
 母はそれだけ言って、すぐに視線を逸らした。
「学園を卒業したら籍を抜かせる。余計な期待を持たせてはならん」
 父は淡々と告げた。

 その言葉に胸が痛んだが、涙は出なかった。むしろ、心のどこかで安堵していた。――やっと、この家から離れられる。

 荷物をまとめさせられ、学院の寮へ送られる日。姉や妹は見送りにも来なかった。両親も形式的に言葉をかけただけだ。わたしは馬車の揺れに身をまかせながら、窓の外の景色が遠ざかっていくのを眺めた。

 寮に着くと、案内されたのは粗末な一室だった。石造りの壁、薄い寝台、机は古びて脚が少し傾いている。上級生の部屋とは比べ物にならない狭さで、ここにいるのは裕福でない平民か、家から見放された者ばかりだと説明された。
 けれど、わたしは思わず息をついていた。心からの安堵の吐息だった。
 これでいい。わたしはようやく、家の目から離れられたのだから。

 荷を解くと、机の上に小さな影がぴょんと飛び乗った。わたしの精霊。ちっぽけなトカゲ。
 つややかな白い鱗がランプに反射し、緑に金の粒が散った瞳がこちらを覗き込む。

「ここが新しい部屋よ。狭いけれど、わたしたちだけの居場所」

 精霊は何も答えない。ただ尾を揺らし、机の上をゆっくり歩いていく。その姿を見ていると、不思議と胸が温かくなった。ちっぽけなトカゲだけどわたしの支えだ。

 翌日から学院生活が始まった。授業は難しく、課題も山のように出たけれど、わたしは勉強すること自体が苦ではなかった。むしろ没頭できることに救われた。
 ただ、避けて通れない瞬間があった。

 入学式のあと、自己紹介を兼ねて精霊を見せる場が設けられたのだ。生徒たちは次々に、誇らしげに自分の守護精霊を呼び出す。葉っぱを震わせる花。愛らしい目をした犬。いたずら好きそうな火の玉。水色のドラゴンは水を噴き上げた。ひときわの歓声はルーシーに送られた。拍手と歓声が湧くたびに、胸の奥が冷たくなっていった。

 やがて、わたしの番が来た。
 深呼吸をして、そっと呼びかける。机の上に現れたのは、例の小さなトカゲ。

 一瞬、会場はしんと静まり返った。
 そして驚きの声が上がった。

「えっ、トカゲ?」
「侯爵家の娘じゃなかったのか?」
「まさか、そんな……」

 笑いをこらえきれずに噴き出す者もいた。わたしは目を伏せ、ただやり過ごすしかなかった。予想していたことだった。家で散々浴びせられてきた言葉と同じだから。

 その日の夜、寮に戻ったとき、わたしは心底ほっとしていた。粗末な部屋の扉を閉めると、外のざわめきも視線も消えていく。
 小さな寝台に腰を下ろし、机の上で丸まる精霊を見つめる。

「笑われても、もういいわ。ここには誰も干渉しない。わたしたちだけでやっていける」

 精霊はこてんと首をかしげた。その瞳は、まるで「そうだ」と言っているようにきらめいていた。

 ランプの明かりが小さな部屋を照らす。壁は粗末で、窓から入る風は冷たい。でも、それすら心地よく思えた。
 家を出られてよかった。

 わたしは布団に身を横たえ、深く息をついた。涙は出なかった。ただ胸の奥に、小さな火種のような決意が灯っていた。

 ここでもっと学ぼう。ここでなら、わたしはわたしとして生きられる。
 たとえ周囲に笑われても、精霊を蔑まれても、勉強だけは誰にも奪えない。

 静かな夜の中で、わたしはそう心に刻んだ。

感想 4

あなたにおすすめの小説

心が折れた日に神の声を聞く

木嶋うめ香
ファンタジー
ある日目を覚ましたアンカーは、自分が何度も何度も自分に生まれ変わり、父と義母と義妹に虐げられ冤罪で処刑された人生を送っていたと気が付く。 どうして何度も生まれ変わっているの、もう繰り返したくない、生まれ変わりたくなんてない。 何度生まれ変わりを繰り返しても、苦しい人生を送った末に処刑される。 絶望のあまり、アンカーは自ら命を断とうとした瞬間、神の声を聞く。 没ネタ供養、第二弾の短編です。

お姉様優先な我が家は、このままでは破産です

編端みどり
恋愛
我が家では、なんでも姉が優先。 経費を全て公開しないといけない国で良かったわ。なんとか体裁を保てる予算をわたくしにも回して貰える。 だけどお姉様、どうしてそんな地雷男を選ぶんですか?! 結婚前から愛人ですって?!  愛人の予算もうちが出すのよ?! わかってる?! このままでは更にわたくしの予算は減ってしまうわ。そもそも愛人5人いる男と同居なんて無理! 姉の結婚までにこの家から逃げたい! 相談した親友にセッティングされた辺境伯とのお見合いは、理想の殿方との出会いだった。

【完結】勘当されたい悪役は自由に生きる

雨野
恋愛
 難病に罹り、15歳で人生を終えた私。  だが気がつくと、生前読んだ漫画の貴族で悪役に転生していた!?タイトルは忘れてしまったし、ラストまで読むことは出来なかったけど…確かこのキャラは、家を勘当され追放されたんじゃなかったっけ?  でも…手足は自由に動くし、ご飯は美味しく食べられる。すうっと深呼吸することだって出来る!!追放ったって殺される訳でもなし、貴族じゃなくなっても問題ないよね?むしろ私、庶民の生活のほうが大歓迎!!  ただ…私が転生したこのキャラ、セレスタン・ラサーニュ。悪役令息、男だったよね?どこからどう見ても女の身体なんですが。上に無いはずのモノがあり、下にあるはずのアレが無いんですが!?どうなってんのよ!!?  1話目はシリアスな感じですが、最終的にはほのぼの目指します。  ずっと病弱だったが故に、目に映る全てのものが輝いて見えるセレスタン。自分が変われば世界も変わる、私は…自由だ!!!  主人公は最初のうちは卑屈だったりしますが、次第に前向きに成長します。それまで見守っていただければと!  愛され主人公のつもりですが、逆ハーレムはありません。逆ハー風味はある。男装主人公なので、側から見るとBLカップルです。  予告なく痛々しい、残酷な描写あり。  サブタイトルに◼️が付いている話はシリアスになりがち。  小説家になろうさんでも掲載しております。そっちのほうが先行公開中。後書きなんかで、ちょいちょいネタ挟んでます。よろしければご覧ください。  こちらでは僅かに加筆&話が増えてたりします。  本編完結。番外編を順次公開していきます。  最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

モブが乙女ゲームの世界に生まれてどうするの?【完結】

いつき
恋愛
リアラは貧しい男爵家に生まれた容姿も普通の女の子だった。 陰険な意地悪をする義母と義妹が来てから家族仲も悪くなり実の父にも煙たがられる日々 だが、彼女は気にも止めず使用人扱いされても挫ける事は無い 何故なら彼女は前世の記憶が有るからだ

彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。 ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。 ※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。 ※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。

こうして私は悪魔の誘惑に手を伸ばした

綴つづか
恋愛
何もかも病弱な妹に奪われる。両親の愛も、私がもらった宝物もーー婚約者ですらも。 伯爵家の嫡女であるルリアナは、婚約者の侯爵家次男ゼファーから婚約破棄を告げられる。病弱で天使のような妹のカリスタを抱き寄せながら、真実の愛を貫きたいというのだ。 ルリアナは、それを粛々と受け入れるほかなかった。 ゼファーとカリスタは、侯爵家より譲り受けた子爵領へと移り住み、幸せに暮らしていたらしいのだが。2年後、『病弱』な妹は、出産の際に命を落とす。 ……その訃報にルリアナはひっそりと笑みを溢した。 妹に奪われてきた姉が巻き込まれた企みのお話。 他サイトにも掲載しています。※ジャンルに悩んで恋愛にしていますが、主人公に恋愛要素はありません。

自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~

浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。 本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。 ※2024.8.5 番外編を2話追加しました!

【完結済】25年目の厄災

恋愛
生まれてこの方、ずっと陽もささない地下牢に繋がれて、魔力を吸い出されている。どうやら生まれながらの罪人らしいが、自分に罪の記憶はない。 だが、明日……25歳の誕生日の朝には斬首されるのだそうだ。もう何もかもに疲れ果てた彼女に届いたのは…… 25周年記念に、サクッと思い付きで書いた短編なので、これまで以上に拙いものですが、お暇潰しにでも読んで頂けたら嬉しいです。 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ※作者創作の世界観です。史実等とは合致しない部分、異なる部分が多数あります。 ※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係がありません。 ※実際に用いられる事のない表現や造語が出てきますが、御容赦ください。 ※リアル都合等により不定期、且つまったり進行となっております。 ※上記同理由で、予告等なしに更新停滞する事もあります。 ※まだまだ至らなかったり稚拙だったりしますが、生暖かくお許しいただければ幸いです。 ※御都合主義がそこかしに顔出しします。設定が掌ドリルにならないように気を付けていますが、もし大ボケしてたらお許しください。 ※誤字脱字等々、標準てんこ盛り搭載となっている作者です。気づけば適宜修正等していきます…御迷惑おかけしますが、お許しください。