15 / 18
15 火の精霊の異変 1
その夜は、眠りが浅かった。まぶたを閉じると、どこか遠いところで、鎖が水の底から持ち上がる音がする。
土が箱になり、風がそれをはるかへ運ぶ。見たことのない景色なのに、知っている気がした。
胸の真ん中が静かに震え、やがて、震えは波のようにおさまっていく。
火の精霊のざわめきが、遠のく。代わりに、黒い塵のようなものがどこかでぱらぱらと崩れる感覚だけが残った。
その朝、わたしはいつもより早く目を覚ました。窓の外に見える空はまだ淡い灰色で、夜明けの気配を残していた。枕元の机の上に、小さな影がちょこんと座っている。わたしの精霊――銀色の鱗を持つちっぽけなトカゲだ。
彼はいつもと変わらない。丸い瞳をゆっくりと瞬かせ、尾をゆらりと揺らしている。
けれど、階下を駆ける侍女たちが騒々しいことに気づいた。ひそひそ声だが、聞こえてくる。
「侯爵閣下の不死鳥が……」
「炎を失って、真っ黒に……」
「お嬢様方の精霊も……」
その言葉を耳にした瞬間、わたしは息を止めた。信じられない!
火の精霊たちが、いっせいに炎をなくした?
制御出来なくなっているなと思ったが‥‥‥そうなるのか?
にわかには信じられなかった。屋敷の誇りである不死鳥も、妹が契約した紫炎のハヤブサも、燃えさかる力を象徴としていた。あれほど人々を圧倒していた炎が――今は、焼け焦げた残骸のようになっているという。
ちょっと見てみたいと思ったわたしは家族に冷たいよね。それは仕方ないよね。
侍女たちは恐怖と困惑で声を震わせていた。屋敷じゅうの精霊が騒然としているらしい。
わたしは机の上の小さな精霊に目を落とした。彼だけは変わらなかった。すべすべとした銀の鱗は光を映し、緑の瞳には金の粒がちらついている。
「……あなたはいつも通り?」
問いかけても、精霊はただ首をかしげるだけだった。けれど、その何でもない仕草が不思議と心を落ち着かせてくれた。周囲がどれほどざわめいても、この小さな存在は変わらない。わたしの側にいる。
それだけで、胸の奥に温かなものが灯るのを感じた。
朝食の席は誰もいなかった。わたしは黙ってスープを口に運び、早々に席を立った。
今日は学院に行かなければならない。どんな顔で皆が現れるのだろう。あるいは、現れられないのだろうか。
姉は学院に行かないと思うが、馭者に確認に行って貰った。
学園の門をくぐったとき、すぐに異様な静けさに気づいた。
いつもなら朝から華やかな声が飛び交い、燃える尾を引く精霊が空を舞っている。だが今日は違った。精霊はいるけど、青く揺らめくリス?
緑色のたてがみのライオンが、優しくだっこされてわたしを見ていた。
掲示板前に集まっていた生徒たちも、穏やかに話をしていた。やはり、火の精霊を持つ人は来ていないようだ。
こうしてみると火の精霊持ちは目立つ人たちだったとわかる。実際の人数より多く感じていたようだ。
「生徒会長が、来ていない」と誰かが囁くのを耳にした。
生徒会長――彼はいつも壇上で堂々と演説をし、わたしたちに未来や責任を語りかけてきた。その声は大きく、言葉は鋭く、わたしの心を何度も刺してきた。
あの乱暴者のクジャクがいないって‥‥‥・いないって‥‥‥せいせいする!
教室に入ると、空席があちこちに散らばっていた。欠席者の名が読み上げられるたび、教室はざわめきに包まれる。
けれど、わたしの胸の奥には、思いがけない感覚が広がっていった。
――居心地がいい。
あの視線がない。あの声がない。比べられる相手が、そこにいない。
ただそれだけで、椅子に座る体が軽く感じられた。机に広げた本の文字が、こんなにもすんなり頭に入ってくるなんて。
教師は落ち着かず、授業の言葉も上の空だった。けれどその緩さすら心地よい。
今まで常に張り詰めていた空気が、緩んでいる。空気が美味しい。
土が箱になり、風がそれをはるかへ運ぶ。見たことのない景色なのに、知っている気がした。
胸の真ん中が静かに震え、やがて、震えは波のようにおさまっていく。
火の精霊のざわめきが、遠のく。代わりに、黒い塵のようなものがどこかでぱらぱらと崩れる感覚だけが残った。
その朝、わたしはいつもより早く目を覚ました。窓の外に見える空はまだ淡い灰色で、夜明けの気配を残していた。枕元の机の上に、小さな影がちょこんと座っている。わたしの精霊――銀色の鱗を持つちっぽけなトカゲだ。
彼はいつもと変わらない。丸い瞳をゆっくりと瞬かせ、尾をゆらりと揺らしている。
けれど、階下を駆ける侍女たちが騒々しいことに気づいた。ひそひそ声だが、聞こえてくる。
「侯爵閣下の不死鳥が……」
「炎を失って、真っ黒に……」
「お嬢様方の精霊も……」
その言葉を耳にした瞬間、わたしは息を止めた。信じられない!
火の精霊たちが、いっせいに炎をなくした?
制御出来なくなっているなと思ったが‥‥‥そうなるのか?
にわかには信じられなかった。屋敷の誇りである不死鳥も、妹が契約した紫炎のハヤブサも、燃えさかる力を象徴としていた。あれほど人々を圧倒していた炎が――今は、焼け焦げた残骸のようになっているという。
ちょっと見てみたいと思ったわたしは家族に冷たいよね。それは仕方ないよね。
侍女たちは恐怖と困惑で声を震わせていた。屋敷じゅうの精霊が騒然としているらしい。
わたしは机の上の小さな精霊に目を落とした。彼だけは変わらなかった。すべすべとした銀の鱗は光を映し、緑の瞳には金の粒がちらついている。
「……あなたはいつも通り?」
問いかけても、精霊はただ首をかしげるだけだった。けれど、その何でもない仕草が不思議と心を落ち着かせてくれた。周囲がどれほどざわめいても、この小さな存在は変わらない。わたしの側にいる。
それだけで、胸の奥に温かなものが灯るのを感じた。
朝食の席は誰もいなかった。わたしは黙ってスープを口に運び、早々に席を立った。
今日は学院に行かなければならない。どんな顔で皆が現れるのだろう。あるいは、現れられないのだろうか。
姉は学院に行かないと思うが、馭者に確認に行って貰った。
学園の門をくぐったとき、すぐに異様な静けさに気づいた。
いつもなら朝から華やかな声が飛び交い、燃える尾を引く精霊が空を舞っている。だが今日は違った。精霊はいるけど、青く揺らめくリス?
緑色のたてがみのライオンが、優しくだっこされてわたしを見ていた。
掲示板前に集まっていた生徒たちも、穏やかに話をしていた。やはり、火の精霊を持つ人は来ていないようだ。
こうしてみると火の精霊持ちは目立つ人たちだったとわかる。実際の人数より多く感じていたようだ。
「生徒会長が、来ていない」と誰かが囁くのを耳にした。
生徒会長――彼はいつも壇上で堂々と演説をし、わたしたちに未来や責任を語りかけてきた。その声は大きく、言葉は鋭く、わたしの心を何度も刺してきた。
あの乱暴者のクジャクがいないって‥‥‥・いないって‥‥‥せいせいする!
教室に入ると、空席があちこちに散らばっていた。欠席者の名が読み上げられるたび、教室はざわめきに包まれる。
けれど、わたしの胸の奥には、思いがけない感覚が広がっていった。
――居心地がいい。
あの視線がない。あの声がない。比べられる相手が、そこにいない。
ただそれだけで、椅子に座る体が軽く感じられた。机に広げた本の文字が、こんなにもすんなり頭に入ってくるなんて。
教師は落ち着かず、授業の言葉も上の空だった。けれどその緩さすら心地よい。
今まで常に張り詰めていた空気が、緩んでいる。空気が美味しい。
あなたにおすすめの小説
心が折れた日に神の声を聞く
木嶋うめ香
ファンタジー
ある日目を覚ましたアンカーは、自分が何度も何度も自分に生まれ変わり、父と義母と義妹に虐げられ冤罪で処刑された人生を送っていたと気が付く。
どうして何度も生まれ変わっているの、もう繰り返したくない、生まれ変わりたくなんてない。
何度生まれ変わりを繰り返しても、苦しい人生を送った末に処刑される。
絶望のあまり、アンカーは自ら命を断とうとした瞬間、神の声を聞く。
没ネタ供養、第二弾の短編です。
お姉様優先な我が家は、このままでは破産です
編端みどり
恋愛
我が家では、なんでも姉が優先。 経費を全て公開しないといけない国で良かったわ。なんとか体裁を保てる予算をわたくしにも回して貰える。
だけどお姉様、どうしてそんな地雷男を選ぶんですか?! 結婚前から愛人ですって?!
愛人の予算もうちが出すのよ?! わかってる?! このままでは更にわたくしの予算は減ってしまうわ。そもそも愛人5人いる男と同居なんて無理!
姉の結婚までにこの家から逃げたい!
相談した親友にセッティングされた辺境伯とのお見合いは、理想の殿方との出会いだった。
【完結】勘当されたい悪役は自由に生きる
雨野
恋愛
難病に罹り、15歳で人生を終えた私。
だが気がつくと、生前読んだ漫画の貴族で悪役に転生していた!?タイトルは忘れてしまったし、ラストまで読むことは出来なかったけど…確かこのキャラは、家を勘当され追放されたんじゃなかったっけ?
でも…手足は自由に動くし、ご飯は美味しく食べられる。すうっと深呼吸することだって出来る!!追放ったって殺される訳でもなし、貴族じゃなくなっても問題ないよね?むしろ私、庶民の生活のほうが大歓迎!!
ただ…私が転生したこのキャラ、セレスタン・ラサーニュ。悪役令息、男だったよね?どこからどう見ても女の身体なんですが。上に無いはずのモノがあり、下にあるはずのアレが無いんですが!?どうなってんのよ!!?
1話目はシリアスな感じですが、最終的にはほのぼの目指します。
ずっと病弱だったが故に、目に映る全てのものが輝いて見えるセレスタン。自分が変われば世界も変わる、私は…自由だ!!!
主人公は最初のうちは卑屈だったりしますが、次第に前向きに成長します。それまで見守っていただければと!
愛され主人公のつもりですが、逆ハーレムはありません。逆ハー風味はある。男装主人公なので、側から見るとBLカップルです。
予告なく痛々しい、残酷な描写あり。
サブタイトルに◼️が付いている話はシリアスになりがち。
小説家になろうさんでも掲載しております。そっちのほうが先行公開中。後書きなんかで、ちょいちょいネタ挟んでます。よろしければご覧ください。
こちらでは僅かに加筆&話が増えてたりします。
本編完結。番外編を順次公開していきます。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
モブが乙女ゲームの世界に生まれてどうするの?【完結】
いつき
恋愛
リアラは貧しい男爵家に生まれた容姿も普通の女の子だった。
陰険な意地悪をする義母と義妹が来てから家族仲も悪くなり実の父にも煙たがられる日々
だが、彼女は気にも止めず使用人扱いされても挫ける事は無い
何故なら彼女は前世の記憶が有るからだ
彼は亡国の令嬢を愛せない
黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。
ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。
※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。
※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。
こうして私は悪魔の誘惑に手を伸ばした
綴つづか
恋愛
何もかも病弱な妹に奪われる。両親の愛も、私がもらった宝物もーー婚約者ですらも。
伯爵家の嫡女であるルリアナは、婚約者の侯爵家次男ゼファーから婚約破棄を告げられる。病弱で天使のような妹のカリスタを抱き寄せながら、真実の愛を貫きたいというのだ。
ルリアナは、それを粛々と受け入れるほかなかった。
ゼファーとカリスタは、侯爵家より譲り受けた子爵領へと移り住み、幸せに暮らしていたらしいのだが。2年後、『病弱』な妹は、出産の際に命を落とす。
……その訃報にルリアナはひっそりと笑みを溢した。
妹に奪われてきた姉が巻き込まれた企みのお話。
他サイトにも掲載しています。※ジャンルに悩んで恋愛にしていますが、主人公に恋愛要素はありません。
自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~
浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。
本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。
※2024.8.5 番外編を2話追加しました!
【完結済】25年目の厄災
紫
恋愛
生まれてこの方、ずっと陽もささない地下牢に繋がれて、魔力を吸い出されている。どうやら生まれながらの罪人らしいが、自分に罪の記憶はない。
だが、明日……25歳の誕生日の朝には斬首されるのだそうだ。もう何もかもに疲れ果てた彼女に届いたのは……
25周年記念に、サクッと思い付きで書いた短編なので、これまで以上に拙いものですが、お暇潰しにでも読んで頂けたら嬉しいです。
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
※作者創作の世界観です。史実等とは合致しない部分、異なる部分が多数あります。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係がありません。
※実際に用いられる事のない表現や造語が出てきますが、御容赦ください。
※リアル都合等により不定期、且つまったり進行となっております。
※上記同理由で、予告等なしに更新停滞する事もあります。
※まだまだ至らなかったり稚拙だったりしますが、生暖かくお許しいただければ幸いです。
※御都合主義がそこかしに顔出しします。設定が掌ドリルにならないように気を付けていますが、もし大ボケしてたらお許しください。
※誤字脱字等々、標準てんこ盛り搭載となっている作者です。気づけば適宜修正等していきます…御迷惑おかけしますが、お許しください。