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27 ささやかなお祝い
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朝の光が、棚の上のハンカチに差し込んでいた。
棚一段にハンカチが並んだ。値段は三種類、布地の違い。だけど刺繍はどれも同じ。それがわたしのお店だ。
それを眺めていると、胸の奥がふんわり温かくなる。
次は服を準備しよう。古着を買いに行こう。
布を買うつもりはないけれど、古着屋を覗いてみよう。
そう思って、わたしは自分で継ぎ合わせた布をバッグに入れた。
これは、いくつもの端切れをつなぎ合わせた布。
作る時はあの街の思い出を縫い止めようと思って作っていたけど、その思いはもうない。ただのデザインになってしまった。
扉を閉めて鍵をかける。
小さな音が、「いってらっしゃい」と言ったように聞こえた。
王都の古着屋は、どこも品揃えが豊かだった。
仕立ての良いドレスも、擦り切れた外套も並んでいる。
棚の下には、破れやシミのある衣類が箱に詰められていた。
わたしはその箱の中に目を止めた。
ワンピースを二枚選んだ。
どちらもわたしが着るとしたらこれ。って言うのを選んだ。
ひとつは淡いラベンダー色の綿布。もうひとつは紺色の麻。
どちらもシミがあって、裾が擦り切れているけど、刺繍と補修で蘇らせる。
お店の真ん中に飾る、
会計を済ませて、持ってきた布で包む。
端をくるくると結ぶと、まるで贈り物のようになった。
「まあ、それ素敵ね」
不意に店主が声をかけてきた。年配の女性だった。
「そういうふうに使うと、布を最後まで使い切れるわね」
わたしは少し照れながらうなずいた。
「はい……あまりお金がないから、こうして使い切るんです」
「いいえ、センスがいいのよ。まるで布を選んであつらえたみたいだわ」
その言葉に、胸がじんと温かくなった。
褒められるなんて、久しぶりだった。
店を出てからもしばらく、その声が耳に残っていた。
帰り道、パン屋の前で足が止まった。
窓から甘い匂いが流れてくる。
「今日くらいは、いいよね」
小さく呟いて店に入る。
丸いパンを二つと、ショーケースの奥に見えたアップルパイを指さした。
「それもひとつください」
焼きたての香りが、紙包みの中から漂ってくる。
少し贅沢かもしれないけれど、今日は小さなお祝いだ。
外に出ると、通りの空が少し傾きはじめていた。
パンの温もりを抱えて歩くと、自然と歩調が軽くなる。
人の流れに混ざりながら、ふと、心の中でつぶやいた。
王都の風も優しいわ。
お店に戻ると、光の色が少し柔らかくなっていた。
カーテンを開けると、午後の陽射しがハンカチの列に当たってきらめいた。
棚に座っているみたいに見えるハンカチたちを眺めながら、
わたしはパンを皿にのせた。
包みを開けると、リンゴの甘い香りがふわっと広がる。
小さなフォークで一口。
パイの生地がほろほろと崩れて、果実の酸味が舌に広がった。
「……美味しい」
声に出すと、胸の奥がゆるんだ。
泣くほどじゃないけれど、何かがほどけるようだった。
ハンカチの刺繍の花々が、まるで拍手しているように見えた。
あの頃の涙や噂も、もう遠くに霞んでいる。
今はただ、この小さな部屋がある。
針と糸と、わたしの手があれば、十分だ。
夜になって、街の灯がともる。
壁にかけたワンピースを見る。どちらから先にやりましょう?
明日が楽しみっていいわね。そう思ったのが最後でわたしは眠りに落ちた。
棚一段にハンカチが並んだ。値段は三種類、布地の違い。だけど刺繍はどれも同じ。それがわたしのお店だ。
それを眺めていると、胸の奥がふんわり温かくなる。
次は服を準備しよう。古着を買いに行こう。
布を買うつもりはないけれど、古着屋を覗いてみよう。
そう思って、わたしは自分で継ぎ合わせた布をバッグに入れた。
これは、いくつもの端切れをつなぎ合わせた布。
作る時はあの街の思い出を縫い止めようと思って作っていたけど、その思いはもうない。ただのデザインになってしまった。
扉を閉めて鍵をかける。
小さな音が、「いってらっしゃい」と言ったように聞こえた。
王都の古着屋は、どこも品揃えが豊かだった。
仕立ての良いドレスも、擦り切れた外套も並んでいる。
棚の下には、破れやシミのある衣類が箱に詰められていた。
わたしはその箱の中に目を止めた。
ワンピースを二枚選んだ。
どちらもわたしが着るとしたらこれ。って言うのを選んだ。
ひとつは淡いラベンダー色の綿布。もうひとつは紺色の麻。
どちらもシミがあって、裾が擦り切れているけど、刺繍と補修で蘇らせる。
お店の真ん中に飾る、
会計を済ませて、持ってきた布で包む。
端をくるくると結ぶと、まるで贈り物のようになった。
「まあ、それ素敵ね」
不意に店主が声をかけてきた。年配の女性だった。
「そういうふうに使うと、布を最後まで使い切れるわね」
わたしは少し照れながらうなずいた。
「はい……あまりお金がないから、こうして使い切るんです」
「いいえ、センスがいいのよ。まるで布を選んであつらえたみたいだわ」
その言葉に、胸がじんと温かくなった。
褒められるなんて、久しぶりだった。
店を出てからもしばらく、その声が耳に残っていた。
帰り道、パン屋の前で足が止まった。
窓から甘い匂いが流れてくる。
「今日くらいは、いいよね」
小さく呟いて店に入る。
丸いパンを二つと、ショーケースの奥に見えたアップルパイを指さした。
「それもひとつください」
焼きたての香りが、紙包みの中から漂ってくる。
少し贅沢かもしれないけれど、今日は小さなお祝いだ。
外に出ると、通りの空が少し傾きはじめていた。
パンの温もりを抱えて歩くと、自然と歩調が軽くなる。
人の流れに混ざりながら、ふと、心の中でつぶやいた。
王都の風も優しいわ。
お店に戻ると、光の色が少し柔らかくなっていた。
カーテンを開けると、午後の陽射しがハンカチの列に当たってきらめいた。
棚に座っているみたいに見えるハンカチたちを眺めながら、
わたしはパンを皿にのせた。
包みを開けると、リンゴの甘い香りがふわっと広がる。
小さなフォークで一口。
パイの生地がほろほろと崩れて、果実の酸味が舌に広がった。
「……美味しい」
声に出すと、胸の奥がゆるんだ。
泣くほどじゃないけれど、何かがほどけるようだった。
ハンカチの刺繍の花々が、まるで拍手しているように見えた。
あの頃の涙や噂も、もう遠くに霞んでいる。
今はただ、この小さな部屋がある。
針と糸と、わたしの手があれば、十分だ。
夜になって、街の灯がともる。
壁にかけたワンピースを見る。どちらから先にやりましょう?
明日が楽しみっていいわね。そう思ったのが最後でわたしは眠りに落ちた。
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