デイジーは歩く

朝山みどり

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44 カイル

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 翌朝、運よく通りがかった馬車に乗せられてリバータウンに戻れた。

 
 道の先にリバータウンの城壁が見えたほっとして、そこから記憶がない。

 気がついたのは、腕の痛み。
「しっかりしろ。よく助かった」と言う知らない声。

「カイルさんしっかり」「カイルさん。ありがとう」と馭者たちの声。

 どれほど眠ったのか分からない。
 気がつくと、薄暗い医者の家の一室。窓から射す光がぼんやりしていて、午後か夕方かの判断もつかなかった。

 腕は厚い包帯に固定されていた。指先は動くが、肘から先は重く、身体の一部ではないようだった。

 気がついたのはいいが、まだ眠い。

 扉が開く音がした。

「まだ、安静だ。騒ぐな」「うるさい。それどころじゃない」

 うん?会長?

 「……カイル。守れなかったな。護衛のくせに」

 リーフ商会の会長だった。意識が戻った。

 顔が怒りで赤くなっていて、俺を見る目は氷のように冷たかった。

 しばらく言葉が出なかった。
 盗賊が六人、護衛は俺一人。馭者たちは戦えない。俺が倒れた時点で戦闘は終わっていた。それは事実だ。

 「申し訳……ありません」

 「誤って済む問題か?」

 会長は床を踏み鳴らす勢いで近づいてきた。

 「護衛としての責務を果たせなかったということだな?腕もそれでは、もう戦えまい」

 「……はい」

 「言い訳はいらん。損失は大きい。婚約は無しだ。無能に娘はやれない。今日、限りだ」

 想定していた言葉だったのに、胸の奥がわずかに痛んだ。
 
 「……承知しました」

 そう返すしかなかった。

 会長はさらに何か言い捨てて出て行った。その言葉は耳に入らなかった。

 一人残された部屋で、腕よりも胸の奥の方が痛かった。


 扉がまた開く音がした。今度は軽い足音。甘い香り。

 「カイル……まあ、ひどい顔ね」

 パトリシアだった。声には同情はなく、むしろ不満げだった。

 だが次の瞬間、彼女の視線が俺の頬に止まり、表情がわずかに揺れた。

 頬に、刃が掠めた浅い傷が残っているはずだ。

 「顔まで……傷物になったのね」

 そう言うと、まるで見てはいけないものから逃げるように立ち上がった。

 「お父様からは、婚約はなしと言われたの、だけど護衛としてそばにおきたかったけど。その顔じゃダメね。……じゃあ、もう行くわね」

 それだけだった。

 扉が閉まるまでの間、彼女は一度も俺の目を見なかった。

 背中が遠ざかる音だけが残り、部屋の空気がひどく冷たくなった。

 ――俺は、何を……愛していた?

 思い返す。
 少し気まぐれで、わがままで、パッと明るくて、優しい。そう、気が向けば優しい。
 振り回されるのが心地よかった。広い心で受け止める。そう思っていた。そう確かに愛したんだ。

 だけど、運送会社のあの軽率な振る舞いを見た日、胸の奥に小さな違和感が生まれた。だけど愛せると思った。目をそらしたのは、俺自身だ。

 俺は……浮かれていた。
 自分を選んでくれたことが誇らしくて、その先を見ようとしなかった。

 静かに息を吐くと、胸に溜まっていたものが雪崩れるように落ちていった。

          

 夕刻、賑やかな声がして扉が開いた。

 「カイル! 生きてるな」

 「心配したぞ!」

 詰め所の仲間たちが三人、勢いよく入ってきた。
 俺が顔を上げると、皆、子供みたいに笑った。

 「お前が、いい奴だってのは、詰め所じゃ有名なんだよ」

 「剣を失っても、お前の価値は変わらん!」

 「腕一本落としたわけじゃなし、また働きゃいいだけだろ!」

 その言葉に、胸が詰まった。


 仲間の一人が言った。

 「また、仲間にしようってことになったんだ」

 息が止まった。

 「……でも、俺はもう護衛として落第したんだぞ。剣の腕も――」

 「だから? お前、図々しいくらいでいいんだよ!」

 「そうだ、泣き言いう暇があったら、詰め所に来い!」


 笑い声に押し流され、胸が温かいもので満たされていく。

 「……ありがとう。本当に、ありがとう」

 仲間たちは肩を叩いて笑った。

       

 数日後、包帯が少し軽くなり、歩けるようになった頃。仲間たちが迎えに来た。

 「はい、カイル。行くぞ」

 「ちょ、ちょっと待て、まだ心の準備が――」

 「準備なんかいらん!」

 半ば引きずられるように医者の家を出た。通りに出ると、冷たい風が頬を撫でた。
 自分がこの街の一部に戻れるのだと思うと、胸の奥が熱くなる。

 詰め所の前に立つと、懐かしい鐘の音が聞こえた。


 台の上に、畳まれた制服が置かれていた。

 制服?俺の制服?まだ置いてあった?破れたけど・・・・
 だがそこには、破れ目などどこにもなかった。

「そこまで繕える人は一人だろ。ありがたく着たらいい」


 視界が急に滲んだ。制服を胸に抱きしめた。

 こらえてもこらえても、涙がこぼれた。

 俺は、もう失ったと思った居場所を、こんな形で返してもらえるなんて思っていなかった。

 誰も責めず、誰も見返りを求めず、ただ静かに手を差し伸べてくれる人がいた。

 涙が制服に落ちる。

 仲間たちは何も言わず、ただ背中を支えてくれた。

 俺は声を押し殺して泣いた。情けないと笑われても構わない。
 この涙は、悔しさではなく――救われた涙だった。


 腕は完全には戻らない。前のように剣を振るうことはできないだろう。

 だが、俺はまたここから歩けばいい。
 仲間がいて、守るべき街があって、そして――。


 俺は制服の胸に手を置いた。

 「……ありがとう、デイジー」

 その言葉は、胸の奥で灯のように静かに燃え続けていた。


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感想 5

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みんなの感想(5件)

MioMao
2026.01.05 MioMao

あけましておめでとうございます🎍
良いお年になられるよう願っています♪
寒い日が続きますがお身体を大切になさって下さい🙏

2026.01.06 朝山みどり

明けましておめでとうございます。
はい、良い年にしたいと思っております。
暖かいお便りにほっこりと温まりました。!(^^)!

解除
R20
2025.11.15 R20

オモロイっす♪
一気に読んじゃいました。

ちなみにカイルって薬盛られたりしてません?
おはなしかしよんでたら、
媚薬盛られて既成事実作られちゃった感じがした。

まあ、それ以前に。
断ったら上からにらまれて、
衛兵なんかやってられない気がするけど、、、

どっちにしろ目をつけられた時点で詰んでるよなぁ。

解除
k
2025.11.07 k

ハンカチにハサミを入れたデイジー、カッコいい!いやなことはみんな断ち切って、王都で幸せをつかめるように、応援しちゃう!

解除

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