黙ってすっこんどいたら良かったのに

朝山みどり

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29 ローンが重い ミナ目線

 今日で有給がなくなった。だが出社できない。出来るはずがない。
 そしてさらに、追い打ちのショックなことが起きた。

 携帯が震えて、銀行からの通知が届いた。
「メイプル家具店のローンの引き落としができませんでした」
 たった一文なのに、心臓が止まりそうになった。

 急いで通帳を開いた。残高が、足りていない。
 そうだ――カオリ先輩の弁償金で払うつもりだったのだ。
 あの女が会社から処分を受けるはずだった。
 泥棒と広めない代わりに謝罪金と暴力の慰謝料を貰うつもりだったのだ。
 そのお金で、わたしたちの新しいテーブルを買うつもりだった。
 それなのに、何もかも狂った。

 トオルと仲直りして、払ってもらおう。
 それしかない。あの人しかいない。

 わたしはゆっくりと寝室のドアを開けた。
 朝から一度も出てこない彼が、ベッドに横たわっていた。
 カーテンの隙間からの光が、シーツの皺を照らしている。
 わたしは呼吸を整えて、ベッドの横にしゃがんだ。

「ごめんなさい。トオル、わたしが馬鹿だった。あなたの言う通りにすればよかったのに」

 小さく声に出して、彼の頬をそっと撫でた。
 温かいけれど、動かない。
 何度も繰り返すうちに、ようやく彼が目を開けた。

「……なに」

 掠れた声。
 怒っているのか、疲れているのか、判別できない。
 でも、話さなきゃ。勇気を振り絞って言った。

「テーブルのローンが、落ちなかったの。お願いしていい?」

 彼の身体がさっと動いた。
 ベッドの縁に手をついて起き上がる。
 その顔を見た瞬間、息が止まった。

 呆れきった目。何も言わなくても分かる、冷たい拒絶。

「……ミナ、ほんとに分かってないんだな」

 静かな声だった。怒鳴られるよりも怖かった。

「俺たち、もう終わったんだよ。会社でも、家でも。もう、無理なんだ。維持できないんだよ」

 わたしは首を振った。
「終わってないよ。だって、わたしたち……」

 言葉が詰まった。
 彼の手が、ゆっくりとシーツを握りしめた。

「ミナ。頼むから、これ以上何も言うな。
 お前のためにも、俺のためにも」

 わたしは泣きそうになった。それでも、黙れなかった。

「でも、払えないの。ほんとにお金がないの。
 あなたが助けてくれなきゃ……」

 彼は顔をそむけた。
「金は俺もない」

「なんですって?どうして?」

「どうして?使いすぎたからだろ」


 沈黙。時計の音。聞こえるはずがないのにそれが聞こえた。

 彼は立ち上がって、リビングへ向かった。わたしも後を追った。


 彼は黙って新しいお湯を沸かし、カップ麺を作り始めた。二つ作ろうとしている、わたしの分?

 二人で同じタイミングで蓋を開けて、同じように麺をすすった。笑えるほど滑稽だった。

 けれど、笑えなかった。

 食べ終わって、トオルが立ち上がった。
 「外で少し考えてくる」
 それだけ言って、鍵を持って出て行った。

 ドアが閉まったあと、静寂が戻った。

 わたしはテーブルに額を押しつけて泣いた。
 嗚咽が、金属の足に反響した。

 目を上げると、テーブルの木目がぼやけて見えた。
 部屋を見た。ソファも、テレビもこの椅子も、全てローン。家賃も!

 携帯が光った。
 会社からの通知だった。
 《体調を整えて出社してください。病欠で処理します。連絡をお待ちしています》
 体調、ね。笑える。
 心も身体も、もう壊れてるのに。

 床に座り込んで、スマホで、社内報を見た。
 カオリ先輩のことがたくさん出てた。
「現場復帰」「直後の活躍」「交渉成功」「怒り狂っていたお客様から感謝の声」
 眩しい見出し。
 コメント欄には「すごい」「さすが」「尊敬します」の文字。

 胃がねじれた。
 あの人が、どうして輝いてるの?
 どうして、わたしだけこんなに惨めなの?

 今日もわたしは泣きながら眠るのだろう。 

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