春の避暑地

朝山みどり

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20 婚約式

 わたしは最後の封蝋を押して、静かにペンを置いた。

 婚約式の招待状を書き終えたのだ。

 机の上には、きれいに重ねられた封筒の束。
 ひとつひとつ、わたしが字を書いたものだ。

 そして、その中には――スペード家の名前もある。

 少しだけ迷った。
 けれど、結局わたしは招待状を送ることにした。

 もちろん、招待状を送るのは間違っている。
 スペード家は本来、招く側の家なのだから。

 だからこそ、あえて「招待する」という形を取った。

 それは丁寧で、礼儀正しくて、そして――はっきりとした拒絶だ。

 わたしは封筒を見つめながら、小さく息を吐いた。

 アレクとは、結婚式は、こじんまりしたものにしたいと相談している。
 家族と、親しい友人だけでいい。

 そしてその「家族」の中に、スペード家を入れるつもりはなかった。

 だからこそ、婚約式に呼ぶことにした。

 ここで終わりにする。
 そういう区切りだ。

 机の横の鏡にふと視線を向ける。

 婚約式の衣装は、すでに出来上がっている。

 アレクには内緒で仕立てたものだ。

 おばあさまのドレスを参考にして、仕立屋にデザインしてもらった。
 派手すぎず、それでいて品のある形。

 色は、淡いオレンジ。

 薄茶色の髪と、緑の目のわたしに合う色を選んだ。
 鏡の前で試したとき、少しだけ驚いた。

 ――似合っている。

 誰かに決められた服ではなく、
 自分で選んだ色だったからかもしれない。

 髪飾りは、藤の花の形に作ってもらった。

 小さな宝石が散らしてある。
 緑、青、紫。

 藤棚の下の景色を思い出す色だ。

 そして同じデザインの小さなブローチを、アレクの襟元にも飾る。

 彼の服は濃紺のスーツ。

 金色の髪がよく映える色だ。
 屋外に出ると、青い目が少しだけ淡く見える。

 その顔を思い浮かべると、
 胸の奥が静かに温かくなった。



 婚約式の当日。

 わたしたちは並んで会場を歩き、
 一人一人に挨拶をして回った。

 思っていたより人が多い。

 友人に、知人。
 伯母の関係者。
 ローハン家の人々。

 みんなが祝福の言葉をくれる。

「おめでとうございます」
「とてもお似合いですよ」
「素敵なドレスですね」

 その言葉の多くは、衣装の話だった。

 わたしが着ているドレスの色や形。
 藤の髪飾り。

 皆が興味深そうに見ている。

 少し照れくさいけれど、
 不思議と嫌ではなかった。

 そのときだった。

 入口の方が、少しざわついた。

 視線を向けると――スペード家だった。

 父と母とフローラ。

 胸が一瞬だけ固くなる。

 けれど、その前に――

「こちらへどうぞ」

 ガーベラ伯母様が、静かに前に出た。

 まるで盾のように、わたしの前に立つ。

 伯母様の背中は、驚くほど頼もしかった。

 スペード家の三人は、結局こちらへ近づくことはなかった。

 代わりに、会場のあちこちから声が聞こえる。

「ミネルバ嬢のドレス、素敵ですね」
「この色は珍しい」
「藤の飾りも可愛いわ」

 誰も、スペード家のことを話題にしない。

 みんな、わたしを見ている。

 それが、少し不思議だった。

 昔は、母の視線、フローラの言葉と父の機嫌。

 それが、世界の全部だった。

 けれど今は違う。

 わたしは会場を歩きながら思う。

 ――わたしはもう、あの家の中だけで生きている人間ではない。

 隣を見るとアレクが、穏やかな顔で立っている。

 目が合うと、少しだけ笑った。

 その笑顔を見た瞬間、
 胸の奥の緊張が、ふっとほどけた。

 わたしは小さく息をつく。


 この婚約式は、ただの祝いの席ではない。

 わたしの人生の境界線なのだ。

 あの家の娘として生きていた時間と、
 これからの人生を分ける、はっきりとした境目。

 わたしはもう一度、会場を見回した。

 笑い声と音楽と祝福の言葉。

 そして、隣にいる人。

 わたしは静かに思う。

 ――ようやく、ここまで来たのだ。
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