春の避暑地

朝山みどり

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28 勇気と恐怖


 ミネルバ目線

 ルーク様は、最後まで名残惜しそうにしていた。

「帰る必要はないのだがな」

 と、何度も同じことを口にして、アレクをちらちらと見る。

 アレクが肩をすくめて言う。

「わたしの方に懇願する手紙が何通も来ておりますよ。部下を泣かせすぎです。仕事をして下さい。諦めてください」

「……冷たいな」

 ルーク様はため息をつきながらも、最後にはしょんぼりと馬車に乗り込んだ。

「また来ますからね」

 その言葉だけは、やけに力強かった。

 馬車が去っていくのを見送りながら、わたしは小さくうなずく。
「ええ、お待ちしています」

 やがて車輪の音が遠ざかり、屋敷はまた静けさを取り戻した。


 ルーク様の希望で開かれた園遊会は、思っていた以上に賑やかで、影響が大きかった。

 そのぶん、王都の秋の社交は短くなってしまったけれど。

 ――そして。

 冬の社交が始まった。

 屋内の夜会。

 灯りに照らされた広間。
 音楽と人の声。
 香水の香り。

 けれど、わたしは正直、よく知らない。

 いつもは重くて地味なドレスを着て、壁際に立っているだけだったから。

「ミネルバ、こちらのショールはどう?」

 ガーベラ伯母様が、ふわりとした布を広げる。

「まあ……とても素敵です」

 思わず手に取る。
 柔らかくて、軽い。

 マーガレットが覗き込んでくる。
「それ、絶対似合います!」

 伯母様が笑う。
「おばあさまのものよ。大事に取ってあったの」

 冬の装いは、ショールやヘッドドレスが大事だという。

 伯母様のところには、それがたくさんあった。

 わたしも、伯母さまも、その中から選ばせてもらう。

 そして、今年はドレスも何着か仕立てた。

 アレクが言う。
「この色はどうですか」

「少し明るすぎるでしょうか」

「いいえ。似合います」

 彼は当然のように言う。

 その言い方が、なぜか嬉しい。

「では……こちらにします」

「いい選択です」

 そんなやり取りを何度も重ねた。

 デザインを考える時間は、とても楽しかった。

 ――そして、夜会当日。

 マーガレットはまだ年齢的に出席できない。

「いってらっしゃい」

 と明るく見送ってくれた。

 わたしは伯父様と伯母様、そしてアレクと一緒に会場に入った。

 広間は、すでに人でいっぱいだった。

 ざわめきと笑い声とグラスの触れ合う音。

 少しだけ緊張する。

 そのとき、アレクが小さく言った。
「誰よりもきれいです」

「え?」

「ミネルバ、誰よりもあなたが素敵ですよ」

「ありがとう」

 彼はそれ以上何も言わなかったが、少しだけ距離を近くしてくれた。

 しばらくして、アレクの友人たちがやってきた。

「久しぶりだな」

「相変わらず忙しそうだ」

 軽い会話が交わされる。

 その輪の中にいると、少しだけ安心した。

 そこへ、別の一団が近づいてきた。

 見覚えがある。

 フローラとテリウスと一緒にいた子たちだ。

 三人は少し緊張した様子で、わたしの前に立った。

 一人が口を開く。
「フローラのお姉様、僕は、わたしは、マイケル・アミルと申します」

 もう一人が慌てて続ける。
「わたしは、クリフォード・ブラウンと申します」

 最後の一人が少し落ち着いた声で言う。
「ウィリアム・パームと申します」

 三人とも、どこか必死だった。

 わたしは軽くスカートを整えて礼をする。
「初めまして、アミル様。ブラウン様。パーム様。ミネルバ・スペードです」

 少し沈黙が落ちる。

 アミルが言う。
「あの……」

「はい」

 わたしが応じると、三人が顔を見合わせる。

 ブラウンが言う。
「また、今度会ったらお話させてください」

 パームも続く。
「わたしも、また今度会ったら」

 アミルも慌てて言う。
「わたしもです」

 三人とも、同じことを言っている。

 思わず、少しだけ笑いそうになる。

「ええ、ぜひ」

 わたしがそう答えると、三人はほっとした顔をした。

「では、失礼します!」

 まるで逃げるように去っていく。

 その背中を見送りながら、わたしは首をかしげた。

 今日はフローラたちとは別行動なのかしら。

 隣でアレクがぼそりと言う。

「……なるほど」

「どうかしましたか」

「いえ」

 少しだけ笑っている。
「勇気を出したのでしょう」

 その言い方に、なんとなく納得してしまった。

 ◇◆◇◆◇

 クリフォード目線

 心臓が、うるさい。

 こんなに緊張するなんて思っていなかった。

「行くぞ」

 とパームが言ったとき、正直逃げたかった。

「やめておこう」と言いかけたが、アミルに背中を押された。

「せっかくだろ」

 その一言で、引き返せなくなった。

 そして――

 ミネルバ様の前に立った。

 近くで見ると、ほんとうに綺麗な人だった。

 落ち着いていて、やさしそうで。

 それなのに、どこか近寄りがたい気品もある。

 アミルが自己紹介を始めたとき、正直、何を言っているのかよくわからなかった。

 自分の番が来て、ようやく口を開く。

「わたしは、クリフォード・ブラウンと申します」

 声が少し震えていた気がする。

 ミネルバ様は、にこりと微笑んだ。

「初めまして」

 ミネルバ様は、春の陽だまりのような微笑みを向けてくれた。それなのに、言葉が喉に張り付いて出てこない。

 彼女の背後に立つアレクサンダー様の視線が、氷の刃のように突き刺さっていたからだ。

「それ以上近づくな」と無言で告げるようなその迫力に、僕たちの勇気は一瞬で霧散した。

 結局――

「また今度」

 それしか言えなかった。


「行こう」

 とパームが小さく言った。

 三人で一斉に頭を下げて、その場を離れた。

 少し離れたところで、ようやく息を吐く。

「……無理だろ、あれ」

 アミルが言う。

「無理じゃないだろ」

 とパームが言うが、声は弱い。

 わたしはため息をついた。

「もう少し話したかったな……」

 本音がぽろりと出る。

 アミルが笑う。
「じゃあ次だな」

 パームもうなずく。
「次はもう少し長く」

 わたしはうなずいた。

「そうだな」

 さっきより少しだけ、気持ちが軽くなっていた。

 ――次は、もう少し。

 ちゃんと話せたらいいな。

 その後、僕たちは気が軽くなっていつも通りになった。

 フローラ、テリウスがいるときよりも気を許した幼馴染の会話。

「でもさ、お姉様っていつも地味なドレスを着たいただろ」
「うん、あの立ちそうなドレスね」
「あれって、よく考えたら、母親が着せていたんだよね」
「あれ? そうだよな」
「そうだよね、自分じゃ選ばないよな」
「でも、ほら、フローラが言ってなかった? え――っとね。地味な人だからとか」
「そうそう、地味な人は地味な服だって」
「でもさ、あれってあの母親より地味だったよな」
「もしかして、意地悪かな?」
「そこまでするか?」
「じゃぁ、あれか、その仕立て屋?」
「そうかもな、仕立て屋って今の言い方だとドレスメーカー」
「まぁ仕立て屋だね」
「仕立て屋の趣味が悪いんじゃない?」
「そうだよね、母親じゃなく、仕立て屋」

「あっフローラたちが来た」
「実は、親が」
「あれ? もしかして一緒?」
「かなり、同じ?」
「みんなもか?」

「やぁ、久しぶり、フローラ。素敵だ」

 習慣に従って笑顔で出迎えたものの、僕たちの会話は驚くほど早く途切れた。

 かつてのように、彼女の自慢話や誰かの悪口に調子を合わせる者は、もうこの三人の中にはいない。

 誰も口には出さない。けれど、僕たちが共有している事実は一つだった 。
 冬の社交界が始まる前、それぞれの父親から、低い声で、念を押すように命じられていたのだ。

『フローラ・スペード、そしてあの家とは、必要以上に近づくな。いいな』

 さっきまでの軽口が嘘のように、胸の奥が冷たくなる。
 華やかな夜会の灯りの下で、僕たちは、昨日まで同じ側にいたはずの少女から、静かに、そして確実に出口を探し始めていた。

 でも、今、フローラたちを見ていると、子どもっぽくて礼儀知らずで、自信たっぷりで、だけど薄っぺらに見える。

 あの中にいたのだと思うと、ちょっと恥ずかしい。

 そして、もうあの中で気楽に笑える時代は過ぎたのだと悲しい気もする。

 僕たち三人はその夜、悲しくて嬉しくて羨ましくて……

 三人の友情に感謝して過ごしたのだ。







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