46 / 47
46 テリウスの父親目線
46 テリウスの父親目線
わたしは、机の上に置かれた報告書を前にして、しばらく動けなかった。
軽く考えていた。その一言に尽きる。
ミネルバとの婚約は、あくまで政略だ。家同士の結びつきが本質であり、当人の評価など二の次――そう割り切っていた。
だからこそ、婚約破棄の相談をされた際も、取るに足らぬ問題だと判断した。あちらの親も了承している。わたしの知るミネルバならば、おとなしく身を引くだけだ。
相手の家が変わるわけではない。むしろ実家で冷遇されているミネルバより、愛されているフローラを据えたほうが、スペード家との繋がりは強固になる。
フローラの方が「都合がいい」そう思った。
「判断を誤った」
ぽつりとつぶやく。誰もいない部屋で、その声だけがやけに重く響いた。
報告書には、最近のミネルバの動向が簡潔にまとめられている。
ローハン家との結びつき。アレクサンダーとの関係。
王都での評価。夜会での存在感。
そして、スペード家との決定的な距離。
一つ一つは断片にすぎない。だが、並べてみれば明白だった。あの娘は、完全に立場を変えた。
「化けた……か」
言葉にしてみると、妙にしっくりきた。元々の素質を隠していたのか、それとも環境が彼女を覚醒させたのか。いずれにせよ、今のミネルバは、以前の物差しでは測れない。
それを見誤った。いや、見ようとしなかった。
「テリウス」
思わず息子の名を呟いた。あれの浅はかな恋心に、親心が混じったか。政略とはいえ、息子の好きな相手を、という甘さがなかったとは言えない。そう、最終的に許したのも、判断を下したのもわたしだ。
「責任は、わたしにあるな」
椅子にもたれ、天井を見上げる。今さら、フローラとの婚約は動かせない。それをすれば、わが家の軽率さを社交界に晒すことになる。
ミネルバに非難される隙はない。彼女は実家と縁を切りながらも、最低限の礼儀は通している。ローハン家という後ろ盾を得て、自ら価値を上げた娘が、なぜ泥舟となった過去に戻る必要があるだろうか。
「完全に、間違えた」
静かに結論を口にする。問題は、そこでは終わらない。
スペード家だ。あの家は、いまや不用意に関わるべきではない負債になりつつある。
以前ならば、多少強引でもこちらのペースで押し通せた。だが、今は違う。拒絶されるだろう。しかも、王家すら無視できない正論で、はっきりと。
「距離を置くしかないか」
自然とそうなる。関わらない。触れない。向こうから来ない限り、こちらからも動かない。それが、これ以上傷口を広げない唯一の道だ。
「まさか、ここまでとはな」
机の上の報告書を指で軽く叩く。スペード家が仕立て屋で演じた醜態。笑いものにしていた母娘が、今や王都の物笑いの種だ。
一つの婚約破棄。それだけのはずだった。
だが実際には、関係図の地殻変動が起きた。その変化についていけなかったのが――
「わたしか」
乾いた笑いが漏れる。どれほどの損失を生んだか、今さら直視した。
だが、嘆いても時間は戻らない。
「次だ」
短く言い切る。失った財産を数えるのは愚か者のすることだ。これ以上失わないことを最優先に、テリウスの教育も含めて立て直しを図らねばならない。
「動くか」
ゆっくりと立ち上がる。机の上の報告書をまとめ、手に取る。
もう、ミネルバという存在を「駒」とは見ない。
扉に向かいながら、ふと足を止める。
「ミネルバ……か」
名前を口にする。かつては、ただの記号に過ぎなかった娘。
それが今では、畏怖すら感じさせる存在になっている。
「見事だな」
誰に聞かせるでもなく、そう言った。
認めざるを得ない。あの娘は、自らの手で勝利を掴み取ったのだ。
そして――わたしは、それを見誤った。
その事実だけが、冷たく、静かに残った。
わたしは、机の上に置かれた報告書を前にして、しばらく動けなかった。
軽く考えていた。その一言に尽きる。
ミネルバとの婚約は、あくまで政略だ。家同士の結びつきが本質であり、当人の評価など二の次――そう割り切っていた。
だからこそ、婚約破棄の相談をされた際も、取るに足らぬ問題だと判断した。あちらの親も了承している。わたしの知るミネルバならば、おとなしく身を引くだけだ。
相手の家が変わるわけではない。むしろ実家で冷遇されているミネルバより、愛されているフローラを据えたほうが、スペード家との繋がりは強固になる。
フローラの方が「都合がいい」そう思った。
「判断を誤った」
ぽつりとつぶやく。誰もいない部屋で、その声だけがやけに重く響いた。
報告書には、最近のミネルバの動向が簡潔にまとめられている。
ローハン家との結びつき。アレクサンダーとの関係。
王都での評価。夜会での存在感。
そして、スペード家との決定的な距離。
一つ一つは断片にすぎない。だが、並べてみれば明白だった。あの娘は、完全に立場を変えた。
「化けた……か」
言葉にしてみると、妙にしっくりきた。元々の素質を隠していたのか、それとも環境が彼女を覚醒させたのか。いずれにせよ、今のミネルバは、以前の物差しでは測れない。
それを見誤った。いや、見ようとしなかった。
「テリウス」
思わず息子の名を呟いた。あれの浅はかな恋心に、親心が混じったか。政略とはいえ、息子の好きな相手を、という甘さがなかったとは言えない。そう、最終的に許したのも、判断を下したのもわたしだ。
「責任は、わたしにあるな」
椅子にもたれ、天井を見上げる。今さら、フローラとの婚約は動かせない。それをすれば、わが家の軽率さを社交界に晒すことになる。
ミネルバに非難される隙はない。彼女は実家と縁を切りながらも、最低限の礼儀は通している。ローハン家という後ろ盾を得て、自ら価値を上げた娘が、なぜ泥舟となった過去に戻る必要があるだろうか。
「完全に、間違えた」
静かに結論を口にする。問題は、そこでは終わらない。
スペード家だ。あの家は、いまや不用意に関わるべきではない負債になりつつある。
以前ならば、多少強引でもこちらのペースで押し通せた。だが、今は違う。拒絶されるだろう。しかも、王家すら無視できない正論で、はっきりと。
「距離を置くしかないか」
自然とそうなる。関わらない。触れない。向こうから来ない限り、こちらからも動かない。それが、これ以上傷口を広げない唯一の道だ。
「まさか、ここまでとはな」
机の上の報告書を指で軽く叩く。スペード家が仕立て屋で演じた醜態。笑いものにしていた母娘が、今や王都の物笑いの種だ。
一つの婚約破棄。それだけのはずだった。
だが実際には、関係図の地殻変動が起きた。その変化についていけなかったのが――
「わたしか」
乾いた笑いが漏れる。どれほどの損失を生んだか、今さら直視した。
だが、嘆いても時間は戻らない。
「次だ」
短く言い切る。失った財産を数えるのは愚か者のすることだ。これ以上失わないことを最優先に、テリウスの教育も含めて立て直しを図らねばならない。
「動くか」
ゆっくりと立ち上がる。机の上の報告書をまとめ、手に取る。
もう、ミネルバという存在を「駒」とは見ない。
扉に向かいながら、ふと足を止める。
「ミネルバ……か」
名前を口にする。かつては、ただの記号に過ぎなかった娘。
それが今では、畏怖すら感じさせる存在になっている。
「見事だな」
誰に聞かせるでもなく、そう言った。
認めざるを得ない。あの娘は、自らの手で勝利を掴み取ったのだ。
そして――わたしは、それを見誤った。
その事実だけが、冷たく、静かに残った。
あなたにおすすめの小説
いつかは幸せな朝を迎えたくて
mios
恋愛
キリア侯爵家は天国から地獄へ叩き落とされた。愛娘が赤の他人だったことが判明したからだ。
本当の娘は今何処に?彼女を探す過程で明かされる侯爵家の内情と非道に、残された偽物の娘は、供述を始める。
娘と婚姻を約束していた第二王子は、第三王子と共に彼女の足取りを追う。
“いらない婚約者”なので、消えました。もう遅いです。
あめとおと
恋愛
婚約者である王子から、静かに告げられた言葉。
――「君は、もう必要ない」
感情をぶつけることもなく、彼女はただ頷いた。
すべては、予定通りだったから。
彼女が選んだのは、“自分の記憶を世界から消す魔法”。
代償は、自身という存在そのもの。
名前も、記憶も、誰の心にも残らない。
まるで最初からいなかったかのように。
そして彼女は、消えた。
残された人々は、何かが欠けていることに気づく。
埋まらない違和感、回らない日常。
それでも――誰一人、思い出せない。
遅すぎた後悔と、届かない想い。
すべてを失って、ようやく知る。
“いらない存在”など、どこにもいなかったのだと。
これは、ひとりの少女が消えたあとに、
世界がその価値に気づく物語。
そして――彼女だけが、静かに救われる物語。
やりません。やれないんです。
朝山みどり
恋愛
国の制度変更により、薬の調合・販売には免許が必要となり、長年村で薬師をしてきた祖母は年齢制限のため資格を取得できず、薬師を名乗れなくなった。経験や評判は評価されず、「紙(免許)」がすべてになった。
ダイアナは祖母の店を再開するため、講習と試験を受け、町のポイード薬局で半年間の住み込み見習いを始める。講習では祖母の経験が理論として体系化されていることを学び、学問と実践の両立を実感する。
同室となったマリアと協力しながら、厳格な規格・衛生管理のもとで調薬を学ぶ日々。祖母の知恵と新しい制度の知識を胸に、半年後に胸を張って帰ることを楽しみ過ごしていたが……
他のサイトでも公開しています。
隣にいるのが当たり前だと思っていた――無自覚な彼が、地味な私を失うまで
恋せよ恋
恋愛
正義感の強い完璧な幼馴染、ユリウス。
彼が他の女の子を「守りたい」と抱いたその情熱は、
一番近くにいた私に向けられたことはなかった。
誕生日の直前、私は何も告げずに国を去る。
「……え、ビビアンが、留学中?」
一ヶ月後、ようやく私の不在に気づいた彼の前に、
残酷な現実が突きつけられる。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
婚約者を借りパクされました
朝山みどり
恋愛
「今晩の夜会はマイケルにクリスティーンのエスコートを頼んだから、レイは一人で行ってね」とお母様がわたしに言った。
わたしは、レイチャル・ブラウン。ブラウン伯爵の次女。わたしの家族は父のウィリアム。母のマーガレット。
兄、ギルバード。姉、クリスティーン。弟、バージルの六人家族。
わたしは家族のなかで一番影が薄い。我慢するのはわたし。わたしが我慢すればうまくいく。だけど家族はわたしが我慢していることも気付かない。そんな存在だ。
家族も婚約者も大事にするのはクリスティーン。わたしの一つ上の姉だ。
そのうえ、わたしは、さえない留学生のお世話を押し付けられてしまった。
夏の眼差し
通木遼平
恋愛
伯爵令嬢であるティナの婚約者とティナの妹が恋仲になり、ティナは婚約を解消することになる。婚約者に対して特に思い入れはなかったが、姉妹の婚約のすげ替えについての噂と勝手なことばかり言う妹に気疲れしたティナは、昔から彼女を気にかけてくれていたイライザ夫人の紹介で夫人の孫娘リネットの話し相手として雇われることになった。
家から離れ、リネット共に穏やかな日々を過ごすティナは、リネットの従兄であるセオドアと出会う。
※他サイトにも掲載しています
とある者たちの小さな復讐譚
かわもり かぐら(旧:かぐら)
恋愛
フレデリック・ブレグリン侯爵には、目に入れても痛くないほど可愛い娘がいる。
最近、その娘が酷く悲しい思いをして帰ってきた。
妻が寄り添い、悲しみに暮れる娘を励ましている間、フレデリックはどうにかして娘の悲しみの原因を取り除こうと日々動き回っていた。
そんなある日、フレデリックは優秀な使用人ふたりを王都の奥まった通りにある宿へ送り込む。
しかしふたりは、目的を果たす前に宿泊を取りやめて帰ってきた。
一歩間違えれば、フレデリックだけでなく侯爵家全体が咎められる状況に陥るところだったらしい。
それでもふたりが無事に戻れたのは、宿の受付をしていた帽子の男の助言があったからだという。
「あんたと俺の目的は同じ。俺の方は別な理由も混じってるけど、理由も似たようなもんだな」
これは、とある者に人生を狂わされた者たちの小さな復讐譚である。
※ 目指せ短編の目安2万字! を目標に書いています。
※ 話の区切りの都合上、全3話を想定。
※ カクヨム、なろう、pixiv にも投稿しています。