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55 事情と都合
しおりを挟む「さて、何か言いたいことは?」
「う……」
「聖女よ、お前がこの国で大切にされていることは知っている。しかし、それはこの国でのこと。我がフィーラに聖女はおらんし、必要ともされていない。跪き、首を垂れよとまでは言わんが他国貴賓である私に食ってかかる、心地良いとはいえぬ」
「ご、ごめん……」
「……」
どうしよう、最後の一言がキリアスラル殿下の怒りをさらに膨らませてしまった。
「いくら聖女とはいえ、最低限のマナーくらいは身につけてから人前に出たまえ。そうでなくとも君の心象は非常に悪い。よっぽど無能な者を師と仰いでいるのか、資質なのか」
「うっ……だって、リズティーアとダレンはマナーは出来てるって……」
さらにキリアスラル殿下の機嫌が悪くなりそうな言い訳めいた物を重ねてしまう。私だってアロウ様との婚約が決まり、慌ててフィーラ王家の人物の人となりを調べさせてもらった。キリアスラル殿下は気質も軍人で、言い訳を最も嫌うタイプのお人……その人の前でごちゃごちゃと言い連ねるのは最悪だ。
下を向いてぶつぶつ何かを言っている鮫島君以外は気がついている……リズティーアに対峙した時より、キリアスラル殿下の怒りのオーラが強く深く冷たくなっているのを。アロウ様は自分の後ろにすっかり私を隠してしまったし、ヨキシャとレンスンはモンティラスティ王女殿下の後ろでブルブル震えている。
鮫島君を止めようとこちらへ駆け寄ろうとした王太子殿下ですら真っ青な顔で途中で止まってしまう……視線はキリアスラル殿下……殿下の怒りはあまりに鋭く、会場のあちらこちらから悲鳴もなく倒れる女性が続出した。
「……兄上。アウリーを怯えさせるのはいかがなものかと」
「……」
一度目のアロウ様の声にもキリアスラル殿下は怒気を収めなかった。
「兄上」
「……致し方ない。アウラリスに嫌われては嫌だからな」
音はしないはずなのに、すうっと空気が元に戻るのを体感する。重さ、冷たさ、恐怖が消えるのではなくキリアスラル殿下の中に戻っていく感じ。それは許したのではなく、引っ込めただけで、殿下の中には今も渦巻いていていつでも出せると周囲に伝わる。
重さがなくなると、やっと王太子が動き出せるようになり、鮫島君の横まで走り寄った。
「キリアスラル殿! 我が国の聖女が大変申し訳ないことを!」
「……王太子殿、一体貴国はどうなっているのかな?」
「本当に申し訳ない! キミヒトはまだこのような場に出すのは早かった……キミヒト、謝り方はそうじゃないだろう?」
「も、申し訳……ございません」
促され、深々と頭を下げる鮫島君だけど、それよりどこか対応が甘い王太子に苛立ちを覚え……ああ、と少し納得してしまった。
鮫島君を見つめる王太子の潤んだ目は、愛しい者を見る恋焦がれた目……。やっぱり王太子は聖女に運命を感じているんだ。労り、庇護し常にそばに居たいと思いながらも、この国の秩序のためにその想いは封じた。
想いは封じてもそばには居たい、そばにいれば思いは高じる……そんな板挟みの中で彼は過ごしている。だから、一喝して鮫島君を下がらせなければならないこの状況でもつい庇ってしまう。この中途半端な対応が事態の悪化を招いてしまっていたんだ。
少し前の私ならそんな王太子を情けないと侮蔑しただろう。でも今はその気持ちが理解できる……もしも、アロウ様との結婚を国のためだからと諦めろと言われたら……諦めてもそばにいなくてはいけないといわれたら? それはどれだけ辛いことだろう。しかもアロウ様が誰かと結ばれるのを見ていなければならないのなら……悪役令息どころの騒ぎではない、悪魔にも成り果てるかもしれない。
王太子はそれをもってしても王太子としてそこにいる。私は彼を責めることができそうもない。
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