百合綴り『夏の終わりの約束』〜芽衣と紬〜

大山田

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第一話:ファインダー越しの憧れ

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 夏休みが終わり、九月特有の少し寂しい空気が漂う。放課後、写真部の部室には、埃っぽい夏の匂いがまだ残っていた。アスファルトが熱を帯びていた昼間の記憶と、ぐったりと頭を垂れるひまわりの花。それらが混ざり合った、複雑で、どこか懐かしい香りがした。

「今年のコンテストのテーマは『夏』か……」

 窓の外、グラウンドをぼんやりと眺めながら、芽衣は部長の言葉を反芻する。全国高校生アート甲子園。写真部員にとって一年で最も大きなイベントだ。テーマは毎年変わるが、今年は特に抽象的で、難易度が高い。

 梅雨が開けて夏休みに入る頃。
 部長は、部室のホワイトボードに大きく「夏」と書き、皆にアイデアを求めた。

「夏って言っても色々あるよな。青い空とか、入道雲とか、あとは……水着の女の子とか?」

 男子部員がニヤニヤしながら言うと、部長は「それもアリっちゃアリだけど、それだけじゃ入賞は難しいだろ」と苦笑する。部室を満たす汗と、使い古されたカメラの革の匂いが、芽衣の思考をぼんやりとさせていく。

 芽衣は皆の賑やかな声を聞きながら、心の中で一人、違う「夏」を思い描いていた。それは、夏の強烈な日差しの中に佇む、一人の少女の姿。

 芽衣が写真部に入ったのは、誰かと話すのが苦手だったからだ。自分の気持ちを言葉にするのが怖くて、いつも心の中に閉じ込めてしまう。そんな自分にとって、カメラのファインダー越しに見る世界は、安心できる場所だった。レンズを通せば、世界は切り取られ、自分の思いのままに配置できる。そして、シャッターを切った瞬間、言葉にできない感情を「写真」という形で残すことができた。

 あの時も、そうだった。

 その「少女」は、美術部の部長、紬。

 芽衣が紬を初めて意識したのは、まだ梅雨が明ける前のこと。文化祭のポスターを決めるコンペで、紬の作品が圧倒的な票数で選ばれた。それは、雨の日の校舎をテーマにした絵だった。

 グレーの空、濡れたアスファルト、傘をさした生徒たち。その暗く憂鬱な景色の中に、たった一箇所だけ、まるで太陽のように鮮やかな黄色で描かれた女の子がいた。その女の子は、憂鬱な雨空をただ真っ直ぐに見上げて笑っていた。

 その絵は、芽衣の心に深く突き刺さった。言葉にできない、心の中にずっと燻っていた感情を、たった一枚の絵で表現できる紬という存在に、芽衣は強く憧れた。あの時、ポスターが掲示された廊下には、雨上がりの土の香りがかすかに残っていた。

 以来、芽衣は放課後、人知れず美術室を覗くようになった。

 美術室はいつも独特な空気に満ちていた。油絵の匂い、様々な色に染まったパレット、無造作に置かれた絵の具チューブ。その混沌とした空間の中心で、紬はいつも絵を描いていた。

 彼女はまるで別世界にいるかのように集中していた。時折、ふっと微笑んだり、難しい顔をしたりするその姿を、芽衣は遠くから見つめるだけで、声をかける勇気はなかった。

 しかし、アート甲子園のテーマが「夏」に決まった時、芽衣の心の中で何かが弾けた。

「この夏、私は紬さんを撮りたい」

 そう思った。紬さんが持つ、あの絵に秘められた強さと孤独。それは、言葉にできない自分の感情と同じくらいに、大切に残しておきたい「夏」だった。

 勇気が出ないまま、夏休みが終わり。そろそろコンテストの作品も決まっていないといけない。
 放課後、決意を固めた芽衣は、足早に美術室へと向かう。

 ドアの隙間から、紬が一人で絵を描いているのが見える。キャンバスに描かれているのは、夏の海だった。大胆な筆遣いと、鮮やかな青。しかし、よく見ると、その海の真ん中には、小さな孤独な白い舟が浮かんでいる。油絵特有の、鼻の奥にツンとくる匂いが、芽衣の心臓をドキドキさせた。

「……きれい」

 芽衣は思わず呟いた。

 その声に気づいた紬が、ゆっくりと振り返る。

「え…」

 芽衣は息を呑んだ。紬と目が合ったのは、これが初めてだった。

 紬は一瞬驚いたような顔をした後、優しく微笑んだ。

「写真部の子だよね。いつも見てくれてありがとう」

 紬が近づくたびに、ふわっと甘い香りの中に、絵具の油がかすかに混ざった空気が漂っていた。それは、どこか自分のものとは違う、大人びた香りだった。

「あ、いえ…その…」

 芽衣は、自分の顔が熱くなるのを感じる。いつもこっそり見ていたことがバレていたなんて、恥ずかしい。

「どうかしたの?」

 紬は、持っていた筆を置き、芽衣のそばに歩み寄る。その瞳は、まるでポスターの絵の中の女の子のように、真っ直ぐで力強かった。

 芽衣は、震える声でやっと言葉を絞り出す。

「あの…アート甲子園で、テーマが『夏』で…」

「うん」

「その…モデルに、なってくれませんか?」

 芽衣は、自分の言葉がちゃんと届いたのか不安になり、俯いて紬の返事を待つ。

 すると、紬はふっと微笑み、芽衣の肩にそっと手を置いた。その手からは、絵の具と石鹸が混じった、不思議な香りがした。

「いいよ」

 その言葉と共に、紬は美術室の窓を開けた。夕焼けに染まった夏の終わりの風が、二人の間を吹き抜ける。風に乗って、部室の外からは夕立前の、土と草の混じった香りが漂ってきた。

 紬の微笑みは、あのポスターの絵の中の女の子と重なって見えた。力強く、そしてどこか孤独で。

 芽衣は、ファインダー越しに追いかけることさえできなかった憧れの存在が、今、自分に微笑みかけてくれていることに、胸を高鳴らせていた。

 それは、言葉にはならない、特別な「夏」の始まりだった。
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