名付けられたものたち〜ハインリヒ一行の間章〜

遠影此方

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 その日がいつ頃だったかまでは、よく覚えていない。ただ頰を切るように過ぎてゆく風の冷たさと、辺りの不気味なほどの静寂がまだ耳に残っていたのだ。辺りは一面に白く、多分雪が積もっていたのだろう。吐く息だけが生暖かい。しかし、空気に溶けてしまえばひび割れるような寒さしか残されてはいない。狭い道を通っていた。建物に挟まれていたからだろう。足元は雪で埋まっていて、歩くたびに足の裏が痛んだ。多分皮が剥けていたのだろう。体の感覚は寒さのせいかほとんどなかった。ただ、全身が冷え切って、手足は自分のものという感触がなくなって、体に当てていてもぶよぶよとした冷たい感覚が伝わるだけだ。胸の中に残るわずかなぬくもりだけが、僕が生きているということを、まだ懸命に主張していた。足の痛みを堪えて、僕は歩き続けていた。理由はよくわからない。どこかに体を休められるあてがあったのかもしれない。ただ、歩いていれば、この町中に降り積もる死から、どうにか逃げられると思っていたのだ。ただ、自分の息が熱を持っているうちに、どこかへとゆこうとしていた。体に巻き付いた服は、寒さには全く意味がなく、服の中にも冷気は入ってきたこともあるだろうが、体感としては裸同然とかわりがなかった。歯の打ち合う音は小刻みになり、口から息を出すたびに舌先を何度か噛んでいた。

 歩いてゆくうちに、たびたび、つまずくことがあった。狭い通りだったからだろうか。足先に何かが当たることもあれば足首くらいまである大きなものもあった。岩かそれとも瓦礫かと思ったけれど、その時はただ歩いてゆくことだけを考えていたから、雪に埋まったそれらを確認することなんてしなかった。それらは大体家の戸口の前か、窓の近くにあったから、その近くを通る時はそれらがあるだろうと、注意して渡った。

 大通りに出ても人影は全くなかった。雪が街路に厚く降り積もっていた。そこはその町で一番広い通りだった。けれど、いくら耳をすましてみても物音ひとつしなかった。雪のしんしんと降り続く音が、町を一層静かにしていた。僕は大通りにさえ出れば、誰かに出くわすだろうと思っていたから、そのあまりの人気のなさにひどく戸惑った。しばらく呆然と立ち尽くしていたけれど、どうしても歩かなければいけない理由ができて、僕はまた歩き出した。単純にお腹が空いたのだ。鼻はもう効かなかったから、やっぱり歩いて誰かに出会わなければいけなかった。僕は孤独だった。だからこそ、誰かに出会って、安心を得たかった。

 広い通りの真ん中を僕は歩いた。端っこを歩くよりも周りの景色が見やすいし、加えて誰かに見つけてもらいやすそうだったからだ。でも、前方に広がる視界には人影どころか屋根の雪が重さでずれ落ちる音さえなかった。

 時折、頬に冷たい風が当たる。強いものではなかったけれど、確実に体力は奪われていった。
 降り積もる雪で、頭は次第に冷えてゆき、意識が急速に遠のくのを感じた。

 そのときには、むしろ足の裏から伝わる痛みが、かえって途切れようとする意識を繋ぎ止めていた。

 歩き続ける。両の足を、交互に、踏み出す。

 簡単なことだけれど、もうそれぐらいしか考えられなかった。
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