銀の髭、黄金の眼

遠影此方

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彼のことについて

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 私たちが街で暮らし始めて、ひと月が過ぎた朝のことでした。寝床から起き上がり眠い目を擦りながら私は居間に向かいます。宿で借りた部屋は三人が入るには小さく、ベッドは二つだけで、そこで眠るのを許されていたのは子供である私とヤヌアでした。他の人はというと居間の大きいけれど火が点いていない暖炉のそばに背もたれのついた椅子があり、そこで大男のハインリヒはいびきを響かせています。
 
 彼の体は人の形をしていますが、全身は金や橙の毛で覆われており、衣服を着ていてもその異様さは際立つばかりです。彼は人間ではないのでしょう。極め付けはその顔にあります。尋常よりも高い鼻、そこから左右に伸びる白く長い髭、閉ざされたまぶたの中には獲物を見据える金色の双眸が今も夢を見ながらぎらついているのでしょう。頭頂を境にして生える一対の耳は三角に尖っており、腰の付け根からは太い尾が垂れて時折思い出したようにゆらりと動きます。私は彼が恐ろしくはありません。ただ奇妙な人だと思うばかりなのです。そのような人は寝物語にも聞いたことがなく、そのような怪物はかつて一度も噂にさえならなかったのです。街を歩けば誰もが恐れるような風貌でありながら、過ぎゆく人に語られもしないとは、いったいどういうことなのでしょう。隠れて生きてきたのでしょうか。それとも残虐にも彼の素性を知るものを皆んな、ものを言えなくしてきたのでしょうか。
 
 眠っている彼がそばに置いているものは、地に突き立てれば私の足元から肩まであろうかという大きな剣で、それを時に振り回し、ときに振り下ろしながら生き延びてきたようです。彼は戦いを知っているようでしたが、人を殺したことがあるのかと問われると、とたんに渋い顔をします。どうも彼はそのような質問は苦手のようで、しばらく思いを巡らした後黙ったまま濁らせるのがいつもです。しかし、先日になって、ヤヌアが同じ問いを彼に投げました。彼は私の時よりもさらに顔を苦く歪めました。私の興味本位の言葉とは違い、ヤヌアの問いを投げかける目と言葉には一途なものが込められていたからでしょうか。彼はとうとう長い沈黙の果てに、あるとその口で告げました。私は驚き、彼はやはり姿に違わぬ魔物ではないかと思いました。普段は優しい言葉を使いながら、ふと気を許した時にその本性を露わにするのではないかと警戒したのです。しかし、彼と隔たりを作ったのは私だけで、ヤヌアはそうではないようでした。その澄んだ射抜くような瞳は真っ直ぐに彼に向けられ、ヤヌアは恐怖どころか疑問や裏切られたことに対する憎悪すら抱いてはいないようでした。彼はその告白の後は、釈明もしなければ悔恨の言葉一つ溢しませんでした。ただ、人を殺したという事実だけを彼は混じり気無しに背負っているようで刃によって立つものは刃によって死ぬのだと、その道理を冷えた唇で語るのでした。その言葉には奇妙な迫力があり、言葉に命があるのだとしたら、その言葉は生きていました。巷の人殺しが使うような詭弁ではなかったということです。それは彼の持つ信念のようであり、怪物として生きる彼を人間たらしめる化粧のようにも思えました。
 
 彼は獣のような姿をしていながらあまりにも不用心です。ちょっとしたことにも驚くのです。突然背中を押されただけであっと声を上げます。考え事をしている時にそれは顕著で目の前に私が現れても気づいていないようなのです。ヤヌアは彼のそんな性質を熟知しているようで、よくいたずらを仕掛けます。わざと椅子のネジを緩めて壊れやすくして、彼に座るよう誘導したり、寝ぼけている時は手を叩き音を出して脅かしたりするのです。彼はいたずらに遭うと本当に驚いたような顔をするときもあれば不満そうに顔を顰めて見せる時もあります。声を荒げて怒ることもしばしばで、部屋の中で轟く声にヤヌアは嬉しそうに逃げ回るのでした。どうも二年前に別れるまではそのような生活を森の中で繰り返したらしく、街に移った今ではさらに拍車がかかっているようでした。彼はいつまで続くのやらと、溜め息を吐きますが、そのうちにもヤヌアはまた小さな策略を巡らせているのです。
 
 ヤヌアはまだベッドの中で寝ており、その頬には擦り傷が残っています。ヤヌアはハインリヒにこっぴどいいたずらを仕掛けて後、街の外までわざわざ裏路地を通って逃げてから、平原の上でハインリヒと剣の稽古をするのを日課にしています。稽古といっても、ヤヌアがそう言っているだけで、実際に見に行ってみれば何とか知恵を巡らせて意表を突こうとするヤヌアが、微動だにしないハインリヒに返り討ちに遭っているだけです。その頬の擦り傷は稽古の時に付けられたものでしょう。一度平原に私がいることに気づいたヤヌアが、こちらに向かって手を振ってきたことがありました。私がそれに手を振りかえして応じていると、ハインリヒはヤヌアの頭を木の棒でこつんと叩きました。その日の稽古はハインリヒの尻尾をヤヌアが謝って踏んでしまったことがきっかけだったので、ハインリヒはいつにもなく苛立っていました。痛いと避難するヤヌアにしっかりやらんかとハインリヒは怒り、夜になって私にも、面白いからといって余り見には来ないように、と釘を刺すのでした。
 
 私の胸の内は揺らいでいました。彼の語った残虐な真実と普段見せる和やかな光景に、昼と夜ほどの乖離を感じずにはいられないのに、それが一つの命に収まっていることが、ただ不思議にしか思えないのです。
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