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第三章 幼な妻の里帰り
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しおりを挟む「アレクシスは、貴女の何なんだ?」
マティアスは壁に凭れたまま頭上のリリアに話しかける。
「恋人じゃありませんよ」
「それは聞いた。でも、ただの友達じゃないだろう?」
「アレクシスは、わたくしの憧れの人です」
「………そうなのか」
マティアスの見た二人の関係性は、憧れ、という言葉はなんだかしっくりこない。
「……わたくし、わたくしの生きている世界に興味があったんです」
「過去形?」
「………ほんとだ。過去形ですね」
「世界って、地理とか歴史とかか? 貴女は詳しいじゃないか」
「それはそれで面白いんですけど、そうじゃなくて、世界がどうしてこのような在り方をしているのか、見えないところで何がおこっているのか。それを、アレクシスは教えてくれるんです」
「抽象的でよく分からないな」
「数学と物理学のお話です。でも、アレクシスがどれだけ噛み砕いてくれても、わたくしには理解できませんでした」
「……貴女がこの間ユーノ川の橋の設計図の不備を指摘していたのは、数学とか物理学じゃないのか」
「それくらいまでは分かるのですが、全く足りません。
―――アレクシスは、わたくしが知っている人間のなかで、多分一番世界の真実に近い」
「貴女より賢いのか」
マティアスの言葉にリリアは苦笑いする。
「マティアス様やアリーダはわたくしのことを賢いって褒めてくださいますけど、学園に、わたくしより賢くない人はいないんですよ」
「恐ろしい場所だな……」
エルザと同じことを言うマティアスに、リリアはふふ、と面白そうに笑う。
「王都の書類仕事なら、わたくしの方がお役立ちですよ。頭が良いからって一人で何でも出来る訳じゃありません。アレクシスは天才ですけど、書類仕事は全然出来ないし、ヨハンナは実験始めるとご飯の時間も分からなくなっちゃう。
わたくし、大人になったら、彼らの助けになりたかったんです。
―――でも、アレクシスは去年、学園を辞めてしまいました。時々アルバイトで力仕事や査読をしてますけど―――去年よりできなくなったからもう研究はやめるって。
わたくし、数学者の時間がそんなに短いなんて知らなくて、アレクシスの時間をたくさん無駄にさせた………」
「付き合いが長いんだな」
「そうですね、もう、八年?」
「……娼館育ちの友達っていうのは、彼か」
「あ、そうです」
勝手に女性だと思い込んでいた。
「おうちにお邪魔したことはないですけど、優しくて綺麗で我儘なお姉さんたちに囲まれて育ったそうですよ。マティアス様と一緒ですね」
「………それは、同情するな」
「昔から面倒見が良くて、言葉も分からない六歳のわたくしを率先して世話してくれて、いつもわたくしの味方でした。わたくしは、ずっとアレクシスの後ろをついて回っていた気がします」
懐かしそうに話していた声がワントーン下がる。
「アレクシスの才能は、本当に特別で、わたくしなんかに浪費していいものではなかったのに」
その言い方にマティアスは違和感を覚えて言った。
「それは違わないか?
彼がどんな能力を持っていても彼の時間の使い方は彼の価値に基づくべきだ。
それを貴女の価値観で無駄な事のように言うのは彼に失礼だろう」
マティアスの指摘にリリアは一瞬言葉を失う。
「…………そうです。
そうですね、アレクシスに怒られちゃう」
「たくさん世話になったんだな。
なんとなく納得した。俺にとってのアーネストみたいなものか」
「そうかもしれません。
アレクシスはわたくしに意地悪はしませんけど」
アレクシスが恋人でなかったのなら、やはりルキウスという男がリリアの想い人なのだろうか。
学園でヨハンナが名前を出した時に誰も不思議そうな顔をしなかったので、ある程度周知の事実なのかも知れない。
滅多に来れないのだから会いたいなら会わせてやりたい。会ったあと、どうしてやることも出来ないけれど。
「………リリア、視察中にどこか行きたいところはあるか?」
「学園に行けたので、もうないです」
「会いたい人はいないか? 少しくらい遠くても大丈夫だぞ」
「いえ、特にいないです、ありがとうございます」
リリアはいつものように否定する。
どう対応するのがリリアのためなのか良く分からず、マティアスはこの話は諦める。
「――リリア」
「はい」
「貴女は、離縁したあと、どうしたい?」
急なマティアスの問いにリリアは首を傾げる。
賢いし話しやすいし面白いし、マティアスは、ヴォルフに子どもができたならこのままリリアの成長を待って結婚生活を続けるのも悪くないと思う。
だがリリアは……
「ちゃんと正妻に迎えてくれる相手を探すとは言ったが、貴女の希望を聞いていなかったなと思って。
王都で結婚したいなら好みを教えてくれれば出来るだけ添う男を探す。
―――それとも、アルムベルクに帰りたいか?」
何年後になるか定かではないが、想う男のいる場所に。
少し間を置いて、リリアは静かに、明確に答えた。
「―――叶うなら、アルムベルクに帰りたいです」
「………うん、じゃあ、そう取り計らう」
少し寂しいがリリアはリリアの幸せがある場所で生きるべきだと思う。
人を死に追いやる牢とは思えない穏やかな水音が、マティアスの考えを肯定するように流れ続けた。
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