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第三章
第13夜
しおりを挟む「ご挨拶に来るのが遅くなってしまい、申し訳ありません。あなたがお母さまでしょうか」
魔法使いの服装は、いつものローブ姿ではなかった。この街の上流階級の人間たちのような、品の良い貴族の出で立ちをしている。
言葉遣いも、いつもの砕けた調子ではないため、別人のように思える。
魔法使いは階段をとんとんと長い脚で上り、シャーサの隣に立った。
事態が飲み込めない母は、「ええ」とか「はあ」とか言葉を漏らしながら、そっとナイフを後ろ手に隠す。
「…申し訳ありませんが、今は夫が仕事に出ていて家に居りません。挨拶なら日を改めてください。…それに、王子が妃を探していることは知っておいででしょう?その子もお妃候補の一人ですから…」
母はひきつった笑みを浮かべる。魔法使いはそれに柔和な笑みを返した。
「そうですね…突然でしたから。もちろん、後日改めて、彼女の御父上とも話をさせていただきます。しかし、王子のお妃探しのことなら、すぐに解決しますよ」
魔法使いは玄関を手で示した。
「靴を履いてみればよい話です。彼女に合わなければ、彼女が妃になることはないのでしょう。私も立ち会います」
その通りだ。
シャーサが王子の持ってきた靴を履くことができなければ、お妃候補なんて話は無かったことになる。
行こうか、と魔法使いに背を押され、シャーサは足を玄関のほうへ向けた。
さすがの母も、他人の前で我が子の足指を落とせとは言えないだろう、とシャーサは足早に母親の前を通り抜ける。
母の訴えるような視線を感じたが、シャーサは顔を合わせないように俯いた。
階段を降り、玄関の扉を開け、魔法使いと共に外に出る。
王子の一行は、もうすぐそこまで来ていた。
その時、ふとシャーサは後ろを振り返る。
母は、呆然とした表情で、肩を落としていた。
その姿がなんとなくいつもより小さく見えて、後ろめたくなる。
けれど、魔法使いに軽く背を撫でられ、これでいいのだ、と視線を外す。
背後で閉じられようとする扉
その隙間から、シャーサはもう一度、母を見た。
母は、俯いたままだ。いや、正確には、「自分の足元を」見ていた。
その時、母が何をしようとしているか、シャーサは理解してしまった。
ほとんど無意識に体が動く。
家の中に飛び込み、階段を駆け上がる。
そして、木靴から足を抜き、『自身の足指へ刃を立てようとしていた』母の手を、すんでのところで掴んだ。
そのまま自分のほうへ引き寄せる。
「何するの、離して!」
喚く母に、こっちの台詞だ、とシャーサは唇を噛んで手に力を入れる。
母は、なんと言って王子の靴を履くつもりだったのだろう。
自分の指を落として、見え透いた嘘をついてまで、王宮での暮らしを手に入れたかったのだろうか。
シャーサは共感できない。もしこれが他人であったならば、自分とは違う人間なのだな、と見なかったふりをしていた。
けれど、目の前の女性は、どんな愚かな存在でも、シャーサの母だった。
二人はそのままナイフを挟んでもつれあう。
狭い空間で押し引きを繰り返す、そのさなか、母は階段へ足を踏み外しかけた。
そして、体勢を立て直そうとした母の手から、ナイフが取り落とされてしまった。
それが不運だった。
シャーサの方へ力いっぱい引き寄せられていたナイフの刃は、吸い込まれるようにシャーサの胸に刺さった。
シャーサは一瞬、自分の体の状態が理解できなかった。
一拍置いて感じる衝撃と激痛。
それに、声にならない吐息を漏らす。
そのまま階下へ落ちていきながら、シャーサは母の叫び声と恐怖の表情に、「可哀そうだな」と他人事のような感想を抱いた。
***
魔法使いは、目の前に広がる光景が信じられず、こぼれそうなほど目を見開いて立ち尽くす。
ついさっきまで魔法使いの隣にいたはずのシャーサの胸には、深々とナイフが突き刺さり、長い髪を床に広げて倒れている。
どうしてシャーサが家の中へ走っていったのか、彼女の母親と何をしていたのか、理解しきる前に、伸ばした腕の前に、落ちてきた。
魔法使いは、万能である。けれど、完全ではない。
魔法使いは失敗しても、自分のことにはいくらでもやり直しがきいたから、今までも『なんとかなってしまった』だけだ。
目の前の存在は、カップからこぼれたミルクのように、元に戻ることは無い。
シャーサは息ができないのか、口から吐ききれなかった血を鼻から垂らし、カホッと体を震わせている。
魔法使いはたった一歩でシャーサの元へ降り立つと、隠すように覆いかぶさった。
貴族の服装から一瞬でいつものローブ姿に戻ったことで、ローブがカーテンのようにシャーサの周りに幕を張る。
そのローブの天蓋の中、シャーサの瞳は痙攣するように揺れ、光を失っていっていた。
魔法使いはその様子を見つめたまま、はく、と息を吐く。
どうして、などと理由を考えている時間も惜しい。
彼女を生かさねば、と焼ききれそうなほどに自身の脳を働かせる。
魔法使いは、黄泉へ渡ろうとしているシャーサを呼び戻す方法を知っていた。
生き物の死という自然の摂理。それに抗えるだけの力を、魔法使いは持っているのだ。
けれどできない、やってはいけない。
(…何故…何故駄目なんだっけ)
苦しそうに上下していたシャーサの胸の動きが、小さくなる。
ぽたりと、酸素を取り込む音の消えたシャーサの唇に、魔法使いの涙が落ちた。
(何が駄目なんだっけ)
ひとが手を伸ばしても届かない境界線。今までは、感じ取れてはいても、触れることはしなかったその境目に、魔法使いは指を伸ばす。
(彼女が、ここで、途絶えることより、駄目なんだっけ?)
魔法使いは息を吸った。
「シャーサ」
届かない。
シャーサは本名ではないのか。
ただの愛称ではだめだ。
「シャネッサ」
違う。
「シャトレーネ」
違う。
…ああ、そうだ、彼女が小さいころに、教えてくれた。
「…シャーサリア」
繋がる。
黄泉まで下ろうと、もしくは天へ登ろうとしていたものが、引き留められる。
魔法使いはシャーサの顎に手を添えて持ち上げた。
「シャーサリア」
そのまま、魔法使いは躊躇いなくシャーサにキスをした。
尽きることの無い、自分の内側に満ちた奔流。
それをシャーサに注いで満たし、手繰り寄せる。
ナイフの柄を握り込み、ゆっくりと引けば、血液が流れ出ることなく、ナイフは抜けていく。
切っ先が抜けた瞬間、魔法使いは抜いたナイフをそのまま床に突き立てた。
柄を残して深々と床に突き刺さったナイフから手を離し、顔を上げた。
自身の口にべったりと付いたシャーサの血を拭うこともせず、魔法使いはじっとシャーサを見つめる。
すると、シャーサは溺れたところを引き上げられたように、咳き込んで血を吐きながら体を曲げた。
忘れていた瞬きを一つして、魔法使いはほっと息を吐く。
そのまま、シャーサの身体の下に腕を入れると、壊れ物のように大切に抱き上げた。
そうして、廊下の奥へ歩き始める魔法使いは、階上で呆然とするシャーサの母親を見なかった。
まるで猫のように音も無く、玄関を開けて、家から出ていく。
パタン、と扉が閉まり、静寂が訪れる。
ほどなく、ざわめきと共に、扉が勢いよく開けられた。
「こんにちは、こちらのお嬢さんに靴を合わせていただきたく…おや、どうされたのです、何があったのですか」
入ってきた城の召使いたちは、家の中のただならぬ雰囲気に驚きながら言う。
「…いま、そこ、…で…そこ…から、シャーサ、…?が出て、つれて?」
階上で顔を蒼白にさせた女は、震える手で玄関を指さす。
召使いは入ってきた扉を振り向き、首を傾げる。
そして、女に言った。
「ここから…?おかしいですね、誰も出てきませんでしたが」
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