青眼の烏と帰り待つ羊

鉄永

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3部

あの時の可哀そうで憎たらしいきみ

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 女は体中泥だらけで様々な臭いの入り混じった、明らかに何らかの事件や事故に巻き込まれた様子の少年を、知り合いの医者に処置をさせて、そのまま持ち帰ることにした。
 そういうわけで、少年が目を覚まして最初に見たのは、清潔感のある白い天井ではなく、温かみのある木目の天井だった。
 体が熱を持ち、重力が体にのしかかる感覚。そして見えない片目に傾く体を内観しながら、少年はゆっくりとベッドから起き上がり、状況把握につとめる。
 窓から分かる時間帯は夜。どこかの高層マンションの一室で、ベランダは無し。部屋はベッドとサイドテーブル、デスクライトやティッシュボックスなどの生活必需品以外は置いていない。試しにクローゼットを開けると、女性用のスーツがかかっていて、この部屋の主は女だということが分かった。
 倒れる前の記憶では住宅街に近かったので、誰かに拾われたのかもしれないが、客観的に見ても病院送りにされる程度の怪我だったため、ただ保護をされたというには不自然だ。
 耳をすませると、扉の先からテレビの音が聞こえる。少年はドアノブに手をかけ、そっと扉を開けた。
 扉の先にいたのは、缶ビールを片手にソファでくつろぎながらテレビを見ている、髪の長い女だった。
 少年は「すみません」とその姿に声をかける。
「他人のロッカーを勝手に開けるなんてスケベな奴だな」
 女はソファにもたれたまま首だけをゆっくり少年のほうへ向け、ニヤッと笑った。
 女の顔は、手に持ったビールが不釣り合いなほど幼く見えた。しかし雰囲気は二十歳をとうに超えているようにも思う。
 自分が起きてから部屋を漁っていたことに対する言葉だと一拍遅れて理解し、今度は謝罪の意を込めながら「すみません」と少年は同じ言葉を繰り返した。
 女は「いいよ」と軽く手を振ってからリモコンを取ってテレビの電源を落とす。
 急にシン、とリビングが静かになるなかで、女は顎でダイニングテーブルの椅子を示した。
 座れ、ということらしい。
 壁に手をつきながら大人しく椅子に座った少年に女は話しかける。
「傷の割には元気そうで安心したよ、泣いたり喚かれたりするのは面倒だからさ。自分の状況は理解してる?」
 少年は少し考えてから「あなたが、俺を拾った?」と答えた。
 保護をしたというには、こちらへの思いやりの感情が薄い女に、「誘拐」だとかの邪推は出さないよう、少年は予想できる事実のみを答える。
 女はその返答に片眉をあげて、そのまま質問を続けた。
「うん、そう。名前は言える?」
「生です」
「そ。私はかずさ。よろしく」
 下の名前のみを答える少年に気を悪くした様子もなく、女も名前だけ教えた。
 少年は「かずささん」と口の中で響きを咀嚼してから、よろしくお願いします、と痛む頭を揺らさないように小さく会釈をする。
「込み入った話はもう少し回復してからするけど、何か今すぐ確認したいことはある?」
「…あなたは、医者ですか?」
「ううん、医者じゃない」
 少年は治療された形跡のある自分の指先に視線を移した。
「では、これはあなたが?」
「まあ、包帯は変えてやってるけど、診たのはちゃんとした医者だよ。流石に素人がどうこうできる範囲を超えてたから」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
 つまり、素人の手に余るような明らかにおかしい傷を負った子どもを診ても、そのまま家で療養させることを許す医者の知り合いがいるらしい。
「他に聞きたいことは?」
「洗面所などは、どこですか」
「この廊下を真っすぐ行って右」
「入ってはいけない部屋はありますか」
「特にないよ」
「今日は何日ですか」
「二十八日」
「…」
 他にも色々と確認したいことはあったが、あまり頭が回らなかった。
 ただ、自分が最後に学校の黒板で見た日にちから、ずいぶんと時間が経ったんだなと思った。
「もう夏ですね」
 暢気とも捉えられるその感想に、女は否定も肯定もせず、目を細める。
「今更だけど、医者に安静にさせとけって言われてるんだ。そろそろ寝てきな」
 後でベッドサイドに薬と水は置いとくし、何か食べたいなら適当に冷蔵庫を漁って、と言い、女はテレビをつけた。
 そのままこちらに顔を向ける気もなさそうな女に、少年は「ベッドお借りします」と律儀に頭を下げた。
 ゆっくりと立ち上がり、寝室へ向かおうとしてから、一度廊下を進んで洗面所へ向かう。
 かさつく唇と張り付く口内を水で湿らせ、そっと顔を上げて少年は鏡に自分の顔を写す。
 跳ねた黒髪。丈の足りない部屋着から覗く、痩せた体。ガーゼが固定され、顔色の悪い、ぼんやりとした表情の子供が、そこにいた。


***


「しかし、私が言うのもなんだけど、あんなにあっさり決めてしまって良かったの?」
「はい。正直、期待していたので。帰らなくて済むかもって」
 生がある程度回復してから、かずさは生に、一緒に働くことを提案をした。
 提案、と言うには物騒な言い回しをされたし、エッセンシャルワーカーという言葉が生易しく思えるような働き口だったが、生にとっては願ったり叶ったりだった。
「…それに、今から帰ったら、頭がおかしくなりそうで」
 そう言い添える生に、かずさはころころと笑った。
「はは、ならないよ。だってもうおかしくなってるだろ」
 実際、脅すつもりで「今のお前の肉親は、前後不覚で手前のことも理解できないくらい頭がおかしくなった母親だけって認識でいいな?」と聞いたら「間違いありません」と狼狽えることなく即答され、かずさは生の精神性に呆れていた。そして、若干物足りない気持ちになっていた。
 だから、今の会話は、その憂さ晴らしや当てつけに近かった。
「あっさり決めて良いのかっていうのはさ、人を殺して、目もくり抜かれて、妹も殺されて母親も狂ってても、普通に過ごせるくらい器用なんだから、元通りの生活だってできたんじゃない?ってこと」
 あえてオブラートに包まない言葉を選びながら、かずさは生の表情を眺める。
 拾ってすぐの頃よりだいぶ血の気は戻ったものの、痛々しいガーゼはまだ生の片目を隠している。
 生は残った片目にかずさの意地悪な笑いを映し、それに対して緩やかな表情を向けた。
「恐らく?…けど、未練も無いですし、こういうのは流れかなって」
 平静に返す生の言葉は、やっぱりかずさにとってはつまらなかった。
「はは、気持ち悪いな。どんな経験したらそんな思考する十代が出来上がるの」
「ありがとうございます」
「褒めたつもりないんだけど」
「ふふ」
 退屈そうに口をとがらせるかずさに、生は思わず笑った。

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