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転章
転章 第五部 第十節
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勘違いされると困るが、契約者は契約を反故放棄したわけではなかった。シザジアフ・ザーニーイがいなくなってからも、履行しようと腐心さながら忍従し続けていた。真面目に旗司誓の長代行として職分を全うし、合間を見ながら身体的鍛錬と能力的習熟を積み、組織を修練し修正した。単なる踏襲ではなかった―――自覚は無かったが、この時期から彼がメンテナンス業務に従事する者を厚遇したのが、特に貢献した。自覚がなかったからこそ効果があったともいえる。具体的に述べるならば、彼は細々とした仕事っぷりに細々と目をやり、なにくれとない縁の下の力持ちに感謝し、掃除の出来が良ければ褒め、虫食い穴の繕いに礼を言い、なによりうまい食事を満面の笑みで受け取って誰よりも喜んで食べた。そいつらがそんなもんだと狎れ切っている後輩らと違い、シゾーは貧すれば鈍する幼年期から、その真逆となる青年期までを、一貫して知り尽くしていた。辛酸を舐めた舌だからこそ、どのように貧相な甘露であれ ありがたがった。これもまあ、ありがたいことには、ありがとうを返しただけとも言える。この場合、馬鹿かどうかも問題ではなかろう。
ともあれ。契約を忘れたわけではなかったが、履き違えることもあった。それは、誰にでもありうることだった。アーギルシャイアの恋歌でさえそうなったように。
シザジアフ・ザーニーイを超えろ。
とうさんには敵わない。それは分かった。ならば、そこに無いセールスポイントをセールスに出すことにしようと―――早合点した。
「実際、そこまで悪いもんじゃないと思うよ。実際さ」
シゾーは、語り掛けた。
ノイローゼを煮詰めること二日―――とうに心神喪失極まっている幼馴染みは半眼からして放心状態で、猫背から垂らした両腕を太ももの間に挟み込んだまま、力なく寝台に腰掛けている。この頃は、まだ真面な寝台を……一台、最奥に据えていた。そんな、長方形の隠し部屋。独房のように空気穴から日光が数条差し込むだけで、昼間であっても薄暗いが、そんな中でも判別できるほどに彼女の表情は能面じみた無表情に固まって動かない。もう経血が降りて来ているのか、それは傍目には分からないが。
発作と言っても、この時はまだ、月経前から塞ぎ込んで絶飲食になるのが主症状だったので、束縛縫製も着せていないし、シゾーでも割と世話することが出来た―――と言うより、代役もいない。ゼラ・イェスカザは、まだ養生を要する状態だった。シザジアフと交わした約束……ただそれだけが聞き取れる状態だった。
正気の時には言い寄ろうとするだけで撥ね付けられて終わってしまう反動で、こんな時ばかり饒舌になってしまう。他愛もない話もした。出鱈目にでも話したし、的外れなことだって話した。なんなりと差し出すから、なにくれとなく返してほしかった。だから、同じように寝台に並んで座りつつ、彼女と似た感じに両手を腿のあたりに落ち着かせようとする。結局は落ち着かず、それを引き上げて指を組む。そんなことを繰り返していた。
「あのさ、なんていうか―――お前は悔踏区域外輪に篭りっぱだから、知らないだけなんじゃないかなと思う。実際を。本当に。良いも悪いも知らないから、食わず嫌いしてるんだよ。女っていうのがどういうもので、父親や弟や……そういうのじゃない男っていうのが、どういうものか。知らないだけで。天の邪鬼が板についてしまってるから、厄介に持て余すあまり無碍にするしかなくなってる―――それだけで」
彼女は、こたえない。
求愛の鳴き声を、動物のそれしか知らずにいるからだ。三千世界の鴉を殺し、主と朝寝がしてみたい―――その歌詞を、歌詞としてしか歌ったことがないからだ。シゾーとてそうだったが、実際に間近で色恋を見聞きした経験は彼女より多い自負があったし、身をもって異性から入れ込まれた体験はそれを裏付ける根拠として充分だと思っていた。
「どういうものか……さ、知ってみたって、いいんじゃないかな。俺は知ってるから、教えてあげられるよ。それに―――俺だってさ、捨てたもんじゃないだろ。これでも、あっちじゃ引く手数多だったんだ。お互い、慣れ過ぎてるから、新鮮味が無いってだけで。でもそれだって、言ってみれば長い時間を過ごしてきたなりに相性がいいって証拠だし。だから、ここから関係をシフトしても、悪くないんだろうって思うんだ―――今迄の女を見てるとさ」
上背を傾げて、その瞳を覗き込むのだが、彼女の世界に自分はいないようだった。しつこく、食い下がる。いたことがいいこともあった、それは間違いないのだから、これからだってそうしていい……と。
「俺は見てきたんだ。目は肥えてる方だよ。だから、きっと……お前と俺だって、悪くないさ。嘘じゃない。本当だよ。絶対に。約束したっていい」
「やくそく?」
声が、した。
報われた。ゆるされた。そう思えた、それだけで嬉しかった。
もっと嬉しくなりたくなったあまり、誘われた心地で口から出任せを続ける。
過去を履き違え、今この時にかまけて、未来まで口約束をした。
「そうだ、約束する。ザーニーイ。シヴ。シヴツェイア。俺が、幸せにする。幸せに……幸せになるんだ。シゾーと。シザジアフがいた昔みたいに。ふたりが出逢った頃みたいに―――イェンラズハとジンジルデッデみたいな、ふたりになろう。幸せになろう」
「出逢った。昔の。幸せな。頃。シゾー? 俺?」
言ってくる。
純心さながら、小首を傾げさえしていない。
「その頃に。いなかった。女を。名を。呼べる、お前なんだから、シゾーじゃない。俺なんて言う、あんた誰だ?」
「―――あは。らしくないな、ザーニーイ」
言ってしまう。
わらいながら。
軽んじながら。
愚かにも、賢いつもりでいた。未知の隙間から訪れる怪物を忘れて、自分自身こそ そこから這い出てきた化けものだと知っていたのに、無関心にも慢心していた。心を配れなかった。
「聞いたところでさ。そんな今更なこと、どうしようって? もう、どうにもならないのに。でもさ、そうしてほしいのなら、答えてあげる。特別だよ。特別だから」
言い続けてしまう。
言祝ぐように呪う。それを知らずにいた。
こうして、口先すら知らない。口の中たりとて、知り得たことはない。今まで一度たりと。それなのに―――心から約束した、それを信じた。
「俺は、俺だから―――もう、僕じゃないだけだよ。だからもう、ゆびきりなんかより、男らしく約束することも出来る。実はそれは、大人になるくらい簡単なことだ。でも、ザーニーイだから、知らないよね? こうするんだよ。誓いの―――」
シゾーは、そうして口づけをした。だけではなかった。
うま味ある舌触りと歯触りと肌触りごと、その人の残り時間を吸ってしまった。
それは、三年前から、九週間後。
そして四時間を経て、ザーニーイはシヴツェイアを殺した。シヴツェイアに殺されたのかも分からなかった。その人の主観に沿った口述をするならば。
客観的に言うなら、自殺した。
「止まらない……血が―――止まらない!」
「鬱の段階を見誤っていたか。にしても、単に丸腰で閉じ込めておくだけで済ませられるレベルを、こうも一足飛びに振り切ってしまうものか? なにがあった……」
「死ぬ……死んでしまう! これじゃあ―――」
「寝台の天板を踏み抜いて剥がした木を、噛み付くかなにかして尖らせて、懸命に刺すなり こすりつけるなりしたようだな。こんな粗悪な木端で、遠回しな動線なのに、よく頸動脈まで届かせたものだ。ためらい傷にしたって―――右の首筋周り全部、木屑混じりのひき肉じゃないか。ひどいものだ。魔術でも、これは……」
そっけなく分析するうちに、冷静な諦念まで満たし始めた養父に―――
「た、た……たす、けて、ください―――たすけて! どうか、たすけて、ください!」
シゾーは、泣きついた。腰を抜かしていたから、床にへたり込んだまま、真横で立っていたその足腰にむしゃぶりついた。涙と鼻水を噛みながら、その塩辛さにむせこんで、唾液混じりの嗚咽を嗄らした。失禁していた。尿でもない精液でもない血液でもない、不可侵から横溢し迸る奔流に耐え切れず啼き喚いて、叫んで歯噛みして駄々を捏ねた。これ以上の理不尽があるものかと。産声のように。アーギルシャイアでさえ裸一貫に血の糸だけ纏って羊水を吐きがてら音を上げた―――その、絶叫だった。
「お願いだ! 知らなかったんだ……知らなかったんだよ、この人が死ぬなんて! 子どもの頃から知ってるけど、殴って、叩いて、踏みつけて蹴とばして転がしてきたけど……けれど、知らなかったんだ。この人が死ぬなんてことは知らなかった!」
「こうなってまで、契約の履行を、のぞむと?」
その時に実際に養父へ、どう返したのかは覚えていない。
覚えているのは、これが夢だということ。夢の中。夢見るならば、なんだって言える。だから彼は、夢中で―――決心した。真摯に、心を入れ替えた。
「違う。それとは別だ。誓う!」
「なんと誓う?」
「俺は、旗司誓になる。これから、―――ただひとりだけの旗司誓となる。義父さん。あなたがシザジアフを支えたように。俺は―――僕は、これから生涯をかけて、ザーニーイさんを支えることを、誓います」
「誓い」
「幾度となく破っておきながら」
―――声が、波状して問いかけてくる。
「何度目だ? 誓い。約束。契約。取引を。駆け引きし。引き換えて。何度目だ……」
振り返ろうとした。だがその頃には、波は重なり連なって膨張し、出所どころか、反響する先さえ見失っていく。もう己の立ち位置も分からない。いち? 一? 位置? 立っているのか、座っているのか……上下、左右、遠近、時すらも―――ない。ひとりぼっちなのか。ふたりきりなのか。第三者がいたところで……分かりはしない。
「苛まれ。開き直り。煩悶を終え。苦悶を済ませ。楽観し。諦観し。達観の果てに堕落を遂げ……それを何度―――繰り返した?」
「それは、」
呻く……あの時のように、そうする。のだが。
「知っているのはお前だ。答えるのもお前だ。問いは分かり切っている。すべてが思い出すまでもない。それは自慰である。それは示威である。それは児戯である。どれも疑える。信じるのか?」
「それは、」
「夢に魘されて流した涙は、絵空事に唆かされての嘘泣きと、違うと信じるのか……同じだと、疑わずにいられるのか? いたまなくなった身体が現実だとしたら、それを夢に見て苦しみもがいた心は―――真実ではないということになる。実在しないのなら……嘘ということになる。正しくないなら……間違いということになる。誤っている。過ちを……犯した」
「それは、」
「愚かなり、賢しきもの。賢しきある愚かものよ。この那由他不可思議無量大数を超ゆりて出ずる。予てより語られし破れ目を潜りて化けゆく。汝は何者か?」
「僕は―――俺は……」
「何者か。名乗れ―――混沌の最中より、なお呼びかけんと【ふ】れ泥む名を紡ぎ出すのなら。報いよ。まずはお前から。在るならば心を証明せよ」
「うあああああぁぁぁアアァ!!」
ひどくひどく渦巻いた只中で、彼は【な】いた。
悟ったのだ。契約より先に課せられていた真の命題は、これだったのだと。
―――在るならば心を証明せよ。
ともあれ。契約を忘れたわけではなかったが、履き違えることもあった。それは、誰にでもありうることだった。アーギルシャイアの恋歌でさえそうなったように。
シザジアフ・ザーニーイを超えろ。
とうさんには敵わない。それは分かった。ならば、そこに無いセールスポイントをセールスに出すことにしようと―――早合点した。
「実際、そこまで悪いもんじゃないと思うよ。実際さ」
シゾーは、語り掛けた。
ノイローゼを煮詰めること二日―――とうに心神喪失極まっている幼馴染みは半眼からして放心状態で、猫背から垂らした両腕を太ももの間に挟み込んだまま、力なく寝台に腰掛けている。この頃は、まだ真面な寝台を……一台、最奥に据えていた。そんな、長方形の隠し部屋。独房のように空気穴から日光が数条差し込むだけで、昼間であっても薄暗いが、そんな中でも判別できるほどに彼女の表情は能面じみた無表情に固まって動かない。もう経血が降りて来ているのか、それは傍目には分からないが。
発作と言っても、この時はまだ、月経前から塞ぎ込んで絶飲食になるのが主症状だったので、束縛縫製も着せていないし、シゾーでも割と世話することが出来た―――と言うより、代役もいない。ゼラ・イェスカザは、まだ養生を要する状態だった。シザジアフと交わした約束……ただそれだけが聞き取れる状態だった。
正気の時には言い寄ろうとするだけで撥ね付けられて終わってしまう反動で、こんな時ばかり饒舌になってしまう。他愛もない話もした。出鱈目にでも話したし、的外れなことだって話した。なんなりと差し出すから、なにくれとなく返してほしかった。だから、同じように寝台に並んで座りつつ、彼女と似た感じに両手を腿のあたりに落ち着かせようとする。結局は落ち着かず、それを引き上げて指を組む。そんなことを繰り返していた。
「あのさ、なんていうか―――お前は悔踏区域外輪に篭りっぱだから、知らないだけなんじゃないかなと思う。実際を。本当に。良いも悪いも知らないから、食わず嫌いしてるんだよ。女っていうのがどういうもので、父親や弟や……そういうのじゃない男っていうのが、どういうものか。知らないだけで。天の邪鬼が板についてしまってるから、厄介に持て余すあまり無碍にするしかなくなってる―――それだけで」
彼女は、こたえない。
求愛の鳴き声を、動物のそれしか知らずにいるからだ。三千世界の鴉を殺し、主と朝寝がしてみたい―――その歌詞を、歌詞としてしか歌ったことがないからだ。シゾーとてそうだったが、実際に間近で色恋を見聞きした経験は彼女より多い自負があったし、身をもって異性から入れ込まれた体験はそれを裏付ける根拠として充分だと思っていた。
「どういうものか……さ、知ってみたって、いいんじゃないかな。俺は知ってるから、教えてあげられるよ。それに―――俺だってさ、捨てたもんじゃないだろ。これでも、あっちじゃ引く手数多だったんだ。お互い、慣れ過ぎてるから、新鮮味が無いってだけで。でもそれだって、言ってみれば長い時間を過ごしてきたなりに相性がいいって証拠だし。だから、ここから関係をシフトしても、悪くないんだろうって思うんだ―――今迄の女を見てるとさ」
上背を傾げて、その瞳を覗き込むのだが、彼女の世界に自分はいないようだった。しつこく、食い下がる。いたことがいいこともあった、それは間違いないのだから、これからだってそうしていい……と。
「俺は見てきたんだ。目は肥えてる方だよ。だから、きっと……お前と俺だって、悪くないさ。嘘じゃない。本当だよ。絶対に。約束したっていい」
「やくそく?」
声が、した。
報われた。ゆるされた。そう思えた、それだけで嬉しかった。
もっと嬉しくなりたくなったあまり、誘われた心地で口から出任せを続ける。
過去を履き違え、今この時にかまけて、未来まで口約束をした。
「そうだ、約束する。ザーニーイ。シヴ。シヴツェイア。俺が、幸せにする。幸せに……幸せになるんだ。シゾーと。シザジアフがいた昔みたいに。ふたりが出逢った頃みたいに―――イェンラズハとジンジルデッデみたいな、ふたりになろう。幸せになろう」
「出逢った。昔の。幸せな。頃。シゾー? 俺?」
言ってくる。
純心さながら、小首を傾げさえしていない。
「その頃に。いなかった。女を。名を。呼べる、お前なんだから、シゾーじゃない。俺なんて言う、あんた誰だ?」
「―――あは。らしくないな、ザーニーイ」
言ってしまう。
わらいながら。
軽んじながら。
愚かにも、賢いつもりでいた。未知の隙間から訪れる怪物を忘れて、自分自身こそ そこから這い出てきた化けものだと知っていたのに、無関心にも慢心していた。心を配れなかった。
「聞いたところでさ。そんな今更なこと、どうしようって? もう、どうにもならないのに。でもさ、そうしてほしいのなら、答えてあげる。特別だよ。特別だから」
言い続けてしまう。
言祝ぐように呪う。それを知らずにいた。
こうして、口先すら知らない。口の中たりとて、知り得たことはない。今まで一度たりと。それなのに―――心から約束した、それを信じた。
「俺は、俺だから―――もう、僕じゃないだけだよ。だからもう、ゆびきりなんかより、男らしく約束することも出来る。実はそれは、大人になるくらい簡単なことだ。でも、ザーニーイだから、知らないよね? こうするんだよ。誓いの―――」
シゾーは、そうして口づけをした。だけではなかった。
うま味ある舌触りと歯触りと肌触りごと、その人の残り時間を吸ってしまった。
それは、三年前から、九週間後。
そして四時間を経て、ザーニーイはシヴツェイアを殺した。シヴツェイアに殺されたのかも分からなかった。その人の主観に沿った口述をするならば。
客観的に言うなら、自殺した。
「止まらない……血が―――止まらない!」
「鬱の段階を見誤っていたか。にしても、単に丸腰で閉じ込めておくだけで済ませられるレベルを、こうも一足飛びに振り切ってしまうものか? なにがあった……」
「死ぬ……死んでしまう! これじゃあ―――」
「寝台の天板を踏み抜いて剥がした木を、噛み付くかなにかして尖らせて、懸命に刺すなり こすりつけるなりしたようだな。こんな粗悪な木端で、遠回しな動線なのに、よく頸動脈まで届かせたものだ。ためらい傷にしたって―――右の首筋周り全部、木屑混じりのひき肉じゃないか。ひどいものだ。魔術でも、これは……」
そっけなく分析するうちに、冷静な諦念まで満たし始めた養父に―――
「た、た……たす、けて、ください―――たすけて! どうか、たすけて、ください!」
シゾーは、泣きついた。腰を抜かしていたから、床にへたり込んだまま、真横で立っていたその足腰にむしゃぶりついた。涙と鼻水を噛みながら、その塩辛さにむせこんで、唾液混じりの嗚咽を嗄らした。失禁していた。尿でもない精液でもない血液でもない、不可侵から横溢し迸る奔流に耐え切れず啼き喚いて、叫んで歯噛みして駄々を捏ねた。これ以上の理不尽があるものかと。産声のように。アーギルシャイアでさえ裸一貫に血の糸だけ纏って羊水を吐きがてら音を上げた―――その、絶叫だった。
「お願いだ! 知らなかったんだ……知らなかったんだよ、この人が死ぬなんて! 子どもの頃から知ってるけど、殴って、叩いて、踏みつけて蹴とばして転がしてきたけど……けれど、知らなかったんだ。この人が死ぬなんてことは知らなかった!」
「こうなってまで、契約の履行を、のぞむと?」
その時に実際に養父へ、どう返したのかは覚えていない。
覚えているのは、これが夢だということ。夢の中。夢見るならば、なんだって言える。だから彼は、夢中で―――決心した。真摯に、心を入れ替えた。
「違う。それとは別だ。誓う!」
「なんと誓う?」
「俺は、旗司誓になる。これから、―――ただひとりだけの旗司誓となる。義父さん。あなたがシザジアフを支えたように。俺は―――僕は、これから生涯をかけて、ザーニーイさんを支えることを、誓います」
「誓い」
「幾度となく破っておきながら」
―――声が、波状して問いかけてくる。
「何度目だ? 誓い。約束。契約。取引を。駆け引きし。引き換えて。何度目だ……」
振り返ろうとした。だがその頃には、波は重なり連なって膨張し、出所どころか、反響する先さえ見失っていく。もう己の立ち位置も分からない。いち? 一? 位置? 立っているのか、座っているのか……上下、左右、遠近、時すらも―――ない。ひとりぼっちなのか。ふたりきりなのか。第三者がいたところで……分かりはしない。
「苛まれ。開き直り。煩悶を終え。苦悶を済ませ。楽観し。諦観し。達観の果てに堕落を遂げ……それを何度―――繰り返した?」
「それは、」
呻く……あの時のように、そうする。のだが。
「知っているのはお前だ。答えるのもお前だ。問いは分かり切っている。すべてが思い出すまでもない。それは自慰である。それは示威である。それは児戯である。どれも疑える。信じるのか?」
「それは、」
「夢に魘されて流した涙は、絵空事に唆かされての嘘泣きと、違うと信じるのか……同じだと、疑わずにいられるのか? いたまなくなった身体が現実だとしたら、それを夢に見て苦しみもがいた心は―――真実ではないということになる。実在しないのなら……嘘ということになる。正しくないなら……間違いということになる。誤っている。過ちを……犯した」
「それは、」
「愚かなり、賢しきもの。賢しきある愚かものよ。この那由他不可思議無量大数を超ゆりて出ずる。予てより語られし破れ目を潜りて化けゆく。汝は何者か?」
「僕は―――俺は……」
「何者か。名乗れ―――混沌の最中より、なお呼びかけんと【ふ】れ泥む名を紡ぎ出すのなら。報いよ。まずはお前から。在るならば心を証明せよ」
「うあああああぁぁぁアアァ!!」
ひどくひどく渦巻いた只中で、彼は【な】いた。
悟ったのだ。契約より先に課せられていた真の命題は、これだったのだと。
―――在るならば心を証明せよ。
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