されど誰(た)が為の恋は続く

DNDD(でぃーえぬでぃーでぃー)

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結章

結章 第一部 第三節

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 単なるうでぷしの強さと暴力への耐性―――なのか多種多様な無神経や無頓着むとんちゃくといった鈍感力なのか―――を寄せ集めて商売道具にしていた旗司誓きしせい愚連隊ぐれんたいだと断じたのはジンジルデッデだったが、具体的な変革に着手したのは、実のところゼラ・イェスカザだった。彼は異国人であり、知識層であり、教養者であり、練成魔士れんせいましであり、やや高飛車たかびしゃであり、つまるところ局外者きょくがいものだった。ありとあらゆる面で、論拠の無い因習をって捨てた。戦闘面においては、戦略や戦術のような俯瞰ふかん法のみならず、個々人の技能も例外ではなかった。武器の扱い、間合いの いなしかた、たいさばき―――彼は正攻法と常道を知っていたし、なによりもそれらを無力化しせんまで利用する外法げほう邪道じゃどうに卓抜していた。じゃみちへびである。蛇など知らなかったジンジルデッデは、喜んでこれを受け入れた……そりゃ面白おもしれぇやと破顔はがんし、らんらんとした目を皿のようにまんまるくさせて喜んだ。

 彼の教育は徹底していた。もう矯正きょうせいされる余地のない老骨どもはごまへと分類されていたので表層上の取り成しに留まったが、子ども二人については真逆まぎゃくだった。ありとあらゆる教えがはぐくまれるようほどこした―――とは言え、過干渉したわけではない。どちらかと言うと、子ども同士が干渉しあうスタイルとスタンスを保全した。二人とも負けん気だけは一丁前だったし、<彼に凝立する聖杯アブフ・ヒルビリ>には子どもなど互いしか居なかったのだから、負けん気のけ口とて右にならいしたところで自然な流れだったろう。筆記試験、口頭試問、なぞなぞ、おちょくり合い、問答もんどう遊戯盤ゆうぎばん舶来遊戯盤ゲームボード喧嘩けんか、口喧嘩、拳闘けんとう試合、剣術競技、コケて丸出しのへその穴にゲギョギョヒョ虫(そう鳴いたので)を詰めておくというからめ手からの心的暗器しんてきあんき。どれもこれも、ゼラ・イェスカザは推奨しているようだった―――と言うか、ひとつひとつの行いを、つぶさに熟視じゅくししていた。どの能力がどの段階の習熟度に達したがゆえ成されたアクションであるのかを評価し、次に与えるべきリアクションを査定していた。

「子どもの浅知恵ながら、携帯ナイフから出刃でば包丁に持ち替えたのは及第点ですね。携帯ナイフは戦闘用でないこしらえをしているのでつばが無い上、つかから刃までストレートだ―――柄まで血が流れた途端、てのひらを滑らせて自刃してしまう。柄より刃のはばが広い出刃包丁ならば、最低限それは防げる。すりこぎに防御の手を使わせて、そのすきに突き込もうと考えたのでしょう。片手のみの膂力りょりょくでは切創しか与えられないだろうから、手数を増やすつもりで、連撃れんげきからの出血に備えた。一寸いっすんの虫でも五分ごぶたましいなりに、一寸ずりながら進歩を見せている」

 十年以上前、タマネギの皮をいていた際に養子から襲撃を受けた後日でさえ、けちょんけちょんにした当人を看病しながら、かたれりである。当時は病舎など無かったので、返りちにするたび彼は子ども二人の相部屋へ足を運んでいたのだが、その都度つどなんなりと言い残していった。まあどの時に語ってくれた言葉であれ、幼馴染おさななじみ本人の記憶には残っていなかろう。古傷ふるきずとトラウマ以外は。

 ともあれ。幼い頃、疑問に思ったことがある。魔神まじんを得た練成魔士れんせいましには魔術まじゅつがある。途方とほうもない力を、とうに手中にしている。それなのに、どうして学習を積み重ね、練磨れんまし、鍛錬たんれんし、研鑽けんさんげ―――要は、途方もない力をえてどこまでも支配下に置く必要があるのか? と。

「支配者だからですよ」

 ゼラ・イェスカザは、続けた。

「だからこそ、支配者であることの権利と義務に常に自覚的でなければならない。自制と制御こそ、生き残る根幹だからです」

 さらりと口にされた生死に現実味がかず、よく分からないといったような口ごたえをした気がする。次に彼は、やや切り口を変えてきた。

「色々ありますが……君の言う通り、練成魔士れんせいましにとっての力とは、魔術です。対象を吹き飛ばし、焼き尽くし、その理不尽を受け入れさせる支配力。裏を返せば、コントロールを失えば暴発し、バックファイアをこうむれば死に至らしめる、底抜そこぬけに阿呆あほう馬鹿力ばかぢからです。ですから練成魔士を滅ぼすには、コントロールを失わせて暴発させるのが一番手っ取り早い。敵は、原始的に石を投げたり、知的に人質を取ったり、効率的に心を折るひと言を浴びせたりしてくるわけですね」

 卑怯臭ひきょうくさいなあとまゆをハの字にしたものの、命がかかっているのならば卑怯にも間抜けにもなるだろうと、すぐに考えを改めたように思う。確かジンジルデッデから、ぱだかになってすきを作ることで逃げおおせた女の話を聞いたばかりだった。

「ですから我々は、石を投げられること、人質を取られること、心を折るひと言を浴びせられること……ありとあらゆるTPOを網羅もうらし、予見し、支配し返しておかねばならないのです。在野で奇術師のように振る舞って小金をかせぐだけの三流は別として―――練成魔士れんせいましらしい教育を受ける学生において、若年ほど魔術に関連した事故死率が高いのは、冗談でも冗句でもありません。未熟であるがゆえに、生まれついての支配者たる見境みさかいを失くした……だからこそ命運からも裏切られた、人生からの落伍者らくごしゃです。馬鹿ばかなりに馬鹿を見ただけとも言えます」

 それを聞きながら考えていたのは、命の為に卑怯にも間抜けにもなれる女がいる一方で、世の中には卑怯にも間抜けにもなれず命を投げ出す男もいるという不思議についてだった。英雄とかいう奴だ。どちらがおろかなのだろう……正直者だから馬鹿を見たのはどちらだ? どちらも同じくらい疑わしい。ふたりを引き合わせたらお互いを指さすに違いなかろうが、自分はどちらかでも信じることが出来るだろうか? 賢く―――己の判断を心から信じ、相手にゆだねることが出来るだろうか?

「支配者であることの権利とは、もちろん支配権を掌握しょうあくしていること。そしてその義務とは、掌握しているなりに、まっとうに支配すること。支配できてしまう力の誘惑を拒絶きょぜつせず、支配したいという心を受け入れ、かつどちらからも支配されないこと。すべてがそろってこそ、支配者は致命傷を回避できるのですよ。こら、ぽかんと聞いてる場面ですか? 例外なく君も支配者だと言うのに―――」

 ぽかんと聞いていた。それは確かなことだったけれど。

 がれたせりふに、もっとぽかんとしたせいで、女と男のことなど心にも思わなくなった―――今の、今までは。

のどかわいたからと言って、泥水どろみずをがぶ飲みすれば、おなかを壊すでしょう? そのことを理解し、清水しみずをコップ一杯分ゆっくり胃に入れるように振る舞いをとどめておけるようになったなら……君もまた支配者として、螺旋らせんを行く一歩目を踏み出したことに違いないのですから」

 それだけ?

 それだけだ。一歩目なのだから、コップの水程度だっただけだ。それだけだったからこそ、……二歩三歩と知らず知らず進み続けて、ここまで来てしまった今の今になって、思うことはある。女と男について。

 結局は、どちらも支配者だっただけなのだ。女は命の為に心を殺し、男は心のままに命を捨てた。生きた女は口さがない与太よた話の主役となり、死んだ男は歴史の端役はやくとなった。どちらも言葉となり、人々が心ゆくまで語りがれる存在へと昇華しょうかした。まったく逆なのに、同質にして、同一の存在となった。

 ザーニーイもそうだった。吟遊詩人ぎんゆうしじんうたわれた。の者旗司誓きしせい、すなわち霹靂へきれき雷髪燐眼らいはつりんがん稲妻いなずまあと心技体しんぎたい旗司きしどうに捧げるのみならず、戒域綱領かいいきこうりょうを完成させることにより悔踏区域外輪かいとうくいきがいりん黎明れいめいを授けた―――これぞ正真正銘しょうしんしょうめい青天せいてん霹靂へきれき

 青天など知らない―――うたい名を聞かされた当時は、そのことが多少になった。曇天どんてん霹靂へきれきであれば知っている……雨雲あまぐもの腹に編み込まれた紫電しでんの針金が、大気の空隙くうげきから大地を残酷ざんこくなまでに打擲ちょうちゃくする風景は知っていた。だからこそ、疑問に思うことはある―――あの雲を失くすなら、稲妻も失われるのではないか? 母体なくして産まれ落ちるなど、超人ちょうじんであるアークレンスタルジャット・アーギルシャイアでさえ不可能だったではないか。それとも、これまでも、同質にして同一にして正逆せいぎゃくなのだろうか? 楽園を失い、蒼穹そうきゅうを失い、鳥を失い、超人ちょうじんを失い―――曇天を得て、凡庸ぼんよう人を得て、現世げんせを得たように。すげ替わりゆく混沌こんとんなのだろうか。

 まあ、なんであれ他人ひと様の口の中でまぜこぜにみ砕かれて好き勝手に吐き出されることには変わらねえわな、と当時は受け流した。ろうが無かろうが同じだ。大差などない。ただし―――

 ったことを知っている、失くしてしまった今となっては、そう思えなくなってしまった。

 あったことを知っている なければよかったと こいねがってしまうまでに。

「ねえ。なんて呼びかけたらいいんでしょうね? ……本当に。ねえ?」

 声は聞こえていた。声変わりを終えた少女の声。おのれのそれを押し殺し続けて十年近くになる。そんなことさえ忘れていた。

 声の主も知っている。キルル・ア・ルーゼ。後継こうけい第二階梯かいてい。生涯うことは無かろうと信じて疑ってもいなかった異母いぼまい。逢っただけでは済まされなかった。今ではそのことも知っている。

 わなければよかったのだ。こんなことになるくらいなら。

「八年前の戦争のどさくさに焼かれたものか、後継第一階梯がクア・ガロ・ジェジャルの元にいた経緯けいいは不明。それをぎつけ奪還だっかんするまでの暗躍あんやく過酷かこくを極め、この【血肉の義】に忠ずるかたちで、霹靂へきれきは死亡した。こんなひょっとしたら・・・・・・・あるかもレベルの・・・・・・・・きわどい告白を、居合わせただけの室内係にぽろぽろと話し終えた直後、あっさりと姿を消してくれた―――ゼラ・イェスカザ。そう名乗ったあの人のことを、あなたは……知ってる? こんな奇跡きせき人造じんぞうしておいて、かげもかたちも失くした―――失われたゼラの、持ち主を。その正体を。知っているの?」

 知っていた―――それを、疑うことすらなく信じていた。今ではそれも愚かしく思える。

 ゼラ・イェスカザ。フラゾアインの落胤らくいん―――異国人。知識層。教養者。練成魔士れんせいまし。やや高飛車たかびしゃ。父の旧知からの友であり、だからこそ局外者きょくがいものではなかったと……父の相棒だったと、そう思う。シゾー・イェスカザを連れてきてからは、父と同じく、養父となった。自分の父とは違うタイプの父親で、子ども心をなつかせるどころか敵愾心てきがいしんばかり年がら年中ついやされているていたらくだったので、本物の反抗期のばなに家出されたさい自分的には納得が先行したものの、本人としては不満たらたらだった模様である。三年前、後頭部を割られるという命からがらであっても生き延びてくれて、ただただ ありがたかった……最後の父親まで死なせてしまうところだった。弟分おとうとぶんが反抗期をこちらにまで向け出してきた時も、彼という存在の不動さに、すくわれた。盤石ばんじゃくの日々を……ザーニーイとしてつちかってきた今までのすべてを、シヴツェイアなどという糞女郎くそめろうに壊されてなるものか―――あんな けんつくは、へなちょこの当てつけ以外のなにものでもない。それをゼラ・イェスカザといういわおが保証していた。養父がいるのだ。だから、養子とてそのままだ―――シゾー・イェスカザはいきがることを覚えただけの小僧で、小僧らしく背伸び歩きしたがる半人前だ。赤い研磨石けんませきだって、使いこなしていたのは自分の方だった。ごちゃごちゃとノイズを混ざらせるのは、いつだってあちらからだった。

 どうして前触れもなく、通信に使う石のことを思い出したのだろう? ……

 ふと、目蓋まぶたまばたきを覚えて、目の焦点を取り戻す―――部屋のすみの床でひざかかえてうつむいていた、その目の前に差し出されたキルルの手に、トランプたばじみた赤色の石片が乗せられていた。

 これで話していた頃を知っている。これで話す前から……馴染なじんできた幼い頃から、あの義親子おやこについては、ずっと知っている。

 逢わなければよかったのだ。ゼラ・イェスカザにも―――シゾー・イェスカザにも。こんなことになるくらいなら。

「これをくれたのは、ゼラさんだって言っていたわよね。持っている者同士の心が通じたなら会話が出来るって。あなたの持ち物の中でも特別そうだったから、破棄はきしていいものかどうかって相談されて―――今は、あたしが預かってるけど」

 すっと、手が下げられた。

 暗くしてもらった、部屋の中。それでも忍び込んできていた陽光を受けて白く目立っていた少女の細腕が視界から消え、声音も途切れ―――世界が平穏に閉ざされる。たったの十秒程度だったが……その十秒で、キルルは躊躇ちゅうちょを振り切ったとも言える。

 打ち明けてくる。そっと、後ろ暗そうに……ただし、しっかりと。取り返しのつかないやぶれ目を開くことを、かねてから知り得ていたように。

「聞いて。お父様が―――ア族ルーゼ家ヴェリザハー陛下が、亡くなったわ。言い方は悪いけれど、これは予測がついていたことなの。予測がついていなかったのは……あなたのことは、言うまでもないけれど。もうひとつ。あれから、イヅェンの様子がおかしくなって―――今は、あたしが政務を代行してる。妙な話よね。本来なら、全部が全部あたしの役目だったのに。やっぱり、お着せにされてる気分が抜けないの」

 語尾で、ふっと忍び笑いをらして―――キルルは、続けた。

「でもその感覚こそ、正しいように、今では思えてしまうのよ―――あたしの全部は、いずれ後継第一階梯にゆずる役目だと」

 沈黙。

 こちらが、返事どころか身動きさえ微動だにしないとしても。呼びかけは続けられていた。

「ねえ。あなたはそれでいいの? このまま、後継第一階梯になり―――王になる。それで……いいの?」

 いいのか―――?

 良い? 悪い? 良くない? 悪くない?

 ―――そういう次元の話ではない。ゼラの言葉を思い出した今では、そのことも知っていた。

 呆然とつぶやく。心の中で。

(王? 俺が)

 唖然あぜんと、独りごちる。心から。

(……支配するのか? 支配者として。俺が。俺をえて)

 ―――こころにもない。

(こころにもない……そんなこと。ああそうだ、似たようなことはしていたさ―――頭領は、やってた。でも、それは成り行きだ。旗司誓きしせいにいたから、旗司誓をし続けての……成り行きだ。なりたかったわけじゃないし、なろうと考えたこともなかった。ザーニーイだから……<彼に凝立する聖杯アブフ・ヒルビリ>で、ずっと―――そうしてきただけだ。みんなと。ラズじいと……デデじいも、いた頃から)

 デデ爺―――ジンジルデッデ。イェンラズハと同じかそれ以上に、祖父のようにしたっていた。それを裏切られた日を思い出す。ジンジルデッデが出征する前。十五歳だった自分。

 自分だけ邪魔臭じゃまくさい脂肪のかたまりを胸倉にくっつけているせいで縛り上げるたびにむしゃくしゃし、そんな苦労も気苦労も知りやしない のほほんづらを今日も今日とて粉砕ふんさいすべく、幼馴染おさななじみのっくき鳩尾みぞおちり上げたあと。

 要塞ようさい廊下ろうかを歩いていて、ふと靴紐くつひもゆるんでいる気がした。だから、締め直そうとして、かがんだ。たったのそれだけ。

 それだけで―――肛門こうもんでも尿道にょうどうでもない未知の隙間すきまから、大便とも小便ともつかないもの・・いずり出た。

 最初はわけが分からなかった。適当な空き部屋に隠れて、下穿したばきの中をのぞき込んだ途端、悲鳴すら失くした。どす黒くねばくさしるに混乱し、手拭てぬぐいで一所懸命にき取った。拭いたのに取れない。染みついた。そうこうしているうちに、またしてもそれが伝い落ちてくる。ゆるしてくれと懇願する思いで、手拭いを折って下穿きに当てがい、ズボンまで元通りにしてジンジルデッデをさがした……現実味なくジンジルデッデから教わっていた億千万の教えが、現実に化けることもあるのは知っていた―――けれども、自分までそうだ・・・・・・・なんて知らずにいた。己の中から現出げんしゅつした化け物の うそざむさに、つま先から毛先まで総毛立って、ただひたすらに逃げ惑った。たすけてくれと―――それを、のぞんだ。

 それを、ゆるされないと悟ったのは、言葉を聞かされるより先だった。わらったのだ―――対面し、事情を理解したジンジルデッデは……優しく温かく、微笑ほほえみすらしながら、ありのままを迎え入れた。そして、このように言祝ことほいで……だからこそののろいを、のこした。

 ―――お誕生日おめでとう、シヴツェイア。ジンジルデッデになる前から待っていたよ。孫娘まごむすめ

(デデ爺は……そう言った。ガキの時分から、仕事を上手うまくこなせた時だって、弓を上手くけるようになった時だって、おめでとうと言ってくれた。またひとつ大きくなれたと―――出来ることが増えた、またひとつ可能性を開いたと。だから、これでシヴツェイアにもなれると……ザーニーイに言ってくれたんだ。自分からは失われてしまった―――女として生きる道も開けたんだと)

 こうしてザーニーイは裏切られた。今までザーニーイとして過ごしてきた人生すべてを、シヴィツェイアにゆずられた。しかもそれは、最愛の祖父によって歓迎されている。絶望するしかなかった―――変わり果てた、今となっては。今?

 今にして、ふと思う―――

(―――俺は、旗司誓きしせいになりたかったのかな?)

 旗司誓<彼に凝立する聖杯アブフ・ヒルビリ>。単に自分は、そこにいただけではないのか? そこにいて……死なずにいたから、大きくなっただけなのではないか?

(俺は、どんな大人になりたかったんだろう?)

 疑問に思う。思い出せるような、子どもの頃の夢も無い……

(違うなあ。きっと俺は、なんにもなりたくなかったんだ。大人になんかなりたくなかったし、だから女にだってなりたくなかったし、どうしたって旗司誓でいたかったんだ。じいちゃんたちがいなくなっても、とうさんがいなくなっても、俺だけになっても―――俺、だけ?)

 だけ。では、なかった。どの日々も、そうではなかった―――

(―――そうか。シゾー。お前、このことを知ってたんだな)

 脈絡みゃくらくなく、悟ってしまう。

(わざわざ筺底きょうていから帰ってきて、いっしょに居残りしてくれていたのか。ひとりで行ってりゃ世話ないものを、三年前までは実際そうだったのに、ついてきてくれていたのか。このままでいいのか……俺が、心を決めて、こたえるまで―――泣き虫のくせに、べそかかされるって分かり切ってても、ついてきてくれていたんだな)

 今まで通りザーニーイの隣に立ちながら、これからはシヴツェイアであってくれても構わないと―――彼なりに、相棒であろうとしていた。

(ごめんな。気付くどころか、こうやって謝ることさえ遅すぎた俺だから、もう―――こうまで、ぐうのも無いんだ)

 ゆっくりと、髪が揺れる程度に、かぶりを振って。

 それが、羽がふわつく動作だったことに気付いた頃には、遅かった。キルルが、ぎくりとした足取りで、目の前から数歩下がる。なんとはなしに、その動揺した脚線きゃくせんを目で追うと―――遠く、少女の向こうに、出入り口が開いていた。部屋から……外への、隙間すきま。開けることが出来る、ただそれだけのドア。

(出て……行ける)

 思う。のだが、

(行って、どうなる)

 思い知る。こうなっては―――そうするしかないではないか?

(どこに行こうってんだよ?)

 身も蓋もないことに。行きたいところも、見たい風景も、自分には無い。

 そこへ連れていくと抜かしてくれたシゾーさえ―――血も涙もないことに、姿かたちすら失くしたのだ。

 そう。失われたのだ。すべて。楽園のように。

 シヴツェイアと、同質にして、同一であり―――正逆せいぎゃくだった、ザーニーイという存在は、失われてしまった。

「もう。いい」

 ここでいい。

 死んだのなら、どこであれ冥府めいふだ。

「もう。疲れた」

 
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