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結章

結章 第一部 第二節

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 長い長い長い長い長いだけの益体やくたいもない長話ながばなしを乗り切れたのは、おそらくは自分が第五部隊だからだろうと、イコ・エルンクーは結論づけた。つまりは、気質である。愛想あいそう良くするうま味を知っており、かつそれに親しむのが苦ではない、そういった性格。

 と言うのに、当の隊長の顔は浮かないものだった。ゾラージャ部隊長第五席主席。薄茶色の短髪のしげみを派手に切り裂く傷痕しょうこんは、旗司誓きしせい彼に凝立する聖杯アブフ・ヒルビリ>のいかめしい正門前への供物くもつとしてはまずまずの凄惨せいさんさだったが、その顔つきと言えば作り笑いに疲れ切っているので結構しょぼい。小さく遠のいていくキャラバンに手を振る仕草もしょぼければ、振り終えてからはなおしょぼく、ついでにき車にテンコ盛りにされた生活物品(ほぼ食料品)を見てそこにつながれた馬(二頭)まで目を返してからは極まってしょぼい。

 結局しょぼいまま、横にいたイコにしょぼしょぼの瞳を向けてきた。こちらの方が背丈せたけがあるため、やや下から。

「あー」

「どーしたんすか? 隊長」

 そうたずねたイコと言えば、さっさと騎獣の手綱たづなを引いて、敷地内へときびすを返していたのだが。

 歩くテンポに合わせて ぱったぱったと背中を叩く、ひとまとめにされた彼の長髪。そのななめ後ろに とぼとぼと付いてきながら、ゾラージャがうめく。

「あれだな。きてきたな。もう俺。駐屯ちゅうとん仕事」

「そっすか」

 第一厩舎きゅうしゃ―――第二厩舎きゅうしゃが馬用だ―――から、イコらがグラウンドに入ってくるのを見計らっていたアレルケン他数名が、正門に歩いていくのが見えた。そちらへ向けて、こぶしから立てた二本指でこめかみをこする簡易敬礼を投げてから、会話を取り戻す。

「まあ、騎獣きじゅうらへんのこと以外は、メンテナンス係たち……第二部隊の使いっ走りばっかですもんねえ。荷運びに調達、外部とのやり取りなんかのエトセトラ。休暇に当てたところでいいくらい」

「いつもと違ってゴタゴタしてっとこに、いつもみてーに招き入れるわけにもいかねーから、可能な限りはこーんなピストン作業するっつーのも分かんだけどよーう。俺ぁあんまし商隊連中との世間話にゃ興味ねーんだよ。特に農村談話」

 そこでちょっぴり間が空いたのは、山から転がり落ちたイモか何かをキャッチしたからだろう。よっ・とか、はっ・とか、なんだかそんなシチュエーションでよくある合言葉が後ろから聞こえてきた。イコが立ち止まれば馬も止まってしまうため、これ以上の雪崩なだれを起こさないためにもゾラージャがそうするしかないのだが。

 まあ、それも終われば終わったなりに、何もなかったかのように、げんなりとした落胆らくたんまでも原状回復された。日常なんてそんなものである。

「当人の孫が生まれるとか結婚するとかは、そいつ自身も割と有頂天うちょうてんだから、どう おべっか使われたってって聞いちゃいねえんだろーけどよー。誰それのくっ付いた別れたなんざ外野にピーチクパーチクされたって、オッサンときめきもしねーよー」

「農村談義って。見張りも兼ねてローテーション組んで隊内で役割回してるんですから、そんな頻回に当たるもんでもないでしょ。それに、まだ世間話で収まってるだけってのはありがたいっすよ。そのうち嫌でも俺らに関わる醜聞やら風聞やら、ひっきりなしに荒れ狂ってくれると思いますし。<彼に凝立する聖杯アブフ・ヒルビリ>がしでかしたこと忘れてないっしょ? 隊長」

「えー? 忘れてもいい?」

「思い出すまで枕元に立たれるだけじゃないっすかねえ」

「誰に?」

霹靂へきれきに」

「だっから、どっこまで本当なんだそれ?」

「副頭領が腸ただもれさせた挙句あげくこのままオダブツになったら、真相はネバーエンディングにやぶの中でしょうけど」

「やめてくれよー。せつでっちあげた張本人としてタダでさえ目覚め悪いのに、寝入りばなまで邪魔されたかねーよー。しかも霊魂。副頭領おっ死んだらダブルでウラメシヤがコンバンハすんじゃねーの? マジ勘弁」

「しかも下手人げしゅにんがエニイージーとか。ぷっ」

「あっ。笑ったなお前。人の不幸はみつの味か? 上司おちょくって楽しいか?」

「この上なく」

「楽しいのかっ!?」

 言われるまでも無いので、返事は肩をすくめるに代えたが。

 とりあえず義理はあるので、ひとつくらいは断っておく。

「―――にしても。副頭領も、どこまで当事者なんですかねえ。裏切り者としては」

「どこまで?」

「なんちゅーか。仲間内から刺される人ってのは、大抵は裏切り者に使い捨てにされた蜥蜴とかげ尻尾しっぽってのがオーソドックスな気ぃしません?」

「うーん」

「ま、ともかく。急に敷地内に立ち入らせなくなった時点で、キャラバン連中にゃ噂話の種はいちゃってますからね。だからその内容が、きがくるくらい穏当なうちは、仕事しときましょーよ―――だって、」

 つと、一拍。

 その間に行先を指さし、そこに繰り広げられている風景をながめて、イコはこれも道理ながらの解説をした。

「あれ見る限り―――なぁんかこれからの流れによっちゃ、第一部隊のたてか、その他部隊のほこにされるかも分かんない風じゃないっすか? 俺ら」

「うえ。マジかよ」

「平和なうちに堪能たんのうしときましょーや。平和も料理も青春も、しゅんを味わうって一番っすよ。そうし損ねた奴が、後になってこじらせておちょくるもんだから、無様ぶざまだし下品だし へったくれもあるかって思えちまうよーになっちゃうんですよ。こーいうのって」

「なんの話だ?」

中二病ちゅうにびょうって知ってます?」

「知らん」

「実は俺も」

「知らんのかい!」

 ともあれ。食糧庫やら厨房やら連なった、調理用の個建こだて

 どうしてこうなったものか、大勢の―――三十余名はいるだろうかと思われる旗司誓が、ごったがえしながらわめき合っていた。

 とはいえ、めいめいで喚き声の内容は異なっている。しゃべる内容が聞き分けられる範囲外から、イコは殊更ことさらに歩調を落とした。これは単純に、馬に刺激慣れさせるためだったが、事態の吟味ぎんみにも役に立った。

 まずは、青色ひとりに食って掛かられている小豆あずき色ひとり。老け顔ながら実は若い部隊長第三席主席ギィ(実は二十歳はたち前)、ならびに、実年齢なりに老成ろうせいした感を着慣れた振りをしている時点で性根しょうね幼稚ようちであることを露呈ろていしている部隊長第一席次席フィアビルーオ(実は三十路みそじ越え)―――兄なのか弟なのか、ぱっと見では判断がつかないにせよ、どちらにせよ次席。このふたりが、旗司誓中で最も目立っていた。まあ第一部隊は<彼に凝立する聖杯アブフ・ヒルビリ>の内政治安や統制を執行することを主な任務としているため、イコらのように悔踏区域外輪かいとうくいきがいりん遭難そうなんすることに備える必要も基本的に無いので衣服も原色をしておらず、薄紫うすむらさきの生地に濃い小豆あずき色の刺繍ししゅう―――双頭三肢そうとうさんし青鴉あおからす紋章もんしょう―――を入れた大ぶりのネッカチーフを私服の肩口に巻くだけといったカウボーイじみた扮装ふんそうをしているから、嫌でも目立つ。実際に気取り屋も多いし、<彼に凝立する聖杯アブフ・ヒルビリ>内で隊員数が最小であるくせして特権的だという意味でも悪目立ちするが、まあこれについても彼らのせいではあるまい。

「オイ、なんで副頭領までおりに入れやがった! とっとと開けて横っ腹の治療しやがれ! 待ってる旗は、刺しやがったエニイージーのやつだけだろ!?」

「だけかどうか、どうして分かる? 情報も錯綜さくそうしてる今は、とにかく目が覚めて自供するまで閉じ込めておくしかない。医者もいない以上、治療の目途めども立たない。医術屋ですら探しに行けるものか……お前らが黙って鎮座ちんざましましとしてくれていたなら、その余力も回せたろうがな」

「はっ、黙ってられっかい! 第一部隊が、ゼラ主席がいなくなったってのに、ぶいぶいと昔の七光りを着やがってからに! 霹靂へきれきザーニーイもいなくなった今、ここにいるのはシゾー・イェスカザ―――筺底きょうていのツァッシゾーギだ。ゆくゆくの頭領を相手に、いい気になってんじゃねえぞ」

「その啖呵たんか、そのまま返してやる。腰巾着こしぎんちゃくがここまで勝手に威勢いせい良くしていられるのも、わたしたちが保っている秩序ちつじょの中であるからこそと思いたまえ。無法地帯となった途端、真っ先に寝首をかれても知らんぞ……」

 まあ色々とご多聞たぶんれずと言うか、風紀委員とツッパリのいさかいなど、イコが在籍していた都街とがいのスクールでもありふれていた団栗どんぐり背比せいくらべなので、特筆にあたいしない。イェスカザ家の義親子おやこ喧嘩げんかを肩代わりしての代打戦とも言えるだろうが、つまらない勝負に命懸いのちがけになるのは勝利した自己じこ満足まんぞくの味を味わいたい当事者だけだ。イコは当事者ではない。なので、次。

 黄色。第四部隊。隊長の姿は見当たらない。かなり青色も混ざっているが、とにかく大半を占める、その集団。ぞろぞろと、調理棟に向けて文句を吐いている。

「なあ。おい。はよー」

「このまま昼にさせる気か? さっさとるもん寄越してくれよ。これから俺たち、いつも通りに旗司誓せにゃならんのだから」

「おいメシ! なんでもいいからくれ。ちんたらすんなや」

 なにやら遅れが出ているようである。珍しいが、まあ番狂わせに番狂わせが重なっているのだから、このなかで狂いが出ていない者こそ真実の発狂者なのかもしれない。

(ってえことは、いつもながらチャランポランに考えていられる俺がおかしいのかねえ?)

 疑いはするものの。ぞっとしないので、信じないことにする。

 そんな程度の切り札を切って、イコは含み笑いをらした。切り札を切るだと? これっぽっちのことが、運命の落とし穴かも知れないと……そう疑えてしまうことそれ自体は大したことではないし、落とし穴についても大袈裟おおげさに考えることではない。ただし、穴は穴だ。落ちた奴も知っている。巻きえを食らった者も見てきた。と言うか、自分がそのどれでもないとも言い切れない。どれであってもおかしくない。自覚はないが、ごろごろ転がって落下している最中だとしたら上下左右など判断がつくものでもないし―――正気しょうきなど、それこそ渦中かちゅうでは、のぞむべくもない。自分が旗司誓であること、それも正直こころのどころとしては頼りない。旗を振り回しながら口上こうじょうを叫びつつ抜剣するなど、街中で見かけたなら、気狂きちがい者の典型図ではないか……

(まあ、こんなのは結局、疑い過ぎないようにする自分の心掛けと―――お前なんだから大丈夫だって心から信じてくれる誰かが横にいるかってだけの話なんだろうけどな)

 再度、前方を見やる。

 騒ぎが騒ぎなので、今ってしても、誰ひとりこちらの接近には気付いていないようだった。それでも、二頭立てにした山積さんせきもりもりの荷車である。そろそろ嫌でも気づくだろう……そう踏んでいたのだが。それは、たった三秒で終わってしまった。

 ざむっ―――

 三秒経って、調理棟からまず聞こえたのは、そんな音だった。大男おおおとこ辻斬つじぎりにしたかのような。

 離れているイコらよりも、調理棟まわりにいた者たちの方が抱いた感想の方が切実だったらしく、水を打ったように旗司誓全員で静まり返る。イコが取っ組み合いまであと五秒と見込んで内心カウントダウンしていたギィとフィアビルーオですら、お互いの胸倉むなぐらつかみ上げた状態で硬直した。予想が的中したら懸賞品として念願の舶来書はくらいしょを買うために財布さいふひもゆるめてもいいかなと思いかけていたのだが。無念。

 音がしたのは、個建の出入り口だった。その、ドアがない内側から……ぬうっと、ひとりの男が姿を現す。固太かたぶとりした四十しじゅうがらみの、どこにでもいそうな、特にどうというところのない男である―――身障者しんしょうしゃであることも含めて。ただし、一刀両断した生肉なまにくかたまり―――さっきのはあれをチョップした音か―――を片手に逆さづりにして、もう片手には白鞘しらさやから抜き身にした片刃の長剣をかかげている。

(いや、剣じゃねーわ。図鑑で見たことある。あれ)

 騎獣きじゅう牛馬ぎゅうばのような大型獣を死骸しがいから食肉に仕立て上げる際に用いる、特殊な包丁だ。かたなと言ったか。

 男の動作がゆっくりなのは、足が不自由であるためだ……と普段なら納得もしただろうが、その眼光と顔つきを見れば持論も変わらざるを得ない。決意だ。それを示した上での、すごんだ気迫と威迫いはく

 第二部隊……その中でも、調理係と呼ばれる旗司誓。部隊長第二席主席ジェイゾロトフ。彼が、じっとりと―――宣言した。

「決めた。決行だ」

「…………ええと。なにをでしょうか?」

 危機感に素直にへりくだった誰かが、き返す。

 それにジェイゾロトフは、返答した。

「容疑はある。副頭領を、おりから解放しろとは言わん。ただし、俺たちに扱わせろ。ついでにエニイージーもだ。それと、……我々全員を、引き換えだ」

 返答? いな

 やはりそれは、宣言だった。かたなの切っ先を、しゃっとこちらへと振りかざし、旗幟きし闡明せんめいちかいを立てる。

「俺たち第二部隊は、たった今からこの調理棟および食糧庫に立てこもり、全員で全業務を放棄ほうきする」

 瞬間。

 その瞬間を、待っていたのだろう。食糧庫の向こう、屠殺とさつ場の側に隠れていたのか―――どこからともなく、ぞろぞろと第二部隊の隊員がいて出てきた。

 よく見れば調理棟の奥にも、そこ光りする双眸そうぼうが無数に詰め込まれている。全員が全員よく似た鬼気ききで腹の底を煮上げながら、無音で調理棟の壁沿いに数を増やしていく。まず間違いなく第二部隊の総隊員だ。多勢に無勢とか言う以前に、問答無用の気配に気圧けおされ、その他大勢の旗司誓たちは成すすべなくグラウンド方面へと後退した。実際腰が引けていたのだから、そうなると速い。あっという間に、調理棟もろとも周囲が占拠されてしまう。

 その包囲中も、ジェイゾロトフ部隊長第二席主席による、いんこもるような喝破かっぱは続けられていた。白刃はくじんの切っ先もまた、彼が―――彼らが見定めた戦端せんたんからくつがえられはしない。

「例外はない。料理・洗濯・掃除等々とうとうの家事のみならず、経理・会計・事務はおろか、武器・物品の手入れや修理・下処理も―――徹頭徹尾てっとうてつび、放棄する。お前らが引き換えを承諾しょうだくするまで継続だ。近づくなら追い返す。言っておくがな、<彼に凝立する聖杯アブフ・ヒルビリ>のどの部隊より古参こさんそろみした眼力と、一丸いちがんとなるべくしてなった人数―――その心意気をめるなよ。ついでに、日に三度欠かさずました包丁の切れ味は、その腰にぶら下がってる古剣ふるやっとうどもの比になると思いなさるな……手元から落っことしただけで、軽く足の指二本はいただける代物しろものだ」

 実際そうだろうと、イコは彼の持つ生肉の断面を観察した。まったく潰れていない。先程の音からして、相当な勢いでまな板までアタックしたのだろうと思えていたのだが、その圧を生かし切る鋭さとなると そらおそろしくなる。切れすぎるメスのようなものだ……同業者なら手に負えるなどと調子に乗らない方がいい。同業者だからこそ明白となる腕前の優劣は、厳然と存在する。

 そして、そのつややかな桃色から目を上げる頃には、更に目を見開くような光景が展開していた。思わず感嘆かんたんしてしまう。

「わーお。図鑑見たことあってよかった俺。トンデモ刃物万博ばんぱくじゃーん」

 背後に回していた手を前に持ってきただけだとしても。並み居る第二部隊の面々めんめんの、全員に全員が、ずらりと―――それ・・らを携えていた。片手に。両手に。

 牛刀ぎゅうとうなたおの。背引きのこけんばさみかま。鎌型包丁。柳葉やなぎば包丁。骨スキ包丁。筋引すじひき包丁。出刃でば包丁。小出刃こでば包丁。身おろ出刃でば包丁。黒出刃くろでば包丁。相出刃あいでば包丁。波刃包丁。菜切なきり包丁。薄刃うすは包丁。魚引うおびき包丁。腸裂ちょうざき包丁。むき包丁。肩落とし包丁。頭落とし包丁。

 金物かなものに限っての博覧会ではない。さすまた。もり。重さ以上に硬度がありそうな棍棒こんぼうもある―――使い手の右手に連れられて、木の実だろうが雄牛おうし頭蓋骨ずがいこつだろうが粉砕ふんさいしてきた積年を背中に語るたたずまいで静かに沈黙しているが、その雄叫おたけびを向けられる側には出来ればなりたくない。お隣さんへと目を移せば、なにやら巨大な千枚通せんまいどおしのようなものまであった……目玉だろうが腎臓だろうが えぐり出せそうな、えぐい存在感の発散がどきつい。

 本気で物騒なことに使おうというつもりでなく、威嚇いかく恐嚇きょうかくのため手当たり次第に持ち出したといったていだが、かなりのバリエーションかつ頭数あたまかずである。食事でシチューが出てきた時は驚いたものだが、ここまでラインナップが揃っていたのなら、そのうち並大抵の小料理屋こりょうりやえる品書きまで実現してくれる日が到来したとておかしくはなかろう。人間なのだから。

(トップのジェイゾロトフの旦那だんなが、調理係だったから出来た芸当だろうけどな。誰が上に立つかで、隊費がどこに入れ込むかも変わる)

 固定色がないのは第一部隊も第二部隊も同じだが、後者はそれを上回って特殊な点がある。いわゆる隊長補佐役……次席じせきがおらず、その代わりに事務係や清掃係などのグループ別に取締とりしまり役がいるということであり、これは言ってみれば副座ふくざと呼ばれる役割を強化した扱いになる。それでも頂点を取りまとめる者は必要とされるもので、現在その任にくのがこのジェイゾロトフだった―――最も年嵩としかさである、ただそれだけの単純明快な理由で。<彼に凝立する聖杯アブフ・ヒルビリ>において見極みきわ一羽ひとはまで実施して部隊の再編制が試みられた際、経験年数が最も長かったイコ自身が隊長にされそうになった時に、この部隊長第二席主席の例を上げに上げて平役ひらやくにとどまらせてもらった手前、そこら辺の事情は忘れていない。

 ともあれその頃には、その他大勢の旗司誓から、阿鼻叫喚あびきょうかん付和雷同ふわらいどうは始まっていた。

「おい。なに言ってんだ! そんなことされたらひとたまりもねえ!」

「食糧庫を押さえられたら、備蓄びちくなんか一日分も……」

「井戸だって、そこに開けたやつがメインじゃねえかよ! 悔踏区域外輪かいとうくいきがいりんで水も飲めねえんじゃ、いいとこ一日で日干しだぜ!」

煮炊にたきだって、しようにも、火種なんて―――遠征用の持ち分だけだぞ。俺たちじゃせいぜい麦をる程度で、お前らみてえに支度できねえよ」

「ちょいとちょいと。待たされてた俺の投剣とうけんは? あぶら引いて、直してくれたんだろ。バランス取れてんの、あれっきゃ残って無えんだぞ」

「もう洗い替えの下穿したばきねえんだ。それだけでも融通してくれ!」

「俺の給料は!? 監査してんのは第一部隊だけど、そこまで仕立てて算盤そろばんはじいてんの、お前らじゃねえかよ! 小作人こさくにんしてる親から、種もみ買えねえって泣きつかれてんだ! 畑が遅れちまう! 殺す気か!?」

「ははは!」

 その時だった。数々の泣き言を、笑い声がつんざく。

 ギィだ。いつの間にやらちゃっかりと調理棟の側に加わって、出入り口の前あたりにしゃがみながら、わざとらしく片手をひさしにこちらを睥睨へいげいして、けたけたと腹を抱えていた。

「こいつはいいや! 絶景かな絶景かなとくらぁ!」

「言ったろう。例外も二言にごんも無い」

 ジェイゾロトフにげしっとり出されて、それも終わる。

 日々くそ重たい鍋を運んでいる足腰の膂力りょりょくも並ではないらしく、ギィはきっかり前方二回転半でんぐりがえりさせられてしまう。二回転と半分、つまりは結局その他大勢の側へごちゃまぜに戻されて第二部隊と向き合う形となり、彼はとびきりの悲鳴を裏返らせた。完全に裏切り者を糾弾きゅうだんする口調で、がなり立てる。

「はあ!? ざっけんじゃねえぞ! お前らだってシゾー・イェスカザの肩を持つ側だったろうが!」

「一緒にするな―――お前たちみてぇな……利用したがり野郎どもが抜かしてくれる おべんちゃらと、俺たちを一緒にするなア!!」

 誰をも上回る裂帛れっぱく大音声だいおんじょうに、わらわらと群れるだけのどよめきは一瞬にして押しつぶされた。ギィのそれだけでなく、彼方かなたの毒つきも……此方こなたのぶつくさも。

 その沈黙が、しわじわと重さを増していく―――それが未知数まで達する、直前だった。

「まあ待て待て、待ちたまえ待ちたまえ。君たちの料簡りょうけんは理解した。もともと副頭領は趣味がてら、ここによく出入りしていたことも知っている。情が移るのも自然だろう」

 こういったいがみ合いを常日頃つねひごろから仲裁している手前、フィアビルーオに動揺の色はない―――表向きは。肩の前まで挙げた両手を、どうどうと犬でもいなす動きで小さく動かしながら、一歩進み出た。二歩目に移ろうとして、ジェイゾロトフ一同の気配に敵意の波が増したのを見て取ったらしく、その場にとどまる。ただし身代わりとして、恭順きょうじゅんのせりふを滑り込ませた。

「しかも、騎獣きじゅう部隊の創設にともない<彼に凝立する聖杯アブフ・ヒルビリ>の構成を大々的に刷新した際、君たちを部隊として取り成したのは、副頭領だ。予算を組んで、隊費を回し、―――要は、下働きでなくした。思い切ったものだと当時は たまげたものだが……」

「それだから、一緒にしてくれるなと……言っているんだ!」

「なんだと?」

 賛同し、受諾じゅだくし、味方したのに、どこまでも裏切られて。いぶかにした、フィアビルーオ。

 その有り様こそが、彼ら第二部隊を裏切る侮辱ぶじょくであり、絶望させた根幹だったのだろう。ジェイゾロトフは、万力を込めて怒張させた全身を持て余すように、手にした肉塊にくかいかたなをぶるりとひと震わせした。ひと震わせ。

(いんや。ゃうわな)

 あれは武者震むしゃぶるいだ。思い付けば、すんなりと納得もいく。旗司誓なのだから。

 イコとて、やはり必要とあれば武者となる身なればこそ、その義侠ぎきょうの告白を聞き入れるしかない。

「あの人は恩人だ。最初からずっと、俺たちをねぎらって、ありがたがってくれた。メシが食える、服が着られる、便所が使える、どれもこれも明日はどうだ明後日あさってはどうだと心配せずに済むようになった……その全部が全部、ありがたいと。恩に着てくれたんだ。着てくれたものは、心許こころばかりであろうとも……着てくれただけ、返す。五体不満足ごたいふまんぞくなりとて、我らは旗司誓だ―――俺たちなりの、この血肉で、つかさどるとちかったを……立てる! 【血肉の義】を!」

 ―――そこまで来て。

 ごろごろと進む荷車。その馬のくつわを取っているイコのうらかわにて、ゾラージャがぽつりと裏表うらおもてなく得心した。

「まあ、アレだよな。わる餓鬼がきだろーがクソガキだろーが、母ちゃんだきゃあ面倒見てもらってるうちはキレさすもんじゃねえよな」

「まったくっす。隊長」

「そういやイコ。おめーここ辞めるつってなかったっけ?」

「ああ。あれ嘘っす」

「マジかよ」

「マジです」

「なんで?」

「さあ。ノリ?」

「嘘ついた理由までこっちにくとか、丸投げにしたってひどくねっか?」

「えー? あん時ノっちゃったもんは、もうしゃーないっしょー。それに俺、こーしてるの楽しいっすもん。窮措大きゅうそだいやりながら金も稼いで、まあ時たま、こんなカンジの死なねえくらいにハプニングっつーかテリブルっつーか。飽きの少ない人生」

「まんまといっぱい食わされたぜ」

「そりゃそうっすよ。嘘なんて、そのためのフェイントっしょ」

「あざといなーおめー。うーん。じゃあ、まあ、とにかく、旗司誓すっか。俺らは俺らで」

「ラジャーっす。ちわー。第二部隊さーん。お届け物でーす。二十重はたえある祝福しゅくふくにぃー」

 そのまま進んだイコは、当然のことながら、届け物を届けた。ゾラージャと共に。

 そうだ。届け物だから届ける。洒掃薪水さっそうしんすいにはろうがある。食材は調理せずに料理にはならない。腹だから減る。旗司誓きしせいだから、旗は誓って司る。恩は返す。ありがとうと言われたら、どういたしましてと返すくらい、大切にするのを忘れてしまいがちだが……どれだっていつだって、本当に。どれもこれも、当然のこと。
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