されど誰(た)が為の恋は続く

DNDD(でぃーえぬでぃーでぃー)

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結章

結章 第二部 第五節

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 射干玉ぬばたま

 夜半やわ寝覚ねざめの

 朧月おぼろづき

 はな む ひとの わば

 夢幻ゆめまぼろしと こたふなり



     □ ■ □ ■ □ ■ □



 嫡流ちゃくりゅう祖語句そごんぐの歌声は小さかったが。

 ティエゲは、閉じていた目を片方だけ開けた。それを横滑りさせて、デュアセラズロ―――彼女にとっては―――を見やる。

 夜。王都王裾街おうきょがいに間借りした、ティエゲの私室である。秘密裏ひみつりながら大陸連盟員としての派出所を兼ねることもあるので、そこいらにプライベートな品物が投げ出されているわけでもない―――どころか、椅子いすや机などの家具から衣服のような生活物資まで、無個性かつ地味な事務向けの作りをしている。それでも我が物顔でそこに居座り、窓からの月明かりに照らされた横顔に頬杖ほおづえを突いてくつろぐ彼の様子はひどく自然で、しっくりと溶け込んでいた。部屋自体があっさりと家主を乗り換えたようにも感じられて、それがどことなく落ち着かず、彼女自身は壁を背に二メートルばかり距離を置いてたたずんでいたのだが。

(こんなとこで、どんだけひとり職場してきたと思ってんのさ。だってのに、この裏切りモンめ)

 部屋―――の中でも彼の掛けた机と椅子―――に逆恨さかうらみを刺し終えると、ティエゲは嘆息たんそくした。

 そうだ。逆恨みでしかない。まっとうに恨むなら、デュアセラズロ当人がすじというものだろう。彼女がここにこうしている抜本からして、彼に原因があると言っても過言ではない。彼が失踪しっそうしなければ、大陸連盟は指名手配をかけることはなかった……同様に彼女も、落ちぶれるとはいえ単身で辺鄙へんぴな辺境まで足を伸ばす境遇きょうぐうに甘んじるほどトチ狂いはしなかったはずだ。

 テュアセラズロという名には、毀誉褒貶きよほうへんが付きまとう……軽はずみにディエースゥアーと揶揄やゆする外様者とざまものから、実際に人生を狂わされて冗談にもならない転落を遂げた内部関係者まで。どちらかと言えばティエゲも後者ではあるものの、泡を食って・・・・・同盟背反罪を・・・・・・適用するような立場・・・・・・・・・でもなかったし、間柄あいだがらとなると立場よりも説明しづらい。傍観者ぼうかんしゃ的に経歴をくなら簡単だ―――少なくとも、伝説としてならデュアセラズロの人生はありふれたパターンの範疇はんちゅうと言える。最短かつ最年少で魔術と学業をきわめ、五グレードほど飛び級してからはティエゲの同級生となった。扱いづらい曲者揃くせものぞろいのクラス内では模範的な優等生に属していたが、それはしょせん教師を小馬鹿にしての慇懃無礼いんぎんぶれいの裏返しでしかなく、事実として彼は上層部からの期待や圧力よりも独自のルールを率先そっせんするところがあった―――それにしたって年端としはもいかないうちに忽然こつぜんと雲隠れするとは、誰ひとり思いも寄らなかったろう。彼女自身ですら、そうだった。

 だからこその懸念けねんが消えずにいる。認めて、ティエゲは重苦しい呼気こき上塗うわぬりした。分かっている。懸念に基づくならば、このまま胸に秘めてしまえばいい……ならば、色々と済ませておきたい庶務があると言い逃れて留まり続けたりせず、いっそのこと二人して大陸連盟まで直帰してしまえば踏ん切りもつく。だが、のろのろとくすぶり続けて、こうして数日。分かっている。同盟背反どうめいはいはん罪で指名手配を受けた当時ならいざ知らず、上層部の人間関係や権力闘争が様変さまがわりした現在において、帰参した彼がどのような役割を誰から采配さいはいされるのか見通しが立たないとしても、ティエゲが干渉できない範囲の気がかりという意味では、ドロンしてくれた端緒たんしょから一向に変わらない。直帰してしまえばいい。分かっている。布地にほどいた正装と、切ったデュアセラズロの髪を売り飛ばしたおかげで、差し当たっての路銀ろぎんも心配なくなった。直帰してしまえる。分かっている。短くしてからくせをひどくさせ始めた蓬髪ほうはつを押さえるように、ひたいにひと巻きにした革紐かわひも―――黒髪にまぎれてしまって分からないが、その紐に編み込むようにして結わえた宝石は、きっと学生の頃と同じようにデュアセラズロの左耳の裏にあるのだろう。手首で折り返した手套しゅとうかげにポケットをしつらえて隠し持つ常套手段を、彼は嫌っていた。そもそも日常的に手袋をすること自体、不衛生だと嫌っていた。だから今、屋内では素手でいる……夜欠銀よるかけぎん指円環しえんかんだけを、右手の中指にまとって。それくらいには、彼のことも分かっている。

(そうだね。分かってる)

 分かり切ったことだ。やぶをつついてへびを出すのは愚かしい。藪は避け、棒は杖にすればいい。賢く生きていくのは楽なことだ。

 だからこそ―――億劫おっくうではあったが。ティエゲは、デュアセラズロの様子に……を上げた。わざとらしく、この国の風土らしい言葉で。

「上機嫌だね」

「不機嫌になる理由ないもの」

 こちらに合わせてか、彼からの返事もまた嫡流ちゃくりゅうらしくなくなっていた。ついでのように、いてくる。

「ティエゲにはあるの?」

「そうね」

 肯定の意味で、前のめりに首を折る。小さく―――肩を落とすように。

「ただし、あたしの機嫌じゃない。あんたの機嫌を損ねることが、ある……多分」

「―――へえ?」

 デュアセラズロが、頬杖をやめて身を起こした。椅子に座したまま、部屋の奥にある窓から差し込む月光を背負うような角度で、ティエゲへと向き直る。後光を受けて影に埋没させた目鼻の中から、漆黒しっこくのはずの瞳を湖面のように青くきらめかせて、その眼光よりもえと温度を下げた声音こわねを差し向けてきた。

「教えてくれる?」

 ―――自分でいた種だとしても。開けていた片目を閉じて、ティエゲは観念した。

「……話しづらいから、屋上に出ようか」

さき行ってるね」

 言うが早いか、デュアセラズロが立ち上がった。そしてきびすを返すと、窓へ向かう。無論のこと硝子がらすなどない、夜になると雨戸を下げるだけの、粗末な四角い穴だ。そして、

かねてよりかたやぶれ目をくぐれ、なんじ子爵ししゃく’ジュサプブロス」

 あっさりと魔神を現出げんしゅつさせる―――人型に、だ。編んだ長髪を海蛇うみへびのようにうねらせた奥で、悪戯いたずらっぽいひとみをにたつかせた、薄着の青年……と、目が合った。ような。

 のみならず。ほぼ同時だった。

きみいき―――口遊くちずさむ息、つむうた星まで渡る」

 あっさりと重力制御の魔術を編み上げて、両者とも窓から飛び出すまま上空へ飛翔ひしょうした。この部屋は二階建て建築の、二階部分だ。夜更けに素面しらふで街路を行く者もいないだろうし、目撃されたところで夢でも見たと思ってくれるだろう。連盟員たる練成魔士れんせいまし悪癖あくへきで、ティエゲが相手にゆずった服の上下―――机より椅子いすより先に呪詛じゅそを向けるのを忘れていた―――も頑丈がんじょう長袖ながそでのズボンにシャツと、外套がいとうさえ羽織はおれば旅路を行けるような機能性重視の縫製ほうせいをしている。ちゅう返りするくらいでは、糸がほつれることすらなかろうが……

「―――いつだって先行くくせに。なぁによ今更」

 聞こえない悪態あくたいいて捨てるだけにして、ティエゲは背中で壁をり離した。

 窓辺へ近づく。デュアセラズロに張り合うつもりもなく、窓を閉めた彼女は家主として真っ当に―――そうだとも、家主だ―――扉から出て鍵をかけた。そして、外付け階段の延長線のような、外壁煉瓦れんが凹凸おうとつ梯子はしごのように踏んで屋上へ上がる。もとより室内で提灯ランプけていなかった手前、夜目になっていたのだから、これくらいは造作ぞうさもない。

 四角い屋根の、ちょうど彼女の対辺に、デュアセラズロは立っていた。さっきいたティエゲの部屋の窓の真上だ。もちろん自分たち以外の人影はない―――人をかたどった魔神すらも。宝石の燐光りんこうを危ぶんで、封じたのだろう。その主といえば、かくばったところの目立たない少年のような横身よこみをこちらにさらしながら、目線をはるか先の王冠城おうかんじょうへと伸ばしている。この国の首都の街並みは、すそからえりにかけて、おしなべて夜間の照度しょうどが上がる……デューバンザンガイツは、ここしばらく特に明かりをいていた。雲間から垣間かいま見える月よりもそれらしく白々しらじらと光り輝いている。

 建物のへりをなぞるように壁のふちの上を歩きながら、ゆっくりとティエゲはそちらへと回り込んだ。

「デュアセラズロ」

「なに?」

「あたしが教えてあげられるのは、馬鹿ばかの四パターン目」

 そこで呼びかけを切ったのは、単に間合いを必要なだけ詰め終えたからだった。

 彼の正面に立ちはだかって、手を伸ばせば触れることが出来る距離から、横槍よこやりを入れる。

千里せんりの馬も蹴躓けつまずく―――それを忘れてしまった、ひとり天下の弊竇へいとう

「ふぅん。僕が過信から見当違いを起こしているって?」

 神妙そうに応じて声を低めながらも、こちらへ向けられたデュアセラズロのまなじりは甘くゆるんでいる。ゆくゆくは敗者となる者をあわれむ目だ。

 後ろめたくはあったものの、ティエゲはそれを見返した。

「キルル・ア・ルーゼ後継第二階梯こうけいだいにかいてい。彼女にかしずいていたイーニア・ルブ・ゲインニャは、毒殺された。まず間違いなく、後継第二階梯をねらった暗躍あんやくに巻き込まれて」

「と、思うよ」

「どうして死傷者が、そんだけなのさ?」

「どうしてって。すぐに後継第三階梯が、彼女へ退避命令を―――」

「キルル・ア・ルーゼ後継第二階梯の身の回りじゃない。イヅェン・ア・ルーゼ後継第三階梯のそれについてだよ」

 告げる。

「百歩ゆずって言って、手のほどこしようがない父親は死亡スタンバイ状態だったとしても。姉と違って、弟の身辺警護は一揃ひとそろい固められてんでしょ? キルルさんが召し抱えていた下仕しもづかえですら毒牙どくがに掛けられておきながら、イヅェンさんの下仕えどころか護衛の一人さえ無傷なのは何でよ? ア族ルーゼ家そのものが邪魔だともくされてるんならさ」

 デュアセラズロの立ち居から、すっと余裕が抜けるのを感じた。表情ではない。顔色というわけですらない。えて言うなら、においのような空気感かもしれない。剣呑けんのん刺々とげとげしさとは違う―――魚の小骨のように、やわらかなとげ

 それはもろい部分に確かに刺さるし、傷口となればむかも分からない。それでもティエゲは、推知すいちを進めた。

「王城デューバンザンガイツに召し上げられたのは、父親・双子のきょうだい同時。死にかけの父親は、王権執行者としては抜けがらでしかない。それに続くキルルさん・イヅェンさんの階梯かいてい順位は、父親のヘマのせいで血が弱まっていると見做みなされたがゆえの、じゃあ強くしないとってだけの交配目的で女が上にあてがわれただけ。本来なら、どっちが上でも、おかしくないんだ。双子だからね」

「つまり?」

「ア族ルーゼ家そのものが標的とされての御家騒動おいえそうどうなら、最低でも、双子同時に暗殺が持ち上がるはずよ。それがなかった。ってことは、これはイヅェンさんを王にという策略なんじゃないの?」

 デュアセラズロが、ついに黙り込んだ。分からず屋の無言の抵抗のようにも見えたが、違う。

「現王は腑抜ふぬけ。次期王は腰抜こしぬけ。とくれば、抜け目なさげな文武両道の三番目が王位代行するまま玉座ぎょくざいてくれた方が都合いいって派閥はばつが台頭して当然でしょ。もとより、ア族ルーゼ家にしたって、ふたりきりで階梯権利のみならず交配権まで独占されちゃ、利権の集中にしたって集まり過ぎだ。イヅェンさんが上位なら姉と結婚することもないし、だったら均等に王族から夫人を何人も召し上げることが出来る。そうすれば、ぽろぽろと羽かぶりをさずけてくれる可能性が高まる。こっちの方が、血族としても政権としても安定するから、おんだ。となると―――」

 一気にたたみ掛けることができなかったのは、息が続かなかったことだけが原因とは言い難かったが。

 それでも訓練された身体なりに呼吸法を意識すると、動悸どうきはそれなりにいでくれた。だからこそ、結論を遂げる。

「―――後継第一階梯は、後継第二階梯以上に、邪魔な存在になる。王のが明けて存在がおおやけにされる前に暗殺される公算が、ひときわ高い」

 と。

 ティエゲは両手を腰のあたりで左右に広げて、肩をすくめてみせた。まばたきすら固まらせているデュアセラズロへと、もう一歩だけ踏み込んで、

「まあ全部が全部、あくまで推測。もしかしたら、イヅェンさんの方の騒ぎは、未遂でみ消されたのかも分からない。派閥はばつ争いがあったところで、優秀な殿下の手によって、とうに鎮圧されていたとしてもおかしくはない。なにより……あんたの言ってた通り、基本的に、王家なら王城総出で守り抜いてくれる。それは間違いない。それでも、―――あたしなりに、言わせてもらうよ。デュアセラズロ。嘘なんてきたくないからさ」

 間が空いた。

 時間としては一秒あるかないか程度だったが、歩数としては……違う。デュアセラズロは三歩ほど後ろへよろめいて―――たったそれだけでショックを受け入れると、そのままその場で踏みこらえる。そして苦々しく舌打ちを噛み殺すと、ティエゲの双肩の向こう側―――デューバンザンガイツへ、はっきりと底光りし始めた眼差しをそそいだ。

「ティエゲの言う通りだとしたら―――まだだ」

「なにが?」

「約束が。まだだ。行かないと」

「やめなよ」

「なんで?」

やぶったっていいじゃん。約束くらい」

「嘘つき」

「うん。くさ。嘘くらい」

きたくないって言ったのに?」

「うん。人間だもの。どれだって本心だよ。それを責められる?」

 おどけるように、ティエゲはてのひらを上にした両腕を、肩の高さまで上げた。相手を抱きとめるように―――あるいは、十字架のように。まさかそれを気取ってのことでもなかったが。

 それでもポーズを取ってしまえば、受け身に応じなければならない気がした。問いを投げかける―――こたえ続けてきただろう彼へと。それでも。彼女だから、続ける。

「約束って、なによ?」

「頼まれた」

「なにを?」

「頼む。そう言われた。シザジアフから。死にぎわに」

 待つのだが。告白はがれない。

 信じられず、腕を下げながら唖然あぜん反駁はんばくする。

「―――だけ?」

「そう。シザジアフは、死体すら残してくれなかった。だから僕も、これっきりしかない」

 自明の理とばかり、よどみなくデュアセラズロは首肯した。

「死体すら……なんて、言えた口じゃないけどさ。きっと僕が、魔術で消し飛ばしてしまったんだろうから。三年前―――シザジアフから、あの子を受け取って、言いのこされた直後から……しばらく意識と記憶が無いんだ。どうも武装犯罪者ぶそうはんざいしゃの生き残りに後頭部を殴打されてから、リミッターが外れて暴走したみたいなんだけど。現場に追い付いてきた旗司誓きしせいげんれば、誰ひとり―――なんてレベルじゃなく、いったい何人いたのかすら分からないほど、原形を留めていなかったらしい。胃袋の倍数みつかった手足が奇数なのに頭部が偶数だから計算が合わないとかうなされてたっけ。合わないかなあ? 胃袋は知らないけど、そもそもどいつかこいつか元から片輪かたわだったのかも知れないじゃない。でしょう?」

 うっすらとしていた嘲笑ちょうしょう―――その矛先ほこさきを、今度こそ明確に己自身へとひるがえして、デュアセラズロは沈鬱ちんうつの中で薄笑いを深めた。自傷しておいて痛がる無様さを、あざけろうにもわらえない……そんな苦みばしったけんのある顔だ。

 唖然あぜんとそれをながめながら、つい疑問をつのらせてしまう。デュアセラズロが後れを取ったという過去もそうだが―――どうしても、一連の事態を信じることができなかった。

「あんた、なんでそこまで、その……びたくも色の髪の―――シザジアフさんって人に、肩入れしてんのよ? 昔っから、なんでも出来たから、なんにも執着しゅうちゃくしなかったじゃんよ」

一目ひとめれかなあ。言うなれば」

「え?」

かぞえ歌だよ。あるでしょう? 一目ひとめで始まり、二人ふたりは恋した―――僕だけだと思っていたのに、ふたりいたんだと知ってしまったから、知らなかった頃に戻れなくなった。だったなら、これだって一目ひとめれなんじゃないの」

 さらりと例え話を済ませて、デュアセラズロが背を返した。くるりとかかとめぐらせて、あてどなく暗がりを向く。

「ティエゲ。僕が君に残した最後の言葉、覚えてる?」

「忘れるもんか。覚えてるから、ここにいる」

 憎らしいほどにあの頃と変わらないその横顔を、もどかしくも直視しながら。ティエゲは胸の奥深くから反芻はんすうしたその独白どくはくを、夜気やきに乗せた。

僕が人間に見えるか?・・・・・・・・・・

 デュアセラズロが、今は告白として、それをいでいく。

「そう。僕は人間になりたかった。未知の……怪物の領域なら、僕を―――人から化けた死に神でも、人に化けたモノでも、なくしてくれるかもと。思いついてしまったから、僕は大陸連盟を出奔しゅっぽんした。この影法師かげほうしは誰だろうって、自分自身の影踏みをし始めた。ゼラと名乗り出したのはこの頃で、なんならゼラにアーギルシャイアやディエースゥアーなんてつなげるはく付けも、進んでしていた」

「あまりの胡散臭うさんくささで、虚実きょじつないまぜに言いくるめようとして?」

「そう。今にして思えば、思春期にしたって御大層ごたいそうな自分探しだったよ。十三歳か十四歳かの時だった」

「……あたしは落ちこぼれだったけれど、あんたは吹きこぼれだった。だから、あんたが行ってしまった時あたしは止められなかったし、あんたがいなくなっても あたしは大陸連盟に居続けた」

 ―――ふと自嘲がこみ上げて、どうしようもなく、ティエゲは吐露とろするしかなかった。

「両極なのに、おんなじ過ぎたね。あたしたち」

 情けなくも、わらってしまう。それは、さっきのデュアセラズロのそれと同じようでいて、きっと別物なのだろうが。それでも痛んだのは同じところだと……そう思えた。

 彼も、そうだったのかもしれない。そっと黙り込んで―――ティエゲの物思いから感傷が退くのを待って、会話を再開する。

流浪るろうする中で、デュアセラズロの再来という噂を耳にした。僕のように短期間で面妖めんような頭角を現した異端者アブノーマルがいるってね。その真贋しんがんを見定めようと、僕はこの国に入った。そして、ある組織でシザジアフとジルザキアの兄弟きょうだいと知り合った……その時、僕は自分のことをゼラ・デュアセラズロ・アーギルシャイアってふれ回っていたから、接触を呼ぶのはやすかったよ。本人たちにも異名の自覚はあったらしい」

「きょうだい?」

「彼らも、義兄弟ぎきょうだいでね。特にジルザキアは、ずば抜けていた。驚かされた……シザジアフのおまけで組織にいる馬の骨かと見縊みくびっていたからさ。ふざけ半分で医療知識を横流ししたら、すんなりと頭の中で系統立てて理解して四手くらい先読みするどころか、治療手技まで我が物にしてくれた。テストキューブですら模造品ながら解いてみせたものだから、練成魔士れんせいましとして指南しなんさえした。僕と同世代であそこまで突出した才覚は、大陸連盟でも見たことが無い。恐らくシザジアフは、野心ありきで組織に所属していたというよりか、一般社会からはじかれた弟を野放しにしておけなくて一緒にいたんじゃないかと思う……無論、それだけの理由で組織にいるなんてこと自体、とんでもない離れわざだけどね」

「そのシザジアフとジルザキアってのが、デュアセラズロの再来?」

「そう。しかも間が良いことに、僕は組織にモグリの練成魔士れんせいましとして雇われた。法外の値段を出してまでも……どうしても成功させなければならない密命があった。それが、妊婦ジヴィンの拉致らちだった」

「あの子の……シヴツェイア・ザーニーイの、お母さんね」

「そう。僕は、シザジアフと組まされた。ジルザキアはシザジアフに心酔しんすいしていたから内心は反対していたのだろうけど、彼自身あまりに出来が良かったのがあだとなって隊を分けられてしまったのさ。だからこその……事故が起きた」

「事故?」

「シザジアフは、ジヴィンに遭遇そうぐうしてしまった。僕はそれに……立ち会った」

「願ったり叶ったりじゃないの」

「願った。叶った。だけじゃなかった。奇跡が起きた」

「奇跡?」

「ふたりは恋に落ちた」

 度肝どぎもを抜かれて目を丸くした拍子に、合いの手すら失くしてしまう。

 ティエゲのそれを見て、当時の自分自身の様子でも記憶にぶり返したらしい。デュアセラズロが、場違いな柔和にゅうわさで口許くちもとほころばせる。

「落ちたんだ。落ちてしまった。落とし穴だった―――掘ってあったところに、通りかかってしまった。偶然ね。運命かも知れない。だとしたら奇跡だけど、どうであれそれは事故。でしょう?」

 そして種明かしでもするかのように、広げた両手をひらつかせてみせた。無論てのひらは空っぽだったが、なめらかな象牙ぞうげ色の肌が月光を受けて燐光りんこうを咲かせているので、ぱっと花でも開いたかのように感じる。夜欠銀よるかけぎん指円環しえんかんだけが、花弁の虫のように……染みのように、ぽつんとそこに留まっていた。

「まあでもそれも、泡沫うたかたで終わってしまったよ。ザシャ・ア・ルーゼを筆頭として放たれていた刺客の一派が、ジヴィンを殺害すべく殺到さっとうしてきた。僕とシザジアフで、返りちにしはした。けれど、騒動の余波でジヴィンは破水はすいした。思えば、その時にはもう吹き矢のような暗器あんきで毒でもち込まれていたんだろう。出産の只中ただなかで死んでしまった」

「シザジアフさんにゃあ、さぞかし この世の地獄じごくだったろうねえ」

「それは、これからさ」

「え?」

「赤ん坊をたすけるために、ジヴィンの腹を裂いたのは彼だ。僕が……赤ん坊の身代わりになって死んでくれる、めぼしい新生児を探しに出た間に、彼は―――そうした。僕が持ってきたその新生児も、臍部さいぶから滅多刺めったざしにした。へそを偽装するために」

 絶句ぜっくしたのは、数秒で済んだ。

 ただし通弁を取り戻すにはもう数十秒を要したし、それを乗り越えたところで躊躇ためらいは払拭ふっしょくされなかった。幾度となく生唾なまつば嚥下えんげして、どうにか浅瀬から話に踏み込み直す。

「よく見つけたもんだことね。あんた。都合よく。生きてるにしても死んでるにしても……産まれたての、赤毛の赤んぼ」

「当時、国内は弩級どきゅう昏迷期こんめいきだったからね。ジヴィンと間違われて殺される母子まで出てからは、自分だけでも逃げ延びようと堕胎だたいする女は、相当数いたんだ。しかもこの国じゃ、赤毛なんて孤児院でも引き取ってくれないし。後ろ暗い廃品を投棄とうきする場所なんてものは、お定まりのポイントが必ずあるものだよ……こんなの、草ぼうぼうの空き地に腕を突っ込めばポイ捨てされたゴミのひとつくらいつかめるだろうってだけの話さ。あ。あと、赤ん坊は生命兆候せいめいちょうこうがある者を選別したよ。遺体の腐敗ふはい速度にズレを生じさせたくなかったからね。置き去りにしたあと野犬やねずみに都合よく食い千切ちぎられてくれるか不透明なんだから、検死に備えておくに越したことはない」

 にべもなく冷評をげてくる冷血漢に、言いたいことは山ほどあった―――人道や道徳などといった、人間的にベーシックな代物まで含めたならば。ただし手遅れでないものとなると、これくらいしか残されていない。口に出す。

「……どうしてシザジアフさんは、そんなことを?」

「ゆびきりしたから」

「ゆびきり?」

「ジヴィンとシザジアフが交わした―――たった、それっぽっちの約束だよ。ジヴィンは弱い女だった。売られたから買われたし、言い寄られるまま身籠みごもった。それを諦めていた。すべてに呑み込まれていた。だから、ひときわの奇跡を引き当てて絶望から解放された土壇場どたんばで、のぞんでしまったのさ。この子は……祝福されるかな、と」

 立ち尽くしたまま、デュアセラズロが夜空を見上げた。

 地上よりも高い場所で、それでも手が届かない先へ視線をせる。そうして彼がのぞむものが何なのか、それは分からない。星か、流れ来る星か―――天罰だったところでおかしくもない、としても……ティエゲは、ただデュアセラズロへ目を寄せていた。恐らくは彼が、シザジアフとジヴィンに心を寄せたのと同様の心地で。その間も、せりふは続行されていた。

「みんなから、世界から、神様から―――祝福されて生まれてくることを、ゆるされるかなと。その祈りに、ゆびきりをした。神様じゃないシザジアフは、ゆびきりをしたんだ。俺が祝福するひとり目になる、名付け親になる、その子の名前はシヴツェイア―――アで閉めれば、ジヴィンのつづりの後継者でも、きっと強い子に育ってくれると。誓って、ゆびきりをしたんだ」

「―――だから、って……おなかを裂いて、嬰児えいじ殺しまで」

「シヴツェイアは、神の御手みてゆだねてしまうなら、死出の旅路へといざなわれていた。だからシザジアフは、天国から―――楽園から取り返すために、ジヴィンの子宮をり、赤ん坊の臍帯さいたいを断った刃物を影武者の腹に差し込むしか……なかったんだ。その最後に、いみじくも彼は僕に呼びかけた。俺が人間に見えるか?・・・・・・・・・・ ……―――」

 デュアセラズロは、上半身は軽く空へとらせたまま、眼球だけをかたむけてティエゲを視界に入れた。

「人間になりたかった。だから彼は、組織をジルザキアごと裏切って……逃げた。未知の―――怪物の領域へ。子どもがいたから、父親になろうとした。僕も付いていくことにした。見届けたかった。僕も人間になりたかったから」

 そして、姿勢を取り戻す。直立する。対峙たいじする。失われた楽園ではなく―――だからこそ自分たちをはらんだ失楽園と。

 彼はティエゲを正面に、ズボンに突っ込んでいた手袋を取り出した。それを左右にめて、指のまたまで密着させるべく、うつむけた顔の下で己の五指同士をぎゅっと組み合わせる。それは―――

(まるでいのりの仕草じゃないか)

 思う、のだが。

 デュアセラズロだから、伏し目からの眼差まなざしをそこへ触れさせて、物語るだけ。

「そうだよ。ここはひとり天下。シザジアフは死んだ。僕だけでも……見届ける」

 そこで彼は、両手を解いた。だらりとさせたようでいてすきの無い肢体したい、それとよく似合う息巻くでもない口調で、訥々とつとつささやく。

「頼むと言われた。僕は後継者こうけいしゃだ。シザジアフは、三年前にそれを成し遂げた。今度は僕の番だ―――だから、行く」

 すべて聞き終えた。それを直感する。

 ティエゲは―――

「しょーがないねー。行きゃんすか」

 大息おおいきをつきがてら気楽に言ってのけて、その場で屈伸くっしん運動を始めた。しゃがんで立つを繰り返してから、首を回して腕まくりをする。

 もちろん動作には景気づけの意味しかないし、魔術のバックファイアに備えるならば服の長袖ながそでは下ろしておくべきなのだが。盲点もうてんを突かれたと顔に書いてあるデュアセラズロをおがめたのだから、一本取ってやれた代価として道化どうけのアクションを前払いする程度は安いものだ。

 不良の若者のようにまたを割ってしゃがみ込み、首をひねってデュアセラズロを見上げる。そうして間抜け面を存分に堪能たんのうしてから、ティエゲは立ち上がった。前攻後衛ぜんこうこうえいを分担していた時と同じく、したり顔を決め込んで、片手を自分の腰に―――もう片手で、ぽんぽんと馴れ馴れしく相手の肩をたたく。嫌がらないと見て、そのままその肩口に引っ掛けた自分の手首を日干しの昆布こんぶのようにへらへらさせると、にやつかせた口許くちもとを寄せて耳打ちした。彼の襟首えりくびに吹き込むように。

「ゼラだかイェスカザだかアーギルシャイアだか、どんだけ我ぁ張ってたんだか知んないけど。ちょいとばかし離れてたくらいで、みずクッサい生意気なまいきつべこべ抜かしなさんなっての。強情ごうじょう張るにしたって他人行儀だっつーのよ。弟の分際ぶんざいで」

「―――そうだね。ねえさん」

 立て続けざまに えもいえぬ納得にまれたらしいデュアセラズロが、まるきり素直にこくりとうなずいた。たじろぎもしない。あどけない子どものように。裏表うらおもてなく。否応いやおうなく。
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