テューリンゲンの庭師

牧ヤスキ

文字の大きさ
108 / 171
無力の力

4-26

しおりを挟む











もう空もすっかり太陽の陽は落ち、薄ら紫から濃紺へと変わりつつあった。
今日も無事宮廷内は何事もなく、束の間の仮初めに過ぎない平和な一日を終える事が出来そうだった。

何事も無かったことに安堵の色を見せつつ、日中長らく護衛にあたっていた護衛軍が夜勤の者と交代しようと、蝋燭の灯されていない暗い廊下を歩いていた。

一人は恐ろしい程に無言で、もう一人はその空気を気遣っていた。


「おい、セス。も、もう体調は大丈夫なのか?」

気を遣わなくてはと焦る感情も声に乗せて、セスの先輩であるダーキンは目の前を静かに歩くセスに語り掛ける。

それに対しセスは恐ろしい程に表情のない、何処か怯えているようにも見える白く具合の悪い顔で振り向いた。

「…え?
ああ、はい。」

どう見ても長いこと元気ではなかった後輩にする質問ではなかったと後悔して、ダーキンは誤魔化すようにへらりと笑いながら「だよな…」と力無さげに答えた。



セスはダーキンと日中巡回をし続けながら、昨晩の事を思い出していた。

カスパルは何処まで勘付いているのだろうか。
そう考えるだけで今でも吐きそうな程に全身が嫌な汗を感じる。


モールの事やセスの事。
カスパルが目覚めた際、遺体集積所の事を訪ねていたが本当に死体を見に行くとは考えられない。
カスパルにその様な暇などない筈だとセスは考える。

万が一死体を見られてしまえばバレてしまうかもしれない。
死体の損傷具合で経験を積んだカスパルならば、どの様な状態で絶命したのか恐らく分かる。

セスももう既に反乱の指揮を取ったりと、モールの真似事までしているため、後にも戻れない。

せめてバレたく無い。
自分はカスパルを守る為に、今カスパルの立場の悪い状況からなんとかカスパルを……

そう思って死にかけのモールからイリスと言う襷を受け取ってしまったが、今考えればその判断も正しかったのかなど、二十歳にも満たないセスに分かる訳がなかった。





あの夜は憧れていたカスパルの匂いに包まれ、カスパルの寝室のベッドで寝かせて貰った。
今までの自分であれば心から嬉しく思っていたことだろう。


しかしカスパルの落ち着いた優しい声も目も、匂いも怖くて怖くて仕方がなかった。

純粋な気持ちでカスパルの側で支えていたかった。

ああ、もうそれは叶わないのだと底の知れない喪失感だけがセスの心に重くのし掛かった。














夜勤の護衛軍の数人と軽く挨拶を交わし、この日のセスとダーキンの勤務は終了した。
セスは心ここに在らずといった気のない返事だけを残し、その足で宮廷から離れた水場へと来ていた。


期待していないわけではなかった。
介抱してくれた、あの人に再び会えないだろうかという期待を。


今までセスの周りで、あの様に柔らかく優しい表情を浮かべる男はいなかった。
セスの中では男は皆屈強で強い存在でしかなかった。

彼に介抱してもらった時のあの温もりを忘れられなかった。
あの温もりを思い出す時だけセスはセスを思い出せる様な気さえした。



もう暗くなった水場には人の気配はなく、無駄足であったことを直ぐに察した。
しかしセスは直ぐに立退くことはせず、水場の片隅に屈み込み、項垂れるように頭を下に向けた。


今夜も恐らく夜更けの会合に顔を出さなければならないだろう。

どうせイリスと名乗るセスがその場に居なくとも物事はなんの障害もなく進んで行くだろう。
しかしモールが熱心に会合に参加して居たのであれば、頻繁に顔を出さなければ怪しまれてしまう。
それがセスの心に重くのし掛かった。

「はぁ……」


何もかも投げ出してしまいたい。
どちらにも決心が付いていないために余計に心が疲弊したいった。


その時、それまで何の気配もなかった背後に突然人の気配を感じ、セスはその気配に身を強張らせてすぐさま振り向いた。

その頭上には大きな男の影がセスを見下ろしていることが分かり、なぜ今まで気付かずにいたのだろうと考えると同時に、ここまで歩み寄るまで一切の気配を消せる人間は鍛錬を積んだ者である事を察する。


「なんだセス、そんな所で。
まだ具合が悪いのか?」

その声は聞き間違えるはずのない男、カスパルの声であった。

「隊長…!」


セスはその瞬間戦慄し、嫌な汗が背中を伝った。
会いたくないと先程から何度も考えていたにも関わらず会ってしまい不運な偶然だった。


カスパルにしては珍しく、私服に身を包み非常にくだけた雰囲気でセスを見下ろしていた。

「水場で誰かいるなと思って来てみればセスだったから、てっきり吐いているのかと思ったが大丈夫そうだな。」

そうカスパルの口から出るものの、セスの側まで一切気配を消す行動にセスは薄ら寒い気持ちになった。


「ちょっと疲れてしまって。
ここで休んでいました…。」

セスの上擦り恐怖の滲む不安げな言葉を腕を組んで聞いていたカスパルは、一度息を吐いてセスを見下ろし続ける。

「あまり無理はするなよ。
モールの事もショックだとは思うが、いつまでも鬱ぎ込む時間もないからな。」


カスパルはそれだけ言ってセスの横を通り過ぎていく。
セスは慌てて立ち上がりカスパルの背を追いかけようとする。


「隊長こそ…!
隊長こそ、どちらに行かれるんですか!」

セスは慌てていたのかも知れない、その様な私服で夜に一体何処に行くと言うのだろうかと。
遺体集積所にでも夜闇に紛れて行くのではないかと。


しかしそんなセスの不安げな態度が面白かったのかカスパルは一度だけ笑い、肩を窄めた。


「ちょっと約束があってな。
お前ももう帰れよ。」



セスはカスパルの回答になっていない回答を受け止め、この足で遺体集積所にお忍びで行くのではないかと不安を抱いていた思いが幾分か軽くなり、少し力を抜いて「約束ですか…」と呟いた。

そう呟いた時には既にカスパルはその場所へと向かい始めており、セスとの間には距離が出来始めていた。
それでもセスのつぶやいた言葉はカスパルに届いたのか、一度振り返り武人らしく男らしい、頼もしい笑顔を一つ作って軽く手を振ってみせた。

セスはその笑顔を脳裏に焼き付けようと凝視する。

もうこの様に暖かい表情を向けてくれなくなるかもしれないリスクを背負うセスは、カスパルの表情が何より遠く眩しいものに見えた。













カスパルは重く古めかしい木製の大きな扉をそっと開ける。
そこは古い黴と古紙の香りが漂う図書館であったが、カスパルの目当ての人物の気配はなく自分が思ったよりも早く来たことに気付いた。


カスパルは一つ息を吐き適当に本でも読もうと、戦術にかんする論書が並ぶ本棚の前で歩みを止めた。

適当に取った本をぱらぱらと捲りながら、その内容が祖国ルージッドの軍事学校時代に学んだものばかりで懐かしい気持ちが湧いてきた。


武器や人員を駆使した戦術の型を何通りも覚えなくてはならず、小風と苦労しながら覚えた記憶が蘇る。

レグランド国でまさか小風に会うとは全くの予想外ではあったが、小風も小風なりに苦労しての現在に至るのだろう。


数少ない友として小風の安否を心配していた。
しかし只でさえ自分に対しても心配をかけさせたシムの前では、同じように不安な表情を浮かべる訳にはいかなかった。
更にカスパルには護衛しなければならない様々なもの、そして部下の死の原因を突き止めなければならなく、それらを全て恙なくこなせるほど今のカスパルは身軽でもなかった。

せめて小風の命があって欲しいと願う。

本のページを1枚、また1枚と捲っている時、不意に扉が音を立てて開かれた。
視線を扉の方に移すとそこには待っていた人物が顔を出した。





 







 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、 隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。 しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです… オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が なかたのでした。 本当の花嫁じゃない。 だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

僕の、しあわせ辺境暮らし

  *  ゆるゆ
BL
雪のなか3歳の僕を、ひろってくれたのは、やさしい16歳の男の子でした。 ふたりの、しあわせな辺境暮らし、はじまります! ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります。 YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。 プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!

BLゲームの悪役に転生したら攻略対象者が全員ヒロインに洗脳されてた

BL
主人公のレオンは、幼少期に前世の記憶を思い出し、この世界がBLゲームで、自身は断罪される悪役だと気づく。 断罪を回避するため、極力攻略対象者たちと関わらないように生きてきた。 ーーそれなのに。 婚約者に婚約は破棄され、 気づけば断罪寸前の立場に。 しかも理由もわからないまま、 何もしていないはずの攻略対象者達に嫌悪を向けられてーー。 ※最終的にハッピーエンド ※愛され悪役令息

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

病み墜ちした騎士を救う方法

無月陸兎
BL
目が覚めたら、友人が作ったゲームの“ハズレ神子”になっていた。 死亡フラグを回避しようと動くも、思うようにいかず、最終的には原作ルートから離脱。 死んだことにして田舎でのんびりスローライフを送っていた俺のもとに、ある噂が届く。 どうやら、かつてのバディだった騎士の様子が、どうもおかしいとか……? ※欠損表現有。本編が始まるのは実質中盤頃です

ブレスレットが運んできたもの

mahiro
BL
第一王子が15歳を迎える日、お祝いとは別に未来の妃を探すことを目的としたパーティーが開催することが発表された。 そのパーティーには身分関係なく未婚である女性や歳の近い女性全員に招待状が配られたのだという。 血の繋がりはないが訳あって一緒に住むことになった妹ーーーミシェルも例外ではなく招待されていた。 これまた俺ーーーアレットとは血の繋がりのない兄ーーーベルナールは妹大好きなだけあって大いに喜んでいたのだと思う。 俺はといえば会場のウェイターが足りないため人材募集が貼り出されていたので応募してみたらたまたま通った。 そして迎えた当日、グラスを片付けるため会場から出た所、廊下のすみに光輝く何かを発見し………?

劣等アルファは最強王子から逃げられない

BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。 ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。

転生したようだけど?流れに身を任せていたら悪役令息?として断罪されていた――分からないまま生きる。

星乃シキ
BL
発作の後に目覚めたら、公爵家嫡男の身体だった。 前世の記憶だけを抱えたまま生きるレイは、ある夜、男の聖女への嫌がらせの罪で断罪される。 だが図書室の記録が冤罪を覆す。 そしてレイは知る。 聖女ディーンの本当の名はアキラ。 同じ日本から来た存在だった。 帰りたい聖女と、この身体で生きるレイ。 秘密を共有した二人は、友達になる。 人との関わりを避けてきたレイの人間関係が、少しずつ動き始める。

処理中です...