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バルツァー侯爵家(1)
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朝早くから家を出て、1日馬車に乗った。その日は近くの宿屋で1泊をして、そして2日目の夕方。ようやく馬車はバルツァー侯爵邸に到着をした。間に2つの領地を挟んだし、馬の取り換えも行った。馬車はあまり良いものではなかった上に、護衛騎士すらつけてもらえなかったのだが、それをヒルシュ子爵は「あまり派手に移動をすれば、嫁入りだと傍目にわかってしまうし、そうすれば盗賊たちに襲われるかもしれない」などと言っていたが、当然それは言い訳だ。きっと、これが自分ではなくカミラだったら豪奢な馬車を用意され、護衛騎士も多くつけられたのだろうと思う。
初めての長時間の移動にすっかりくたくただったが、本当の戦いはこれからだ。アメリアはもう一度小さくため息をついた。きっと、ここで自分は「何故カミラではないのか」と問いただされるに違いない。そして、ヒルシュ子爵への罵詈雑言を聞き、自分に対しても冷たい言葉を聞くだろう。だが、追い返されることだけは回避をしなければいけない。
(そんなことが自分に出来るのかしら)
何度も馬車の中で自問自答した。だが、いつでも答えは同じ。それは否。自分には抗う術が何もない。いくら体裁を取り繕っても、妻になれる資格はないだろうし、だからといって家に戻れと言われても家族は誰も自分を受け入れてはくれないだろう。ならば、ここから追い出されて、どこに行けばいいというのか。
(夕方ですもの。せめて……せめて、追い出されるにしても、朝になってからにしていただければ……床にひれ伏して、頭を下げて、どうにか……)
手が震える。なんとか拳に力を入れる。父親であるヒルシュ子爵に何度も何度も繰り返し「どうにか気に入ってもらうんだ」と言われ続けた。だが、そんな自信はないし、だったらカミラを嫁に出せばよかったのに、と今考えても仕方がないことを思う。
(もう一度深呼吸をして……)
すうっと息を吸い込み、ゆっくり吐き出す。それとほぼ同時に馬車のボックスの扉が開いた。
「アメリア様。バルツァー侯爵家でございます。どうぞ、お降りくださいませ」
ああ、腹を決めなければ。アメリアは「はい」と返事をして、重い腰をあげた。
バルツァー侯爵家からは、特に歓迎のための者が邸宅外に出るわけでもなく、そのまま邸宅に入ることを促された。馬車の御者は頭を下げて、すぐに馬車に乗って引き返してしまう。
手には小さなトランク1つ。他に嫁入り道具も何もない。それは、バルツァー侯爵家からの要望で「すべてこちらで準備するので身一つで来ていただければ」という話だったからだ。
それが本当なのかはわからなかったが、仕方なくアメリアはトランクをぎゅっと握りしめて歩を進めた。邸宅の出入口には二人の門兵が立っており、じろじろとアメリアを見る。
「ヒルシュ子爵家より参りました。アメリア・ナーシェ・ヒルシュと申します。バルツァー侯爵様はご在宅でいらっしゃいますか」
どう尋ねれば良いのかはわからなかったが、おずおずと問う。すると、門兵たちはハッ、と体勢を引き締めて
「あっ、えっ、あのっ、あなたが……ヒルシュ子爵家の……?」
「はい」
「え……」
2人は互いに目配せをしあう。そうか。きっと、絶世の美女が来るとでも噂になっていたのだろう……そう思ってアメリアは悲しくなる。胸の奥がぎゅっと締め付けられるように痛い。
「失礼いたしました。少々お待ちください」
「はい」
片方の門兵が、邸宅の中に入っていく。ああ、怖い。きっと、話と違う女がやってきた、ということまでも伝えられているのだろう。そう思えば、どんどん肩身が狭くなっていく。
やがて、邸宅から門兵が戻って来て「どうぞ、お入りください」と声をアメリアにかけた。それへ礼を言って、おずおずと邸宅内に入る。
「あっ……」
広いエントランスは明るく、そこに何人もの使用人が立っている。アメリアはすっかり怖気づいたが、足を止めただけでなんとか震える声でカーテシーを行った。本来、使用人しかいない場でカーテシーを行うことはあり得ないのだが、彼女はすっかり動転をしていたのだ。
「失礼いたします。アメリア・ナーシェ・ヒルシュと申します。遅いお時間に参りましたこと、深くお詫び申し上げます……」
すると、それを聞いた執事らしき男性がアメリアに近づいて来る。
「アメリア様、ようこそバルツァー侯爵家に。お待ちしておりました。わたくしはバルツァー侯爵家執事ディルクと申します。どうぞ、末永くよろしくお願いいたします」
「はい」
「大変申し訳ございません。本日、当主でございますバルツァー侯爵が不在でして……真夜中の帰宅予定になっております。ですので、まずはお部屋にご案内いたしましょう。侯爵様とは明日お会いすればよろしいかと」
その言葉にアメリアはほっとする。ああ、それならば、今日一晩はここに泊めてもらえるのだ。罵声を浴びせられて追い出されるとしても、それは明日以降になるのだろう。そう考える。
「ありがとうございます」
「こちらは侍女頭のリーゼです」
「あっ……よろしくお願いいたします」
「アメリア様。よろしくお願いいたします」
人々は、アメリアが「よろしくお願いします」と言ったことにぴくりと驚きの表情を見せたが、アメリアにはそれがわからない。リーゼは四十路ぐらいの女性で、柔らかい笑みを湛えている。まずは正体がわからない自分にもそれなりにしてくれようとしているのだ……アメリアはそう思い、余計縮こまった。
初めての長時間の移動にすっかりくたくただったが、本当の戦いはこれからだ。アメリアはもう一度小さくため息をついた。きっと、ここで自分は「何故カミラではないのか」と問いただされるに違いない。そして、ヒルシュ子爵への罵詈雑言を聞き、自分に対しても冷たい言葉を聞くだろう。だが、追い返されることだけは回避をしなければいけない。
(そんなことが自分に出来るのかしら)
何度も馬車の中で自問自答した。だが、いつでも答えは同じ。それは否。自分には抗う術が何もない。いくら体裁を取り繕っても、妻になれる資格はないだろうし、だからといって家に戻れと言われても家族は誰も自分を受け入れてはくれないだろう。ならば、ここから追い出されて、どこに行けばいいというのか。
(夕方ですもの。せめて……せめて、追い出されるにしても、朝になってからにしていただければ……床にひれ伏して、頭を下げて、どうにか……)
手が震える。なんとか拳に力を入れる。父親であるヒルシュ子爵に何度も何度も繰り返し「どうにか気に入ってもらうんだ」と言われ続けた。だが、そんな自信はないし、だったらカミラを嫁に出せばよかったのに、と今考えても仕方がないことを思う。
(もう一度深呼吸をして……)
すうっと息を吸い込み、ゆっくり吐き出す。それとほぼ同時に馬車のボックスの扉が開いた。
「アメリア様。バルツァー侯爵家でございます。どうぞ、お降りくださいませ」
ああ、腹を決めなければ。アメリアは「はい」と返事をして、重い腰をあげた。
バルツァー侯爵家からは、特に歓迎のための者が邸宅外に出るわけでもなく、そのまま邸宅に入ることを促された。馬車の御者は頭を下げて、すぐに馬車に乗って引き返してしまう。
手には小さなトランク1つ。他に嫁入り道具も何もない。それは、バルツァー侯爵家からの要望で「すべてこちらで準備するので身一つで来ていただければ」という話だったからだ。
それが本当なのかはわからなかったが、仕方なくアメリアはトランクをぎゅっと握りしめて歩を進めた。邸宅の出入口には二人の門兵が立っており、じろじろとアメリアを見る。
「ヒルシュ子爵家より参りました。アメリア・ナーシェ・ヒルシュと申します。バルツァー侯爵様はご在宅でいらっしゃいますか」
どう尋ねれば良いのかはわからなかったが、おずおずと問う。すると、門兵たちはハッ、と体勢を引き締めて
「あっ、えっ、あのっ、あなたが……ヒルシュ子爵家の……?」
「はい」
「え……」
2人は互いに目配せをしあう。そうか。きっと、絶世の美女が来るとでも噂になっていたのだろう……そう思ってアメリアは悲しくなる。胸の奥がぎゅっと締め付けられるように痛い。
「失礼いたしました。少々お待ちください」
「はい」
片方の門兵が、邸宅の中に入っていく。ああ、怖い。きっと、話と違う女がやってきた、ということまでも伝えられているのだろう。そう思えば、どんどん肩身が狭くなっていく。
やがて、邸宅から門兵が戻って来て「どうぞ、お入りください」と声をアメリアにかけた。それへ礼を言って、おずおずと邸宅内に入る。
「あっ……」
広いエントランスは明るく、そこに何人もの使用人が立っている。アメリアはすっかり怖気づいたが、足を止めただけでなんとか震える声でカーテシーを行った。本来、使用人しかいない場でカーテシーを行うことはあり得ないのだが、彼女はすっかり動転をしていたのだ。
「失礼いたします。アメリア・ナーシェ・ヒルシュと申します。遅いお時間に参りましたこと、深くお詫び申し上げます……」
すると、それを聞いた執事らしき男性がアメリアに近づいて来る。
「アメリア様、ようこそバルツァー侯爵家に。お待ちしておりました。わたくしはバルツァー侯爵家執事ディルクと申します。どうぞ、末永くよろしくお願いいたします」
「はい」
「大変申し訳ございません。本日、当主でございますバルツァー侯爵が不在でして……真夜中の帰宅予定になっております。ですので、まずはお部屋にご案内いたしましょう。侯爵様とは明日お会いすればよろしいかと」
その言葉にアメリアはほっとする。ああ、それならば、今日一晩はここに泊めてもらえるのだ。罵声を浴びせられて追い出されるとしても、それは明日以降になるのだろう。そう考える。
「ありがとうございます」
「こちらは侍女頭のリーゼです」
「あっ……よろしくお願いいたします」
「アメリア様。よろしくお願いいたします」
人々は、アメリアが「よろしくお願いします」と言ったことにぴくりと驚きの表情を見せたが、アメリアにはそれがわからない。リーゼは四十路ぐらいの女性で、柔らかい笑みを湛えている。まずは正体がわからない自分にもそれなりにしてくれようとしているのだ……アメリアはそう思い、余計縮こまった。
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