敵国に嫁いだ姫騎士は王弟の愛に溶かされる

今泉 香耶

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56.事後処理

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「腹立たしい。腐っても王族。それへ剣を向けるわけにはいきませんものね」

 低い声。エレインは自分の内側に生まれた怒りを必死に押し留め、自分の右手を左手で押さえる。ああ、許せない。今すぐ、剣をとって王太后を斬り捨ててしまいたい。そんな風に、人を、個人を憎んだことは初めてだ。そして、個人を殺そうと思ったことも。それほどまでにエレインは強い怒りを感じ、それを持て余す。

「仕方ない。触れずに、苦しんでもらいましょう」

ずい、とエレインは王太后に近づく。ヒステリックな声をあげる王太后。

「止まりなさい……止まれと言っているのよ!」

「あなたの言うことを、もうわたしは聞きません」

 王太后はあとずさる。エレインは更に彼女に近づく。またあとずさる。近づく。それを繰り返し、王太后の背は壁についた。エレインの脇腹からは血が流れ出ており、それがぽたぽたと床を汚していく。

「……はっ!? な、何……? 何に、何に押されてるの、これは……」

 エレインは更に王太后に近づく。見る見るうちに王太后は顔を真っ赤にして叫んだ。

「痛い! 痛い! 何なの!? やめなさい、やめっ……いだいいいいいいいい!」

「わたしの天恵、わたし自身を襲う攻撃をはじき返すという特性があるんですけどね。それとは別に」

「やめっ、やめてぇぇぇ……」

「目に見えない壁のようなものを作ることも出来るんです。ね、残念でしたね。ペネトレイトとガーディアン、どちらが強いか確認出来なくて。でも、わたしの力をあなたが体感してくださってもいいんですよ」

 エレインは、王太后に更に近づいた。脇腹の痛みに表情が歪む。鬼気迫るその風貌に王太后は恐怖を感じつつ、ぴったりと壁を背にしてまったく動けなくなる。目に見えない壁が2人の間にあって、それで壁に押しつぶされようとしている……それに気づいた王太后は、涙目になって叫んだ。

「いやあああ! 痛い! やめて! 助けなさい!」

 王太后は苦しげな声をあげた。ぼろぼろと泣きながら「助けて!」と叫び続ける王太后にまた一歩、エレインは近づいた。王太后の胸は見えない何かに潰されており、鼻に痛みを感じたのか必死に横を向けば、次は頬が押しつぶされる。動こうにももうそれ以上動けない。

「わたしもアルフォンスも、自分が得た天恵でそれぞれが守るべき国を守ろうとした。それが王族たる者の為すべき姿だ。あなたはそれで何をした?」

「うるさい! うるさい!」

 エレインは小さくため息をついて、王太后からあっさりと離れた。王太后は、そのままずるずると壁を背にしたまま床に崩れる。はぁ、はぁ、と荒く息をつき、震える手で自分の顔や体に触れ、曖昧な「大丈夫か」どうかを確認する。その隙にエレインはテーブルに近づき、テーブルクロスを一気に引き抜いた。ガシャガシャと茶器や焼き菓子が床に落ちるが、それを気にしている場合ではない。

 彼女は剣を手にしてテーブルクロスを切り裂くと、すぐさま王太后の両腕を前に縛った。それから、アルフォンスの元へと駆け寄って傷口の様子を窺う。

(傷口は大きくは開いていない。出血のわりに損傷は軽度だな。まだ、血は出ているか)

 テーブルクロスを裂いて重ねる。それでアルフォンスの傷口を覆い、エレインは体重をかけた。彼の顔から血の気は失われてはいないことを確認して、少しだけ安堵の息を吐く。

 すると、かすかに彼の意識は戻ったようで、目を細く開いて「エレイン」とか細い声を発した。

「はい。ここに。ここにおります」

「大丈夫か……?」

 本当は、彼に脇腹を切られた。だが、きっと彼はそのことを知らないのだろうと思う。エレインは「はい」とだけ答える。

「あなたを……守れたならば、よかったのだが……」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちにアルフォンスは目を閉じ、ふっと再び意識を失う。泣きそうだ、とエレインは思った。湧き上がって来る涙をこらえながら彼の止血をし続けると、ランバルトが室内に入って来る姿が見える。

「ランバルト、待て。王太后が天恵を使うかもしれない。だから、天恵……」

 天恵封じのブレスレットを。そう言おうとしたが、彼がそれを持っていることに気付いて驚くエレイン。

「エレイン様。大丈夫です」

 どうやらランバルトは他に兵士を何人も連れて来ているようだった。だが、部屋に入って来たのは彼一人。そして、王太后は彼が持つバングルを見て明らかに顔色が変わった。

「や、やめなさい。そのバングルは……」

「残念です。あなたは、あなたを生かしてくださったアルフォンス様の御父上のことも、アルフォンス様のことも、裏切られたのですね」

「っ!」

 ランバルトは王太后に近づく。王太后はランバルトをじっと見て、それから「どうして効かないの……アルフォンスが死んでいないから? では、まだアルフォンスはわたしの天恵で……」とぶつぶつと呟いた。その間、ランバルトはテーブルクロスで縛られている彼女の手首にバングルを装着して「入れ!」と兵士たちに命じた。

 兵士の後ろから、ターニャが呼んできた王城付きの医師が入って来てエレインの横に跪いてアルフォンスの傷を見た。ようやく少し気が抜けると、脇腹が痛むな……とエレインはわずかに顔をしかめる。

「エレイン様」

「ランバルト。早かったですね」

「はい。アルフォンス様にお渡ししていた、わたしの天恵が入っている石が発動したのを感じ取ったので、もう慌ててやって来ました」

「あなたも天恵持ちだったのですね」

 はい、とランバルトは頷く。やがて、アルフォンスの応急処置が終わったと医師はエレインに告げた。と、エレインのドレスの脇腹が赤く染まっているのを見て、医師は裏返った声をあげる。

「王妃陛下も傷を負っているではないですか!」

「大丈夫です」

 少し息が苦しくなって来たが、アルフォンスの治療が先決だ。今は、この場から動かせるようにあくまでも応急処置をしただけなのだし。エレインはふう、と呼吸を整える。痛みが増していたが、彼女は必死に平静を装った。

「連れて行け!」

 ランバルトの声。見れば、王太后は手に枷をつけられて、兵士に囲まれ部屋から連れ出された。何やら叫んでいたが、それで心が動くランバルトではない。彼は王太后と入れ替わりで、部屋の外で立っていたターニャを室内に招き入れた。

「ターニャから話を軽く聞きました。王太后がアルフォンス様を操っているようだった、と」

 なるほど、ターニャは王太后の手先ではあったものの、天恵のことまでは知らなかったのだろう。青ざめた顔のターニャにエレインは近づいて

「ターニャ。ありがとう」

とねぎらった。ターニャは決してエレインの味方ではなかったけれど、かといって王太后のように、人の命を軽くは考えていない。王太后はターニャにとってのタブーを簡単に犯してしまったのだろうとエレインは思う。ターニャは震えながら自分のハンカチを出して「王妃陛下……」と脇腹に押し当てようとする。が、それをエレインは断った。

「王太后様は……どうなってしまうのでしょうか……?」

「余罪を洗わなければいけないでしょう。あなたも、おわかりでしょう。あの方は、王族以外の男性を操る天恵の使い手だと思われます」

「わたし……王妃陛下の手に……前々国王陛下が持っていたブレスレットと同じものをつけていらっしゃることを王太后様に話してしまいました……それが、何か、悪かったのでしょうか……」

 なるほど。ターニャにその話を聞いて、王太后は「アルフォンスを守っていた魔除けのブレスレットを、今はエレインがしているのだ」と知ったのだろう。だから、今回アルフォンスを狙ったのだと腑に落ちた。

 ターニャは、エレインがしていたブレスレットが何のブレスレットなのかはわからなかった。ただ、昔前々国王がつけているところを見たことがあったのだ、と言う。だから、それは代々国王が引き継ぐような何かなのかと思っていたのだが……と。

 担架が運び込まれ、アルフォンスがそこにのせられる。エレインは「ついていっても良いでしょうか」とランバルトに尋ねた。それは、事後処理をすべてランバルトに任せたい、という意味だ。

「あなたも御手当てを」

「アルフォンスの部屋でしてもらいます」

 そう言うと、今更であったがエレインは残ったテーブルクロスを重ねて脇腹にあてる。それから、アルフォンスを乗せた担架と共に月華の棟を出た。一同は入口でエリーストとすれ違うが、彼を守る護衛騎士には既に話が伝わっていたようで、エリーストを下がらせて道を開ける。エリーストは何かを叫んでいたが、エレインはぐらぐらと倒れそうで、それどころではなかった。
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