世間知らずの魔塔主は優しい娼婦を溺愛する

今泉香耶

文字の大きさ
43 / 74

14-4.忍び寄る影(4)

しおりを挟む
 バネッサは娼館の自室で「どうしよう」と項垂れていた。何度も何度も考え続け、気が付けば夜が近づく。暗い室内で椅子に座ってため息を一つ。

(コンラートに飲ませるなんて……でも、飲ませなかったら)

 家族を殺されてしまう。家族と言っても、義父だけなら別にいいのでは、と一瞬思う。だが、それもほんの一瞬のことだ。

(違うわ。どんなにひどい人でも、そんな形で殺されるなんてことがあっていいわけないのよ……)

 そう思うと、じんわりと涙が湧き上がって来た。そんなこと、知りたくなかった。あれだけ腹を立てていた義父に対しても「死ねばいい」とは思っていない。それに、母親だってそうだ。

(弟も、妹も。わたしと半分しか血が繋がっていないけれど……それでも)

 彼らは何も悪いことはしていないと思う。こんな形で命を奪うことは間違っていると思う。だって、彼らには何も関係がないのだ。

(コンラートを守って家族を殺されるか。それとも、家族を守ってコンラートを昏睡させるか)

 コンラートの命は奪わない、と男たちは言っていたが、その言葉が本当ではない可能性も高い。それぐらいは彼女にも理解が出来る。だから、これは単純にコンラートと家族の命を天秤にかける選択なのだろう。

(駄目。コンラートに薬を盛るなんて、そんなこと……毒かもしれないのに……)

 どうしたらいいんだろう。こうしている間も、あの男につけられた「監視」とやらがこの部屋にいる自分を見ているのだろうと思うと、ぞっとする。今頃、あの男たちはこうやって悩んでいる自分の姿を、みなでどうこう言いながらあざ笑っているに違いない。だが、既にそれに腹が立たないぐらい、彼女は思い悩んでいた。

 彼の治癒能力を信じればいいのか。いや、だって彼は言っていたではないか。

――首を跳ねられたり、心臓を貫かれればきっとそれは無理なんだと思います。さすがに、どの程度まで大丈夫なのか試す気はありませんが――

 それは、外傷の話だ。そうではなく、体の内側のことはどうなんだろうか。それに、即効性の毒だったら。飲んで一瞬で心臓が止まるような、そんな劇薬だったら、それこそ心臓を貫かれると同じで治癒は無理に違いない。そういう毒の可能性はある。そうだ。もしかしたら、毒で。コンラートがその場で倒れたら。彼を殺したのは自分ということになる。そうしたら……

(魔塔の主を殺害したということでわたしが罪に問われるわ。そして、もしかしたら娼館の営業にも影響が出るかもしれない。ああ、どうしたら……どうしたらいいのかしら……!)

 ふと、彼女は顔をあげた。本当になんということなく、視線をさまよわせる。そうだ。今日店で買った茶を落としてきてしまった。結構高かったのにな……とぼうっと思う。

「お茶……」

 いつも、彼に茶を出していた。ことを始める時に、興奮している人には冷たいものを。そうではない人には温かいものを。そう習ったからだ。彼は、口では性交の前はわくわくしている様子を告げていたが、なんとなく体が冷たいような気がしていた。それに、外は少しだけ夜は冷えているから。冷え切った体を抱いて温めてあげる、と言う常套句は悪くないけれど、本当に冷えている相手には勘弁だ……と娼婦たちも思っているし、バネッサもそうだ。

 けれど、そうではなかった。そうではなかったのに、いつも茶を出していた。彼は多分転移をしてこの娼館まで来ている。まったく寒さを心配する必要なく、黒い外套を身に纏って。なのに、何故か自分が彼を温めてあげようと思っていた。とんでもない勘違いだ、と苦笑いを浮かべる。その「何故か」は漠然としていた。ただ、彼を見て「温かいものを出そう」といつも思っていたのだ。なんとなく。

 でも。自分が出した茶を飲む彼が好きだった。そう大した茶でもないはずなのに、美味しいと笑う彼が好きだった。彼のことを自分は何もよく知らない。魔塔の主というものがどんな存在なのかも知らない。

 だけど、彼が茶を飲んで笑う時。彼の手が自分の体に触れる時、彼の唇が自分の唇に、体に落ちる時、そして彼のものに貫かれる時、彼の腕が自分を抱きしめる時。それらのすべても好きだった。これが恋でなければなんだというのだろうか。わかっていたけれども、自分は彼が好きで好きで仕方がないのだ。それを、こんな形で痛感するなんて、と悲しくなる。

 息を吐いて。吸って。吐いて。吸って。

 バネッサは、心を決めた。

(わたしが、飲む)

 監視をされているならば。茶に薬を入れて、そして。

 緊張をして、出し間違えたと言えばいい。いつもは出さないけれど、自分の分と彼の分両方を入れて、そして薬が入った方を……。

(本当に昏睡するだけなら、きっと彼はどうにかしてくれる気がするわ)

 けれども、本当にそうではなかったら。その時は……そう考えて、ぶるりとバネッサは震えた。

「ごめんなさい……」

 その謝罪は、コンラートへのものだ。勿論、彼に飲ませることを謝っているのではない。彼に「飲ませない」ことについての謝罪だ。

 約束をしたのに。これは、男たちに自分が殴られているのと同じことだ。自分を搾取しようとする誰かに手をあげられて、顔を叩かれているのと何も変わらない。コンラートと約束をしたのに、それでも自分はそれを守らずに破ってしまうのだ。そう思うと悲しくて仕方がない。

(彼は、約束を守ってくれたのに、わたしは守れないなんて)

 昨晩、カミオをコンラートは殺さずにいてくれた。約束をしたからと笑ってくれた。なのに、自分は何も守ることが出来ないのだ。バネッサは目の奥が熱くなるのを感じた。

(でも、これしかない。だってわたしだって……)

 約束を破ってでも、為したいことがあるのだ。自分は何も出来ないけれど、コンラートを守りたいと思う。そうだ。何も出来ないけれど、命を差し出せば……。

(怖い。怖い。怖い。でも、彼にこのことを告げたらそれだけで家族は殺されるかもしれない。だけど、わたしが飲めば、コンラートも、家族も、娼館だって、助かるんじゃないかしら………)

 体が震える。怖い。だが、震えている自分のことも見られているのだろうと思う。音が聞こえるのかどうかはわからない。けれども、口に出すな、口に出すな、口に出すな、と何度もバネッサは繰り返し思いながら、自分の体を両腕で強く抱いた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

ただ、隣にいたいだけ~隣人はどうやら微妙にネジが外れているようです~

Ayari(橋本彩里)
恋愛
隣人である小野寺翔は完璧な美貌、甘いマスク、高身長、高所得者、社交的で周囲にほぼ敵なしのハイスペック。 そんな男性の隣に住むことになりやたらと絡まれ、何かを含む甘い眼差しを向けられることに。 極めつけは微妙なネジの外れ具合。 それはどうやら私、藤宮千幸に対してのみ発揮されているみたいで。 なんて、はた迷惑なっ! 過去作を改稿。変甘です! イラストは友人kouma.作です♪

英雄騎士様の褒賞になりました

マチバリ
恋愛
ドラゴンを倒した騎士リュートが願ったのは、王女セレンとの一夜だった。 騎士×王女の短いお話です。

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

【短編】淫紋を付けられたただのモブです~なぜか魔王に溺愛されて~

双真満月
恋愛
不憫なメイドと、彼女を溺愛する魔王の話(短編)。 なんちゃってファンタジー、タイトルに反してシリアスです。 ※小説家になろうでも掲載中。 ※一万文字ちょっとの短編、メイド視点と魔王視点両方あり。

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

【R18】熱い夜の相手は王太子!? ~婚約者だと告げられましたが、記憶がございません~

世界のボボブラ汁(エロル)
恋愛
激しい夜を過ごしたあと、私は気づいてしまった。 ──え……この方、誰? 相手は王太子で、しかも私の婚約者だという。 けれど私は、自分の名前すら思い出せない。 訳も分からず散った純潔、家族や自分の姿への違和感──混乱する私に追い打ちをかけるように、親友(?)が告げた。 「あなた、わたくしのお兄様と恋人同士だったのよ」 ……え、私、恋人がいたのに王太子とベッドを共に!? しかも王太子も恋人も、社交界を騒がすモテ男子。 もしかして、そのせいで私は命を狙われている? 公爵令嬢ベアトリス(?)が記憶を取り戻した先に待つのは── 愛か、陰謀か、それとも破滅か。 全米がハラハラする宮廷恋愛ストーリー……になっていてほしいですね! ※本作品はR18表現があります、ご注意ください。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

処理中です...