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14-4.忍び寄る影(4)
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バネッサは娼館の自室で「どうしよう」と項垂れていた。何度も何度も考え続け、気が付けば夜が近づく。暗い室内で椅子に座ってため息を一つ。
(コンラートに飲ませるなんて……でも、飲ませなかったら)
家族を殺されてしまう。家族と言っても、義父だけなら別にいいのでは、と一瞬思う。だが、それもほんの一瞬のことだ。
(違うわ。どんなにひどい人でも、そんな形で殺されるなんてことがあっていいわけないのよ……)
そう思うと、じんわりと涙が湧き上がって来た。そんなこと、知りたくなかった。あれだけ腹を立てていた義父に対しても「死ねばいい」とは思っていない。それに、母親だってそうだ。
(弟も、妹も。わたしと半分しか血が繋がっていないけれど……それでも)
彼らは何も悪いことはしていないと思う。こんな形で命を奪うことは間違っていると思う。だって、彼らには何も関係がないのだ。
(コンラートを守って家族を殺されるか。それとも、家族を守ってコンラートを昏睡させるか)
コンラートの命は奪わない、と男たちは言っていたが、その言葉が本当ではない可能性も高い。それぐらいは彼女にも理解が出来る。だから、これは単純にコンラートと家族の命を天秤にかける選択なのだろう。
(駄目。コンラートに薬を盛るなんて、そんなこと……毒かもしれないのに……)
どうしたらいいんだろう。こうしている間も、あの男につけられた「監視」とやらがこの部屋にいる自分を見ているのだろうと思うと、ぞっとする。今頃、あの男たちはこうやって悩んでいる自分の姿を、みなでどうこう言いながらあざ笑っているに違いない。だが、既にそれに腹が立たないぐらい、彼女は思い悩んでいた。
彼の治癒能力を信じればいいのか。いや、だって彼は言っていたではないか。
――首を跳ねられたり、心臓を貫かれればきっとそれは無理なんだと思います。さすがに、どの程度まで大丈夫なのか試す気はありませんが――
それは、外傷の話だ。そうではなく、体の内側のことはどうなんだろうか。それに、即効性の毒だったら。飲んで一瞬で心臓が止まるような、そんな劇薬だったら、それこそ心臓を貫かれると同じで治癒は無理に違いない。そういう毒の可能性はある。そうだ。もしかしたら、毒で。コンラートがその場で倒れたら。彼を殺したのは自分ということになる。そうしたら……
(魔塔の主を殺害したということでわたしが罪に問われるわ。そして、もしかしたら娼館の営業にも影響が出るかもしれない。ああ、どうしたら……どうしたらいいのかしら……!)
ふと、彼女は顔をあげた。本当になんということなく、視線をさまよわせる。そうだ。今日店で買った茶を落としてきてしまった。結構高かったのにな……とぼうっと思う。
「お茶……」
いつも、彼に茶を出していた。ことを始める時に、興奮している人には冷たいものを。そうではない人には温かいものを。そう習ったからだ。彼は、口では性交の前はわくわくしている様子を告げていたが、なんとなく体が冷たいような気がしていた。それに、外は少しだけ夜は冷えているから。冷え切った体を抱いて温めてあげる、と言う常套句は悪くないけれど、本当に冷えている相手には勘弁だ……と娼婦たちも思っているし、バネッサもそうだ。
けれど、そうではなかった。そうではなかったのに、いつも茶を出していた。彼は多分転移をしてこの娼館まで来ている。まったく寒さを心配する必要なく、黒い外套を身に纏って。なのに、何故か自分が彼を温めてあげようと思っていた。とんでもない勘違いだ、と苦笑いを浮かべる。その「何故か」は漠然としていた。ただ、彼を見て「温かいものを出そう」といつも思っていたのだ。なんとなく。
でも。自分が出した茶を飲む彼が好きだった。そう大した茶でもないはずなのに、美味しいと笑う彼が好きだった。彼のことを自分は何もよく知らない。魔塔の主というものがどんな存在なのかも知らない。
だけど、彼が茶を飲んで笑う時。彼の手が自分の体に触れる時、彼の唇が自分の唇に、体に落ちる時、そして彼のものに貫かれる時、彼の腕が自分を抱きしめる時。それらのすべても好きだった。これが恋でなければなんだというのだろうか。わかっていたけれども、自分は彼が好きで好きで仕方がないのだ。それを、こんな形で痛感するなんて、と悲しくなる。
息を吐いて。吸って。吐いて。吸って。
バネッサは、心を決めた。
(わたしが、飲む)
監視をされているならば。茶に薬を入れて、そして。
緊張をして、出し間違えたと言えばいい。いつもは出さないけれど、自分の分と彼の分両方を入れて、そして薬が入った方を……。
(本当に昏睡するだけなら、きっと彼はどうにかしてくれる気がするわ)
けれども、本当にそうではなかったら。その時は……そう考えて、ぶるりとバネッサは震えた。
「ごめんなさい……」
その謝罪は、コンラートへのものだ。勿論、彼に飲ませることを謝っているのではない。彼に「飲ませない」ことについての謝罪だ。
約束をしたのに。これは、男たちに自分が殴られているのと同じことだ。自分を搾取しようとする誰かに手をあげられて、顔を叩かれているのと何も変わらない。コンラートと約束をしたのに、それでも自分はそれを守らずに破ってしまうのだ。そう思うと悲しくて仕方がない。
(彼は、約束を守ってくれたのに、わたしは守れないなんて)
昨晩、カミオをコンラートは殺さずにいてくれた。約束をしたからと笑ってくれた。なのに、自分は何も守ることが出来ないのだ。バネッサは目の奥が熱くなるのを感じた。
(でも、これしかない。だってわたしだって……)
約束を破ってでも、為したいことがあるのだ。自分は何も出来ないけれど、コンラートを守りたいと思う。そうだ。何も出来ないけれど、命を差し出せば……。
(怖い。怖い。怖い。でも、彼にこのことを告げたらそれだけで家族は殺されるかもしれない。だけど、わたしが飲めば、コンラートも、家族も、娼館だって、助かるんじゃないかしら………)
体が震える。怖い。だが、震えている自分のことも見られているのだろうと思う。音が聞こえるのかどうかはわからない。けれども、口に出すな、口に出すな、口に出すな、と何度もバネッサは繰り返し思いながら、自分の体を両腕で強く抱いた。
(コンラートに飲ませるなんて……でも、飲ませなかったら)
家族を殺されてしまう。家族と言っても、義父だけなら別にいいのでは、と一瞬思う。だが、それもほんの一瞬のことだ。
(違うわ。どんなにひどい人でも、そんな形で殺されるなんてことがあっていいわけないのよ……)
そう思うと、じんわりと涙が湧き上がって来た。そんなこと、知りたくなかった。あれだけ腹を立てていた義父に対しても「死ねばいい」とは思っていない。それに、母親だってそうだ。
(弟も、妹も。わたしと半分しか血が繋がっていないけれど……それでも)
彼らは何も悪いことはしていないと思う。こんな形で命を奪うことは間違っていると思う。だって、彼らには何も関係がないのだ。
(コンラートを守って家族を殺されるか。それとも、家族を守ってコンラートを昏睡させるか)
コンラートの命は奪わない、と男たちは言っていたが、その言葉が本当ではない可能性も高い。それぐらいは彼女にも理解が出来る。だから、これは単純にコンラートと家族の命を天秤にかける選択なのだろう。
(駄目。コンラートに薬を盛るなんて、そんなこと……毒かもしれないのに……)
どうしたらいいんだろう。こうしている間も、あの男につけられた「監視」とやらがこの部屋にいる自分を見ているのだろうと思うと、ぞっとする。今頃、あの男たちはこうやって悩んでいる自分の姿を、みなでどうこう言いながらあざ笑っているに違いない。だが、既にそれに腹が立たないぐらい、彼女は思い悩んでいた。
彼の治癒能力を信じればいいのか。いや、だって彼は言っていたではないか。
――首を跳ねられたり、心臓を貫かれればきっとそれは無理なんだと思います。さすがに、どの程度まで大丈夫なのか試す気はありませんが――
それは、外傷の話だ。そうではなく、体の内側のことはどうなんだろうか。それに、即効性の毒だったら。飲んで一瞬で心臓が止まるような、そんな劇薬だったら、それこそ心臓を貫かれると同じで治癒は無理に違いない。そういう毒の可能性はある。そうだ。もしかしたら、毒で。コンラートがその場で倒れたら。彼を殺したのは自分ということになる。そうしたら……
(魔塔の主を殺害したということでわたしが罪に問われるわ。そして、もしかしたら娼館の営業にも影響が出るかもしれない。ああ、どうしたら……どうしたらいいのかしら……!)
ふと、彼女は顔をあげた。本当になんということなく、視線をさまよわせる。そうだ。今日店で買った茶を落としてきてしまった。結構高かったのにな……とぼうっと思う。
「お茶……」
いつも、彼に茶を出していた。ことを始める時に、興奮している人には冷たいものを。そうではない人には温かいものを。そう習ったからだ。彼は、口では性交の前はわくわくしている様子を告げていたが、なんとなく体が冷たいような気がしていた。それに、外は少しだけ夜は冷えているから。冷え切った体を抱いて温めてあげる、と言う常套句は悪くないけれど、本当に冷えている相手には勘弁だ……と娼婦たちも思っているし、バネッサもそうだ。
けれど、そうではなかった。そうではなかったのに、いつも茶を出していた。彼は多分転移をしてこの娼館まで来ている。まったく寒さを心配する必要なく、黒い外套を身に纏って。なのに、何故か自分が彼を温めてあげようと思っていた。とんでもない勘違いだ、と苦笑いを浮かべる。その「何故か」は漠然としていた。ただ、彼を見て「温かいものを出そう」といつも思っていたのだ。なんとなく。
でも。自分が出した茶を飲む彼が好きだった。そう大した茶でもないはずなのに、美味しいと笑う彼が好きだった。彼のことを自分は何もよく知らない。魔塔の主というものがどんな存在なのかも知らない。
だけど、彼が茶を飲んで笑う時。彼の手が自分の体に触れる時、彼の唇が自分の唇に、体に落ちる時、そして彼のものに貫かれる時、彼の腕が自分を抱きしめる時。それらのすべても好きだった。これが恋でなければなんだというのだろうか。わかっていたけれども、自分は彼が好きで好きで仕方がないのだ。それを、こんな形で痛感するなんて、と悲しくなる。
息を吐いて。吸って。吐いて。吸って。
バネッサは、心を決めた。
(わたしが、飲む)
監視をされているならば。茶に薬を入れて、そして。
緊張をして、出し間違えたと言えばいい。いつもは出さないけれど、自分の分と彼の分両方を入れて、そして薬が入った方を……。
(本当に昏睡するだけなら、きっと彼はどうにかしてくれる気がするわ)
けれども、本当にそうではなかったら。その時は……そう考えて、ぶるりとバネッサは震えた。
「ごめんなさい……」
その謝罪は、コンラートへのものだ。勿論、彼に飲ませることを謝っているのではない。彼に「飲ませない」ことについての謝罪だ。
約束をしたのに。これは、男たちに自分が殴られているのと同じことだ。自分を搾取しようとする誰かに手をあげられて、顔を叩かれているのと何も変わらない。コンラートと約束をしたのに、それでも自分はそれを守らずに破ってしまうのだ。そう思うと悲しくて仕方がない。
(彼は、約束を守ってくれたのに、わたしは守れないなんて)
昨晩、カミオをコンラートは殺さずにいてくれた。約束をしたからと笑ってくれた。なのに、自分は何も守ることが出来ないのだ。バネッサは目の奥が熱くなるのを感じた。
(でも、これしかない。だってわたしだって……)
約束を破ってでも、為したいことがあるのだ。自分は何も出来ないけれど、コンラートを守りたいと思う。そうだ。何も出来ないけれど、命を差し出せば……。
(怖い。怖い。怖い。でも、彼にこのことを告げたらそれだけで家族は殺されるかもしれない。だけど、わたしが飲めば、コンラートも、家族も、娼館だって、助かるんじゃないかしら………)
体が震える。怖い。だが、震えている自分のことも見られているのだろうと思う。音が聞こえるのかどうかはわからない。けれども、口に出すな、口に出すな、口に出すな、と何度もバネッサは繰り返し思いながら、自分の体を両腕で強く抱いた。
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