私を溺愛している婚約者を聖女(妹)が奪おうとしてくるのですが、何をしても無駄だと思います

***あかしえ

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52.行進

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 ソフィアとエルウィンが乗っている白い馬車は、ゆっくりとしたスピードで進行している。馬車の様子がはっきりと見えるまで、まだ時間は少しかかりそうだ。

 ――早く、ここから離れないと……子供たちは、ソフィアの馬車が通り過ぎるまでは警備兵に任せることにしよう。

 人込みに紛れて沿道から離れようとしたルイーゼだが、数メートル先、さくに手が届きそうなほどの距離にいる子供たちに気づいた。最悪だ。それほど離れてないがこの人込み……。油断するとまた見失てしまいそうで焦る。
 人込みを縫い、目的の場所へ一直線に駆け出そうとしていたルイーゼを、背後にいたマルグリートが慌てて止めた。

「ルイーゼ様! 私が参ります!」
 振り返るルイーゼにマルグリートが問いかける。
「あの子たちは、あちらの方にいたのですね?!」
「え、ええ……」

 マルグリートには、子供たちの姿は見えなかった。ルイーゼから身振り手振りで説明を受け、おおよその場所を把握すると――。

「ルイーゼ様はお下がり下さい! これ以上、通りに近づかれてはに気づかれてしまいます」
 マルグリートに丸投げする格好となり、ルイーゼは激しく申し訳なさを感じるが。
「迷子捜しにルイーゼ様を巻き込んだのはこちらの落ち度です。こちらこそ、面倒ごとに巻き込んでしまって……」
 マルグリートはルイーゼに小さく謝罪をすると、急ぎ子供たちの元へ向かった。

 彼女の背中を見送りながら、ルイーゼは視界の端に映る馬車との距離が近づいていることに気づいた。……傷つくだけだと分かっているのに、思わず目が追いかけてしまう。


 はじめは、馬車に淡い光を放つような器具がついているのかと思った。けれど、すぐに違うと――光を放っているのは、あの二人だと分かった。

 ――この歓声は、周囲もそれに気づいているからか。あれが、『神の奇跡』? あの光があるから、ソフィアはエルウィンを私から奪う事がゆるされたの?!

 ルイーゼの心に、苦い思いが広がっていく。諦めたはずなのに、エルウィンのためだと納得したはずなのに、それでもどうしても暴れ出しそうになる想いがある。

 ソフィアは荷台の上から沿道に詰めかけた人々に手を振っていた。とても幸せそうな笑みを浮かべて……。彼女を視界に入れてしまえば、隣にいるエルウィンにも視線がいってしまう。

 無理矢理ずらした視界に次に入ったのは、見知った子供たちの姿だ。柵をくぐり抜けて馬車へと近づく、幼い二人の姿が見える。

 ――マルグリート様、間に合わなかった?! 子供たちは大丈夫かしら?!  不審者として捉えられてしまうんじゃ……!

 動揺したのはルイーゼだけではない。沿道につめかけていた市民からも、混乱の声が上がっている。

「おい、君たち待ちたまえ!」
 闖入者子供たちを衛兵が取り押さえようとしているが、鬼ごっこスイッチでも入ってしまったのか、子供たちは逃げ惑いながら馬車へ近づいて行く。しかも、ソフィア自身が衛兵を制した。ルイーゼの位置から詳細は分からないが、ソフィアが子供たちを迎え入れるために馬車を降りて、子供たちに歩み寄ろうとしているのは見えた。

 ――ソフィア? どういうつもり?

 馭者をはじめ、多くの衛兵がソフィアを止めるが、大人しく聞き入れる彼女ではない。諦めたのか、ソフィアに続いてエルウィンも馬車から降り、子供たちに向き直り、気づいた。

「君たちは――」
「あーっ! この間のお兄ちゃんだ!」
「どうして聖女様と一緒にいるの???」

 真っ白なドレスを着た聖女様に引き寄せられるように近づいていった子供たちだったが、エルウィンの姿を見つけると、すぐに興味の対象が変わったらしく彼に近寄った。

 子供たちは、大興奮状態でエルウィンにしがみつこうと手を伸ばし、エルウィンはそれに慣れた様子で対応している。衛兵も、子供たちはエルウィンの知り合いらしいと察知し警戒を解いた。

「この子たちを迷子センターへ――」
 数分待ち、寄ってきた迷子担当職員へエルウィンが子供たちを預けようとしていると、少女が無邪気な一言を放った。

「お兄ちゃんは行かないの? お兄ちゃんのお嫁さんとさっきまで一緒にいたんだよ!」

 エルウィンは「誰のことだ?」と言いたげな顔をしたが直ぐに納得がいったように子供二人に向き直った。
「……出歩いていたのか、あいつ。危ないと言ったのに……」

「どういうこと?!」

 ヒステリックにソフィアが叫び声を上げ、迷子担当の元へ歩きかけていた子供たちが怯えて、引き返しエルウィンの足にしがみついた。エルウィンはソフィアのヒステリーに顔色一つ変えず、一瞥いちべつすると子供たちを落ち着かせることを優先した。

「エルウィン様! その子たちはこちらで引き取りますので、貴方はを――」
 そこへ、ようやくマルグリートが駆けつけ、子供たちを引き取ろうとするが遠くから彼女を見かけた衛兵の一人が、
聖女様ではありませんか?! 失礼致しました、この子たちは貴女様のお知り合いでしたか!」
 と、余計な一言を発した。

 それを聞いたソフィアの顔色が変わる。状況のまずさを察知したのはこの場ではマルグリートだけ。エルウィンは記憶を失っているし、部外者はエルウィンを巡る三角関係を知らない。エルウィンも何かしらを感じてはいるが、「いつものわがまま」という印象を拭えないでいるような態度だ。

「どうして貴女がここにいるの?」
 ソフィアの問いに、マルグリートは頭をフル回転して答えを探す。
「聖女様に危険が及ばないよう、遠くから見守っているよう頼まれたもので」
「うそ! 教皇様から聞いたもの……先代聖女様は、今回のパレードに参加するのを拒否したって!」
「人前に出るのが苦手なだけで、聖女様の身の安全を常にお祈り申し上げております」
 冷静な口調で頭を下げ、ソフィアが落ち着くよう言葉を探す。

「ならなぜ……で出てきたの?! 平民の子供二人! その子たちがただの無力な子供だってことぐらい、元・平民のわたしが一番よく分かってる!」
「聖女様! お心をお鎮め下さい!」

「馬鹿にしないでッ!!!」

 ソフィアは己を制しようとするマルグリートを怒鳴りつけ、マルグリートを守るように動く衛兵に罵詈雑言ばりぞうごんわめき散らす。麗しの聖女様であるはずのソフィアの豹変ひょうへん振りを目の当たりにして、子供たちは混乱している。

「その子たちが言ってるのって、のことなんでしょう?! どうして……どうしてどうしてどうしてどうして!!!」

 衆人環視の中、ヒステリックに叫ぶ聖女に民衆は困惑するが、ソフィアはそんなことは一切気にもせず、ひたすらに叫び続ける。

 徐々に我に返り初めて来た子供たちがエルウィンから手を離し、ソフィアから離れようとあらぬ方向へ逃げ出した。――馬車につながれていた馬の足元をかすめて。驚いた馬が暴れだし、子供が蹴飛ばされそうになったところを、エルウィンが慌てて引き寄せた。

 引き寄せられた子供はエルウィンの腕の中で茫然としていたが、沿道に見知った顔を見つけると、

「お姉ちゃん!」

 何も考えずに叫んだ。幼い頭と心では冷静な判断などできなかったし、彼女の存在を聖女から隠さなければならないなど知らないのだから。子供たちの視線の先にいたのはルイーゼだ。

 ルイーゼは無計画に柵を乗り越えて一同の前に姿を現したわけではない。いまだに柵の向こうにいるし、ちゃんと人垣に姿を隠していた。ソフィアが叫び暴れ出したため人々が動揺し、崩れた人垣の隙間から、ルイーゼは見つかった。

「ルイーゼ様?!」
 マルグリートが驚き叫ぶ。ルイーゼはこの場を一瞥いちべつし、どうしようかと考える。

 この騒動で、離れた場所にいたルイーゼにも状況は理解できた。ソフィアはルイーゼと子供たちを関連づけて考えている。それが真実か否かなんて関係ない。彼女が、子供たちを「嫌な存在」と捉えただけで子供たちの未来が奪われる。

 ――ひとまず子供たちをこの場から引き離さないと! 今の状況では知らない大人が行っても、逃げるだけかもしれない!

「あなたたち、こっち来なさい!」
 ルイーゼが子供たちにそう声をかけると、子供たちもルイーゼを振り返るが、こっちに来る気配がない。パニック状態に陥っているようだ。

 エルウィンは子供たちを抱えて柵へ走り寄り、ルイーゼに子供たちを託す。
「この子たちを安全な場所へ!」
「わ、分かりました!」

 記憶を持たず、今がどれほど危険な状態なのか分かっていないはずのエルウィンが、子供たちをルイーゼに託しこの場から逃げるように指示を出す。そんなルイーゼを、ソフィアが見逃すはずもない。

「やっぱりお姉様……!」
 憎しみに満ちた目でルイーゼを見るソフィアは、誰がどこから見てもなどではなかった。

 聖女をあがめ奉り、その姿を一目見ようとこの場に駆けつけた人々の、憧れのまな差しが失望のそれに変わり、やがて異質なモノを見るような嫌悪に満ちた目に変わっていくのに、ソフィアは気づかない。

「どうして、ここにお姉様がいるの?! 消えなさいよ! お姉様の出る幕はもうないんだからっ!」

 馭者が馬をなだめていたが、ソフィアのヒステリックな声が引き金となったのか、の怒りに馬が支配されたのか――いななきと同時に馭者を吹っ飛ばし、前足を蹴り上げる!

「きゃあああ!」
「うわあ!」
 沿道にいたルイーゼめがけて馬が突っ込んで来ようとしているのだから、周囲にいた観客たちは驚き悲鳴をあげて逃げ惑う。馭者が慌てて対処できたのは、荷台と馬をつなぎ止めていたハーネスを外すことくらいだった。鉄製の荷台も合わせて暴走していたら確実に死人が出る。
 混乱がこの場を支配していたが、衛兵たちも混乱しているのは同じなのか、訓練通りに動くことができていない。

 背負うものがなくなり身軽になった馬は、間を置かずにルイーゼたちがいる方向へ、柵を壊して突っ込んできた!
 ルイーゼは咄嗟とっさに、子供たちを大人に任せ自分がおとりになろうかと考えたが、そこまで余裕のある大人はいない! 子供たちを引っ張り背中でかばいながら、その場から逃げる!

 それを見たエルウィンがソフィアの側を離れ、ルイーゼと子供たちを守るために動く気配を察し、その腕にすがり付いた。

「待ってエルウィン様! どうして……どうしてエルウィン様が行くの?! いいじゃない、あんな子たち! 貴方はわたしの側にいるべきだわ!」

「いい加減にしろッ!」
 エルウィンはソフィアを怒鳴りつけると、その手を振り払いルイーゼの元へと走る。腕を振り払われ、その勢いで呆然と地べたに座り込むソフィアを振り返ることなく。
 そのまま暴れ馬に飛び乗り、御すために手綱を握る。手綱を強く引き道の中央……人のいない場所へ誘導すると、馬の首を右に左に動かし平静を取り戻させた。
 暴れ馬を大人しくさせるとルイーゼの元へ駆け寄り、その手を掴む。

「危ない真似はするなと言っただろう?!」
「すみ、ま、せん……」
 常にない激昂げきこう振りに、ルイーゼは驚いた。いつもは絶妙な力加減で掴まれる腕も、今回ばかりは平静ではいられないのか手加減なしで掴まれているため痛い。痛いから放せとは何となく言いづらく、ルイーゼはそのままにしていた。

 ――あとがつくくらいが、ちょうどいいかも。


 馬が大人しくなり、平静を取り戻した衛兵たちが場の混乱に対処しようと動き出した。直接、暴れ馬に蹴られたものはいないだろうが、馬が破壊した柵に当たって怪我をした者複数、逃げる最中手足に怪我を負ったもの数名、周辺の店になだれ込み転倒に巻き込まれたもの複数……結構な被害が出ている。放置しておくわけにはいかない。
 そんな衛兵たちから遠巻きにされ、地べたに座り込んだままだったソフィアは、うつろな瞳で周囲を一瞥いちべつする。
「何をしているの?」
「怪我人の対処ですが……」
 ソフィアを護衛するために残っていた衛兵が、どこか怯えたような視線をソフィアに送る。先程の一連のやり取りで、ソフィアを清廉潔白な聖女とはもう思えないのだろう。
「待ちなさい。お前たち、お姉様を……あの女を捕らえるのよ!」
「え……あの、ですが今は怪我人を優先しないと……」
「そんなのはどうでもいいわよっ! わたしの言うことが聞けないの?!」

 ソフィアと衛兵のやり取りはルイーゼの耳にも届いた。当然、彼女の隣にいるエルウィンの耳にも同様に。

「何を……言っている?!」
 ルイーゼを指し示し捕縛を命じたソフィアを、エルウィンが異形のものでもみるかのような目で見返す。
「何してるの?! 早く捕らえてよ! あの人がエルウィン様をわたしから奪おうとしてるわ!」
 衛兵も困惑するばかりでソフィアの命令に従わない。衛兵たちは己の心境の変化に混乱しているのか、互いの顔を見合わせるばかり。

「エルウィン様! こっちへ来て! ねぇ、エルウィン様、そんな女どうでもいいでしょう? ねえ、わたしを愛しているでしょう?!」
 ソフィアは一心不乱にエルウィンに言葉を投げ続けている。しかし、彼女が叫べば叫ぶほど、言葉を重ねれば重ねるほど、彼の胸中にかろうじて残っていた義務感すら粉々に砕け散って行く。

「聖女様、落ち着いて下さい!」
 呆けていた衛兵たちも我に返ったのか、聖女をなだめる部隊と平民を散開させる部隊とに別れて事態の沈静化にあたっているのだが、ソフィアにはそれが分からない。


「なんで……なんでよ?! 偉い人もみんな言ってたじゃない! わたしは選ばれたんだって、わたしの望みは何でも叶えるって、わたしの願いは正しいことだって、みんな言ってたじゃない!」

 立ち上がり、衛兵を押しのけてエルウィンへすがり付こうと手を伸ばすが、彼はそれを拒絶してルイーゼと子供たちをソフィアからかばうように防御体勢を取ろうとしている。

「みんな言ってた……そうよ、そう。みんな言ってた、うん、みんな言ってたの、みんな言ってたもの言ってた、みんなが、みんな、みぃんな言ってた、みんながね? 言ってたから言ってたの言って――」
「ソフィア?」
 エルウィンのいぶかしむような声が届いているのかいないのか、混乱と苦汁をめたような表情が一転、ソフィアはその顔に愛らしすぎる――狂気に満ちた笑みを浮かべる。

「そう……そうよ、わたしは聖女なんだから、神様に選ばれたわたしの望みは、神の望み! あんな人死ぬべきなのよ! それが神の意志だわ!!!」

 その言葉を放った瞬間、この場に強い風が吹いた。今まで感じたことのないような、風であって風でない風。

 ……神の威光が秘められている風であることに、ここにいる誰よりもソフィアが一番分かっていた。


「……ルイーゼ?」
 風がんだ頃、ルイーゼの耳にエルウィンの戸惑いの声が届いた。

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