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野いちごとコスモス
しおりを挟むその人は、あとから思えばとても不思議な人だった。
赤い塗装の外階段。
2階建てのアパートのような家。
すすけたスーパーカブ。
開け放たれた玄関の扉から、
夏の風にあおられたレースのカーテンがたなびく。
きっかけは散歩中、ふと目にした野いちごだった。
春先の日差し。
お世辞にも日当たりがいいとは言えない苔の生えた庭。
固い土に、柔らかい野いちごが鈴なりに実っている。
こんなところに、いちごがあるんだね。
小さいけれど、赤く、みずみずしい野いちごの実が、
私たちの目をくぎ付けにした。
「持っていくかい?」
不意に声がする。
見ると、白いランニングシャツにハーフパンツのおじさんが
にこにこしながら立っていた。
年のころは60といったところか。
しかしその目は、少年のようにきらきらしていた。
「いいんですか?」
「ああ、いいよ。あっちの庭にもたくさんあるから。」
ありがたく頂戴しようとする。
赤い実を摘もうとすると、
「いいから、苗ごと持っていきなよ。」
聞けば、野いちごの株ごと、とっていいと言う。
断りづらい、しかし嫌な気分のしないその物言いに、
小さなスコップを刈りて4株、掘り出した。
「植えたらさ、水をたっぷりやってあげて。」
ニッといたずらっぽく笑う顔に、深いしわが寄る。
良い人なんだな。
でも、ちょっと不思議な人だった。
夏を告げる青い空が心地よい日曜日。
卵と牛乳を切らしていたことに気づいて買い物に出かけようとした。
ポストのある壁上に何かが置いてある。
細長いカボチャのような実が大小2つ。
ほかには何もない。
少し強い日差しに照らされたその実の影から、
数匹のタカラダニがちょろちょろと歩き出した。
誰だ、こんなもの置いたの―?
ここに置いてあるのだ、おそらくはおすそ分けの類なのだろう。
そのままにしておいてもダメになってしまうだろう。
取り急ぎ家に持ち帰り、買い物に出かけた。
その後、スーパーの袋をガサガサ言わせながら帰宅。
買ってきたものを冷蔵庫にしまいつつ、謎の実を携帯で調べてみる。
バターナッツかぼちゃと言うらしい。
茹でても焼いてもおいしく、特にポタージュは絶品らしい。
「あ、あのおじさんだ!」
不意にあの笑顔が頭をよぎる。
実をつかむと、おじさんの家に向かう。
通りの向かいの三軒となり。
声をかけると、おじさんが出てきた。
「あの、これ…」
きれいなオレンジ色の実を見せると、おじさんはあの笑顔。
「ああ、庭でとれたんだ。あげるから、食べて。」
「ありがとうございます。いただきます。」
やはり、悪い気はしない。
けれど、ふしぎな感覚が残ったまま持ち帰った。
かぼちゃは煮物にしてみた。
煮崩れせず、きれいな黄色。
優しい甘さが口に広がった。
涼風が頬を撫でる秋口、自宅の庭にコスモスがいつの間にか植わっていた。
庭といっても、道路に面した場所に外構を施さず、
シロタエギクとか、ローズマリーを無造作に植えてある、
土の露出した小さなスペースだ。
春に植え付けた野いちごの横に4つ、頼りなげなコスモスの茎が揺れていた。
いつの間に―?だれが?
ふしぎそうに眺めていると、あのおじさんがやってきた。
「植えといたよ。も少ししたら、きれいに咲くよ、きっと。」
あの笑顔。
親切心なのだろうが、勝手に他人の土地にコスモスを植えるとは…。
しかし、怒るでもなく呆れるでもない
奇妙な感じが胸をよぎった。
「あ、ありがとうございます。」
いつのまにか、少しぎこちない笑顔で、そう返していた。
その日の夜、妻にそのことを話す。
案の定怪訝そうな顔で、
「ちょっと変な人だね。」
と包丁の手を止めて眉をひそめた。
「でも、悪い人じゃないんだよね。」
私の思っていることと同じだった。
やっぱり、あのおじさんはちょっと不思議な人だ。
数日後、小さな、しかしきれいな白いコスモスが、
秋の到来を教えてくれた。
そこから時は巡り、二度目のコスモスの季節。
家のポストに一枚のチラシ。
「解体工事のお知らせ…?」
近所で建物の解体があるらしい。
しばらく、騒音や車両の出入りでご迷惑をおかけします、という内容だ。
そんな古い家、近所にあっただろうか?
その時は特段気にも留めなかった。
解体されたのは,あのおじさんの家だった。
そういえば、コスモスの一件以来、挨拶をすることがなかったな。
幾度か家の前を通ったけれど、会うことはなかった。
更地と、“売り物件”の看板が、ものすごくむなしく、寂しく感じられた。
特に親しいわけでもなかった。
でも、あの笑顔と、きれいな瞳を思い出すと、
胸のあたりに冷たい何かが広がるのだ。
「あのおじさん、結局どこに行ったんだろう?」
ある夜、妻とそんな話になった。
奥さんがいたらしいとか、最近相手にされないと苦笑いしていたとか、
妻は私よりあのおじさんと話をしていたようだ。
「それで、変なことがあって…。」
妻の声のトーンが下がる。
「ご近所さんに、あのおじさんのことを聞いても、だれも覚えていないの。」
どういうことだ?おじさんに対する不思議な感覚を久々に思い出した。
「それに、あの人は何年も前からいなかったって言う人もいて…。」
ますます謎が深まる。動悸が早くなっていくのを感じた。
「ねえ、私たち、あのおじさんに会っていたよね?」
妻の問いかけに、確かに会っていたと返すも、少し自信が揺らいだ。
結局、あのおじさんは何だったのか?
会うたびに感じていた不思議な感覚の真相は、明らかになることはない。
しかし、来年もまた、庭のコスモスは花をつけ、
野いちごは控えめにその実をゆらす。
そのことだけは、間違いのない現実だ。
おしまい
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