最後の客 ― 都内タクシードライバー怪異録 ―

風来坊

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番外編:帰れなかった男

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深夜三時過ぎ。
都心から埼玉の朝霞市まで客を送り届け、帰り道を探していた。
街灯はぽつぽつと間隔が広く、道の両脇は畑と倉庫だけ。
車の上向きライトが、遠くまで空気を切り裂いて伸びている。

前方に、道端にしゃがみ込む人影が見えた。

こんな時間に、こんな場所で――
思わずアクセルを緩め、徐行する。

人影は立ち上がり、ふらつきながら手を挙げた。

助手席の窓を開けて声をかける。
「すみません、ここ埼玉ですので、都内に向かうお客様でしたらお乗せできます。」

男は声を震わせて答えた。
「……都内です……帰りたいんです……」

不思議なほど切実な声だった。
後部ドアを開け、男を迎え入れる。

住所を聞いてナビに入れると、都内の外れ、住宅街の一角だった。
車を走らせる間、男は後ろでずっと泣いていた。

「……やっと……帰れる……やっと……」

ミラーに映る男の肩が震える。
疲れと共に、背筋を冷たいものが撫でていった。

住宅街の奥に入ったところで、男が顔を上げた。

「あそこ……あの、◯◯って表札の家です。お金、取ってきます……」

ドアを開けると、男は駆け足で家の玄関に向かった。

待つこと十分。
戻ってこない。

後部座席を覗くと、古びた黒いバッグがぽつんと残っていた。
手に取ると、布の擦れが手のひらに馴染む。

インターホンを鳴らした。
三度目で、年配の男が不機嫌そうに扉を開けた。

バッグを差し出した途端、男の目が大きく見開かれ、
泣き声が漏れた。

「……帰ってきたのか……!あの子が……!」

居間に通され、仏壇に座った。
遺影の中の若い男が、さっき後部座席で泣いていたあの顔だった。

事故の日、持ち出したまま戻らなかったバッグ。
家族が探し続け、見つからなかったバッグ。
きっとあの子は、ずっと探し続けて、やっと家に辿り着いたのだ。

線香の煙がゆらゆらと立つ。
自分の手に、まだ微かに残る湿った涙の跡。

帰り道、無人の車内に、泣き声はもうなかった。

ドラレコを後日確認したら、泣き声だけがそこに残っていた。
姿は――最初から、どこにも映っていなかった。




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