8 / 8
番外編:帰れなかった男
しおりを挟む
深夜三時過ぎ。
都心から埼玉の朝霞市まで客を送り届け、帰り道を探していた。
街灯はぽつぽつと間隔が広く、道の両脇は畑と倉庫だけ。
車の上向きライトが、遠くまで空気を切り裂いて伸びている。
前方に、道端にしゃがみ込む人影が見えた。
こんな時間に、こんな場所で――
思わずアクセルを緩め、徐行する。
人影は立ち上がり、ふらつきながら手を挙げた。
助手席の窓を開けて声をかける。
「すみません、ここ埼玉ですので、都内に向かうお客様でしたらお乗せできます。」
男は声を震わせて答えた。
「……都内です……帰りたいんです……」
不思議なほど切実な声だった。
後部ドアを開け、男を迎え入れる。
住所を聞いてナビに入れると、都内の外れ、住宅街の一角だった。
車を走らせる間、男は後ろでずっと泣いていた。
「……やっと……帰れる……やっと……」
ミラーに映る男の肩が震える。
疲れと共に、背筋を冷たいものが撫でていった。
住宅街の奥に入ったところで、男が顔を上げた。
「あそこ……あの、◯◯って表札の家です。お金、取ってきます……」
ドアを開けると、男は駆け足で家の玄関に向かった。
待つこと十分。
戻ってこない。
後部座席を覗くと、古びた黒いバッグがぽつんと残っていた。
手に取ると、布の擦れが手のひらに馴染む。
インターホンを鳴らした。
三度目で、年配の男が不機嫌そうに扉を開けた。
バッグを差し出した途端、男の目が大きく見開かれ、
泣き声が漏れた。
「……帰ってきたのか……!あの子が……!」
居間に通され、仏壇に座った。
遺影の中の若い男が、さっき後部座席で泣いていたあの顔だった。
事故の日、持ち出したまま戻らなかったバッグ。
家族が探し続け、見つからなかったバッグ。
きっとあの子は、ずっと探し続けて、やっと家に辿り着いたのだ。
線香の煙がゆらゆらと立つ。
自分の手に、まだ微かに残る湿った涙の跡。
帰り道、無人の車内に、泣き声はもうなかった。
ドラレコを後日確認したら、泣き声だけがそこに残っていた。
姿は――最初から、どこにも映っていなかった。
⸻
終
都心から埼玉の朝霞市まで客を送り届け、帰り道を探していた。
街灯はぽつぽつと間隔が広く、道の両脇は畑と倉庫だけ。
車の上向きライトが、遠くまで空気を切り裂いて伸びている。
前方に、道端にしゃがみ込む人影が見えた。
こんな時間に、こんな場所で――
思わずアクセルを緩め、徐行する。
人影は立ち上がり、ふらつきながら手を挙げた。
助手席の窓を開けて声をかける。
「すみません、ここ埼玉ですので、都内に向かうお客様でしたらお乗せできます。」
男は声を震わせて答えた。
「……都内です……帰りたいんです……」
不思議なほど切実な声だった。
後部ドアを開け、男を迎え入れる。
住所を聞いてナビに入れると、都内の外れ、住宅街の一角だった。
車を走らせる間、男は後ろでずっと泣いていた。
「……やっと……帰れる……やっと……」
ミラーに映る男の肩が震える。
疲れと共に、背筋を冷たいものが撫でていった。
住宅街の奥に入ったところで、男が顔を上げた。
「あそこ……あの、◯◯って表札の家です。お金、取ってきます……」
ドアを開けると、男は駆け足で家の玄関に向かった。
待つこと十分。
戻ってこない。
後部座席を覗くと、古びた黒いバッグがぽつんと残っていた。
手に取ると、布の擦れが手のひらに馴染む。
インターホンを鳴らした。
三度目で、年配の男が不機嫌そうに扉を開けた。
バッグを差し出した途端、男の目が大きく見開かれ、
泣き声が漏れた。
「……帰ってきたのか……!あの子が……!」
居間に通され、仏壇に座った。
遺影の中の若い男が、さっき後部座席で泣いていたあの顔だった。
事故の日、持ち出したまま戻らなかったバッグ。
家族が探し続け、見つからなかったバッグ。
きっとあの子は、ずっと探し続けて、やっと家に辿り着いたのだ。
線香の煙がゆらゆらと立つ。
自分の手に、まだ微かに残る湿った涙の跡。
帰り道、無人の車内に、泣き声はもうなかった。
ドラレコを後日確認したら、泣き声だけがそこに残っていた。
姿は――最初から、どこにも映っていなかった。
⸻
終
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる