キャンピングカーで、異世界キャンプ旅

風来坊

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第9章 理の紋章編

氷壁の向こうへ

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 ――白。
 ただ、それだけがこの世界を満たしていた。

 空も地も、風すらも。
 境界を失った白銀の世界では、音という概念さえ凍りついている。
 その無音の空間を、一筋の黒い影――ブレイザー号が滑るように進んでいた。

《現在位置、北緯九〇度。外気温、マイナス八九・七度。》
 AIの冷静な声が、静寂を切り裂く。
 モニターに映るのは、ただ果てしない氷原と、遠い陽光の欠片だけ。
 吹雪はなく、風も止んでいた。ただ、“静止した時間”が広がっていた。

 だが、ブレイザー号の内部は温かい。
 重力制御で揺れもなく、柔らかな光が床を照らし、温風が循環している。
 シートの温度は一定に保たれ、まるでリゾートホテルのラウンジのような穏やかさだった。

「外、マイナス九十度って……想像つかねぇな。」翔が窓の外を見つめる。
「この寒さだと、濡れたタオル出したら一瞬で凍るんじゃない?」忍が苦笑する。
「やってみる?」
《推定凍結時間、〇・三秒。》
「いや、やらんわ!」翔が吹き出すと、忍が小さく笑った。
 その声が響くたび、車内の緊張がほんの少し溶けていく。

《周辺地磁気に異常。魔力波形を感知。座標――氷床中央部。》
 ブレイザーの声が低く響く。
 ディスプレイに、波打つ青い線が現れた。

「魔力波形? どのくらい強い?」翔が問いかける。
《通常比、およそ一万倍。》
「……一万!?」忍が思わず声を上げる。
《波形の特性、理の紋章に類似。距離、およそ三キロ先。》

 その瞬間――

《警告。強力な魔力波を感知――こちらに向かって来ます!》

 見えない何かが空気を震わせた。
 ブレイザー号の装甲が低く共鳴し、床の金属がかすかに震動する。
 青白い光の筋が、外の氷原を走り抜けていった。
 それは風ではなく――“意志”だった。

「なんだ……今のは!?」翔が息を呑む。
《魔力波、直撃。ですが攻撃性はありません。波形が“共鳴”に近い。》
「共鳴?」忍が眉をひそめる。
《はい。“理の紋章”が我々の存在を認識。――これは“呼びかけ”です。》

 ブレイザー号の計器が一斉に明滅した。
 外の氷原が脈動し、足元の大地が低く鳴動する。
 その音は、鼓動にも似ていた。

「理が……俺たちを呼んでるのか。」翔が呟く。
《その確率は八十九パーセント。魔力構造体が反応し、“入口”が形成されます。》

 その直後、氷床が光を放った。
 白銀の地面がひび割れ、蜘蛛の巣のように裂けていく。
 空気が震え、周囲の雪が舞い上がった。
 やがて大地の中心が崩れ落ち――直径数百メートルの巨大な穴が開いた。

 底から青白い光が脈動している。
 まるで、氷の下に心臓があり、鼓動しているかのようだった。

「……見ろよ。あれ。」翔が呟く。
「まるで、俺たちを待ってたみたいね。」忍の声が震えていた。
《解析完了。魔力反応は地中深く。深度、およそ一二〇〇メートル。》
「理の紋章の反応も?」
《一致率、八五パーセント。》

 翔は短く息を吐いた。
「行こう。下に“理”があるなら、確かめるしかない。」

《了解。降下モードへ移行します。》

 ブレイザー号が静かに下降を始めた。
 青い光が氷壁を照らし、車体に反射してきらめく。
 降下の間、機体の内側を柔らかな振動が包む。
 それは恐怖ではなく――“導かれている”感覚に近かった。

 外の温度計がゆっくりと変化する。
 マイナス八九度、七〇、五〇、三〇――零を超えた。
 氷の粒が溶けて水となり、細かな霧が流れる。
 視界が曇り、外は青い光の霧に包まれた。

「……なんか、息苦しいほど暖かい。」翔が呟いた。
「この深さで、気温が上がるなんて……」忍がモニターに目をやる。
《内部は魔力循環型環境。外界と独立した気候制御構造と推定。》
「つまり、“理”が造った世界ってことか。」翔が呟く。

 やがて霧が晴れた。

 翔たちは息を呑んだ。

 眼下に広がるのは、果てしない緑の海だった。
 巨木が立ち並び、葉が光を反射してきらめいている。
 川が流れ、滝が落ち、湖が青く輝いていた。
 そして天井には、黄金の光を放つ光球が浮かび、柔らかな日差しを降らせていた。

「……ここが、地底世界……。」忍の声が震える。
「まるで別の星みたいだ。」翔が呟いた。
 外気の成分は澄んでいて、湿った空気に植物の匂いが混ざっている。
 遠くで鳥のような鳴き声が響いた。

《光源を確認。高出力魔力反応――人工的“太陽”と推定。》
「地底に太陽……理が創ったんだな。」翔が息を吐く。

 その時、ブレイザーの警告音が鳴った。
《大型生命反応を感知。距離一一〇〇。体高十五メートル級。》
 モニターに映るのは、霧の向こうで動く巨大な影。
 長い首と尾を持ち、木々を踏み倒して進む姿。

「な、なんだあれは!?」ヨアヒムが息を呑む。
「まるで山が歩いてる……!」

 忍が凝視したまま呟いた。
「恐竜……。地球で絶滅した生き物。ディプロドクスに似てる。」
「ディプ……なんだって?」ヨアヒムが困惑する。
「昔、地上にいた巨大な生き物。もう滅んだはずなのに、ここでは生きてる。」
「滅んだものが生きている……“理”が時を閉ざした世界ってことか。」翔が呟いた。

 その声に応えるように、風がざわめいた。
 遠くの樹々が揺れ、何かが微かに囁いた。
 それは――“来い”という声。

《空洞の広さ、関東平野の約二倍。複数の魔力源を確認。中心部に“理の紋章”の反応。》
「よし……行くぞ。」翔が立ち上がる。
「ここが、“理”への入口だ。」

 ブレイザー号は静かに加速した。
 霧の中を抜け、緑の海を滑るように進む。
 青と緑が交じり合い、世界は次第に光に包まれていく。

 ――この瞬間、翔たちは気づいていなかった。
 その“呼び声”こそが、理そのものの意志であり、
 彼らを“人の理を超えた世界”へ導く始まりだったことに。
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