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第12話:からかいと、不器用な優しさ
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図書室での勉強会から一夜明け、私の世界は、昨日までとは少しだけ違って見えていた。
彼のすぐ隣で感じた体温。耳元で響いた低い声。そして、不意に呼ばれた「陽菜」という名前。その全てが、甘い余韻となって私の心に残り続けている。
私の「観察」は、いつの間にか、彼の素顔を探るだけのものじゃなくなっていた。
その日の昼休み、私は、ほんの少しだけ大胆になってみることにした。
デザートに持ってきた手作りのチョコクッキーを一枚、彼の机にそっと置く。
「はい、怜くん。昨日の、数学のお礼」
「……別に、いらない」
彼は、迷惑そうに眉をひそめる。でも、私はもう知っている。彼の、甘いもの好きという、とっておきの秘密を。
「えー、でも、これ、すっごく美味しくできたんだけどなー。怜くん、甘いの好きでしょ?」
私のその一言に、彼の動きが、ぴたりと止まった。
「……なんで、お前がそれを」
「取材の成果です!」
私が胸を張ると、彼は観念したように、大きなため息をついた。そして、周りの視線がないことを素早く確認すると、子猫が餌をひったくるみたいに、素早くクッキーを手に取り、口に運んだ。
「……別に、欲しかったわけじゃない。お前がうるさいからだ」
そんな、可愛すぎる言い訳をしながらも、彼の口元が、ほんの少しだけ緩んでいるのを、私は見逃さなかった。
『観察記録⑥:甘いものを与えると、文句を言いながらも、ちゃんと食べる。尻尾があったら、絶対振ってるタイプ』。
彼のクールな仮面を、私だけが少しずつ剥がしていく。その優越感と、彼との距離が縮まっていく喜びが、私をますます大胆にさせた。
でも、彼との関係が、私からの一方的なアプローチだけではないことを、その日の放課後、思い知らされることになる。
授業が終わり、部室に向かおうと昇降口を出た瞬間、私は空を見上げて立ち尽くした。
「うそ……、雨」
さっきまで晴れていた空は、厚い灰色の雲に覆われ、冷たい雨が、容赦なくアスファルトを叩いていた。天気予報、見てくるんだった……。
途方に暮れて軒下で雨宿りをしていると、すっと、隣に誰かが立った。
怜くんだった。
彼は、大きな黒い傘を一本持っていた。気まずい沈黙が流れる。彼は、私に気づかないふりをして、そのまま行ってしまうのだろうか。
そう思った、その時。
「……ったく」
彼は、盛大なため息をつくと、持っていた傘を、ばさりと開いた。
そして、私の方を見ようともせずに、ぶっきらぼうに言った。
「……入れ。風邪ひくだろ、馬鹿」
差し出された傘の下に、私は、おずおずと足を踏み入れた。
二人で入るには、少しだけ、狭い空間。彼の肩と、私の肩が、触れ合う。雨の匂いと、彼の清潔なシャツの匂いが、混じり合う。
心臓が、ドキドキと、うるさいくらいに鳴っていた。
これは、私が仕掛けた観察じゃない。彼が、私にくれた、不器用で、どうしようもなく、温かい優しさだ。
駅までの道を、私たちは、ほとんど無言で歩いた。
でも、その沈黙は少しも気まずくなくて、傘が雨音を弾くリズムだけが、心地よく響いていた。
「……じゃあ」
別れ道で、彼が足を止める。
「うん。……ありがとう、怜くん。助かった」
私がそう言うと、彼は「……別に」とだけ短く答え、すぐに背を向けて、雨の中へと歩き去っていった。
その大きな背中が、いつもより、ずっとずっと、頼もしく見えた。
一人になった帰り道、私は、まだ熱い頬を押さえながら、確信する。
私のこの気持ちは、もう、ただの好奇心なんかじゃない。
彼の秘密も、ドジなところも、そして、あの不器用な優しさも。その全てを、私は、たまらなく、好きになってしまっているのだ。
彼のすぐ隣で感じた体温。耳元で響いた低い声。そして、不意に呼ばれた「陽菜」という名前。その全てが、甘い余韻となって私の心に残り続けている。
私の「観察」は、いつの間にか、彼の素顔を探るだけのものじゃなくなっていた。
その日の昼休み、私は、ほんの少しだけ大胆になってみることにした。
デザートに持ってきた手作りのチョコクッキーを一枚、彼の机にそっと置く。
「はい、怜くん。昨日の、数学のお礼」
「……別に、いらない」
彼は、迷惑そうに眉をひそめる。でも、私はもう知っている。彼の、甘いもの好きという、とっておきの秘密を。
「えー、でも、これ、すっごく美味しくできたんだけどなー。怜くん、甘いの好きでしょ?」
私のその一言に、彼の動きが、ぴたりと止まった。
「……なんで、お前がそれを」
「取材の成果です!」
私が胸を張ると、彼は観念したように、大きなため息をついた。そして、周りの視線がないことを素早く確認すると、子猫が餌をひったくるみたいに、素早くクッキーを手に取り、口に運んだ。
「……別に、欲しかったわけじゃない。お前がうるさいからだ」
そんな、可愛すぎる言い訳をしながらも、彼の口元が、ほんの少しだけ緩んでいるのを、私は見逃さなかった。
『観察記録⑥:甘いものを与えると、文句を言いながらも、ちゃんと食べる。尻尾があったら、絶対振ってるタイプ』。
彼のクールな仮面を、私だけが少しずつ剥がしていく。その優越感と、彼との距離が縮まっていく喜びが、私をますます大胆にさせた。
でも、彼との関係が、私からの一方的なアプローチだけではないことを、その日の放課後、思い知らされることになる。
授業が終わり、部室に向かおうと昇降口を出た瞬間、私は空を見上げて立ち尽くした。
「うそ……、雨」
さっきまで晴れていた空は、厚い灰色の雲に覆われ、冷たい雨が、容赦なくアスファルトを叩いていた。天気予報、見てくるんだった……。
途方に暮れて軒下で雨宿りをしていると、すっと、隣に誰かが立った。
怜くんだった。
彼は、大きな黒い傘を一本持っていた。気まずい沈黙が流れる。彼は、私に気づかないふりをして、そのまま行ってしまうのだろうか。
そう思った、その時。
「……ったく」
彼は、盛大なため息をつくと、持っていた傘を、ばさりと開いた。
そして、私の方を見ようともせずに、ぶっきらぼうに言った。
「……入れ。風邪ひくだろ、馬鹿」
差し出された傘の下に、私は、おずおずと足を踏み入れた。
二人で入るには、少しだけ、狭い空間。彼の肩と、私の肩が、触れ合う。雨の匂いと、彼の清潔なシャツの匂いが、混じり合う。
心臓が、ドキドキと、うるさいくらいに鳴っていた。
これは、私が仕掛けた観察じゃない。彼が、私にくれた、不器用で、どうしようもなく、温かい優しさだ。
駅までの道を、私たちは、ほとんど無言で歩いた。
でも、その沈黙は少しも気まずくなくて、傘が雨音を弾くリズムだけが、心地よく響いていた。
「……じゃあ」
別れ道で、彼が足を止める。
「うん。……ありがとう、怜くん。助かった」
私がそう言うと、彼は「……別に」とだけ短く答え、すぐに背を向けて、雨の中へと歩き去っていった。
その大きな背中が、いつもより、ずっとずっと、頼もしく見えた。
一人になった帰り道、私は、まだ熱い頬を押さえながら、確信する。
私のこの気持ちは、もう、ただの好奇心なんかじゃない。
彼の秘密も、ドジなところも、そして、あの不器用な優しさも。その全てを、私は、たまらなく、好きになってしまっているのだ。
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