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第7話:お子様ランチと秘密の追伸
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翌日、私のデスクには、もはや見慣れた光景が広がっていた。
綺麗に洗われた弁当箱と、その隣に置かれたお礼の品。今日は、老舗和菓子屋の小さな羊羹が一つ。そして、その下に敷かれた小さなメモ。
『余計なことを』
この、あまりにも不器用で律儀な様式美に、私の口元は自然と緩んでしまう。
「秘密の夜食作戦」は、奇妙な均衡を保ちながら、すっかり私たちの間の「習慣」として定着しつつあった。
そして月曜の夜。私は第三回目の夜食を手に、王子の城へと向かった。
今日のメニューは、私の独断と偏見による、ささやかな賭けでもあった。
「失礼します。本日の夜食です」
「……ご苦労」
執務室の主は、もはや私が入ってきても驚きもせず、ただ静かにPCから顔を上げた。その反応だけでも、大きな進歩だ。
私がデスクにお弁当を差し出すと、彼は「『今回だけ』のくだりは、もういいのか」と、少し意地悪そうに言った。
「はい。部長も言い飽きた頃かと思いまして」
「……君は、本当に食えない部下だな」
呆れたように言いながらも、彼はお弁当箱を受け取る。その時、私は勇気を出して一歩踏み込んでみた。
「あの、部長。今後の参考に、もしよろしければ、お好きなものとか、苦手なものとか……」
「考えるだけ無駄だ。次はないのだから」
ぴしゃり、と即座に返される。わかっていたけど、少しへこむ。
しかし、ここで引き下がっては作戦は進展しない。
「では、もし、万が一、億が一、私が事故か何かで記憶喪失になって、また部長にお弁当を作ってきてしまった時のために、教えていただけると幸いです!」
「……本気で言っているのか、君は」
呆れを通り越して、もはや憐れみの視線を向けられる。しかし、私の真剣な(?)眼差しに根負けしたのか、彼はふいと視線を逸らし、小さな声でぽつりと呟いた。
「……甘い卵焼きは、嫌いではない」
それは、私が毎回入れているだし巻き卵への、彼なりの最大限の賛辞だった。
私は嬉しくなって、「ありがとうございます!貴重な情報、感謝します!」と深々と頭を下げ、意気揚々と執務室を後にした。
その夜。一人になった執務室で、月詠怜は弁当箱の蓋を開けた。
そして、目の前に広がった光景に、絶句した。
白米の上には、ケチャップで可愛らしい笑顔が描かれた、ミニサイズのハンバーグ。
その隣には、赤いウインナーがタコさんの形になって、こちらを見ている。ニンジンは星形にくり抜かれ、ブロッコリーと共に彩りよく配置されていた。
……これは、いわゆる「お子様ランチ」というものではないか。
「……私を、子供だと思っているのか、あいつは」
あまりのことに、眩暈すら覚える。
しかし、怒りよりも先に湧き上がってきたのは、困惑と、ほんの少しの好奇心だった。
怜は、おそるおそるタコさんウインナーを箸でつまむ。子供の頃、親が多忙を極めていた彼には、こういう手の込んだお弁当の記憶はほとんどなかった。
次に、メインのハンバーグを一口。
その瞬間、怜の目がわずかに見開かれた。見た目の可愛らしさとは裏腹に、口に広がったのは、赤ワインの風味が効いた、驚くほど本格的なデミグラスソースの味だった。柔らかく、肉汁がじゅわっと溢れ出す。
それは、彼が今まで食べたどんな高級レストランのハンバーグよりも、優しく、そして温かい味がした。
気づけば、怜は夢中になってお弁当を平らげていた。
空になった弁当箱を前に、はっと我に返る。そして、無意識に呟いていた。
「……ハンバーグも、悪くないな」
翌朝。
私のデスクには、いつものように、完璧に洗われた弁当箱が置かれていた。
お礼の品は、今日はなかった。その代わり、いつものメモが添えられている。
『余計なことを』
「……まあ、お子様ランチはやりすぎたかな」
苦笑しながらメモを手に取った私は、その下に、小さな文字で追伸が書かれていることに気づき、息を呑んだ。
『P.S. ハンバーグのソースの隠し味は、味噌か?』
それは、料理に関する、初めての具体的なフィードバック。
一方的な差し入れだった「秘密の夜食」が、初めて、双方向のコミュニケーションになった瞬間だった。
私はその小さなメモを握りしめ、驚きと、胸の奥から込み上げてくる熱い喜びで、しばらくデスクの前で固まっていた。
綺麗に洗われた弁当箱と、その隣に置かれたお礼の品。今日は、老舗和菓子屋の小さな羊羹が一つ。そして、その下に敷かれた小さなメモ。
『余計なことを』
この、あまりにも不器用で律儀な様式美に、私の口元は自然と緩んでしまう。
「秘密の夜食作戦」は、奇妙な均衡を保ちながら、すっかり私たちの間の「習慣」として定着しつつあった。
そして月曜の夜。私は第三回目の夜食を手に、王子の城へと向かった。
今日のメニューは、私の独断と偏見による、ささやかな賭けでもあった。
「失礼します。本日の夜食です」
「……ご苦労」
執務室の主は、もはや私が入ってきても驚きもせず、ただ静かにPCから顔を上げた。その反応だけでも、大きな進歩だ。
私がデスクにお弁当を差し出すと、彼は「『今回だけ』のくだりは、もういいのか」と、少し意地悪そうに言った。
「はい。部長も言い飽きた頃かと思いまして」
「……君は、本当に食えない部下だな」
呆れたように言いながらも、彼はお弁当箱を受け取る。その時、私は勇気を出して一歩踏み込んでみた。
「あの、部長。今後の参考に、もしよろしければ、お好きなものとか、苦手なものとか……」
「考えるだけ無駄だ。次はないのだから」
ぴしゃり、と即座に返される。わかっていたけど、少しへこむ。
しかし、ここで引き下がっては作戦は進展しない。
「では、もし、万が一、億が一、私が事故か何かで記憶喪失になって、また部長にお弁当を作ってきてしまった時のために、教えていただけると幸いです!」
「……本気で言っているのか、君は」
呆れを通り越して、もはや憐れみの視線を向けられる。しかし、私の真剣な(?)眼差しに根負けしたのか、彼はふいと視線を逸らし、小さな声でぽつりと呟いた。
「……甘い卵焼きは、嫌いではない」
それは、私が毎回入れているだし巻き卵への、彼なりの最大限の賛辞だった。
私は嬉しくなって、「ありがとうございます!貴重な情報、感謝します!」と深々と頭を下げ、意気揚々と執務室を後にした。
その夜。一人になった執務室で、月詠怜は弁当箱の蓋を開けた。
そして、目の前に広がった光景に、絶句した。
白米の上には、ケチャップで可愛らしい笑顔が描かれた、ミニサイズのハンバーグ。
その隣には、赤いウインナーがタコさんの形になって、こちらを見ている。ニンジンは星形にくり抜かれ、ブロッコリーと共に彩りよく配置されていた。
……これは、いわゆる「お子様ランチ」というものではないか。
「……私を、子供だと思っているのか、あいつは」
あまりのことに、眩暈すら覚える。
しかし、怒りよりも先に湧き上がってきたのは、困惑と、ほんの少しの好奇心だった。
怜は、おそるおそるタコさんウインナーを箸でつまむ。子供の頃、親が多忙を極めていた彼には、こういう手の込んだお弁当の記憶はほとんどなかった。
次に、メインのハンバーグを一口。
その瞬間、怜の目がわずかに見開かれた。見た目の可愛らしさとは裏腹に、口に広がったのは、赤ワインの風味が効いた、驚くほど本格的なデミグラスソースの味だった。柔らかく、肉汁がじゅわっと溢れ出す。
それは、彼が今まで食べたどんな高級レストランのハンバーグよりも、優しく、そして温かい味がした。
気づけば、怜は夢中になってお弁当を平らげていた。
空になった弁当箱を前に、はっと我に返る。そして、無意識に呟いていた。
「……ハンバーグも、悪くないな」
翌朝。
私のデスクには、いつものように、完璧に洗われた弁当箱が置かれていた。
お礼の品は、今日はなかった。その代わり、いつものメモが添えられている。
『余計なことを』
「……まあ、お子様ランチはやりすぎたかな」
苦笑しながらメモを手に取った私は、その下に、小さな文字で追伸が書かれていることに気づき、息を呑んだ。
『P.S. ハンバーグのソースの隠し味は、味噌か?』
それは、料理に関する、初めての具体的なフィードバック。
一方的な差し入れだった「秘密の夜食」が、初めて、双方向のコミュニケーションになった瞬間だった。
私はその小さなメモを握りしめ、驚きと、胸の奥から込み上げてくる熱い喜びで、しばらくデスクの前で固まっていた。
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