偽りの正義(フェイク・ジャスティス)〜青い制服と黒いスーツの約束〜

藤森瑠璃香

文字の大きさ
40 / 42

第40話:青い制服が輝く街

しおりを挟む
 黒川の事件から、二度目の春が巡ってきた。
 桜川商店街の桜並木は、今年も見事な花を咲かせ、訪れる人々の心を和ませている。その景色は去年と何も変わらない。だが、この街に流れる空気は、確かに、変わった。

「鈴木巡査、巡回ご苦労様。商店街の皆さん、変わりなかったか?」
「はい、田中巡査部長! 皆さん、お元気でした! 八百屋の山田さんから、またトマトをいただいてしまいましたが……」
 桜川交番に戻ってきた新人の鈴木巡査が、困ったような、それでいて嬉しそうな顔で報告する。
「はは、またか。まあ、あの人なりの愛情表現やから、ありがたく頂戴しとき」
 田中りなは、今やすっかり板についた巡査部長としての風格で、後輩の報告書に手際よく目を通していく。その横顔は、かつての危なっかしい新人の面影はなく、自信と、そして街への深い愛情に満ち溢れていた。

 午後の巡回は、りなにとって、何より好きな時間だった。
 自転車を押しながらゆっくりとアーケードを歩けば、そこには、彼女が命がけで守り抜いた、愛おしい日常が広がっている。
「あら、りなちゃん。ご苦労さん。これ、新作の桜餅。あんたに、一番に食べてほしくてな」
 和菓子屋『桜屋』の店先で、ハナおばあちゃんが、しわくちゃの笑顔で手招きをする。彼女は今、地域の子供たちを集めて、和菓子教室を開いている。その生き生きとした姿は、かつて涙に暮れていた頃が嘘のようだ。
「わあ、美味しそう! ありがとうございます! あ、そうだ、これ、健太郎さんにもお裾分けせな」
 りなの言葉に、ハナおばあちゃんは「そうしよしよし」と、我がことのように嬉しそうに目を細めた。

 喫茶店『さくら』の前を通りかかると、マスターの山崎さんが、常連客に熱心に何かを説明していた。
「ええか、こういうメールは絶対開いたらアカンで。『元本保証』なんて言葉が出てきたら、それは全部、詐欺やと思わな!」
 それは、りなが作った防犯マニュアルの内容だった。この街の人々は、もうただ守られるだけの存在ではない。自らの知識で、互いの生活を守り合う、強い連帯感で結ばれているのだ。

 交番の壁には、一枚の絵葉書が、少し色褪せて貼られている。半年前、府警本部の捜査一課にいる佐藤から届いたものだ。日本海に沈む夕日の写真に、彼らしい、不器用で短い文字が添えられている。
『油断するなよ。田中』
 そのぶっきらぼうなエールが、今もりなの背中を、そっと押してくれていた。

 巡回を終えたりなは、いつものように、川沿いの公園へと向かった。
 春の日差しを浴びてきらめく川面。満開の桜の木の下のベンチに、見慣れた後ろ姿があった。
 水島健太郎は、法律書ではなく、一冊の小説を静かに読んでいた。その横顔は、りなが初めて出会った頃の、人を寄せ付けないような鋭さは消え、春の陽光のような穏やかさに満ちている。
 りなの足音に気づくと、彼は本から顔を上げ、その瞳を嬉しそうに細めた。

「お疲れ様、りなさん。今日も、ご苦労様でした」
「健太郎さんも。……今日は、どんな一日でしたか?」
 りなが隣に腰掛けると、彼は読んでいた本を閉じた。
「若い夫婦の、住宅ローンの相談に乗っていましたよ。とても幸せそうな二人で、僕まで温かい気持ちになりました」
 彼の弁護士事務所は、今や、大きな事件ではなく、この街の人々のささやかな「困った」に寄り添う、温かい場所になっていた。

「はい、巡査部長殿。今日の見回り報告です」
 水島は、悪戯っぽく笑いながら、自販機で買った緑茶をりなに手渡した。
「はいはい、弁護士先生。ご協力、感謝します」
 りなも、悪戯っぽく笑い返した。
 二人は、言葉少なにお茶を飲みながら、目の前に広がる平和な街の景色を眺めていた。
 それは、彼らが二人で勝ち取り、そして、これからも守り続けていく、かけがえのない宝物だった。

 りなは、この交番に初めてやってきた日のことを、ふと思い出していた。
 ネクタイは曲がり、緊張で声は上ずり、ただがむしゃらに走ることしかできなかった、ひよっこの新人。
 そんな自分が、今、この人の隣で、こんなにも穏やかな気持ちで、この景色を眺めている。
 りなは、隣に座る愛しい人の横顔を、そっと見上げた。
 復讐という名の暗い闇の中から、自分が手を伸ばして引き上げた人。そして、今では、自分の心を、誰よりも明るく照らしてくれる、かけがえのない光。

「……何、考えてるんですか?」
 りなの視線に気づいた水島が、優しく尋ねた。
 りなは、胸いっぱいに広がる、どうしようもないほどの愛しさと感謝を込めて、微笑んだ。
 その笑顔は、春の青空のように、どこまでも晴れやかだった。

「……ううん」

「世界で一番、幸せな警察官やな、って」

 りなは、そう呟いた。

 正義を追い求める戦いに、本当の終わりはないのかもしれない。この平和な日常のすぐ隣には、今も、新たな悪意が芽吹いているのかもしれない。
 それでも。
 春の光の中で、愛する人の隣で、自らが守るべき街を見つめる彼女の姿があった。
 その肩で輝く階級章も、腰の拳銃も、そして、彼女自身も。
 この桜川町の青い空の下で、彼女の青い制服は、未来への揺るぎない希望の光を放ち、どこまでも、美しく輝いていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

処理中です...