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第二十五話:姫の慟哭、涙に濡れる月下の誓い
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月光が辛うじて差し込む、埃と絶望に満ちた部屋。役小角(えんのおづぬ)様が灯す呪符の明かりが、窓辺に佇む美しい怨霊(おんりょう)――桔梗(ききょう)と名乗るべきか、その姫君の姿を揺らめくように照らし出していた。彼女の虚ろな瞳は、侵入者である一行に向けられ、その底には何百年もの間燃え続けてきたであろう、決して消えることのない怨嗟の炎が揺らめいている。
「……誰だ……? よくも……私の部屋に……土足で踏み込んできたな……!」
その声は、かつては鈴を転がすような愛らしさを持っていたであろう名残を留めながらも、今は恨みと怒りに震え、聞く者の肌を粟立たせるほどに冷たく、そして鋭かった。声と共に、部屋の中の空気がビリビリと震え、棚の上に辛うじて残っていた物がカタカタと激しく音を立て始める。怨念の力が、目に見える形で溢れ出し、三人に襲いかかろうとしていた。
「我らは通りすがりの呪術師。名を役小角という」
役小角様は、その凄まじい気配にも動じることなく、冷静に名乗りを上げた。右手に握る独鈷杵(とっこしょ)は静かに構えられているが、その口調は威圧的ではなく、むしろ深く傷ついた魂に語りかけるような、不思議な落ち着きを湛えている。
「この地に満ちる尋常ならざる怨念の源を探りに来た。貴殿は何者か? そして何故、これほどの憎しみを抱き、この穢れた地に永く留まっておいでか?」
月光が、彼の整った横顔を静かに照らし出す。その問いかけは、ただの詮索ではなく、苦しむ魂を解き放ちたいという、彼の奥底にある慈悲の心から発せられているように朱音(あかね)には感じられた。
役小角様のその問いかけに、桔梗姫の怨霊は、まるで凍てつくような憎悪の視線を彼に向けた。
「呪術師……だと? ふん、今さら何の用だ! あの時……あの忌まわしい夜に、貴様らのような力ある者が、一人でもこの屋敷にいてくれたなら……! 父も、母も、まだ幼かった私の弟も……そして、この私も……!」
怨霊は、堰を切ったように叫び始めた。その言葉は、断片的で、時には深い嗚咽に遮られながらも、この呪われた屋敷でかつて起こったであろう、あまりにも残酷な悲劇の輪郭を、朱音たちの前にありありと浮かび上がらせていく。
彼女は、かつてこの広大な地を治めていた高貴な貴族の血を引く姫君、桔梗と名乗った。一族は代々この地を愛し、民に慕われ、穏やかな日々を送っていたという。しかし、ある月の美しい夜、全ては一変した。最も信頼していたはずの家臣の一人が、密かに謀反の牙を研いでいたのだ。その家臣は、外部の敵と通じ、手引きをして、この屋敷に火を放ち、一族郎党を皆殺しにしたのだという。財産も、輝かしい地位も、そして何よりもかけがえのない命も、たった一夜にして全て奪われた。
「私は見たのだ……! 父が、母が、私の目の前で、あの裏切り者の刃に倒れるのを……! まだ言葉もろくに話せなかった幼い弟が、炎の中で泣き叫ぶのを……!」
桔梗姫の声は、もはや怒りを通り越し、深い絶望と、魂の底からの慟哭となっていた。
「そしてあの男は…私に、血塗られた顔で笑いかけながら…この部屋で…この部屋で私を…! 許せぬ……! 断じて許せぬ……! あやつも、あやつに与した者共も、そしてこの悲劇を見て見ぬふりをしたこの土地の全てを、私は永遠に呪い続けてやる……!」
彼女自身もまた、この私室で、裏切り者の手によって無残にもその命を絶たれたのだと。その無念と憎しみ、そして誰にも助けを求められなかった深い孤独が、彼女の魂を何百年もの間この地に縛り付け、強力な怨霊へと変えてしまったのだろう。
そのあまりにも悲痛で、救いのない物語に、朱音は自分のことのように胸を締め付けられ、熱い涙が止めどなく頬を伝った。人の心の奥底に潜む醜い裏切り、理不尽に奪われる命、そして残された者の、あまりにも深く、そして癒しようのない悲しみと怒り。彼女の苦しみは、鬼の子として虐げられ、誰にも理解されずに孤独に耐えてきた自分の過去の悲しみと、どこか痛いほどに重なるように感じられたのだ。
「そんな……あまりにも……酷すぎます……!どれほどお辛かったことでしょう…どれほど、寂しかったことでしょう……!」
朱音は、ただ嗚咽を漏らしながら、桔梗姫の魂に寄り添うことしかできなかった。
「……なるほどな。貴殿の無念、察するに余りある」
役小角様は、桔梗姫の慟哭を最後まで静かに聞き終えると、深い憐憫の色をその黒い瞳に浮かべて言った。
「だが、憎しみにその魂を囚われ続けていては、永遠に苦しみから解放されることはない。もはや、この世への執着を断ち切り、安らかなる彼岸(ひがん)へと旅立つべき時ではないか?」
彼は、独鈷杵を構え直すと、力による祓除ではなく、荒ぶる魂を鎮め、彼岸へと導くための供養の経文――光明真言だろうか、その聖なる響きを低い声で厳かに唱え始めた。独鈷杵の先端からも、先ほどの戦いのような攻撃的な光ではなく、魂を優しく包み込み、浄化するような、穏やかで温かい黄金色の光が放たれ始める。
しかし、桔梗姫の怨念は、あまりにも深く、そして永くこの地に凝り固まっていた。
「解放など……望まぬわ! 安らぎなど、いらぬ! あの者たちへの復讐を…この地に足を踏み入れる全ての愚か者を道連れにするまでは、私はここから決して動かぬ!」
怨霊は激しく抵抗し、その美しい顔をさらに苦悶に歪ませ、部屋全体が地震のように激しく揺れ動いた。残っていた家具が激しく倒れ、壁が軋み、天井からは大量の埃がまるで雪のように降り注ぐ。怨念の力が嵐のように吹き荒れ、役小角様の読経をかき消そうと、凄まじい霊的圧力が三人に襲いかかった。
義王が、咄嗟に役小角様と朱音の前に立ちはだかり、その屈強な体で見えざる力の奔流から二人を庇う。彼の背中は、まるで揺るがぬ岩壁のようだ。
役小角様は、眉間に深い皺を寄せながらも、決して読経を止めようとはしない。彼は、朱音の冷たくなった肩をしっかりと抱き寄せると、「案ずるな、朱音。必ず道はある。この魂を、必ずや救ってみせる」と、力強い声で囁いた。
桔梗姫の絶望的な叫びと、荒れ狂う怨念の嵐の中で、朱音は何かを決意したように、涙に濡れた顔を上げた。
(このままでは、駄目だ……! この人の魂は、憎しみだけでは救われない……!)
彼女の赤い瞳が、強い意志の光を宿して、苦しみ続ける桔梗姫の怨霊を真っ直ぐに見据えていた。
「……誰だ……? よくも……私の部屋に……土足で踏み込んできたな……!」
その声は、かつては鈴を転がすような愛らしさを持っていたであろう名残を留めながらも、今は恨みと怒りに震え、聞く者の肌を粟立たせるほどに冷たく、そして鋭かった。声と共に、部屋の中の空気がビリビリと震え、棚の上に辛うじて残っていた物がカタカタと激しく音を立て始める。怨念の力が、目に見える形で溢れ出し、三人に襲いかかろうとしていた。
「我らは通りすがりの呪術師。名を役小角という」
役小角様は、その凄まじい気配にも動じることなく、冷静に名乗りを上げた。右手に握る独鈷杵(とっこしょ)は静かに構えられているが、その口調は威圧的ではなく、むしろ深く傷ついた魂に語りかけるような、不思議な落ち着きを湛えている。
「この地に満ちる尋常ならざる怨念の源を探りに来た。貴殿は何者か? そして何故、これほどの憎しみを抱き、この穢れた地に永く留まっておいでか?」
月光が、彼の整った横顔を静かに照らし出す。その問いかけは、ただの詮索ではなく、苦しむ魂を解き放ちたいという、彼の奥底にある慈悲の心から発せられているように朱音(あかね)には感じられた。
役小角様のその問いかけに、桔梗姫の怨霊は、まるで凍てつくような憎悪の視線を彼に向けた。
「呪術師……だと? ふん、今さら何の用だ! あの時……あの忌まわしい夜に、貴様らのような力ある者が、一人でもこの屋敷にいてくれたなら……! 父も、母も、まだ幼かった私の弟も……そして、この私も……!」
怨霊は、堰を切ったように叫び始めた。その言葉は、断片的で、時には深い嗚咽に遮られながらも、この呪われた屋敷でかつて起こったであろう、あまりにも残酷な悲劇の輪郭を、朱音たちの前にありありと浮かび上がらせていく。
彼女は、かつてこの広大な地を治めていた高貴な貴族の血を引く姫君、桔梗と名乗った。一族は代々この地を愛し、民に慕われ、穏やかな日々を送っていたという。しかし、ある月の美しい夜、全ては一変した。最も信頼していたはずの家臣の一人が、密かに謀反の牙を研いでいたのだ。その家臣は、外部の敵と通じ、手引きをして、この屋敷に火を放ち、一族郎党を皆殺しにしたのだという。財産も、輝かしい地位も、そして何よりもかけがえのない命も、たった一夜にして全て奪われた。
「私は見たのだ……! 父が、母が、私の目の前で、あの裏切り者の刃に倒れるのを……! まだ言葉もろくに話せなかった幼い弟が、炎の中で泣き叫ぶのを……!」
桔梗姫の声は、もはや怒りを通り越し、深い絶望と、魂の底からの慟哭となっていた。
「そしてあの男は…私に、血塗られた顔で笑いかけながら…この部屋で…この部屋で私を…! 許せぬ……! 断じて許せぬ……! あやつも、あやつに与した者共も、そしてこの悲劇を見て見ぬふりをしたこの土地の全てを、私は永遠に呪い続けてやる……!」
彼女自身もまた、この私室で、裏切り者の手によって無残にもその命を絶たれたのだと。その無念と憎しみ、そして誰にも助けを求められなかった深い孤独が、彼女の魂を何百年もの間この地に縛り付け、強力な怨霊へと変えてしまったのだろう。
そのあまりにも悲痛で、救いのない物語に、朱音は自分のことのように胸を締め付けられ、熱い涙が止めどなく頬を伝った。人の心の奥底に潜む醜い裏切り、理不尽に奪われる命、そして残された者の、あまりにも深く、そして癒しようのない悲しみと怒り。彼女の苦しみは、鬼の子として虐げられ、誰にも理解されずに孤独に耐えてきた自分の過去の悲しみと、どこか痛いほどに重なるように感じられたのだ。
「そんな……あまりにも……酷すぎます……!どれほどお辛かったことでしょう…どれほど、寂しかったことでしょう……!」
朱音は、ただ嗚咽を漏らしながら、桔梗姫の魂に寄り添うことしかできなかった。
「……なるほどな。貴殿の無念、察するに余りある」
役小角様は、桔梗姫の慟哭を最後まで静かに聞き終えると、深い憐憫の色をその黒い瞳に浮かべて言った。
「だが、憎しみにその魂を囚われ続けていては、永遠に苦しみから解放されることはない。もはや、この世への執着を断ち切り、安らかなる彼岸(ひがん)へと旅立つべき時ではないか?」
彼は、独鈷杵を構え直すと、力による祓除ではなく、荒ぶる魂を鎮め、彼岸へと導くための供養の経文――光明真言だろうか、その聖なる響きを低い声で厳かに唱え始めた。独鈷杵の先端からも、先ほどの戦いのような攻撃的な光ではなく、魂を優しく包み込み、浄化するような、穏やかで温かい黄金色の光が放たれ始める。
しかし、桔梗姫の怨念は、あまりにも深く、そして永くこの地に凝り固まっていた。
「解放など……望まぬわ! 安らぎなど、いらぬ! あの者たちへの復讐を…この地に足を踏み入れる全ての愚か者を道連れにするまでは、私はここから決して動かぬ!」
怨霊は激しく抵抗し、その美しい顔をさらに苦悶に歪ませ、部屋全体が地震のように激しく揺れ動いた。残っていた家具が激しく倒れ、壁が軋み、天井からは大量の埃がまるで雪のように降り注ぐ。怨念の力が嵐のように吹き荒れ、役小角様の読経をかき消そうと、凄まじい霊的圧力が三人に襲いかかった。
義王が、咄嗟に役小角様と朱音の前に立ちはだかり、その屈強な体で見えざる力の奔流から二人を庇う。彼の背中は、まるで揺るがぬ岩壁のようだ。
役小角様は、眉間に深い皺を寄せながらも、決して読経を止めようとはしない。彼は、朱音の冷たくなった肩をしっかりと抱き寄せると、「案ずるな、朱音。必ず道はある。この魂を、必ずや救ってみせる」と、力強い声で囁いた。
桔梗姫の絶望的な叫びと、荒れ狂う怨念の嵐の中で、朱音は何かを決意したように、涙に濡れた顔を上げた。
(このままでは、駄目だ……! この人の魂は、憎しみだけでは救われない……!)
彼女の赤い瞳が、強い意志の光を宿して、苦しみ続ける桔梗姫の怨霊を真っ直ぐに見据えていた。
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