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第三十四話:小さな約束、華やぐ街角の不意なる再会
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山茶花の咲き誇る陽だまりの谷間は、朱音(あかね)と小夜(さよ)にとって、束の間の、けれどかけがえのない秘密の場所となった。鮮やかな赤い花びらが冷たい風に舞う中、二人は他愛もない話に花を咲かせ、子供のようにはしゃいだ。小夜の屈託のない笑顔を見るたびに、朱音の心は温かいもので満たされていく。この小さな少女が、これからもずっとこうして笑っていられるようにと、心の底から願わずにはいられなかった。
しかし、旅は続かねばならない。
霧隠(きりがくれ)の里を出発する朝が来た。空は初冬らしくどこまでも高く澄み渡り、空気は肌を刺すように冷たい。小夜が、一行を見送るために、村外れの分かれ道までやって来てくれた。その小さな手には、昨日朱音と一緒に森で拾った、丸くて艶やかな赤い木の実が数個握られている。
「朱音姉ちゃん……行っちゃうんじゃな……」
小夜の大きな黒い瞳には、寂しさが滲んでいる。けれど、彼女は無理に笑顔を作ろうと健気に唇を引き結んでいた。
朱音は、そんな小夜の前に屈み込むと、その細い肩を強く抱きしめた。別れの言葉が、なかなか出てこない。
「小夜ちゃん……本当に、ありがとう。あなたと出会えて、私はとても嬉しかった。あなたのこと、絶対に忘れませんからね」
朱音は、小夜の髪にまだ挿してある、自分があげた木の実の粗末な髪飾りにそっと触れた。そして、思いついたように明るい声を出す。
「そうだわ! 今度、もっともっと素敵な髪飾りを見つけて、必ず小夜ちゃんに届けに来ます。だから、それまでどうか、お元気でいてくださいね。約束ですよ」
その言葉に、小夜の瞳から堪えていた涙がぽろりとこぼれ落ちた。彼女は何度も何度も頷き、しゃくりあげながら小さな声で応える。
「うん……うん……! 朱音姉ちゃん…絶対じゃぞ……! さよ、ずっと…ずっと待っとるからのう…!」
小夜は、握りしめていた赤い木の実を、朱音の手にそっと押し付けた。「これ、姉ちゃんにあげるんじゃ。さよのこと、忘れんでほしいからのう…」
「ありがとう、小夜ちゃん。絶対に忘れません。これも、大切にしますね」
朱音は、その小さな手を温かく握り返した。
役小角(えんのおづぬ)様と義王(ぎおう)もまた、小夜に静かに別れを告げた。役小角様は、いつものようにぶっきらぼうな口調ながらも、「達者でな、小夜。また会う日もあるやもしれん」と、珍しく優しい光をその黒い瞳に宿して声をかけた。義王も、大きな手で小夜の頭を一度だけ、そっと撫でてやった。
名残は尽きないが、出発の時は来た。一行は霧隠の里を後にし、再び「常夜京(とこよきょう)」を目指す旅路へとついた。朱音は何度も何度も後ろを振り返り、いつまでも手を振り続ける小夜の小さな姿が、道の曲がり角に見えなくなるまで、その姿を目に焼き付けていた。胸には、切ないほどの愛おしさと、そして温かいものが確かに残っていた。
***
数日後、山道を抜け、一行はこれまで立ち寄った中でもひときわ大きな、活気のある宿場町へとたどり着いた。街道が交差する場所らしく、多くの旅籠や商店が軒を連ね、様々な身なりの人々が忙しそうに行き交っている。威勢の良い呼び込みの声、荷馬車の軋む音、子供たちのはしゃぐ声。その喧騒が、朱音にはむしろ心地よく感じられた。
役小角様は、朱音の顔色が少し優れないのを見て取ったのか(それは小夜との別れの寂しさからくるものだったのかもしれない)、「少しここで足を休めるか。朱音、お前が見たいものがあれば、少し見てくるといい。ただし、義王を伴い、日が暮れる前には必ず宿に戻るのだぞ」と、珍しく彼女に自由な時間を与えてくれた。
「よろしいのですか、役小角様?」
「ふん。お前のことだ、また何か珍しいものでも見つけて、目を輝かせるのだろう。たまには、息抜きも必要であろうからな」
その言葉には、朱音の心を和ませようとする、彼なりの不器用な優しさが込められている。朱音は「ありがとうございます!」と心からの感謝を述べ、早速義王と共に、小夜への髪飾りを探しに賑やかな町へと繰り出した。
彼女は、小間物屋や美しい装飾品を扱う店の軒先を、熱心に見て回った。小夜の艶やかな黒髪に映えそうな、可憐な梅の花の細工が施された銀のかんざし。あるいは、山の木の実を思わせるような、素朴で可愛らしい組紐の髪飾り。色とりどりの品々を前に、朱音の心は弾む。小夜が喜んでくれる顔を想像するだけで、自然と笑みがこぼれた。
(あの子には、どんな色が似合うかしら…赤い花も素敵だけれど、あの子の瞳の色に合わせた、淡い翠の玉がついたものも良いかもしれない…)
町には、香ばしい匂いを漂わせる焼き団子の屋台や、色鮮やかな反物を並べた呉服屋、旅に必要な道具を売る金物屋などがひしめき合い、見ているだけでも飽きない。
朱音が、ある店の軒先で、特に美しい蝶の形をした螺鈿(らでん)の髪飾りに目を奪われ、夢中になって品定めをしていた、その時だった。義王は、いつものように少し離れた場所で、周囲を鋭く警戒しながらも、そんな朱音の楽しそうな様子を静かに見守っている。
「あら、可愛らしいお嬢さん。何かお探しものでもございまして?」
不意に、背後からかけられた声。それは、まるで上質な絹糸を爪弾くかのような、鈴を転がすような、しかしどこか聞き覚えのある蠱惑的(こわくてき)な響きを持っていた。
朱音が驚いて振り返ると、そこには――
以前、一行の前に現れた、あの華やかで妖艶な雰囲気を纏(まと)う女呪術師、「橘 咲耶(たちばな さくや)」が、扇子で優雅に口元を隠し、意味ありげな笑みを浮かべて立っていた。その美しい瞳は、真っ直ぐに朱音を見据えている。
「まあ、あなたは……確か、役小角様のお供をなさっていた…赤目のお嬢さん、でしたわね?本当に奇遇でございますこと。このような賑やかな場所で、またお会いできるなんて」
咲耶の予期せぬ登場に、朱音は言葉を失い、その場に立ち尽くすしかなかった。彼女の大きな赤い瞳には、隠しようのない驚きと、そして微かな警戒心と不安の色が、ありありと浮かび上がっていた。
咲耶の美しい瞳が、まるで何かを見定めるかのように、ゆっくりと細められる。
次なる波乱の予感が、華やぐ街角の喧騒の中に、静かに立ち込めていた。
しかし、旅は続かねばならない。
霧隠(きりがくれ)の里を出発する朝が来た。空は初冬らしくどこまでも高く澄み渡り、空気は肌を刺すように冷たい。小夜が、一行を見送るために、村外れの分かれ道までやって来てくれた。その小さな手には、昨日朱音と一緒に森で拾った、丸くて艶やかな赤い木の実が数個握られている。
「朱音姉ちゃん……行っちゃうんじゃな……」
小夜の大きな黒い瞳には、寂しさが滲んでいる。けれど、彼女は無理に笑顔を作ろうと健気に唇を引き結んでいた。
朱音は、そんな小夜の前に屈み込むと、その細い肩を強く抱きしめた。別れの言葉が、なかなか出てこない。
「小夜ちゃん……本当に、ありがとう。あなたと出会えて、私はとても嬉しかった。あなたのこと、絶対に忘れませんからね」
朱音は、小夜の髪にまだ挿してある、自分があげた木の実の粗末な髪飾りにそっと触れた。そして、思いついたように明るい声を出す。
「そうだわ! 今度、もっともっと素敵な髪飾りを見つけて、必ず小夜ちゃんに届けに来ます。だから、それまでどうか、お元気でいてくださいね。約束ですよ」
その言葉に、小夜の瞳から堪えていた涙がぽろりとこぼれ落ちた。彼女は何度も何度も頷き、しゃくりあげながら小さな声で応える。
「うん……うん……! 朱音姉ちゃん…絶対じゃぞ……! さよ、ずっと…ずっと待っとるからのう…!」
小夜は、握りしめていた赤い木の実を、朱音の手にそっと押し付けた。「これ、姉ちゃんにあげるんじゃ。さよのこと、忘れんでほしいからのう…」
「ありがとう、小夜ちゃん。絶対に忘れません。これも、大切にしますね」
朱音は、その小さな手を温かく握り返した。
役小角(えんのおづぬ)様と義王(ぎおう)もまた、小夜に静かに別れを告げた。役小角様は、いつものようにぶっきらぼうな口調ながらも、「達者でな、小夜。また会う日もあるやもしれん」と、珍しく優しい光をその黒い瞳に宿して声をかけた。義王も、大きな手で小夜の頭を一度だけ、そっと撫でてやった。
名残は尽きないが、出発の時は来た。一行は霧隠の里を後にし、再び「常夜京(とこよきょう)」を目指す旅路へとついた。朱音は何度も何度も後ろを振り返り、いつまでも手を振り続ける小夜の小さな姿が、道の曲がり角に見えなくなるまで、その姿を目に焼き付けていた。胸には、切ないほどの愛おしさと、そして温かいものが確かに残っていた。
***
数日後、山道を抜け、一行はこれまで立ち寄った中でもひときわ大きな、活気のある宿場町へとたどり着いた。街道が交差する場所らしく、多くの旅籠や商店が軒を連ね、様々な身なりの人々が忙しそうに行き交っている。威勢の良い呼び込みの声、荷馬車の軋む音、子供たちのはしゃぐ声。その喧騒が、朱音にはむしろ心地よく感じられた。
役小角様は、朱音の顔色が少し優れないのを見て取ったのか(それは小夜との別れの寂しさからくるものだったのかもしれない)、「少しここで足を休めるか。朱音、お前が見たいものがあれば、少し見てくるといい。ただし、義王を伴い、日が暮れる前には必ず宿に戻るのだぞ」と、珍しく彼女に自由な時間を与えてくれた。
「よろしいのですか、役小角様?」
「ふん。お前のことだ、また何か珍しいものでも見つけて、目を輝かせるのだろう。たまには、息抜きも必要であろうからな」
その言葉には、朱音の心を和ませようとする、彼なりの不器用な優しさが込められている。朱音は「ありがとうございます!」と心からの感謝を述べ、早速義王と共に、小夜への髪飾りを探しに賑やかな町へと繰り出した。
彼女は、小間物屋や美しい装飾品を扱う店の軒先を、熱心に見て回った。小夜の艶やかな黒髪に映えそうな、可憐な梅の花の細工が施された銀のかんざし。あるいは、山の木の実を思わせるような、素朴で可愛らしい組紐の髪飾り。色とりどりの品々を前に、朱音の心は弾む。小夜が喜んでくれる顔を想像するだけで、自然と笑みがこぼれた。
(あの子には、どんな色が似合うかしら…赤い花も素敵だけれど、あの子の瞳の色に合わせた、淡い翠の玉がついたものも良いかもしれない…)
町には、香ばしい匂いを漂わせる焼き団子の屋台や、色鮮やかな反物を並べた呉服屋、旅に必要な道具を売る金物屋などがひしめき合い、見ているだけでも飽きない。
朱音が、ある店の軒先で、特に美しい蝶の形をした螺鈿(らでん)の髪飾りに目を奪われ、夢中になって品定めをしていた、その時だった。義王は、いつものように少し離れた場所で、周囲を鋭く警戒しながらも、そんな朱音の楽しそうな様子を静かに見守っている。
「あら、可愛らしいお嬢さん。何かお探しものでもございまして?」
不意に、背後からかけられた声。それは、まるで上質な絹糸を爪弾くかのような、鈴を転がすような、しかしどこか聞き覚えのある蠱惑的(こわくてき)な響きを持っていた。
朱音が驚いて振り返ると、そこには――
以前、一行の前に現れた、あの華やかで妖艶な雰囲気を纏(まと)う女呪術師、「橘 咲耶(たちばな さくや)」が、扇子で優雅に口元を隠し、意味ありげな笑みを浮かべて立っていた。その美しい瞳は、真っ直ぐに朱音を見据えている。
「まあ、あなたは……確か、役小角様のお供をなさっていた…赤目のお嬢さん、でしたわね?本当に奇遇でございますこと。このような賑やかな場所で、またお会いできるなんて」
咲耶の予期せぬ登場に、朱音は言葉を失い、その場に立ち尽くすしかなかった。彼女の大きな赤い瞳には、隠しようのない驚きと、そして微かな警戒心と不安の色が、ありありと浮かび上がっていた。
咲耶の美しい瞳が、まるで何かを見定めるかのように、ゆっくりと細められる。
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