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第四十話:雪原に誓う愛、二つの魂と鬼の伝承
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霧隠(きりがくれ)の里での悲劇は、朱音(あかね)の心に深い傷跡を残した。小夜(さよ)の短い生涯と、彼女が最後に見た絶望の色。そして、役小角(えんのおづぬ)様の苦渋に満ちた決断。それら全てが、朱音の胸の中で重く渦巻いていた。けれど、同時に、小夜の魂が最後に安らぎを得られたこと、そして何よりも、役小角様がどんな時も自分を守り抜こうとしてくれるその深い愛情が、朱音の心を支えていた。
小夜の小さな墓に、山茶花(さざんか)の花と共に別れを告げ、一行は再び静かな旅路に戻った。橘 咲耶(たちばな さくや)もまた、霧隠の里での出来事に何か思うところがあったのか、あるいは自らの役目を終えたと感じたのか、多くを語らずに里の入り口で一行と別れ、別の道へと去っていった。
朱音の心には、まだ癒えぬ悲しみと共に、小夜の死を無駄にはしないという、静かで強い決意が宿っていた。そして、役小角様への信頼と愛情は、この出来事を経て、より一層深く、揺るぎないものへと変わっていた。以前のようにおどおどとした影は薄れ、その赤い瞳には、どこか凛とした、覚悟を決めた者の光が宿っている。
旅の道筋は、いつしか冬枯れの山道を抜け、見渡す限りの広大な雪原へと続いていた。空は抜けるように青く澄み渡り、純白の雪が陽光を浴びてきらきらと輝いている。そのあまりにも美しく、そして厳しい自然の風景は、人の世の悲しみや苦しみを全て飲み込んでしまうかのような、圧倒的な静寂と荘厳さに満ちていた。
三人は、雪を踏みしめる音だけを頼りに、黙々と歩き続けた。義王(ぎおう)はいつも通り寡黙に、しかしその金色の瞳は、主と朱音を気遣うように、絶えず周囲へと鋭く向けられている。
どれほどの時間が経っただろうか。雪原の真ん中、風を遮る大きな岩陰でしばし足を休めていた時、役小角様がふと足を止め、朱音に向き直った。その表情は、これまでにないほど真剣で、彼の黒い瞳は、朱音の赤い瞳の奥底を、真っ直ぐに見つめている。
「朱音」
静かに、しかし重々しく、彼が名を呼んだ。
「以前、お前は俺にこう聞いたな。『私が完全に鬼になってしまったら、役小角様は、私のことも殺しますか』と」
朱音は、あの絶望的な夜、小夜の亡骸(なきがら)を前にして、思わず口にしてしまった問いかけを思い出し、息を呑んだ。あの時の役小角様の沈黙が、今も胸に重く残っている。
役小角様は、続ける。その声は、雪原の静寂に吸い込まれるように、どこまでも真摯だった。
「あの時、俺はすぐには答えられなかった。お前を殺すなどということ、考えたくもなかったからだ。いや、考えることすら、できなかった。だが、あれからずっと、俺なりに考えていた。そして、今なら、お前に偽りなく答えられる」
彼は一呼吸置き、朱音の冷たくなった手を、そっと両手で包み込んだ。その手の温もりが、朱音の心にじんわりと染み渡る。
「もし、万が一にもお前が人の心を完全に失い、真の鬼となって、この世に災いをもたらす存在となってしまったら……俺は、お前を殺すだろう。呪術師として、そして何よりも、お前を誰よりも深く愛する者として、お前の魂がこれ以上穢(けが)れ、苦しむのを、俺は見ていることはできないからだ」
その言葉は、あまりにも真っ直ぐで、そして残酷なほどの誠実さに満ちていた。朱音の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
役小角様は、その涙を指で優しく拭うと、さらに言葉を続けた。その瞳には、揺るぎない決意と、そして朱音への限りない愛情が宿っている。
「そして、その後は……俺も、お前の後を追って逝(ゆ)く。お前がいない世界で、俺が生きていく意味など、どこにもないのだからな。お前と共に逝き、そして、もし許されるならば、あの世で再びお前と巡り合う。それが、俺の答えだ」
その言葉は、あまりにも純粋で、そして究極の愛の形だった。それは、朱音の魂を根底から揺さぶるほどの、激しく、そしてどこまでも優しい誓い。
「役小角様……!」
朱音は、もはや言葉にならなかった。驚きと、そして魂が震えるほどの深い感動。彼の愛情の深さ、そして彼が自分と同じだけの、あるいはそれ以上の覚悟を、その胸の奥深くに秘めていたことを知り、涙が止めどなく溢れ出す。
彼女は、たまらず彼の胸に飛び込むようにして、その逞しい体に強く、強く抱きついた。役小角様もまた、朱音の細く震える体を、力強く、そしてまるで壊れ物を抱くかのように優しく抱きしめ返す。
二人は、言葉もなく、ただ互いの温もりと、魂の奥深くで響き合う確かな絆を確かめ合うように、白銀の雪景色の中で、いつまでも、いつまでも抱き合っていた。
義王は、少し離れた場所で、そんな二人を静かに、そしてどこか温かい、慈しむような眼差しで見守っている。彼の心にもまた、主と少女の間に結ばれた、この世のどんなものよりも強く、そして美しい魂の繋がりが、深く刻まれたことだろう。
雪は、静かに、そして優しく降り続き、二人の姿をまるで祝福するかのように、純白のヴェールで包み込んでいく。
この先、彼らの旅路にどのような運命が待ち受けていようとも、この瞬間の誓いと、互いを想うこの深い愛情がある限り、彼らが道を見失うことは決してないだろう。
役小角――後の世で役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれることになるこの男が、生涯でただ一人、魂の全てを懸けて愛したとされる少女、朱音。
そして、古の伝説には、役行者が強力な鬼を二体使役していたと記されている。
その一体は、鋼の肉体と揺るぎない忠誠心を持つ鬼、義王。
そしてもう一体は……あるいは、赤い瞳を持ち、鬼の血を引きながらも、誰よりも清らかで慈愛に満ちた魂で、彼の進むべき道を照らし続けた、この少女の中に眠る、聖なる魂の輝きそのものであったのかもしれない。
彼ら三人の旅路は、まだ、始まったばかりである――
(第一部 完)
小夜の小さな墓に、山茶花(さざんか)の花と共に別れを告げ、一行は再び静かな旅路に戻った。橘 咲耶(たちばな さくや)もまた、霧隠の里での出来事に何か思うところがあったのか、あるいは自らの役目を終えたと感じたのか、多くを語らずに里の入り口で一行と別れ、別の道へと去っていった。
朱音の心には、まだ癒えぬ悲しみと共に、小夜の死を無駄にはしないという、静かで強い決意が宿っていた。そして、役小角様への信頼と愛情は、この出来事を経て、より一層深く、揺るぎないものへと変わっていた。以前のようにおどおどとした影は薄れ、その赤い瞳には、どこか凛とした、覚悟を決めた者の光が宿っている。
旅の道筋は、いつしか冬枯れの山道を抜け、見渡す限りの広大な雪原へと続いていた。空は抜けるように青く澄み渡り、純白の雪が陽光を浴びてきらきらと輝いている。そのあまりにも美しく、そして厳しい自然の風景は、人の世の悲しみや苦しみを全て飲み込んでしまうかのような、圧倒的な静寂と荘厳さに満ちていた。
三人は、雪を踏みしめる音だけを頼りに、黙々と歩き続けた。義王(ぎおう)はいつも通り寡黙に、しかしその金色の瞳は、主と朱音を気遣うように、絶えず周囲へと鋭く向けられている。
どれほどの時間が経っただろうか。雪原の真ん中、風を遮る大きな岩陰でしばし足を休めていた時、役小角様がふと足を止め、朱音に向き直った。その表情は、これまでにないほど真剣で、彼の黒い瞳は、朱音の赤い瞳の奥底を、真っ直ぐに見つめている。
「朱音」
静かに、しかし重々しく、彼が名を呼んだ。
「以前、お前は俺にこう聞いたな。『私が完全に鬼になってしまったら、役小角様は、私のことも殺しますか』と」
朱音は、あの絶望的な夜、小夜の亡骸(なきがら)を前にして、思わず口にしてしまった問いかけを思い出し、息を呑んだ。あの時の役小角様の沈黙が、今も胸に重く残っている。
役小角様は、続ける。その声は、雪原の静寂に吸い込まれるように、どこまでも真摯だった。
「あの時、俺はすぐには答えられなかった。お前を殺すなどということ、考えたくもなかったからだ。いや、考えることすら、できなかった。だが、あれからずっと、俺なりに考えていた。そして、今なら、お前に偽りなく答えられる」
彼は一呼吸置き、朱音の冷たくなった手を、そっと両手で包み込んだ。その手の温もりが、朱音の心にじんわりと染み渡る。
「もし、万が一にもお前が人の心を完全に失い、真の鬼となって、この世に災いをもたらす存在となってしまったら……俺は、お前を殺すだろう。呪術師として、そして何よりも、お前を誰よりも深く愛する者として、お前の魂がこれ以上穢(けが)れ、苦しむのを、俺は見ていることはできないからだ」
その言葉は、あまりにも真っ直ぐで、そして残酷なほどの誠実さに満ちていた。朱音の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
役小角様は、その涙を指で優しく拭うと、さらに言葉を続けた。その瞳には、揺るぎない決意と、そして朱音への限りない愛情が宿っている。
「そして、その後は……俺も、お前の後を追って逝(ゆ)く。お前がいない世界で、俺が生きていく意味など、どこにもないのだからな。お前と共に逝き、そして、もし許されるならば、あの世で再びお前と巡り合う。それが、俺の答えだ」
その言葉は、あまりにも純粋で、そして究極の愛の形だった。それは、朱音の魂を根底から揺さぶるほどの、激しく、そしてどこまでも優しい誓い。
「役小角様……!」
朱音は、もはや言葉にならなかった。驚きと、そして魂が震えるほどの深い感動。彼の愛情の深さ、そして彼が自分と同じだけの、あるいはそれ以上の覚悟を、その胸の奥深くに秘めていたことを知り、涙が止めどなく溢れ出す。
彼女は、たまらず彼の胸に飛び込むようにして、その逞しい体に強く、強く抱きついた。役小角様もまた、朱音の細く震える体を、力強く、そしてまるで壊れ物を抱くかのように優しく抱きしめ返す。
二人は、言葉もなく、ただ互いの温もりと、魂の奥深くで響き合う確かな絆を確かめ合うように、白銀の雪景色の中で、いつまでも、いつまでも抱き合っていた。
義王は、少し離れた場所で、そんな二人を静かに、そしてどこか温かい、慈しむような眼差しで見守っている。彼の心にもまた、主と少女の間に結ばれた、この世のどんなものよりも強く、そして美しい魂の繋がりが、深く刻まれたことだろう。
雪は、静かに、そして優しく降り続き、二人の姿をまるで祝福するかのように、純白のヴェールで包み込んでいく。
この先、彼らの旅路にどのような運命が待ち受けていようとも、この瞬間の誓いと、互いを想うこの深い愛情がある限り、彼らが道を見失うことは決してないだろう。
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そしてもう一体は……あるいは、赤い瞳を持ち、鬼の血を引きながらも、誰よりも清らかで慈愛に満ちた魂で、彼の進むべき道を照らし続けた、この少女の中に眠る、聖なる魂の輝きそのものであったのかもしれない。
彼ら三人の旅路は、まだ、始まったばかりである――
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