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しおりを挟む「さ、左様で御座います! 鴆を真似て、その青い羽根に細工を! 森殿に疑いが掛かるように! い、市若殿が! 上様に! 毒を!」
「それはもう聞いた! 何故、こやつが知る」
信長は私の方をじっと見た。視線を感じた。怒りではない。戸惑っているようだった。
「納戸で、この話をしておりましたゆえ……ま、まさか、こやつが、我らの言葉を解するとは思わず、殺すと脅されて、黙っているしか……」
必死で弁明する青木の言葉は、最後まで紡がれる事はなかった。部屋を、銀色の何かが風を切ってヒュッと横切ったと思ったら、あまりにも素早い一瞬の間に、冗談のように、青木の首は、畳の上にころん、と転がっていた。頭を失った首からシューシューと音を立てて血が吹き出て、すぐに血だまりになった。
膝許に首が転がり、膝許まで真っ赤な血が流れて来た市若は、「ひ、ひっ、ひぇっ」と引き付けを起こしながら後ずさり、茶室から逃げようとしたが、腰が抜けたのか、立ち上がる事も出来ずに這いつくばる。その、眼前に、信長は立った。威圧するのではなく、ただ、静かに、そこに在った。それが、かえって不気味に感じた。
「毒を使って余を殺す。誰の差し金か」
静かな、低い声音で聞く、信長が恐ろしいのだろう。市若は後退る。すると、信長が近付く。後退る。とうとう、市若は、壁に追い詰められ、観念した。
「私の企てで御座います。なれど、私が悪いわけではありませぬ! 乱ばかりに寵をお与えになる上様が悪いのです。これを下さいましたのは上様ですのに!」
赤い組紐を見せながら、市若は叫ぶ。あまりにも身勝手な理由に呆れた乱の頬が、赤く、汚れた。市若は、信長に袈裟斬りに切られていた。肩口から熟れた石榴のように、膚が割けて肉が露出していた。血が、そこかしこに、はねて天井まで汚れた。市若は、一瞬では絶命できなかったらしく、床を転がりながら大声で、痛い痛いと喚き散らしている。
「下らぬ妬心で殺されては敵わぬ。乱は、表裏なく余に仕える。それがうぬに出来るか。余の許しなく、このものに折檻を与えている事くらい、余は知っておったわ。それに、その組紐ならば、乱にもやったぞ」
信長の言葉を聞いて、市若は、血走った目を、瞠った。
「乱め、乱め、乱め!」
呪いのような声を吐く市若の口から、血が迸った。瞳の焦点が、時折おかしくなる。今際にあるらしい。身体も、妙に震えて、膚の色が青紫に変わって行く。ちくしょう、と口汚い罵り言葉が聞こえて、この世に何とか留まろうと、畳の目を爪で強く掻いた時、市若は急に絶命した。あっけない最期だった。
茶室は、血腥い匂いに満ちていた。信長は、暫し、市若を見下ろしていたが、「愚か者め」と吐き捨てるように言うと、ス、と踵を返して血刀を投げ捨てた。
「後は任せる。そのものは、余の側仕えに」
手短に言って立ち去る信長の血に塗れた背中は、やはり胸が苦しくなる程、寂しく感じた。折角、毒殺の企てを免れたというのに、去り際に、「また、帰れなんだか」と呟く信長の言葉に、違和感を感じた。信長が立ち去った後、乱は、茶室の外にいる坊丸に呼びかけた。
「坊! そなたは、小姓衆と共に、茶室を片付けるように。死体は、城近くに晒しておけ」
「わかりました。兄上は?」
「私は、このものを休ませねば。体中傷だらけゆえ、動く事もままならぬだろう。このものは、しばし我が邸に滞在させる」
私は乱の言う通り、力を使い果たして身を起こす事も出来なかった。情けない事に、乱に抱えられて天主を下り、乱の邸に身を寄せる事となった。
身動きする事が出来なかった私は、布団の上に寝せられて、腐った魚のような酷い臭いの塗り薬を体中にしこたま塗られ、布で巻かれたので、かなわなかった。
私は、「帰れなんだか」と信長が、ちいさく呟いたのを思い出した。まぶたを閉ざす。思い出す。湿り気を帯びた、土の薫りを孕んだ、重く、暑い空気。濃い緑と鮮やかな赤や黄、橙色をした花。瑠璃色の鳥。紺碧の空。黄色の果実の熟する甘い薫り、木々や葉の、風に揺れてこすれる、微かな音。鳥の羽ばたき、美しい声で鳴く虫、柔らかな木漏れ日。胸がきゅう、と締め付けられるが、懐かしいそこに、私はかつて程、切実な気持ちで帰りたいとは思わなかった。
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