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祈るような気持ちで体当たりしていた時、人の気配がした。何か、話し声が聞こえる。気付いて欲しくて、とにかく、無我夢中で杉戸にぶつかった。ガラリと戸が開いた。止まろうとしたが、勢いを付けすぎて、止まれない。年若い小姓の腹に勢い良くぶつかる事になってしまった。
暗い納戸から、いきなり外に飛び出した。陽の光のまぶしさに、目を焼かれる。目を針で刺されるような、強烈な痛みを覚えた。男の無防備な腹の筋肉に跳ね返された私は、体勢を整えると、すぐさま、天主目指して飛んで行った。
「こら、そなた! 謹慎中であろう! 戻れ!」
背後から追いかけてくる小姓の、吊り上がった目に戦きながらも、私は止まらなかった。市若の様子では、すぐにでも、信長に危害を加えるだろう。ならば、信長が居る天主を目指すしかない。外に出るのは久しぶりだった上、市若に殴られ、杉戸に身体をぶつけていたから、身体は、思うように動かない。気付くと、後ろから追ってくる小姓達は数名に増えていた。
天主の前には番人が居たが、扉は開いていた。信長の居室がある上階への道筋は、ここに来た時に案内して貰ったので解っている。番人は「許しなく天主に近付くとは! 捕まえてくれる!」と二人がかりで迫ってきた。背後からは小姓が追い上げて「そいつを捕まえてくれ!」と大声で叫んで、番人に呼びかける。しまった。これでは、捕らえられ、納戸の中に戻されてしまう。なんとしても、ここを切り抜けなければ。
「何という痴れものじゃ」
「上様のお天主にまで、乱入しようとは」
番人や小姓は、あきれ顔で言いながら、私をじりじりと追い詰める。気ばかり焦っていると、「さあ! 観念しろ!」と一斉に、小姓と番人達が襲いかかってきた。
(ああ、―――捕らえられてしまう!)と思って固く目を瞑った時、
「今で御座います! 脚の間をお抜け下さいませ!」
と鋭い叫び声が聞こえた。ハッとして目を開けると、確かに、男達の脚の間に隙がある。素早い私なら、充分、抜けて行く事が出来る!
私は、無我夢中で声の主の許に向かった。天主の観音開きの扉の前に居たのは、随分と幼い小姓だった。誰かに似ている気がした。小姓は、私と共に天主に駆け入ると、内側から閂を掛け「これで、暫し、時を稼げましょう」と私に呼びかけた。私は呆気に取られていると、「案内致します。只今、上様はお茶室においでです」と小姓は、早足で歩き始めた。私も、急いで、その後に続く。茶室は茶を喫するために誂えられた、特別に寂静な場所であるという。私は立ち入った事はないが、市若が毒を仕込むのならば、うってつけの場所だろう。
「兄の親しきご友人であるあなた様が、理由なく謹慎を抜けるとは考えられません。となれば、上様に大事があって抜けられたのだと察します。上様の御為であれば、この坊丸も、共にお咎めを受ける覚悟で御座いますゆえ、ご存分にお働き下さいませ」
と、坊丸は息を切らす事なく言った。兄、と言われて坊丸が乱に似ている事に気がついた。私が、この、坊丸に咎が及ぶ事を考えて行動を躊躇わないように、との配慮だろう。
茶室は、天主の上層にある。
「中には、上様、兄、それとお小姓衆で、市若殿、青木殿がおいでです」
説明しながら坊丸は、金箔と美しい絵で彩られた襖を開いた。こぽこぽと音を立てて湯が沸いている茶釜の前に、市若。そして乱と青木、信長の姿があった。まだ無事だ、と思えば体中の力が抜ける程、安堵した。久しぶりに見た信長は、痩せた、ようだった。
「何用じゃ!」
膚をビリビリと震わす怒声の塊が、私を直撃して、怯みそうになったが、私は意を決した。とにかく、市若を止めなければ。私は、ありったけの力を振り絞って、市若目掛けて猛然と飛び込んだ。全身全霊を込めた力で、市若目掛けてぶつかって行く。虚を突かれた市若は「う、」と唸って茶碗を落とした。新緑の季節の、若々しい草むらような茶の薫りが、茶室一杯に広がった。ぱりん、と軽い音と共に茶碗が真っ二つに割れる。よろけた市若の胸元から、はらり、と青い羽根が落ちた。
私の異常な行動を見た信長は、「乱、どういう事じゃ」と不機嫌に呟く。
「私にも解りませぬ」正直に言いながら、乱は私を抱きかかえた。自力で起き上がる事は、しばらく無理そうだった。
「市若、そなたには覚えがあるか?」静かな声で聞く信長に、市若は腹を押さえながら、
「在りませぬ! この、乱暴は、どういう事ですか! 森殿! これは、あなたの預かりでしょう!」と興奮気味に叫ぶ。
「ふむ。では、お鶴。一人で青い顔をしているが、何を存じている」
チラリ、と視線を巡らせば、青木鶴の顔は、死人のように青褪めていた。唇を震わせて、ぶるぶると震えていると思ったら、茶室に、饐えたような匂いが広がった。青木が、恐怖のあまりに失禁したらしかった。
「お鶴。二度は聞かぬぞ」信長の声の凄みに圧されて、青木は気の毒な程、動転して、「市若殿が、上様に、毒を!」とひっくり返った声で叫んだ。
「毒、か。この青い羽根。鴆か?」
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