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郊外に構える、落葉樹に囲まれ、のどかな雰囲気に包まれた公立図書館。
そこで働く司書の矢部涼香は、今日も分厚い眼鏡がズレそうになるのを整えながら、山積みの返却本を台車に載せたり、利用者の対応をしたりと、様々な作業に追われていた。
紺の制服にベージュのカーディガンを合わせ、まるで“日常”という名の風景画に溶け込む様にひっそりと、しかし穏やかに司書としての生活を送る。
派手さこそ無いものの、その平穏な毎日に、涼香は不満など塵一つも存在しなかった。
そんな中、涼香は午前の業務を終わらせると、秋空の心地いい空気に包まれた屋外のベンチで昼食の弁当を食べながら、読みかけだった小説のページを捲る。
誰の声も、騒音もない。
揺れる葉のせせらぎだけが耳をかすめる中、涼香の小さな鞄からスマートフォンのバイブ音が忙しなく響き始めた。
「誰だろ……、うわぁ」
画面に表示された“矢部綾”の文字に、涼香は溜息を吐きながら、通話をタップする。
「…もしもし、お母さん?」
『あっ涼香!今大丈夫!?』
やかましい綾の声が響き、涼香が思わず耳からスマートフォンを離す。
「大丈夫よ、何?」
『家に今日使う書類忘れちゃったのよぉ…悪いんだけど、ルミナスまで持ってきてくれない?仕事終わりで良いから!』
「えっ、ルミナスまで?」
電話の主である矢部綾は涼香の母であり、国内最大手の芸能事務所『ルミナスプロダクション』を率いる敏腕社長である。
忘れ物を届けてほしいという母からの願いに、涼香は戸惑いの様子を見せた。
「イヤよ、いつも言ってるでしょ?私そこ苦手なのよ。秘書さんかスタッフさんに鍵を渡して取りに行ってもらったら?」
やんわりと拒否する涼香に、綾がまだ食い下がってくる。
『他人を自分がいない間に家に入れたくないのよ~、書類持ってきてくれたら直ぐに帰って良いから、ね?お願い~』
甘え混じりの泣き声に、涼香はやれやれと深く溜息を吐く。
「…分かったわよ、渡したらすぐに帰るからね」
『ありがとう!涼香は本当に優しいんだからぁ、今度行列店のスイーツ買ってくるからね!』
そう調子の良い事を言いながらも、『じゃあ駅まで着いたら連絡してね!』と、早々に電話を切る綾。
1分1秒を争うやり手社長としては仕方ないのかもしれないが、あまりの呆気無さに涼香は「全くもう…」と呆れながら、“通話終了”と書かれたスマホ画面を暫し見つめるのだった。
***
一方その頃、都内某所では一台の高級車が、ビジネス街を縫う様に走っていた。
後部座席には、今やメディアで見ない日は無い程の国内トップ俳優である蓮岡恵が深く腰かけ、外の景色を漫然と眺めている。
「恵さん、今日もこれ。共演したモデルさん達からの連絡先、山程預かってきましたよ」
助手席から大量の折り畳まれたメモ紙を渡そうとするマネージャーに、恵は窓への視線を微塵も動かさず、無感情の声で答える。
「全部処分しておいてください」
「えぇ~もったいない、今度あのグループのセンター張る子のとかもありますよ?大丈夫ですよ、社長には内緒にしときますから」
ニヤニヤしながら口元に手を当てて内緒話のジェスチャーをする、少々軽薄なマネージャーの甘い誘いすらも、恵は冷たい瞳のままだ。
「結構です、野心的な女性は苦手なので」
そう言い切る恵の瞳には、窓から見える都会のネオンも、差し出された華やかな誘惑も、ひどく退屈なものに見えていた。
恵はようやく窓から視線を離すと、身体全てを座席へと深く沈み込ませ、静かに目を閉じるのだった。
そこで働く司書の矢部涼香は、今日も分厚い眼鏡がズレそうになるのを整えながら、山積みの返却本を台車に載せたり、利用者の対応をしたりと、様々な作業に追われていた。
紺の制服にベージュのカーディガンを合わせ、まるで“日常”という名の風景画に溶け込む様にひっそりと、しかし穏やかに司書としての生活を送る。
派手さこそ無いものの、その平穏な毎日に、涼香は不満など塵一つも存在しなかった。
そんな中、涼香は午前の業務を終わらせると、秋空の心地いい空気に包まれた屋外のベンチで昼食の弁当を食べながら、読みかけだった小説のページを捲る。
誰の声も、騒音もない。
揺れる葉のせせらぎだけが耳をかすめる中、涼香の小さな鞄からスマートフォンのバイブ音が忙しなく響き始めた。
「誰だろ……、うわぁ」
画面に表示された“矢部綾”の文字に、涼香は溜息を吐きながら、通話をタップする。
「…もしもし、お母さん?」
『あっ涼香!今大丈夫!?』
やかましい綾の声が響き、涼香が思わず耳からスマートフォンを離す。
「大丈夫よ、何?」
『家に今日使う書類忘れちゃったのよぉ…悪いんだけど、ルミナスまで持ってきてくれない?仕事終わりで良いから!』
「えっ、ルミナスまで?」
電話の主である矢部綾は涼香の母であり、国内最大手の芸能事務所『ルミナスプロダクション』を率いる敏腕社長である。
忘れ物を届けてほしいという母からの願いに、涼香は戸惑いの様子を見せた。
「イヤよ、いつも言ってるでしょ?私そこ苦手なのよ。秘書さんかスタッフさんに鍵を渡して取りに行ってもらったら?」
やんわりと拒否する涼香に、綾がまだ食い下がってくる。
『他人を自分がいない間に家に入れたくないのよ~、書類持ってきてくれたら直ぐに帰って良いから、ね?お願い~』
甘え混じりの泣き声に、涼香はやれやれと深く溜息を吐く。
「…分かったわよ、渡したらすぐに帰るからね」
『ありがとう!涼香は本当に優しいんだからぁ、今度行列店のスイーツ買ってくるからね!』
そう調子の良い事を言いながらも、『じゃあ駅まで着いたら連絡してね!』と、早々に電話を切る綾。
1分1秒を争うやり手社長としては仕方ないのかもしれないが、あまりの呆気無さに涼香は「全くもう…」と呆れながら、“通話終了”と書かれたスマホ画面を暫し見つめるのだった。
***
一方その頃、都内某所では一台の高級車が、ビジネス街を縫う様に走っていた。
後部座席には、今やメディアで見ない日は無い程の国内トップ俳優である蓮岡恵が深く腰かけ、外の景色を漫然と眺めている。
「恵さん、今日もこれ。共演したモデルさん達からの連絡先、山程預かってきましたよ」
助手席から大量の折り畳まれたメモ紙を渡そうとするマネージャーに、恵は窓への視線を微塵も動かさず、無感情の声で答える。
「全部処分しておいてください」
「えぇ~もったいない、今度あのグループのセンター張る子のとかもありますよ?大丈夫ですよ、社長には内緒にしときますから」
ニヤニヤしながら口元に手を当てて内緒話のジェスチャーをする、少々軽薄なマネージャーの甘い誘いすらも、恵は冷たい瞳のままだ。
「結構です、野心的な女性は苦手なので」
そう言い切る恵の瞳には、窓から見える都会のネオンも、差し出された華やかな誘惑も、ひどく退屈なものに見えていた。
恵はようやく窓から視線を離すと、身体全てを座席へと深く沈み込ませ、静かに目を閉じるのだった。
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