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中学生編
四(2022、夏)
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晶は言った。
「雨貝、おまえもだろ、牛乳飲んでないのは」
「えっ、わかった? うまくやってるつもりだったのにな」
「机の影でビニール袋にこぼしてるだろ」
「牛乳飲んでる子は、うとうとしてるから、そういうことには気づかないものなのよ」彼女は小さく笑窪を作った。「でも、あなたには見えちゃったのね」
「どこまで知ってる?」
話が危険な領域に踏み込んでいるのは分かったが、ここをおいてこの話ができる人間がいるとは思えなかった。まして、薬入りの牛乳を拒否する三人……「町」の洗脳を拒んでいる人間が、自分の他にもいようとは。
「その前に、虎谷くん、あなたの考えを聞きたいわ」
雨貝紫穂は、まっすぐ崇を見つめた。「あなたは、言わば体制側の人間でしょ……町議会の議員も町長も、虎谷家の影響下にあるのはみんな知ってる。なのに、その直系三男のあなたは教師の言うことを聞かずに牛乳を捨てている。ずっと興味があったのよ……それって、どういう気持ちなの?」
「……それさあ、俺がほんとに体制側の人間で、おまえたちのことをチクるとは思わないの?」
虎谷崇は、柔和に微笑んだ。
「虎谷家の人間だから、俺だけ例の洗脳牛乳を免除されてるのかもしれないじゃん」
「もしそうだとしたら、あんな稚拙なやり方は取らないでしょ」
あっさりと紫穂は論破した。「タオルに吸わせて後で洗ってたけど、匂いがつくわよ」
「駄目かぁ」
「それで? どう思ってそんなことをしているの」
崇は照れたように笑った。「だってさぁ、自分は自分でありたいだろ……いついかなるときでもね」
「そういう人だと思った。予想が外れていなくて嬉しいわ」
「そういうそっちは、何で?」
「自分の思考がコントロールできないのは、好きじゃないのよ。それであなたは、水埜くん?」
晶は、ためらった。
自分が経験したことは、おそらく二人の想定を超えることだと思われた。しかも、その傷は今も深く、冷静に話せる自信もあまりない。
彼の表情を観察していた紫穂は、笑みを消した。
「いいわよ……話せるときに話して。もっと親しくなれたときにでも」
「なんだ、意外とデリカシーあるな」
「ことが事だから」
茶化す崇に、彼女は真面目な目で言った。
「中学に入ってからはないけれど……小学生のころ、二人、クラスメイトがいなくなったわ。少なくとも、わたしが覚えている範囲で」
崇の目からも笑いが消えた。
「俺は、……友達が職員室に呼び出された。その日、家には帰らなくて、一晩あけたら、違う人間になっていたよ……俺と話したことも、全部忘れてた」
「その子ともこういう話をしたんじゃない、きっと?」
「……そうだよ。俺が、あいつに話してなければ、あいつは、あんな目に遭わなくて済んだ」
紫穂は、ちょっとまなざしに痛みを湛えて彼を見たが、口では「済んでしまったことよ」と言った。
「……俺も、職員室に呼び出されて、一晩洗脳されたことがあるよ」
晶は、小さく言った。崇は目を見開いた。
「なのに、それを覚えてる? 自覚があるってこと?」
「……こいつが助けてくれたんだ」
膝の上に乗り上げるようにくっついてくる樹の髪を撫でてやりながら、晶は言った。
「どういうこと?」
「洗脳されそうになってフラフラしてるときに、こいつが通風孔を無理やり通って会いに来たんだよ」
唾液交換のことを言うのは、憚られた。「あれがなければ、正気を保てなかったと思う。なんか、おまじないを教えてくれて」
「通風孔?! まじで忠犬だな」
「虎谷くん」
一言たしなめてから、紫穂は目を樹に向けた。
「おまじないというのがあるの? 洗脳に対抗する? 興味がある。わたしにも教えてくれない?」
樹は話を振られて嬉しそうだった。
「うん、こわくないおまじない! ねれないときやる。だれかしんだときやる。こわいものきたときやる、いいよ」
彼は、例の伸びゆく木をイメージさせる、呪文のような言葉を発した。しかし、紫穂がスマホを出してメモしようとしたとき、樹はその手を揺さぶって止めた。
「かくだめ! おぼえるだけ」
「そういうルールなのね」
紫穂はスマホをしまった。「しかし、どう考えても、これは文化だわ……わたしたちが穢狗などと呼んで使役している存在は、知性と文化を持っている。これも、おそらくは意図的に隠されている真実ね」
「ねのたみというんだ」
「え?」
「彼らは、自分のことをねのたみ、と呼ぶ」
「ふうん……根の民、かしらね」
彼女は、小枝で地面に字を記した。樹を見ながら言う。「これは書いてもいいのね。おまじないは、音で覚えないといけないと。何か、北欧神話の『世界樹』みたいな内容だったわね。何だっけ――」
「とねりこのあめたかきえだ
くれつちにおおわれたねの
いずみはうんめい」
すらすらと崇が言って、にっこりした。紫穂は、むっとしたように唇を結んだ。「一回聞いただけなのに……そういう特技、うらやましいわね」
「色々、得だよ」
しかし、彼の微笑は明るくはなかった。「おかげで、色んなことに気づいてしまうことにもなったけどね……出席番号が、一つ入れ替わってるとか、教科書のやってるページがずれてるのに誰も気づかないとか」
「だから、牛乳を残すようになったの?」
「そんなところかな……」
彼は言って、立ち上がった。
「またやろうよ、この秘密会議。権力者の陰謀を暴こうぜ、同志諸君」
「そういう韜晦、嫌いじゃないわよ」紫穂は見透かすように言った。「いいわ、わたしは知りたいの。結局わたしたちがどんな場所で生きてるのかを」
「身を守るためには、知る必要があると思う」
迷いつつ、晶は言った。「知ることで出てくる危険もあるけど……知らなかったからといって、安全なわけじゃない。一度知ったからには、奴らの裏をかけるような、知識がないと」
「そのとおりね。そして、一人より、三人……四人の方がいい」
紫穂が笑いかけたので、樹は嬉しそうに身体を揺らした。その彼を見ながら、晶は、微笑んだ。
(二人に会わせて良かった)
この二人なら、そのうち、小学生のころ体験した諸々も、話したいと思える気がした……
「雨貝、おまえもだろ、牛乳飲んでないのは」
「えっ、わかった? うまくやってるつもりだったのにな」
「机の影でビニール袋にこぼしてるだろ」
「牛乳飲んでる子は、うとうとしてるから、そういうことには気づかないものなのよ」彼女は小さく笑窪を作った。「でも、あなたには見えちゃったのね」
「どこまで知ってる?」
話が危険な領域に踏み込んでいるのは分かったが、ここをおいてこの話ができる人間がいるとは思えなかった。まして、薬入りの牛乳を拒否する三人……「町」の洗脳を拒んでいる人間が、自分の他にもいようとは。
「その前に、虎谷くん、あなたの考えを聞きたいわ」
雨貝紫穂は、まっすぐ崇を見つめた。「あなたは、言わば体制側の人間でしょ……町議会の議員も町長も、虎谷家の影響下にあるのはみんな知ってる。なのに、その直系三男のあなたは教師の言うことを聞かずに牛乳を捨てている。ずっと興味があったのよ……それって、どういう気持ちなの?」
「……それさあ、俺がほんとに体制側の人間で、おまえたちのことをチクるとは思わないの?」
虎谷崇は、柔和に微笑んだ。
「虎谷家の人間だから、俺だけ例の洗脳牛乳を免除されてるのかもしれないじゃん」
「もしそうだとしたら、あんな稚拙なやり方は取らないでしょ」
あっさりと紫穂は論破した。「タオルに吸わせて後で洗ってたけど、匂いがつくわよ」
「駄目かぁ」
「それで? どう思ってそんなことをしているの」
崇は照れたように笑った。「だってさぁ、自分は自分でありたいだろ……いついかなるときでもね」
「そういう人だと思った。予想が外れていなくて嬉しいわ」
「そういうそっちは、何で?」
「自分の思考がコントロールできないのは、好きじゃないのよ。それであなたは、水埜くん?」
晶は、ためらった。
自分が経験したことは、おそらく二人の想定を超えることだと思われた。しかも、その傷は今も深く、冷静に話せる自信もあまりない。
彼の表情を観察していた紫穂は、笑みを消した。
「いいわよ……話せるときに話して。もっと親しくなれたときにでも」
「なんだ、意外とデリカシーあるな」
「ことが事だから」
茶化す崇に、彼女は真面目な目で言った。
「中学に入ってからはないけれど……小学生のころ、二人、クラスメイトがいなくなったわ。少なくとも、わたしが覚えている範囲で」
崇の目からも笑いが消えた。
「俺は、……友達が職員室に呼び出された。その日、家には帰らなくて、一晩あけたら、違う人間になっていたよ……俺と話したことも、全部忘れてた」
「その子ともこういう話をしたんじゃない、きっと?」
「……そうだよ。俺が、あいつに話してなければ、あいつは、あんな目に遭わなくて済んだ」
紫穂は、ちょっとまなざしに痛みを湛えて彼を見たが、口では「済んでしまったことよ」と言った。
「……俺も、職員室に呼び出されて、一晩洗脳されたことがあるよ」
晶は、小さく言った。崇は目を見開いた。
「なのに、それを覚えてる? 自覚があるってこと?」
「……こいつが助けてくれたんだ」
膝の上に乗り上げるようにくっついてくる樹の髪を撫でてやりながら、晶は言った。
「どういうこと?」
「洗脳されそうになってフラフラしてるときに、こいつが通風孔を無理やり通って会いに来たんだよ」
唾液交換のことを言うのは、憚られた。「あれがなければ、正気を保てなかったと思う。なんか、おまじないを教えてくれて」
「通風孔?! まじで忠犬だな」
「虎谷くん」
一言たしなめてから、紫穂は目を樹に向けた。
「おまじないというのがあるの? 洗脳に対抗する? 興味がある。わたしにも教えてくれない?」
樹は話を振られて嬉しそうだった。
「うん、こわくないおまじない! ねれないときやる。だれかしんだときやる。こわいものきたときやる、いいよ」
彼は、例の伸びゆく木をイメージさせる、呪文のような言葉を発した。しかし、紫穂がスマホを出してメモしようとしたとき、樹はその手を揺さぶって止めた。
「かくだめ! おぼえるだけ」
「そういうルールなのね」
紫穂はスマホをしまった。「しかし、どう考えても、これは文化だわ……わたしたちが穢狗などと呼んで使役している存在は、知性と文化を持っている。これも、おそらくは意図的に隠されている真実ね」
「ねのたみというんだ」
「え?」
「彼らは、自分のことをねのたみ、と呼ぶ」
「ふうん……根の民、かしらね」
彼女は、小枝で地面に字を記した。樹を見ながら言う。「これは書いてもいいのね。おまじないは、音で覚えないといけないと。何か、北欧神話の『世界樹』みたいな内容だったわね。何だっけ――」
「とねりこのあめたかきえだ
くれつちにおおわれたねの
いずみはうんめい」
すらすらと崇が言って、にっこりした。紫穂は、むっとしたように唇を結んだ。「一回聞いただけなのに……そういう特技、うらやましいわね」
「色々、得だよ」
しかし、彼の微笑は明るくはなかった。「おかげで、色んなことに気づいてしまうことにもなったけどね……出席番号が、一つ入れ替わってるとか、教科書のやってるページがずれてるのに誰も気づかないとか」
「だから、牛乳を残すようになったの?」
「そんなところかな……」
彼は言って、立ち上がった。
「またやろうよ、この秘密会議。権力者の陰謀を暴こうぜ、同志諸君」
「そういう韜晦、嫌いじゃないわよ」紫穂は見透かすように言った。「いいわ、わたしは知りたいの。結局わたしたちがどんな場所で生きてるのかを」
「身を守るためには、知る必要があると思う」
迷いつつ、晶は言った。「知ることで出てくる危険もあるけど……知らなかったからといって、安全なわけじゃない。一度知ったからには、奴らの裏をかけるような、知識がないと」
「そのとおりね。そして、一人より、三人……四人の方がいい」
紫穂が笑いかけたので、樹は嬉しそうに身体を揺らした。その彼を見ながら、晶は、微笑んだ。
(二人に会わせて良かった)
この二人なら、そのうち、小学生のころ体験した諸々も、話したいと思える気がした……
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