【ハルピュイアの鎮魂】―禁忌を超えて、魂に、触れる。― ディストピアSFホラー×異形吸血鬼譚×異種族恋愛BL

静谷悠

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中学生編

二十九(2024、夏)

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 季節が巡り、晶たちは中学三年生になっていた。全員が稲敷第二高等学校への進学が決まってはいたものの、内部での進路選択はすでに始まっており、三年生の教室にはどこかピリピリした空気が漂っていた。

 紫穂は、はたから見ていればどう考えても理系研究コースが似合っていたが、本人は経済・政治コースとの間でかなり迷っているようだった。どちらでも上手くやるだろうし、何なら高校卒業後は東京へ進学しても不思議ではない、というのが晶と崇の共通認識ではあった。崇の方は、周囲からは当然というほどに経済・政治コースを期待されていたが、彼らしい鬱屈で、それを選択するのを渋っていた。
 晶はと言えば、自分でも、どういう将来像を描けばいいのか、よく分からずにいた。かつて憧れていたように、父と同じく防災課で働くなら、実務コースなのだが、かつてのように純真な思いはもはや抱けなかった。高校卒業後に防災課に入るのであれば、虎谷薫の部下になるということでもある。他に目標も抱けないまま、彼は屈折した思いで次々に進路を決めていくクラスメイトを見ていた。
 身体的には、晶は未だに背ばかり伸びて筋力に乏しい薄い体型の少年で、その背丈さえ樹には敵わなかった。声変わりも未だなく、内心彼は、これはアシュエラ変化に伴うものではないかと疑っていた。声と言えば、彼の声は、同学年の中でちょっとした噂になっていた……同じ音程を歌っていても、晶の声は何故か微かに重層となり、聞き間違いかと思われるような微妙な和音を響かせるのだった。しかし、かつて、穢狗に拉致され、必死で樹を想って放ったような、特殊な「声」はその後一度も出せなかった。
 樹と受血を続けるようになってから、体温は一定して三十五度台になっていた。
 コンパティビリタス・アシュエラや穢狗についての論文を、紫穂は度々虎谷薫に要求していたが、薫はアクセスが禁止されているという理由で応じなかった。

「京都かあ……」 
 崇がぼやいたのは、修学旅行の話し合いの席だった。例によって、あらかじめ決められているかのごとく、紫穂と崇、そして晶は同じ班だった。今回は、のっぽで眼鏡の唐沢裕貴が加わっているのが、異例といえば異例だった。
「いいじゃない、京都。《失われた千年》の痕跡が見られるだけでもわたしは楽しみだけど」
「うまいこと楽しみを見つけるなぁ。夏の京都なんてひたすら暑いぜ」
「俺も、旅行なんてほとんどしないから、楽しみだよ。どこを回ろうか」
「うーん、渡月橋とか? 千年前にはここで飛翔訓練していたっていう言い伝えがある。なんか、ロマンがない?」と、唐沢が言い、ちょっとほかの三人は顔を見合わせた。言い伝えレベルの話しか残っていない失われた千年――《世界大戦》以前に、人類が飛翔能力を持たなかったのを知っているのは、彼らだけだった。
「なんだよ、俺だけ仲間はずれにするなよぉ。皆、どこか回りたいところとかあるの?」
 唐沢が口を尖らせた。紫穂は最近、ときに対外的に見せる穏やかな微笑――崇が言うところの、聖母スマイル――を彼に向けた。「ごめんごめん、鞍馬山と清水寺にはいきたいって話したことがあっただけなのよ」
「一日で回れるかな……まるごと京都を一巡りする感じじゃん」
「飛べば楽勝じゃない?」
「嫌よ、そんな疲れる移動。宿泊学習で、もううんざり」
「まあ、移動ばっかりになるのももったいないし、近いところでまとめようか」
 なんだかんだと言い合う班のメンバーを見ながら、晶は、二泊三日の旅行中、樹はどうするだろうかと思った。このところ、樹は平日の受血こそ我慢してはいたが、毎日のように唾液交換を強請ってくる。六月の大会終了後、三年生は部活を引退していたので、他に用があるわけでもなく、夕方の「家路」が鳴るギリギリまで、樹の寮か音楽室にいるのが、二人の習慣になっていた。
 
 その日も、晶は、音楽室に向かっていた。
 
 ピアノの音が聞こえる前から、そこに樹がいると分かっていた。今では、変化していないときでも、樹の存在は、常に、温かな灯のように、肌に感じられるようになっている。
 樹も、晶がそこにいることが分かったらしい。歩み寄るにつれ、響いてくるピアノの音色が、弾むように明るくなり、晶はころころとまとわりついてくる子犬を想像した。もっとも、音階自体はたどたどしく、子犬はしょっちゅう転んでいるようだった。指が短く、関節が固まるように曲がっているせいで上手く操れないのだ。

「あきや!」

「その姿でピアノ弾くのやめろって言ってるじゃん」
 晶は言ったが、無意識に微笑んでいた。「誰かに見られたら事だぞ」
「おえ、だえかくるの、わかう。いまはあきやだけ」
「ピアノに夢中で気づかないこと、あるだろ」
 変化したときには、晶も、他の在来人やねのたみを光として認知できるのだが、普段は樹の存在しか感じることができない。翼化しているときの、暗い海に浮かぶ沢山の火を見るような世界を思う。より深く集中すれば、動物や、植物の命さえも薄い明かりとなる。樹はいつもあのように世界を見ているのだろうか。
「いまは、あきぁだけ」
 樹は、幸せそうに囁き、曲がった腕を晶に伸ばした。明日も樹は仕事がある。人間の姿でいる時間は、長すぎてはいけない。そう分かっていたが、樹の僅かにかさつく唇に触れたとき、晶は何も考えられずにその頭を抱きしめていた。
「はっ、あきや……あきら、おいしい」
「ん、おまえも」
 手の中で頭蓋が滑らかになり、抱きしめてくる手が強くなる。長い指が髪を梳き、晶の頭を愛撫した。
「ほら……ピアノ、弾きたいんだろ。あんま時間ないぞ」
「あきら、うたう」
「え、また……? ここんところ毎日じゃん」
「あきらうたうの、すき」
 この度、樹が弾き始めたのは、「野薔薇」だった。樹は、一度言い出したら引かない。晶はあきらめて伴奏に合わせた。その高音のぎりぎりのファルセットを出したとき、空気が震え、複雑にぶつかりあってきらめいた。
 (樹の伴奏だと、こういう声が出るんだよな……)
 その短い曲を終えて、ひといきついたとき、樹がにっこりと笑った。

「そだってる」

 樹の指す方を振り返ると、そこには、鉢植えのパキラがあった。それは、確かに、記憶にあるものよりも緑が濃いような気がした。
「育つって……」
「あきらのこえ、とくべつ」
 優しく、樹は言った。「いろんなもの、そだつ」
「えぇ? 流石に、そんなわけないだろ……」
 晶が言ったとき、微かに、折り紙が開くような音がした。彼が振り返ったとき、新しくみずみずしい芽が、目の前で開いたところだった。
「あきら、すごい」
 無邪気に樹は言い、晶の頬に口づけた。
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