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第7部 駆け出し冒険者と姫君
第338話 賢者タイムに愛を語るな
しおりを挟む賢者は真剣な面持ちで、ルトを見つめた。
齢はおそらく千と数百歳。
限りない叡智を秘めた超存在。そもそもこの魔法宮そのものが、彼の術式における産物なのだ。
神にも等しき、人の姿をしたものは静かな口調で言った。
「ルトよ。人の愛の対象は必ずしも一人に向けられるものではない。」
ルトもうウィルニアを見返した。瞳は何の感情も表してはいなかった。ただ、深く静かに淀んでいる。
「おまえの周りを例にとろう。
例えば、リアだ。かつておまえと共に駆け出し冒険者として、魔王宮に挑んだ少女は、おまえを今でも慕い続けている。だが、その愛情は、現国王エルマートにも注がれている。
例えば、ドロシーだ。
彼女は、自分のかつての主人である子爵家の坊ちゃんを、結婚相手に定めた。
それでいて、おまえを何度となく誘惑し、ジウル・ボルテックとも愛人関係にあった。
このように、真摯な愛においても複数の相手を同時進行で愛することはできる。
おまえが、フィオリナを愛するならば、そしてフィオリナがおまえを愛しているならば、フィオリナが他に誰を愛しているかなど、実は、些末な問題にすぎない。
フィオリナが両親を愛すれば、おまえは両親にも嫉妬するのか?
子供が産まれて、フィオリナの愛情がそちらに向かえば子供にも嫉妬するのか?
おまえは確かに今は、人の身だ。だが、おまえの言う『超越者』への道は開かれているのだ。
心を大きくもて。そして大きな愛情でフィオリナを支えてやるがいい。」
「アキルが、『賢者タイム』がどうのこうの言っていたな、前に。」
ルトは、空を見上げた。
「どういう意味か訊きそびれたけど、これかな? 賢者がもっともらしいけど、意味のないことを言って時間を稼いで誤魔化そうとすること。」
もちろん、アキルが聞いていたら「違う」と言っただろうが。
ウィルニアは困ったように、シャーリーを見た。
シャーリーはギムリウスに、クッキーを出してやっていた。食器はだいぶ食い荒らされている。
グルジエンが唸った。
今までいることも忘れられていたメイド姿の“絶士”は、フィオリナの髪を掴んだ。そのまま無理やりに上を向かせる。
「ご主人! わたしはあんたの味方だ。」
グルジエンは、歯を剥いた。
「わたしは異世界人だ。正確には『人』ではないが、知的な生命体で生殖によって子孫を作る。
ちなみに、人間で言うところの性は、七つある。」
とんでもない告白だったが、さすがにこれだけ衝撃が続いたあとだったので全員がスルーした。
「さあ、どうして欲しいか言ってみろ。おまえの望むようにしてやる。
こいつらを、皆殺しにするか?
天を裂くか? 地を割るか?
それともいっそ世界を滅ぼすか?」
フィオリナは、ぐすん、と鼻を鳴らして答えた。
「涙拭くからハンカチーフください。」
木綿の!?
とアキルがいたなら言ったかもしれない。
シャーリーがお茶を入れ直した。
全員が、疲れ切っている。
元気なのはギムリウスくらいだった。彼女はシャーリーに与えられたクッキーを黙々と食べている。
フィオリナは、不貞腐れている。
目の前には、白酒の入ったグラスが置かれている。酒に逃げるという最低なことをしているのだが、酒を所望された我らが姫君を拒否できることは、賢者ウィルニアにもできなかったのだ。
シャーリーは、次にギムリウスに食べさせる焼き菓子を見繕っている。
ルトは、お茶を注がれる前に、カップをミルクで満たした。
ウィルニアは、腕を組んで考えごとをしている。
「式まであと何日だ?」
ウィルニアが尋ねた。
ルトは、さあ、と答えた。
「なんで本人がしらん?」
「リウとアモンが仕切ってるんだ。」
「アウデリアは、式に古竜のコーラスをさせるように、アモンに申し入れたらしい。」
「なんだ、それ。」
なまじ、博識なだけにルトは呆れた。
「竜って歌うのか?」
「歌を好む竜はいるが、自分で歌う竜はいない。」
「うまくいくんだろうか?」
それは、とウィルニアはニヤニヤと笑った。
「我らのアモンがやらせてるのだ。やるぞ。それでも3日、いや4日は稼げる。」
「式の日取りですか? まだ10日はかかります。」
ギムリウスが口を挟んだ。
「その根拠は?」
「結婚式の出席権を賭けて、試合を行ったのです。優勝したのはリヨンです。
ヨウィスと一緒にグランダを立ちましたが、もう古竜は全部出払っています。ミトラへの到着は、まだ10日はかかります。」
なんでリヨンが。
と、今さら突っ込む気にもならないルトとウィルニアである。
「これからどうする?」
「ミトラに戻るよ。親父殿とアウデリアさんの結婚式と、オーベル伯爵の就任後の相談もしないといけないから。」
「この状態でか!?」
「それはそれ、これはこれだよ。」
ルトは、立ち上がった。
フィオリナが、すがるような目をそれを追った。
「賢者殿。」
改まった口調で、ルトが言った。
「結婚式には出席いただけますね?」
「おまえたちを止める最後のチャンスだからな。出席させてもらうよ。」
「その日まで、フィオリナは預かっていただけますか? まあ、いやだと言っても置いていきますが。」
わかった。
と、ウィルニアは言った。だが、わたしを信用するかね、少年。
つう。と、少年の唇が笑みの形につり上がった。
「ここを隔離できるか、ウィルニア。」
「ここは、魔王宮、迷宮の主はリウだぞ。フィオリナを閉じ込めていたとしてもリウが自分からやってきたらアウトだ。」
「だから、隔離しろ。第六層からさらに別世界を展開して、リウからもフィオリナをかくせ。」
あのな。とウィルニアは呆れた。
「わたしとリウの付き合いの方が、おまえより、はるかに長いんだぞ。」
「残念姫に夜這いするかっこいい魔王の姿を見たいか。」
ちょっと考えて、ウィルニアは、わかった、と答えた。
「わかった。フィオリナの件については、責任を持って預かる。リウにも合わせない。リウが望んでも、フィオリナが願っても。」
ウィルニアの周りに、ぐるぐると回りながら踊る記号と数字が現れた。渦をまいて、彼を取り巻いていく。
「賢者の立体積層魔法陣。」
興味深そうに、ルトはそれを眺めた。
「式の日取りや場所は、決まれば招待状に浮かぶだろう。それまでは、『ここ』を世界から完全に分離する。連絡もできないし、ギムリウスのマーカーのおかれた第六層とは、別の世界だ。」
「ルト、やばそうです。」
さっと寄ってきたギムリウスが、ルトの手を掴んだ。
「第六層は崩壊します。」
その通り。
ウィルニアの述式の渦に、世界がのみこまれていく。彼らがお茶を楽しんでいたコテージも。シャーリーが水をやっていた花壇も。庭も。
地面も。
空さえも千々にひび割れ、砕け散っていく。
「空間が崩壊しないうちに、ミトラに戻ります。わたしにつかまって。」
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