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第四章
仕返し
しおりを挟むだからと言って素直ではないリーンが一歩でも譲って、そのままリヒトの思惑通りにする訳もない。
「…イアンを呼びます」
「イアンをですか?」
「はい」
リヒトはイアンと一応の面識はあるが、多分そんなに良い印象を持ってはいないだろう。
イアンの内情を知っているのはリーンとレスターだけなので、一度でもイアンの本気を見た事のある人間ならば受け入れ難いのは仕方がないと思う。
それだけイアンは人間離れした存在なのだ。
「その、イアンと言うのはどなたなのでしょう?」
「私の友人兼護衛をしてもらっている人です」
確かにここは伯爵家だ。
いくら相手がリーンだからと言って、初めて聞いた名前の人物をなんの躊躇いもなく受け入れる訳には行かないのだろう。
「なるほど、是非お招き下さい」
「ご友人と護衛を!さぞお強いのでしょうね」
ただ、多分、二人が思っているような人ではないと言うことだけ言っておくべきだったかな、とリーンはリヒトの顔を見る。
相変わらず表情さえ変わってはいないが、それが一番怖くもある。
「はいはーい。まさか、こんなに早く呼ばれるとはね~」
イアンの呑気な声が聞こえてきて、先程と全く同じく言葉を失う夫妻にリーンはやっぱり少し間違えたかも、と小さな後悔をし始める。
婦人は直ぐに貴族らしく微笑んだが、伯爵はその方に鋭いらしく警戒の色を隠せないでいたからだ。
「…彼に席を」
「いやいや、お構いなく~。いつも通りにしますんで」
そう言うと、イアンは本当に当たり前のようにソファに座っているリーンを持ち上げその場に座ると、自身の膝にリーンを乗せる。
「菓子食べてたのか?」
「届かなかったんです」
「デカくないか?」
「でかいですね」
そして、これまた当然のように香ばしいバターの香りを壊すように平然とバキバキと割り、一口口に頬張ってからリーンの口にも運ぶ。
「まぁまぁだな?」
「美味しいですよ?イアンが甘党なだけです」
「これが好みってやつか」
「えぇ、コレが好みってやつです」
そして、二人の間では当たり前になった“自由”を知るための会話が始まる。
「んで、何の話しをしてたんだ?」
「これからお話しするところです」
「あ、そうだったのか。邪魔したなら悪いな、続けてくれ」
そして、相変わらずの態度でイアンは何の気もなしに平然とそう言って退ける。
これには流石の使用人達も驚きを隠せないようで、色んなところから息を呑むような音が聞こえてくる。
「リーン様がヴェルスダルムへ行かれてからのお話しが聞ければと思います」
「あー、ヴェルスダルムは殆ど馬車移動で大変だったよな」
「そうですね。向こうでは私の存在は周知の事実だったようで、上陸して早々にお披露目のための巡業のような旅をしていました」
「女神様にそんな事を…?」
「ノーラン。あそこは教会も違いますし…」
夫妻からすれば驚く事ばかりなのかも知れないが、それが嫌なら初めから付き合ってはいない。こちらにも事情があったからそうしていただけであって、何も強要された訳ではない。
国が違えば、当然文化も違う。リーンを敬うからこそそう言う対応を【錬金王】はお願いしてきたのだし、リーンを敬うからこそ夫妻はそう思ってしまうのだろう。
こう言う時も神示は記憶を通して、色んなことを教えてくれるが、やはり感情と言うものを知るのは難しい。
「あ、あれ美味しいかったよな。何だったか…あの、白いやつ」
「ケーキですか?」
「そう、ケーキだ。早くリーンの言ってた赤い実が見つかれば良いんだがな」
だから、イアンのこう言う呑気な声が楽に感じる。
だが、話しが進めば進むほどに使用人達の表情の曇りが青褪めに変わってきて、リーンも流石に不味いか、と思い始めていた時。
「リーン様。私の負けです…もう、許して下さいますか?」
「…許すもなにも…」
分かってる。リヒトが折れるのをずっと待っていた自分がいるのを。そして、リヒトなら多分いずれ折れてくれると分かっていたのだ。
でも、謝って欲しいなんて思ってなかった。
言葉にするのが恥ずかしかっただけ。レスターじゃなくてイアンを呼んだのはイアンなら何処にいてもいつもこうだから、当然そうすると思って呼んだ。
「リーン様が望むものを望むままにとお約束したのにも関わらず、感情のまま動いたことをお許しください」
「別に怒ってなんか…」
だから、謝られることなんてされてない。そんな苦しそうな顔を見たかった訳じゃない。ただ、子供のように不貞腐れてただけだ。
「しかし、私には苦行でした…」
「違うの…」
どうしたらいいのか。なんて説明すればいいのか。勘違いされたくない。謝ることは出来るけど、多分それではダメだ。今リヒトに謝られて嫌だと思ってしまった。
こんな顔をさせてしまったのに、これ以上間違ったら…。
「…リーン様ッ!」
言葉が見つからない。何をしてもダメな気がした。
レスターは何もかも知った上で諭しにきた。リーンは何も悪くないと甘やかして、リーンが何も言わなくても良いように甘やかして、自分に閉じ込めて、笑って、抱きしめて、許してくれた。そして私はそれに全部に甘えた。
だから、ラテはそれではダメだと言いたかったのかも知れない。そんな甘えたままでは何もかもを失うと言いたかったのかもしれない。
今までの私の守り方は全部自分本位で、自分が傷付かないために周りを徹底的に遠ざけてきた。
その結果、父を亡くし、弟を亡くし、母まで亡くした私は自分の全てを投げ捨てた。
「違うの…」
「はい、リーン様」
ラテは分かってたのだろうか。
リヒトなら甘やかさないと。リーンが甘え切れなくなると。
「我儘を…言ったの…」
「こんなに可愛らしい我儘は初めてですね」
リヒトなら受け止めると。リーンが彼を信じ切れると。
「本当は……抱っこ…」
「はい、知らんぷりして申し訳ありません」
リヒトなら全てを暴くと。リーンが全て曝け出せると。
全部分かってたのかもしれない。
「やれやれ、手のかかる友達だな」
「イアン…」
「可愛いから許してやるよ。これも俺の自由だよな」
「…はい、イアンの自由です」
そして、それはイアンも同じで、レスターも同じなのかもしれない。
「キールからの伝言だけどさ」
「キールからの伝言ですか?」
「次は僕を呼んでほしい、ってよ」
「じゃあ、今から…」
「リーン様、失礼します」
「…はい?」
さっきまでの淑やかな表情は何処かに消し飛び、リーンを抱えたまま誰に何かを言う訳でもなく部屋を出て行く。
リヒトの肩越しにイアンと目が合い、彼は片手を上げて呑気に叫ぶ。
「んじゃ、俺は帰るから!」
「え!どうやって!」
「もう、出来てるから!魔法陣!おっと、これお土産に貰って行っていい?」
「は、はい…」
ピラピラと指先に挟んだ紙を揺らして、リーンの問いかけに答えたイアンは、まだポカンッとしている伯爵夫妻に了承を得ると、残っていたクッキーを鷲掴みにして悪戯っ子のような満面の笑みを浮かべて、手を振った。
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