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本編
08. 指輪
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その後から空の雲はどんどん厚みを増して、夜になると雨が降り始めた。
その雨は翌日、待ち合わせの時間になってもざぁざぁと降り続いていた。
レイナルドの傘に二人で入って、メリュディーナは初めてさす傘をくるくると回して水滴を飛ばしてはしゃいだ。
メリュディーナが傘を持っているから時折レイナルドの頭に傘が乗っかってしまったけれど、ごめんなさいと言いながらも楽しそうにしているメリュディーナを、レイナルドはもちろん怒る事などしなかった。
ひとしきり雨の中を歩いて、その後はコテージにあった本を――レイナルドが子供の頃に読んでいた絵本や童話集を、字の読めないメリュディーナに読み聞かせたり、三日連続になっちゃったねと笑いながらも昨日の残りの材料でまた一緒に作ったサンドイッチを食べたりして、のんびりと過ごした。
四日目はすっかりと青空が戻ってきた。
この日も約束の時間より少し早めに砂浜へ向かったレイナルドは、けれど丘を下っている途中で既に人化して砂浜をうろうろとしているメリュディーナを見つけて慌てて駆け下りる。
「メル、随分……」
随分早く来たんだね、と言おうとしたレイナルドは、次の瞬間ひゅっと息を飲んだ。
「レイ! レイ、どうしよう! ごめんなさい、私、大事にしてたのに……!」
はらはらと涙を零しながら、メリュディーナがレイナルドに縋りつくように抱き着いてきたのだ。
「メル? 一体どうしたの?」
ごめんなさい、どうしようと繰り返して泣いているメリュディーナを落ち着けるように優しく背を撫でながら声を掛けると、メリュディーナが泣きながら時計を差し出してくる。
「壊れちゃったの……目を覚ましたら、止まっちゃってて……」
「あぁ……しまった、ごめん。教えるのを忘れてた」
レイナルドはメリュディーナから時計を受け取ると、見ててと言って時計の頭についているクラウンを回す。
レイナルドが回すのに合わせてカリカリと小さな音が響くのを、メリュディーナはすんと鼻を鳴らしながら見つめて――そしてあっと声を上げた。
「動いたわ! ありがとう、レイ! すごいわ、どんな魔法を使ったの⁉」
今まで泣いていたのが嘘のようにぱぁっと顔を輝かせたメリュディーナに、レイナルドは魔法じゃないんだと苦笑を零す。
「今みたいに一日に一回ここを回して。そうしたらちゃんと動き続けるから」
「一日一回ね」
分かったわ、とこくこくと頷いたメリュディーナは、レイナルドが自分の時計を取り出してメリュディーナの時計の時間を合わせているのを見つめて……そしてあら? と首を傾げる。
「ねぇ、レイ。この間言っていたのは、嘘だったの?」
「この間?」
時計を返しながら首を傾げたレイナルドに、メリュディーナは最初の日よ、と言う。
「時計が壊れちゃうから、明日絶対持って来てって言ったでしょう? もしかしてこういう事?」
「あぁ……でも嘘は言っていないよ。動かなくなると言ったけど、壊れるとは僕は言ってない」
「壊れちゃうって事? て聞いても違うって言わなかったわ」
「動かなくなるんだよ、と答えたじゃないか」
「……ずるいわ」
ぷくりと頬を膨らませたメリュディーナに、レイナルドはごめんとその頬を突っつく。
「どうしても、またメルに会いたかったんだ。あそこでおしまいになりたくなかった」
もう一度ごめんと言って膨らんだままの頬をそっと撫でられて、メリュディーナはぷっと空気を吐き出すと頬を引っ込める。
「……また、自分でサンドイッチを作ってみたいわ」
「メルが望むならいつだって」
「あの冷たいやつも、また食べたいわ」
「ジェラートだね。いくつでも――と言いたいけど、お腹を壊さない程度でね」
「傘も、また持ってみたいわ」
「雨が降った日には持たせてあげるよ。何ならメルの傘を買おうか?」
「時計を買ったお店の、キラキラした石もまた見たいわ」
「良いよ、今から見に行こうか。気に入った石があったらプレゼントするよ」
「も、もっともっとたくさん、色んな物語を聞かせて欲しいわ」
「メルが飽きるまで聞かせてあげるよ」
時計の事で騙された気分になったから少し困らせようと思ったのに、何を言っても全部良いよと笑って頷くレイナルドを、メリュディーナは小さく睨む。
「少しくらい困ってよ」
「メルに強請られて困る事なんてないよ」
嬉しそうに笑いながら、さぁ行こうと手を取って歩き始めたレイナルドの背中に向かって小さく唇を尖らせながら、メリュディーナは引かれるまま足を進めた。
そして本当に先日の宝飾店へ向かったレイナルドから「気に入った物があれば何でも言って」などと言われて、メリュディーナは困惑しながらもキラキラと輝く綺麗な石たちを眺める。
いつの間にか色とりどりの石に夢中になってしまっていたメリュディーナは、ゆっくりながらも進めていた足をふと止めた。
楽しそうに石を眺めるメリュディーナを見つめていたレイナルドも一緒に足を止めて、ぺたりとケースに張り付くように顔を寄せたメリュディーナが見つめる先に視線を移した。
「あぁ、ブルーパールの指輪だね」
「ブルーパール……すごいわ、こんな色もあるのね……」
ほぅ、と溜め息をついてその紺碧色の真珠を見つめているメリュディーナの横で、レイナルドが店員に声をかける。
そうしてケースから出された指輪を店員から受け取ると、レイナルドはメリュディーナの左手を取った。
「え? あの、レイ?」
「サイズは直せるから――と、すごい。ピッタリだ」
メリュディーナの左手の薬指にピタリとはまった指輪に、レイナルドはメルのための指輪だったんだねと笑う。
メリュディーナはそんなレイナルドと指輪を交互に見ると、困ったように眉を下げた。
「とても素敵だけど、要らないわ」
指輪を外そうとするメリュディーナの手に、レイナルドの手がやんわりと重なる。
「騙したみたいになったお詫びだから受け取ってくれると嬉しい。他にも欲しければ遠慮なく……」
「充分っ! 充分だからっ!」
メリュディーナは慌てて首をぶんぶんと振ると、ちらりとケースの中に視線を戻した。
この数日、メリュディーナはレイナルドを見ていて買い物の仕方を覚えた。
〝値段〟だって何となく分かるようになって来た。
だから、今この指にはめられている指輪が今まで食事をしたお店の〝メニュー〟や、市場などの〝値札〟の数字と、何だか桁が全然違う、という事が分かるようになってしまったのだ。
最初の日に貰った時計は、その時はただ綺麗な物を貰ったとしか思っていなかったけれど、きっとこれも高かったんだわと、胸元にぶら下がっている時計を握り締める。
「レイ、時計を貰っているし、これは本当に……」
「気に入らない? じゃあ別の物にしようか」
「そうじゃなくて、もう物は良いの。時計をくれたし、それで充分だわ」
必死で訴えるメリュディーナを見つめていたレイナルドが、ややあってふわりと微笑んだ。
分かって貰えたかしらとほっと息をつきかけたメリュディーナに、レイナルドは「遠慮するメルも可愛いな」などと言うと、横でニコニコと二人の様子を見守っていた店員にこのまま着けていくと伝えてしまう。
「レイ……⁉」
「言っただろう? これはお詫び。時計は待ち合わせをするのに必要だから買ったんだから、これとそれとは別物だよ」
「でも」と続けようとした唇をそっと指先で抑えられて、おしまいと強引に会話を切られてしまう。
そうしてレイナルドは店員が持ってきた紙にサラサラとサインをすると、そのままメリュディーナの手を引いて店を出てしまった。
「ねぇ、レイ……」
「メル、まだ何か言うなら、その可愛い唇を僕の唇で塞いでしまうよ」
「‼」
それってつまり……と、ぱっと頬を染めたメリュディーナにレイナルドは声を上げて笑うと、手を繋ぎ直して歩き始めてしまう。
メリュディーナも年頃だから、唇と唇をくっつける事がどういう意味かは知っている。
番った雄と雌が愛を伝えあう手段の一つで、人魚族も、陸で暮らす他の数多の獣人たちも、もちろん人族だって、それは同じらしい、という事も。
だからこの時、レイナルドの温かい指でそっと唇に触れられた時、メリュディーナは「キスってどんな感じなのかしら」と、ほんの少しだけ興味が湧いた。
その後レイナルドはあちこちの店にメリュディーナを連れて行った。
可愛い、と呟いた小さな――メリュディーナの時計が入りそうな小箱やお花を模した髪飾り、そして本当に傘まで、メリュディーナが興味を持ったり惹かれたりした色んなものをどんどん買ってしまった。
こんなに持って帰れないと困っているメリュディーナに、レイナルドはコテージに置いておけば良いよ、なんて軽く言うと、本当にコテージに運び込んでしまった。
だからこの日メリュディーナは、買ってすぐに着けた髪飾りと、時計をしまうための小箱だけを持って海へ帰った。
その雨は翌日、待ち合わせの時間になってもざぁざぁと降り続いていた。
レイナルドの傘に二人で入って、メリュディーナは初めてさす傘をくるくると回して水滴を飛ばしてはしゃいだ。
メリュディーナが傘を持っているから時折レイナルドの頭に傘が乗っかってしまったけれど、ごめんなさいと言いながらも楽しそうにしているメリュディーナを、レイナルドはもちろん怒る事などしなかった。
ひとしきり雨の中を歩いて、その後はコテージにあった本を――レイナルドが子供の頃に読んでいた絵本や童話集を、字の読めないメリュディーナに読み聞かせたり、三日連続になっちゃったねと笑いながらも昨日の残りの材料でまた一緒に作ったサンドイッチを食べたりして、のんびりと過ごした。
四日目はすっかりと青空が戻ってきた。
この日も約束の時間より少し早めに砂浜へ向かったレイナルドは、けれど丘を下っている途中で既に人化して砂浜をうろうろとしているメリュディーナを見つけて慌てて駆け下りる。
「メル、随分……」
随分早く来たんだね、と言おうとしたレイナルドは、次の瞬間ひゅっと息を飲んだ。
「レイ! レイ、どうしよう! ごめんなさい、私、大事にしてたのに……!」
はらはらと涙を零しながら、メリュディーナがレイナルドに縋りつくように抱き着いてきたのだ。
「メル? 一体どうしたの?」
ごめんなさい、どうしようと繰り返して泣いているメリュディーナを落ち着けるように優しく背を撫でながら声を掛けると、メリュディーナが泣きながら時計を差し出してくる。
「壊れちゃったの……目を覚ましたら、止まっちゃってて……」
「あぁ……しまった、ごめん。教えるのを忘れてた」
レイナルドはメリュディーナから時計を受け取ると、見ててと言って時計の頭についているクラウンを回す。
レイナルドが回すのに合わせてカリカリと小さな音が響くのを、メリュディーナはすんと鼻を鳴らしながら見つめて――そしてあっと声を上げた。
「動いたわ! ありがとう、レイ! すごいわ、どんな魔法を使ったの⁉」
今まで泣いていたのが嘘のようにぱぁっと顔を輝かせたメリュディーナに、レイナルドは魔法じゃないんだと苦笑を零す。
「今みたいに一日に一回ここを回して。そうしたらちゃんと動き続けるから」
「一日一回ね」
分かったわ、とこくこくと頷いたメリュディーナは、レイナルドが自分の時計を取り出してメリュディーナの時計の時間を合わせているのを見つめて……そしてあら? と首を傾げる。
「ねぇ、レイ。この間言っていたのは、嘘だったの?」
「この間?」
時計を返しながら首を傾げたレイナルドに、メリュディーナは最初の日よ、と言う。
「時計が壊れちゃうから、明日絶対持って来てって言ったでしょう? もしかしてこういう事?」
「あぁ……でも嘘は言っていないよ。動かなくなると言ったけど、壊れるとは僕は言ってない」
「壊れちゃうって事? て聞いても違うって言わなかったわ」
「動かなくなるんだよ、と答えたじゃないか」
「……ずるいわ」
ぷくりと頬を膨らませたメリュディーナに、レイナルドはごめんとその頬を突っつく。
「どうしても、またメルに会いたかったんだ。あそこでおしまいになりたくなかった」
もう一度ごめんと言って膨らんだままの頬をそっと撫でられて、メリュディーナはぷっと空気を吐き出すと頬を引っ込める。
「……また、自分でサンドイッチを作ってみたいわ」
「メルが望むならいつだって」
「あの冷たいやつも、また食べたいわ」
「ジェラートだね。いくつでも――と言いたいけど、お腹を壊さない程度でね」
「傘も、また持ってみたいわ」
「雨が降った日には持たせてあげるよ。何ならメルの傘を買おうか?」
「時計を買ったお店の、キラキラした石もまた見たいわ」
「良いよ、今から見に行こうか。気に入った石があったらプレゼントするよ」
「も、もっともっとたくさん、色んな物語を聞かせて欲しいわ」
「メルが飽きるまで聞かせてあげるよ」
時計の事で騙された気分になったから少し困らせようと思ったのに、何を言っても全部良いよと笑って頷くレイナルドを、メリュディーナは小さく睨む。
「少しくらい困ってよ」
「メルに強請られて困る事なんてないよ」
嬉しそうに笑いながら、さぁ行こうと手を取って歩き始めたレイナルドの背中に向かって小さく唇を尖らせながら、メリュディーナは引かれるまま足を進めた。
そして本当に先日の宝飾店へ向かったレイナルドから「気に入った物があれば何でも言って」などと言われて、メリュディーナは困惑しながらもキラキラと輝く綺麗な石たちを眺める。
いつの間にか色とりどりの石に夢中になってしまっていたメリュディーナは、ゆっくりながらも進めていた足をふと止めた。
楽しそうに石を眺めるメリュディーナを見つめていたレイナルドも一緒に足を止めて、ぺたりとケースに張り付くように顔を寄せたメリュディーナが見つめる先に視線を移した。
「あぁ、ブルーパールの指輪だね」
「ブルーパール……すごいわ、こんな色もあるのね……」
ほぅ、と溜め息をついてその紺碧色の真珠を見つめているメリュディーナの横で、レイナルドが店員に声をかける。
そうしてケースから出された指輪を店員から受け取ると、レイナルドはメリュディーナの左手を取った。
「え? あの、レイ?」
「サイズは直せるから――と、すごい。ピッタリだ」
メリュディーナの左手の薬指にピタリとはまった指輪に、レイナルドはメルのための指輪だったんだねと笑う。
メリュディーナはそんなレイナルドと指輪を交互に見ると、困ったように眉を下げた。
「とても素敵だけど、要らないわ」
指輪を外そうとするメリュディーナの手に、レイナルドの手がやんわりと重なる。
「騙したみたいになったお詫びだから受け取ってくれると嬉しい。他にも欲しければ遠慮なく……」
「充分っ! 充分だからっ!」
メリュディーナは慌てて首をぶんぶんと振ると、ちらりとケースの中に視線を戻した。
この数日、メリュディーナはレイナルドを見ていて買い物の仕方を覚えた。
〝値段〟だって何となく分かるようになって来た。
だから、今この指にはめられている指輪が今まで食事をしたお店の〝メニュー〟や、市場などの〝値札〟の数字と、何だか桁が全然違う、という事が分かるようになってしまったのだ。
最初の日に貰った時計は、その時はただ綺麗な物を貰ったとしか思っていなかったけれど、きっとこれも高かったんだわと、胸元にぶら下がっている時計を握り締める。
「レイ、時計を貰っているし、これは本当に……」
「気に入らない? じゃあ別の物にしようか」
「そうじゃなくて、もう物は良いの。時計をくれたし、それで充分だわ」
必死で訴えるメリュディーナを見つめていたレイナルドが、ややあってふわりと微笑んだ。
分かって貰えたかしらとほっと息をつきかけたメリュディーナに、レイナルドは「遠慮するメルも可愛いな」などと言うと、横でニコニコと二人の様子を見守っていた店員にこのまま着けていくと伝えてしまう。
「レイ……⁉」
「言っただろう? これはお詫び。時計は待ち合わせをするのに必要だから買ったんだから、これとそれとは別物だよ」
「でも」と続けようとした唇をそっと指先で抑えられて、おしまいと強引に会話を切られてしまう。
そうしてレイナルドは店員が持ってきた紙にサラサラとサインをすると、そのままメリュディーナの手を引いて店を出てしまった。
「ねぇ、レイ……」
「メル、まだ何か言うなら、その可愛い唇を僕の唇で塞いでしまうよ」
「‼」
それってつまり……と、ぱっと頬を染めたメリュディーナにレイナルドは声を上げて笑うと、手を繋ぎ直して歩き始めてしまう。
メリュディーナも年頃だから、唇と唇をくっつける事がどういう意味かは知っている。
番った雄と雌が愛を伝えあう手段の一つで、人魚族も、陸で暮らす他の数多の獣人たちも、もちろん人族だって、それは同じらしい、という事も。
だからこの時、レイナルドの温かい指でそっと唇に触れられた時、メリュディーナは「キスってどんな感じなのかしら」と、ほんの少しだけ興味が湧いた。
その後レイナルドはあちこちの店にメリュディーナを連れて行った。
可愛い、と呟いた小さな――メリュディーナの時計が入りそうな小箱やお花を模した髪飾り、そして本当に傘まで、メリュディーナが興味を持ったり惹かれたりした色んなものをどんどん買ってしまった。
こんなに持って帰れないと困っているメリュディーナに、レイナルドはコテージに置いておけば良いよ、なんて軽く言うと、本当にコテージに運び込んでしまった。
だからこの日メリュディーナは、買ってすぐに着けた髪飾りと、時計をしまうための小箱だけを持って海へ帰った。
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