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その1
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「お疲れさまでした。では、失礼致します。」
リモート会議を退室し、一息をつく。これで今日分の打合せと作業が終わり。時計を見る。17時35分。
勤怠アプリを起動して、退勤を選択。そして会社のノートパソコンを閉じる。これで、本日分の社会人としての役目を果たした。
さて、次は私生活の管理。まずは皿洗い。普段は食べた後、すぐ食器を洗うようにしているが、できない日もある。今日はそんな日。
続いて、洗濯物とお布団をたたむ。9月とは思えない暑い日が続いており、そのおかげで洗濯物は当日中に渇く。本当にありがたい話だ。やはり日差しで乾くのがベスト。
続いて30分ほど筋トレ。フルリモートの仕事のお陰でこうして家事する時間がたくさんあってありがたいが、割とインドア派のため、外出することが少ない。そしてこの会社に入って数ヶ月立つと、いつの間にかお腹が出ていて、焦って始まった筋トレだが、まだ引き締まってない。まあ、継続が大事なので意地を張って続いている。
筋トレで汗を流したあと、シャワーを浴びる時間だ。畳んだ服からぽかぽか感がなくなっているけれど、いい匂いだ。今回買った洗剤が大当たり。しばらくこれを使おう。
このように毎日決まった時間に決まったことをするのが、家事のようなルーティンワークを維持するに一番最適と試行錯誤の結果わかったからいつもこのようにこなしている。そうでもしないと、一人暮らし4年目の生活が崩壊しかけない。
一人暮らしして分かったことが、一つある。自分のことを自分で何とかしないといけない。誰もが気づいて、指摘してくれない。例えば、毎日部屋の掃除をしなくても誰にも咎められることがない。両親が時々聞いてくれるけど、それくらい。つまり、気が付けば、だらしない生活を送っていて、「生活」することができていないことになる。それがなんとなく嫌で、せめて両親に「しっかりしており、安定した生活を送っています」と正直に報告して、安心させたい。今のところ両親から特に指摘がないので、多分大丈夫だろう。
シャワーを浴びる。SEとして仕事を始めて、あと少しで1年が終わる。そろそろ仕事に慣れてきて、大変だけど落ち着きつつある仕事。まあ、プロジェクトの締め切り直前になると残業を増えるでしょうが、今は落ち着いている方。今日晩御飯何を作ろう、と櫛を髪に通しつつぼんやりと考えていたら、突然何かがぶつかる音、そして甲高い悲鳴が聞こえた。
一瞬何があったかわからず、思考が停止する。そして背筋が凍る。何、今の音?もしかして、不審者?でも、悲鳴がしたし、どういうこと?確か、寝室から聞えた。
近くにあったフロアワイパーを震えながら手に取る。多少の防衛になるかもしれない。妖怪とかは実在しないけど、人ならざるものであれば勝算はないけど。そして恐る恐る寝室へ向かう。
寝室のドアが少し開いたままで、中はうす暗い。そして、ドアの近くに丸めた何かがあり、震えているように見える。勢いで寝室入ってすぐのスイッチを押して電気を付ける。すると目に飛び込んでくるのが、汚い布を着ている人の姿。女性?そしてその人物も驚いたらしく、はっとこっちを見て、目が合う。
その青い瞳の中に、見えてしまった。恐怖と絶望した目だ。そしてそれが段々虚無感に変わる。まるで生きることすら諦めている目。
どれくらい時間が経ったのだろうか。俺は、目が離せなくなっていた。先ほどまで感じていた怖さ、もうない。でもその代わり、やるせない気持ちが胸いっぱいに広がった。どれだけのことがあれば人がこのような目をするのか。想像もつかない。この人、何があった?
気が付けば目のあたりに熱いものを感じる。あれ?俺、泣いている?なんで?自分でもわからない。でも、これくらいわかる。今目の前にいる人?が、辛いのだ。明らかに。そして、俺なんかが想像できないほどに。そう考えただけで勝手に涙が出てくる。言葉を発する余裕もなく、俺は少しの間、静かに涙を流した。
やがて少し落ち着いてきた俺は、顔を上げて彼女の方を見る。先ほどの虚無感と違って、彼女の瞳が大きく開かれていた。もしかして驚いているかもしれない。でも、その表情を見て、俺も少しほっとする。
「あの、日本語、OK?」
彼女に声をかけてみる。
「ニ、ホン、ゴ?」
日本語が通じない。まあ、かなり汚れているがブロンド色の髪、そして顔立ちからすると日本人ではないことは明らかだ。じゃ、
「Can you speak English?」
ただ、それでも彼女の頭の上にはてなマークが浮いているの見えた気がする。英語もダメか。
こうなったら国境を超える言語、ジェスチャーを使おう。
まず、なんと呼べばいいのか。自分の鼻に指をあてて、
「ゆうと」
と言う。
「ユウト?」
少しイントネーションおかしいけど合っている。俺はこくこくとうなずく。そしてまた自分の指をあててもう一度自分の名前を言う。
「ユウト」
俺の名前が通じたみたい。初めてコミュニケーションが取れた。嬉しい。
続いて、彼女の名前を聞かないといけない。もう一度自分の鼻に指をあてて、「ゆうと」と言う。そして、ちょっと失礼だが、彼女に指をさす。そうすると彼女が、
「マヤ」
と一言だけ言う。
そうか、彼女の名前はマヤか。お互い名前が知れただけでこれだけ嬉しくなるとは。
さて、彼女の名前がわかったし、手始めに綺麗になってもらわないと。マヤをうちのダイニングテーブルに座るようにジェスチャーで伝えた。おずおずと椅子に座る彼女。服装や状況どうであれ、しっかりした綺麗な座り方。品行方正の方だな。どこか「淑女」と言う言葉が脳内をよぎる。
椅子に座ったマヤが遠慮がちの視線でリビングを見渡す。うちのマンションが1LDKで、バストイレ別。とは言え、俺がほとんど生活しているのはリビングの方で、寝室を寝るためだけに使っている。でも、「これ知ってる」のような顔はしない。もしかして、前の環境と今はあまりにも違いすぎる?
でも、このままではダメだ。お風呂に入ってもらわないと。そして変えの服も。もしかしてシャワーやお風呂の使い方もわからないかもしれない。う~ん。ここはやっぱり女性に任せたいところだ。でも、女友達はいないし…そう思って俺が知っている唯一の女性である母に電話をする。
「もしもし。どうしたの、ゆう?」
「母さん。今時間大丈夫?」
「いいよ。ちょうど晩御飯作り終えたところ。どうしたの?」
「今からうちに女性の着替えを持ってこれる?」
「??どいうこと?」
「信じがたいと思うけど…」
と母に状況を説明する。
「そうなんだ。ゆうがいたずらで言ってないのはわかるけど、証明できる?」
「いいよ」
そして先ほどと同じく、自分の名前を言う仕草と「ゆうと」と言い、彼女の方に指をさすと、「マヤ」と答えてくれた。その声、母にも聞こえたに違いない。
「とりあえず、分かったわ。今から着替えを持って向かうから待ってて。」
突然ビデオ通話に切り替えない母の気遣い、ありがたい。
準備する時間も含めば、母がここに到着するまで少し時間がかかる。その間に、まずマヤに飲み水を未使用コップに差し出した。彼女がお水を一気に飲み干した。相当喉が渇いたに違いない。そしてジェスチャーで彼女に水をくむ方法教える。幸い、日本では水道水を飲めるから、簡単に見せたらマヤがうなずいてくれた。これで、いつでも自分で水を飲めるはず。
続いて、食べ物だ。う~ん、なんとなくの洋風な雰囲気からすると、もしかしてパンの方がなじみあるかもしれない。そして、多分甘いものがいい。幸い、明日の朝食予定のクリームパンがあった。それをマヤに差し出したら、彼女が受け取らずに、一度俺の方を見る。「食べていいの?」と聞いているみたい。俺が大きくうなずいてみせたら、遠慮がちな仕草で受取り、一口分を口に入れる。そしてよっぽど感動したか、今度マヤの目から涙が出る。それでも、食べる手を止めず、最後まで食べきる。お口に合ってよかった、と俺もほっとしつつ、マヤに水一杯を差し出した。こうして、プチ食事タイムが終えた。
さて、母は到着するまでまだ少し時間がある。マヤにそこで座ってていいよ、とジェスチャーで何とか伝え、俺は本を読みながら待つことにする。リビングに割と大き目な本棚がある。そこから、フィクション本を取り出し、マヤの向かい側の席に座る。こうしている間も、彼女の目が俺を追いかけているのがわかる。そして、時々本棚にも視線が行っているのよう。もしかして、本が好きかもしれない。そうだと嬉しいな。
今読んでいる本がすでに何回か読んだから、自分を落ち着かせる意味を含めてこの本にした。大好きなストーリーであり、読書により思考を強制的に落ち着かせる。ふと本から目を上げると、マヤが不思議そうな顔して俺の読書を見ていたらしい。彼女がいた環境に本を読む人が少なったかもしれない。でも、その瞳に恐怖の色がほとんどないことが嬉しい。
にしても、座り方もとても淑女っぽくて、上品だな。良い家の育ちだろうか。いつか聞いてみよう。
そして、少し後ピンポンが鳴る。母が来たようで、俺もほっとする。マヤは驚いて、そしてまた少し恐怖の表情を見せる。大丈夫とジェスチャーしつつ、ドアを開ける。
「母さん。こんな時間なのにありがとうね。」
「ううん、気にしないで。それより、あの子は?」
「今ダイニングテーブルに座っている。とりあえず入って。」
そして椅子に座ってるマヤの姿を見て、一瞬顔をしかめる。「ひどいだわ…」とつぶやいたあと、すぐ笑顔になって、
「初めまして。松永詠美です。あなたがマヤさんだよね?」
俺は補足として、ジェスチャーで母に指をさし、「えいみ」と言う。すると、マヤは、
「エイミ」と言って、うなずいてくれた。そして立ち上がり、上品に挨拶する。
「マヤ」
とだけ言うが、俺がびっくりした。ここまでちゃんとした挨拶、人生で初めてみたかもしれない。
「マヤちゃんだね。よし、まずお風呂入って服を着替えようか。」
と母はさっそくジェスチャーでマヤについてくるように言う。
俺もうなずいて、彼女についていくようにジェスチャーで伝える。
「ありがとう、母さん。あとは頼んだ」
「任せて!」
どこかテンション高いな。もともと世話好きで、娘も欲しかったというのも俺は知っているから、いいかもしれない。なんにせよ、あとは俺が待つだけ。やっぱり、こういうのは女性に任せるのがベスト。
しばらくすると、バスのドアが開くのが聞こえた。
「終わったよー!ほら、マヤちゃん来て来て!」
ってハイテンションで言う母。マヤの世話出来てよっぽど嬉しかっただろう。
そしておずおずとマヤが表れる。俺は息を&吞んで、一瞬言葉を失う。
腰まで届くブロンドの長い髪。青い瞳。着ている服が母のおさげだけど、とても似合っている。スレンダーな体付きで上品と同時にどこかあどけないあどけない雰囲気が残っていて、俺は鼓動が早くなるのはわかった。そして少し照れ臭いようにしている仕草を含めて、綺麗。そして可愛い。
「コホン」
母の咳払いで我に返った俺は、母を見る。
「とりあえず、お風呂の入り方を教えたわ。あと、何着の古着おいておく。今日料理まだだろう?今日の晩御飯少し持ってきたらマヤちゃんと食べて。」
この気遣い、本当にうれしい。
「ありがとうね。美味しくいただくよ。あと、俺がここでお布団で、彼女がベッドに、部屋を分けるから安心して。」
「聞き分けのいい子で助かるわ。じゃ、あとはお願いね。この調子だとまずコミュニケーションからかしら。何かあったらいつでも連絡して。」
そうやって帰る支度を済ませた後、
「じゃ、母さんは帰る。また様子見に来る。マヤちゃん、またね!」
母を玄関から見送る。そして変える際に、母は小声で「念のため、ナイフは母さんが持って帰ってるから、ゆうは子供用包丁で我慢してね。あと、身元不明だけど、人間に見えたし、いい子だと思うからしっかり、ね。」
と教えてくれる。
「わかってる。色々ありがとうね。気を付けて。」
そしてドアが閉まる。
さて、ごはん食べるか。余っていたお皿を出して洗った後、母の残してくれた料理を出す。カレーライスか、これは嬉しい。スプーンと一緒に差し出すと、今度マヤは一礼したあと、食べ始める。俺も、「いただきます」と言った後、食べ始める。うん、何年食べても美味しい。マヤも気に入ったらしく、嬉しそうに食べていた。食欲ちゃんとあるようで、良かった。
その後、今後使う予定だった新品の歯ブラシを用意し、マヤにお手本を見せたあと、彼女が歯を磨いた。その間に俺はお布団とベッドを用意する。続いて、マヤをベッドに寝るように伝え、俺はそっと寝室の扉を閉めた。そしてお布団に入り、目を閉じる。明日も仕事だ。
リモート会議を退室し、一息をつく。これで今日分の打合せと作業が終わり。時計を見る。17時35分。
勤怠アプリを起動して、退勤を選択。そして会社のノートパソコンを閉じる。これで、本日分の社会人としての役目を果たした。
さて、次は私生活の管理。まずは皿洗い。普段は食べた後、すぐ食器を洗うようにしているが、できない日もある。今日はそんな日。
続いて、洗濯物とお布団をたたむ。9月とは思えない暑い日が続いており、そのおかげで洗濯物は当日中に渇く。本当にありがたい話だ。やはり日差しで乾くのがベスト。
続いて30分ほど筋トレ。フルリモートの仕事のお陰でこうして家事する時間がたくさんあってありがたいが、割とインドア派のため、外出することが少ない。そしてこの会社に入って数ヶ月立つと、いつの間にかお腹が出ていて、焦って始まった筋トレだが、まだ引き締まってない。まあ、継続が大事なので意地を張って続いている。
筋トレで汗を流したあと、シャワーを浴びる時間だ。畳んだ服からぽかぽか感がなくなっているけれど、いい匂いだ。今回買った洗剤が大当たり。しばらくこれを使おう。
このように毎日決まった時間に決まったことをするのが、家事のようなルーティンワークを維持するに一番最適と試行錯誤の結果わかったからいつもこのようにこなしている。そうでもしないと、一人暮らし4年目の生活が崩壊しかけない。
一人暮らしして分かったことが、一つある。自分のことを自分で何とかしないといけない。誰もが気づいて、指摘してくれない。例えば、毎日部屋の掃除をしなくても誰にも咎められることがない。両親が時々聞いてくれるけど、それくらい。つまり、気が付けば、だらしない生活を送っていて、「生活」することができていないことになる。それがなんとなく嫌で、せめて両親に「しっかりしており、安定した生活を送っています」と正直に報告して、安心させたい。今のところ両親から特に指摘がないので、多分大丈夫だろう。
シャワーを浴びる。SEとして仕事を始めて、あと少しで1年が終わる。そろそろ仕事に慣れてきて、大変だけど落ち着きつつある仕事。まあ、プロジェクトの締め切り直前になると残業を増えるでしょうが、今は落ち着いている方。今日晩御飯何を作ろう、と櫛を髪に通しつつぼんやりと考えていたら、突然何かがぶつかる音、そして甲高い悲鳴が聞こえた。
一瞬何があったかわからず、思考が停止する。そして背筋が凍る。何、今の音?もしかして、不審者?でも、悲鳴がしたし、どういうこと?確か、寝室から聞えた。
近くにあったフロアワイパーを震えながら手に取る。多少の防衛になるかもしれない。妖怪とかは実在しないけど、人ならざるものであれば勝算はないけど。そして恐る恐る寝室へ向かう。
寝室のドアが少し開いたままで、中はうす暗い。そして、ドアの近くに丸めた何かがあり、震えているように見える。勢いで寝室入ってすぐのスイッチを押して電気を付ける。すると目に飛び込んでくるのが、汚い布を着ている人の姿。女性?そしてその人物も驚いたらしく、はっとこっちを見て、目が合う。
その青い瞳の中に、見えてしまった。恐怖と絶望した目だ。そしてそれが段々虚無感に変わる。まるで生きることすら諦めている目。
どれくらい時間が経ったのだろうか。俺は、目が離せなくなっていた。先ほどまで感じていた怖さ、もうない。でもその代わり、やるせない気持ちが胸いっぱいに広がった。どれだけのことがあれば人がこのような目をするのか。想像もつかない。この人、何があった?
気が付けば目のあたりに熱いものを感じる。あれ?俺、泣いている?なんで?自分でもわからない。でも、これくらいわかる。今目の前にいる人?が、辛いのだ。明らかに。そして、俺なんかが想像できないほどに。そう考えただけで勝手に涙が出てくる。言葉を発する余裕もなく、俺は少しの間、静かに涙を流した。
やがて少し落ち着いてきた俺は、顔を上げて彼女の方を見る。先ほどの虚無感と違って、彼女の瞳が大きく開かれていた。もしかして驚いているかもしれない。でも、その表情を見て、俺も少しほっとする。
「あの、日本語、OK?」
彼女に声をかけてみる。
「ニ、ホン、ゴ?」
日本語が通じない。まあ、かなり汚れているがブロンド色の髪、そして顔立ちからすると日本人ではないことは明らかだ。じゃ、
「Can you speak English?」
ただ、それでも彼女の頭の上にはてなマークが浮いているの見えた気がする。英語もダメか。
こうなったら国境を超える言語、ジェスチャーを使おう。
まず、なんと呼べばいいのか。自分の鼻に指をあてて、
「ゆうと」
と言う。
「ユウト?」
少しイントネーションおかしいけど合っている。俺はこくこくとうなずく。そしてまた自分の指をあててもう一度自分の名前を言う。
「ユウト」
俺の名前が通じたみたい。初めてコミュニケーションが取れた。嬉しい。
続いて、彼女の名前を聞かないといけない。もう一度自分の鼻に指をあてて、「ゆうと」と言う。そして、ちょっと失礼だが、彼女に指をさす。そうすると彼女が、
「マヤ」
と一言だけ言う。
そうか、彼女の名前はマヤか。お互い名前が知れただけでこれだけ嬉しくなるとは。
さて、彼女の名前がわかったし、手始めに綺麗になってもらわないと。マヤをうちのダイニングテーブルに座るようにジェスチャーで伝えた。おずおずと椅子に座る彼女。服装や状況どうであれ、しっかりした綺麗な座り方。品行方正の方だな。どこか「淑女」と言う言葉が脳内をよぎる。
椅子に座ったマヤが遠慮がちの視線でリビングを見渡す。うちのマンションが1LDKで、バストイレ別。とは言え、俺がほとんど生活しているのはリビングの方で、寝室を寝るためだけに使っている。でも、「これ知ってる」のような顔はしない。もしかして、前の環境と今はあまりにも違いすぎる?
でも、このままではダメだ。お風呂に入ってもらわないと。そして変えの服も。もしかしてシャワーやお風呂の使い方もわからないかもしれない。う~ん。ここはやっぱり女性に任せたいところだ。でも、女友達はいないし…そう思って俺が知っている唯一の女性である母に電話をする。
「もしもし。どうしたの、ゆう?」
「母さん。今時間大丈夫?」
「いいよ。ちょうど晩御飯作り終えたところ。どうしたの?」
「今からうちに女性の着替えを持ってこれる?」
「??どいうこと?」
「信じがたいと思うけど…」
と母に状況を説明する。
「そうなんだ。ゆうがいたずらで言ってないのはわかるけど、証明できる?」
「いいよ」
そして先ほどと同じく、自分の名前を言う仕草と「ゆうと」と言い、彼女の方に指をさすと、「マヤ」と答えてくれた。その声、母にも聞こえたに違いない。
「とりあえず、分かったわ。今から着替えを持って向かうから待ってて。」
突然ビデオ通話に切り替えない母の気遣い、ありがたい。
準備する時間も含めば、母がここに到着するまで少し時間がかかる。その間に、まずマヤに飲み水を未使用コップに差し出した。彼女がお水を一気に飲み干した。相当喉が渇いたに違いない。そしてジェスチャーで彼女に水をくむ方法教える。幸い、日本では水道水を飲めるから、簡単に見せたらマヤがうなずいてくれた。これで、いつでも自分で水を飲めるはず。
続いて、食べ物だ。う~ん、なんとなくの洋風な雰囲気からすると、もしかしてパンの方がなじみあるかもしれない。そして、多分甘いものがいい。幸い、明日の朝食予定のクリームパンがあった。それをマヤに差し出したら、彼女が受け取らずに、一度俺の方を見る。「食べていいの?」と聞いているみたい。俺が大きくうなずいてみせたら、遠慮がちな仕草で受取り、一口分を口に入れる。そしてよっぽど感動したか、今度マヤの目から涙が出る。それでも、食べる手を止めず、最後まで食べきる。お口に合ってよかった、と俺もほっとしつつ、マヤに水一杯を差し出した。こうして、プチ食事タイムが終えた。
さて、母は到着するまでまだ少し時間がある。マヤにそこで座ってていいよ、とジェスチャーで何とか伝え、俺は本を読みながら待つことにする。リビングに割と大き目な本棚がある。そこから、フィクション本を取り出し、マヤの向かい側の席に座る。こうしている間も、彼女の目が俺を追いかけているのがわかる。そして、時々本棚にも視線が行っているのよう。もしかして、本が好きかもしれない。そうだと嬉しいな。
今読んでいる本がすでに何回か読んだから、自分を落ち着かせる意味を含めてこの本にした。大好きなストーリーであり、読書により思考を強制的に落ち着かせる。ふと本から目を上げると、マヤが不思議そうな顔して俺の読書を見ていたらしい。彼女がいた環境に本を読む人が少なったかもしれない。でも、その瞳に恐怖の色がほとんどないことが嬉しい。
にしても、座り方もとても淑女っぽくて、上品だな。良い家の育ちだろうか。いつか聞いてみよう。
そして、少し後ピンポンが鳴る。母が来たようで、俺もほっとする。マヤは驚いて、そしてまた少し恐怖の表情を見せる。大丈夫とジェスチャーしつつ、ドアを開ける。
「母さん。こんな時間なのにありがとうね。」
「ううん、気にしないで。それより、あの子は?」
「今ダイニングテーブルに座っている。とりあえず入って。」
そして椅子に座ってるマヤの姿を見て、一瞬顔をしかめる。「ひどいだわ…」とつぶやいたあと、すぐ笑顔になって、
「初めまして。松永詠美です。あなたがマヤさんだよね?」
俺は補足として、ジェスチャーで母に指をさし、「えいみ」と言う。すると、マヤは、
「エイミ」と言って、うなずいてくれた。そして立ち上がり、上品に挨拶する。
「マヤ」
とだけ言うが、俺がびっくりした。ここまでちゃんとした挨拶、人生で初めてみたかもしれない。
「マヤちゃんだね。よし、まずお風呂入って服を着替えようか。」
と母はさっそくジェスチャーでマヤについてくるように言う。
俺もうなずいて、彼女についていくようにジェスチャーで伝える。
「ありがとう、母さん。あとは頼んだ」
「任せて!」
どこかテンション高いな。もともと世話好きで、娘も欲しかったというのも俺は知っているから、いいかもしれない。なんにせよ、あとは俺が待つだけ。やっぱり、こういうのは女性に任せるのがベスト。
しばらくすると、バスのドアが開くのが聞こえた。
「終わったよー!ほら、マヤちゃん来て来て!」
ってハイテンションで言う母。マヤの世話出来てよっぽど嬉しかっただろう。
そしておずおずとマヤが表れる。俺は息を&吞んで、一瞬言葉を失う。
腰まで届くブロンドの長い髪。青い瞳。着ている服が母のおさげだけど、とても似合っている。スレンダーな体付きで上品と同時にどこかあどけないあどけない雰囲気が残っていて、俺は鼓動が早くなるのはわかった。そして少し照れ臭いようにしている仕草を含めて、綺麗。そして可愛い。
「コホン」
母の咳払いで我に返った俺は、母を見る。
「とりあえず、お風呂の入り方を教えたわ。あと、何着の古着おいておく。今日料理まだだろう?今日の晩御飯少し持ってきたらマヤちゃんと食べて。」
この気遣い、本当にうれしい。
「ありがとうね。美味しくいただくよ。あと、俺がここでお布団で、彼女がベッドに、部屋を分けるから安心して。」
「聞き分けのいい子で助かるわ。じゃ、あとはお願いね。この調子だとまずコミュニケーションからかしら。何かあったらいつでも連絡して。」
そうやって帰る支度を済ませた後、
「じゃ、母さんは帰る。また様子見に来る。マヤちゃん、またね!」
母を玄関から見送る。そして変える際に、母は小声で「念のため、ナイフは母さんが持って帰ってるから、ゆうは子供用包丁で我慢してね。あと、身元不明だけど、人間に見えたし、いい子だと思うからしっかり、ね。」
と教えてくれる。
「わかってる。色々ありがとうね。気を付けて。」
そしてドアが閉まる。
さて、ごはん食べるか。余っていたお皿を出して洗った後、母の残してくれた料理を出す。カレーライスか、これは嬉しい。スプーンと一緒に差し出すと、今度マヤは一礼したあと、食べ始める。俺も、「いただきます」と言った後、食べ始める。うん、何年食べても美味しい。マヤも気に入ったらしく、嬉しそうに食べていた。食欲ちゃんとあるようで、良かった。
その後、今後使う予定だった新品の歯ブラシを用意し、マヤにお手本を見せたあと、彼女が歯を磨いた。その間に俺はお布団とベッドを用意する。続いて、マヤをベッドに寝るように伝え、俺はそっと寝室の扉を閉めた。そしてお布団に入り、目を閉じる。明日も仕事だ。
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